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第二話:ヒーロー・変身

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 その姿は色や多少の細部は違うものの、「正義の味方」であった過去の自分と瓜二つだった。しかしそこには決定的に違う点がある。それは変身の仕方だ。蒼甫が変身する場合、媒介である腕時計を使用していた。その腕時計は力が無くなった今も、未練がましく身に着けている。だがおっさんにはそれらを使うような仕草はなかった。
 蒼甫はまず彼女との関わりを疑った。しかしそれは無いと心の隅では確信していた。彼女は偏屈ではあったが、おっさんの様なタイプの人を好む性格ではなかったからだ。
「おっさん、あんたその力をどこで手に入れた?」
 だが聞くしかあるまい。所詮は予想。異常なことが起こっている今、経験則や常識など役には立たないだろう。
「神に与えられたのだ。神は私を正義の執行者として転生させたのだ」
「か、神ぃ? えっと、その神って言うのは銀髪の少女……?」
「銀髪ぅ? 少女ぉ? 神はいつも私と共にいる。私の中にいる。では私の中の神は少女なのか? いや、違う。神は神であり、私と共にいる。それだけだ。それだけのことだ」
「ああもう、何言ってんのかわかんねえよ!」
「おいまて少年。俺の質問に答えろ。お前、アイツを知ってるのか?」
「……まあ、それなりに」
「そうか――」
 不意に鳴り響く携帯電話の着信音。緊迫したこの状況に似あわない心躍るような音楽。間の抜けた雰囲気が立ち込める。
「おお、やばっやばっ!」
 泥だらけのズボンから青年は今時珍しい折り畳み式の携帯電話を取り出す。よくそのボロボロな状態で携帯電話が無事であったと蒼甫は日本の技術力に感心した。
「少年、これ持ってて。それと後で詳しく後で教えろよな?」
「えっ。あー、はい……?」
 返事も待たずに拳銃を蒼甫に手渡すと、青年は通話を始めた。ずっしりと重みのある拳銃を手に持ちながら、蒼甫は数秒間青年をぼんやり見つめていた。
「ま、まあ随分と余裕なようだが、貴様は先ほど私に蹂躙されていたことを忘れてはいないだろうな?」
 おっさんもこの状況下での青年の行動に少々困惑してるようだ。例えばコンビニでお会計をしようとしたとき、店員が他の店員とお喋りして一向に仕事をしない状況によく似ている。
「おけ、大丈夫だ。うんうん。今丁度いいタイミングだわ」
 そういった場合、大抵は客が大声をあげたり何とか気づいてもらおうと下手に出たりする。そこで客としての品性も問われるわけだが、今回はその点においては無視していいだろう。
「ふむ、無視か。やはりゆとり世代のガキは礼儀を知らない。これは懲罰が必要だ――」
 なにせ相手は客ではなく、今においては限りなく強盗犯のそれに近いからだ。
「――なっ!!」
  瞬間、おっさんが視界から消える。消えたと自覚したのが先なのか、ことが起こったのが先なのかは分からない。だがその曖昧な感覚を吹き飛ばすように、ばちんという低く籠った音が鋭い風と共に耳元を掠める。そしてその時初めて青年の代りにおっさんが目の前に現れたことに気づく。
「~~~~~~~ッ!!??」
 蒼甫は言葉にならない叫びをあげる。理解が追い付くのより先に、背後から何かが壁に衝突し崩れる音が耳に届いた。
 咄嗟に蒼甫は預かっていた拳銃の銃口をおっさんに向け臨戦態勢に入る。と言ってもアニメで見た出鱈目な構えを見様見真似でしたに過ぎないただの威嚇。正義の味方をしていた頃は、そんないい加減な感じでも相手を蹂躙できた。地力が違うのだから当然だ。一般人の蹴りや打撃などハエが止まったようなものだった。
 しかし逆の立場になって初めてわかる。焦燥感、敗北感、絶望感。今のおっさんに何をしても無駄だろう。しかし何か行動を起こして、状況が好転するかもという淡い期待。それが打算的に威嚇という行動に移させる。
「その目、敵わないと分かっていてなぜ構える? 逃げればいいだろう?」
 蒼甫はかつて蹂躙してきた相手と同じ目をしているだろう。それでも奴らの何人か理由はどうであれ対等に戦う意思を示した。そいつらが言うであろう典型的な言葉がある。
「男には負けと分かっていても、闘わなきゃいけない時もあんだよ!!」
 上ずり震えているうえにどもり気味な精一杯の威圧。しかしこの言葉、この様な状況なら思わず使ってしまうような魅力がある。それに自分を開き直らせるにはいい暗示かもしれない。
「威勢のいい言葉を使うわりには覇気がないな。逆に哀れだぞ。その悲壮感に免じて逃がしてやる。元々お前には興味など無かったのだし」
 きた。きたきたきた。死を覚悟した威嚇による、万に一つの可能性。両手をあげて降参を表現し、背中を見せないように後ずさりし、距離をとったら一気に走る。それだけで生き残ることができる。
 まずはこの手に握っている拳銃を捨てなければならない。そして自分の戦意が喪失したことを示さなければならない。しかし拳銃を見て思い出す。「覚悟しておけよ」と青年は言った。これの事かと今更やっと気づく。危険に冒されることの、戦うことの、死ぬことの、覚悟。
 あの一瞬で一般人にそれをしろとは無茶な話だ。だが、蒼甫に至ってはそれを言い訳にはできない。すでに約一年前に、初恋の少女に覚悟を示したのだから。
 逃がしてやる。なんと甘美な響きか。砂糖菓子の様に甘すぎて、喉が焼けてくる。しかし蒼甫は現代っ子。知らないおじさんにお菓子を譲ると言われても受け取らないのが今の子供だ。
「なぁっ、なめんじゃねえ! 俺にだってプライドってもんがあるんだよ!!」
「命よりプライドを取るのか? 恐怖に慄くその姿に誇りなんて残っているのか?」
「残ってるからこうして勝てない相手に立ち向かってんだろ!」
「ああ、そりゃそうだ。その通りだ」
 おっさんは大きく硬い手を蒼甫の頭に乗せた。徐々に指に力が込められていく。みしみしという音が耳の奥をくすぐる。
「拳銃撃たないのか? そうか。お前はただの死にたがりか。ならばお望み通り、殺してやる」
 構えていた両手は力を無くしゆっくりと下がり、緩んだ手から拳銃が落ちる。蒼甫の右手にはごてごてした腕時計が光っている。奇跡が起こるのなら、もう一度光ってはくれまいか。あの日の栄光を今日だけ、いやこの一瞬だけでいいので戻してやくれないか。
 その願いを頭蓋骨の軋む音とそれに伴う激痛が、現実が掻き消していく。考えなくいけると思って突っ走り、結局奇跡頼みなのだから、自分の馬鹿さには思わず反吐が出る。覚悟なんて笑わせる。情けないったら情けない。
 こんな感じに斜に構えて冷静さを保ってみた。どうだ、格好いいか。
 しかし迫る痛みと焦燥感からは逃れられない。体を捩り、捻り、振り回す。叫び声をあげて涎や鼻水を撒き散らす。唇を噛んでしまったのか、口から血が滴る。
 どうだ、格好いいか。お前は格好いいか。誰かが囁く。意地悪なことを言うと思った。そんなの見れば分かることだ。
 格好悪いに決まっている。でも、格好悪くてもいいから助かりたい。そう返事をした。
「その手を放せ、化け物」
「なっ? はっ?」
 ふっと頭を覆う圧力が消え、脱力していた体が支えを失い、重力により一気に急降下した。受け身も取れず尻餅をついたため、体を突き抜ける衝撃に咽ながら、ぼやけた視界でおっさんを見る。戸惑うおっさんの右腕からは緑の血液が噴水のように吹き出している。青年の言った化け物という言葉は強ち間違いでは無いようだ。 
「腕が、腕が? あれ? なんで?」
 蒼甫の頭からずるりと腕が落ちる。落下中に腹部にぶつかり、血が付いた。絵具の様に鮮やかな緑。そしてすぐ鈍く気色の悪い音が地面から聞こえた。
「痛い。痛い痛い痛いぃ痛いぃいい痛いいいいいいいいいいいいいぁぁああああああ!!!!!」
 切断された腕からは際限なく血が溢れ出る。
「今のうちに距離を取るぞ!」
 その声と共に青い影が蒼甫を軽々持ち上げる。景色が一瞬吹き飛ぶ。そしてある程度距離を取ったところでやや乱暴に地面に置かれ、その勢いでまた蒼甫は尻餅をついた。
「間に合ってよかったぜ。怖い思いをさせたな、少年。すぐに終わらせてやる!」
 臀部の鈍痛を我慢しつつ蒼甫は顔を上げた。
「えっ? へっ?」
 その声は確かに青年のものだった。しかしその外見は先程の彼ではない。凛々しかった顔には狼の頭部を思わせるフルフェイスヘルメット。体全体はブルーの金属で覆われ、その光沢は宝石のようだ。胴体にはかぎ爪状の武器が装着されており、体格は一回り程大きくなっている。
 何より目立つのがおっさんの腕を切断した右腕の二本の刃。その全長三十センチメートル程の刃は全身の中で取り分け異質だった。
「さっさっきにゅ人?」
「おっ、噛んだな今。しかし説明は後にさせてもらうぜ。向うも必死だしな」
「許さねえ、許さねえぞ!! たかが片腕が落とされた程度っ!!! ぐぅっ、ぶふう~~~~~~~ッ!! ふう、ふう、ふ~~~~~~……」
 おっさんは右腕の切断面を左手で無理やり握り潰し止血した。
「ひえっ!?」
 その壮絶な光景に蒼甫は思わずたじろぐ。
「大丈夫だ。すぐ終わる。なんなら目を瞑っててもいい。耳を塞いでてもいい。動けるんなら安全なところへ走れ」
 表情はヘルメットで見て取れないが、まるで微笑みかけるように青年は蒼甫を見た。そしてすぐにおっさんへ向きなおる。
「俺がお前を守ってやる!」
 守ると言い切った青年が眩しく見えた。その気持ちに反して、見ず知らずの人間になぜ自分の命を懸けられるのかが頭では理解できなかった。人間は打算で動く。自分の利益にならないことは極力回避する。彼にはあるのだろうか。命を懸ける程の得が。
 しかし、もし打算も下心も無く他人に対し命を張っているのだとしたら、それは素晴らしいことだ。蒼甫の感じた眩しさは、ここにあるのかもしれない。だとしたら、彼は本当に本物のヒーローであるのだろう。
 羨ましいと思った。目の前にいる、あの日なり損ねたヒーローに対して対抗心が湧き上がる。
「逃げねえ……」
 先程怪物と化したおっさんに襲われ、なりふり構わず助けを求めた男から発せられた言葉とは到底思えない。喉元過ぎれば熱さを忘れるというが、死にたがりのマゾヒストと揶揄されても仕方がないかもしれない。これはもう我儘だ。玩具を買ってもらえず泣く子供と同じだ。羨ましさと、対抗心というエゴだ。ただそれでも、今逃げたら全てを失うような気がして、小学生のような無茶苦茶な根拠ででもここにいたいと、蒼甫は声をあげる。
「俺だって、元正義の味方だ!!」
 青年はこちらを見ない。ただおっさんを見据え、フッと声を漏らす。
「面白いやつだなお前!」
「な、舐めるのもいい加減にしろおおおおおおおお!!!!」
 怒号が響き渡る。これが地なのだろう、もはや最初の頃の胡散臭い喋り方は消えていた。
「私は、正義の、味方、なのに!!」
 おっさんは言葉を区切る度に地団駄を踏む。アスファルトの地面が二度三度と回を重ねる度にひび割れへこんでいく。
「私がぁ、一番ん、正しいのだぁあああああ!!」
 フッとおっさんが消える。先程と同じ動き。まずいと直観した時にはもう遅い。
 つむじ風が前髪を揺らす。蒼甫は目を一瞬閉じる。目を開けなければならない。戦場で余所見はご法度、ましてや目を閉じるなど逃げに等しい。
 恐る恐る目を開く。眼前に広がるのは崩れた壁と荒れたアスファルトの地面。
「任務、完了。なんてな?」
 そして後ろに転がるのは両足を切断され弱く擦れた呼吸をするおっさんの哀れな姿。青年は右腕を払い刃に着いた緑の血を吹き飛ばす。
「うぇ、グロい……」
「さっきまでの威勢が嘘みたいだな少年。でもまあこれだけ血を流してまだ生きてるなんで、やっぱり化け物だな」
 蒼甫は目を疑う。青年の機械的なごてごてした装備が、まるで砂の山が崩れるようにサラサラと砕けていく。
「変身解除。この格好のままだと体力使うんだわ」
 青年は一仕事終えたような清々しい顔でケラケラと笑った。まるで人を斬るなど日常のような、生活の一部に溶け込んでいるような印象をうける。そこに違和感を覚え、この後訪れるであろう沈黙を嫌った蒼甫は何か話題を探す。
「お、あ。えーと……。あっ、このおっさんどうするんですか? あれ? てかこれ殺人未遂じゃないですかっ!?」
「少年も見ただろ。こいつは化け物だ、『人』じゃない。それに多分治療しなくても後一週間は生き続けるだろうな」
 化け物だから殺していい、か。では自分がかつて同じような存在であったと知ったら、青年は俺は殺すのだろうか。分からないが余計なことは言わないに越したことはない。
「じゃあ放置して帰るんですか?」
 蒼甫の言葉を聞き流すように青年は先程蒼甫が落とした拳銃を拾いに向かう。おっさんと蒼甫から丁度二十メートルほど離れたところに拳銃は落ちていた。そしてそれを拾い上げると、軽く埃を払いながら蒼甫へ体を向ける。
「流石にそれはないぜ。もうすぐ仲間が来るはず――」
「うわっ、ゴトーさんが達磨みたいになってるぅ」
 不意に背後で声がして、蒼甫は振り返る。そこには塀に座る背の低い、セミロングの髪をした人。『人』と表現したのは、その人が中性的な服装であり、中性的な顔立ちをしており、高くとも低くともない声をしていて、性別が判断できなかったからだ。
 便宜上彼と呼ぶが、彼を見た時蒼甫が初めに思ったことはこの惨状をどう説明するかだった。人外が四肢を切断され緑の血を流し瀕死の状態で道路に転がっている状況など、一般人が見たらまず騒ぎになる。
「ええと、その、これは――」
「ナカムラアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
 そんな思惑無視し、青年は彼に銃口を向ける。咄嗟の事に体が一時停止した。
「どけぇっ!!」
 青年の怒鳴り、その時初めて蒼甫の体は動き出す。射線が開けた瞬間、青年は引き金を引いた。重量感のある低い破裂音が響く。銃弾は空を切る。コンクリートの塀に直撃し、塀は麩菓子のように砕けた。
「危ない危ないぃ」
「も、もう一人!?」
 そこには彼の姿はなかく、代わりにおっさんのすぐ側に全身緑色の『化け物』が立っていた。そいつもおっさん同様顔はヘルメットの様になっていて、肩から緑色のマントをなびかせている。そいつはしゃがみ込むとそのマントでおっさんの体に付いた血を拭った。
「や、やあ。中村君。助けに、来て、くれたの、かい?」
「喋らなくていいよぉ。一応僕達仲間だしぃ。まあ当然だよねぇ?」
「いや、はや。面目ない」
「ゴトーさんも少し分からず屋なところあるしぃ、これは反省だねぇ」
 彼は徐におっさんの体を抱きかかえる。切断された足からは血が滴り落ちている。彼はため息をつくと、おっさんを上に軽く放り投げ、その場で一回くるりと回った。その遠心力で舞い上がったマントが倍以上に広がり落下するおっさんの体に絡みつき巻き取る。そしてまるでボディバックの様にそれを背負い込んだ。
「ケン君、久しぶりぃ。でも今日は忙しからこれでサヨナラなんだぁ」
「何言ってるんだ中村。せっかく会えたんだ、もっと話そうぜ?」
「あーもー……。分かってないなぁ」
 頭を掻きつつため息をつき、彼はこちらを見据える。
「『変身』もできないカス対する慈悲だって言ってんだよ」
 低く威圧感のある声に、蒼甫は思わず体をこわばらせた。
「何時から俺を気遣える立場になったんだクソ野郎!!!」
 彼の威圧を毛ほども感じず青年はなおも殴りかかろうと足を動かす。だが青年が追い付くよりも早く彼は蒼甫たちに背を向け、次の瞬間には風の様に消えていた。青年の握られた拳は虚しく勢いを失った。
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