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第三話:もう光らない

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 辺りは俄かにざわつき始めていた。異様な音に近隣住民も黙っているはずはない。遠くからはパトカーのサイレンも聞こえてくる。長居しているとややこしいことになりそうだ。
「おい、少年。名前は?」
 青年は蒼甫に背を向けたまま、落ち着いた声で言った。激しい感情の起伏に若干狼狽しつつも、「小浦蒼甫です」と口早に言った。
「よし、蒼甫。走るぞ!」
「えっ!?」
 無垢な子供の様な笑顔で一瞥したかと思うと、次の瞬間には駆け出していた。そのボロボロな背中について行ってもいいものかと不安を覚えたが、背後から迫る喧騒に急かされるように蒼甫は走り出した。
 住宅街を抜け、人目を避けるように入り組んだ小路を出鱈目に進む。左手に河が見えてくると、目の前には雑木林が広がってくる。河川敷は綺麗に整備されており、河川敷を挟むように河と雑木林がある。雑木林はこの街が開発される前の名残であり、今は自然公園として手入れされている。付近にあるはあるのは郷土博物館くらいで夕方は殆ど人の出入りがない。
「ふい~。ここまでくればいいだろ」
「ひ……はっ……」
 距離にして三~四キロメートルは走っただろう。坂道になっている河川敷の芝生、その一番下の方に力なく倒れこむ。そんな蒼甫に対して青年は日課のランニングを終えた程度の余裕がある。蒼甫はぼんやりと青年を見つめた。ボロボロの制服に目が留まる。泥や埃で見苦しくはあるが、細部は自分の制服と似ている気がした。
 それを見計らってか「蒼甫は立山高校?」と聞いてきた。立山高校は我が母校であり、この付近では唯一の高校だ。制服を見れば「ああ、立山か」と地元民なら一目でわかる。
「うん。一年五組。もしかして君も?」
「おう。三年二組。名前は八巻 健(はちまき けん)。宜しくな」
 八巻は芝生に寝転ぶ蒼甫に右手を差し出す。蒼甫は上半身を起こしその手を握った。そこでハッとする。一応先輩なのだから敬語は使うべきなのだろうか。後で礼儀が云々と校舎裏に連れてかれたりしたらたまったものではない。
 しかしそんな心配は無用だった。
「俺の事は先輩かアニキかお兄ちゃんと呼んでくれ!」
 彼は屈託のない笑顔で言った。冗談とも本気とも取れるその雰囲気に蒼甫はたじろぐ。「じゃあ先輩で……」と一番障りのない呼称を選ぶと、八巻少し顔をしかめたが「まあ初対面だしな」とまた笑った。
 そうこうしていると、遠くから車の音が近づいてきた。前述したようにここには何もないため車自体が通ることも珍しい。
「やっとアイツら来たみたいだな」
 黒いワゴン車が河川敷の上に止まる。と同時に助手席から勢いよく、ロングヘアで背の低い女性が飛び出し、八巻へ突進していく。そして後ずさりする八巻に飛びつき押し倒した。河川敷は傾斜があるのでそのままダンボール滑りように滑っていく。そして砂利と芝生の境目でようやく止まった。
「大丈夫健!! 怪我してない!? アイツと遭遇したって言うから私かなり心配しんだぞ!」
 女性は長い黒髪を夕方の涼しげな風になびかせながらヒステリックに声を張り上げた。
「あ……う……」
「酷い。アイツ、絶対ぶっ殺してやるっ!!」
「明らかにお前のせいだ優姫」
 今度は運転席から工事現場の作業着を着た体格のいい無精ひげを生やした男性が現れた。
「あ? 私が健を傷つけるわけねえだろっ!」
「どうでもいいからどいてやれ。隣のお兄ちゃんもひいてるぞ」
 優姫と呼ばれる女性は蒼甫を舐め回す様に睨みつける。
「あんた、ホモ?」
「なっ!?」
「違うならいいよ。ホモなら消す。健狙いなら消す。健に近づく男はホモか馬鹿だけなんだから」
「はいはい、妄想はそこまでだ。マジでどいてやれ」
 無精ひげの男性は優姫の首根っこを掴み片手で猫を扱うように持ち上げる。優姫の着ていた上着が引っ張られ、白い腹部が顕わになり、蒼甫は思わず目をそらした。
 無精ひげの男と優姫のじゃれ合いが始まり少し経つと、八巻は優姫に与えられたダメージが回復したらしく、やっと声を上げた。そして、事の顛末を話し始める。蒼甫と八巻の出会い、おっさんとの戦い、そして――
「――蒼甫は重要参考人かな。アイツらを知ってるらしいんだわ」
「それ本当?」
 まるで親の仇を見る様な優姫の目に蒼甫の体は強張る。
「一応拘束するか?」と無精ひげの男はその太い腕を軽く回す。
「いや、蒼甫は大丈夫だ」
「なんでよ? まさか、こんなナヨナヨした男に籠絡されたの!?」
「いや、勘だ!」
 優姫はただでさえきつい顔を更に強張らせた。それに対し無精ひげの男は豪快に笑った。そして蒼甫の手首を掴むと、強引に引っ張り上げた。
「なら大丈夫だろう。俺は佐々木 森乃進(ささき もりのしん)。そんでこの小さいのが赤城 優姫(あかぎ ゆうき)だ。君は?」
「あ~……、えっと――」
「小浦蒼甫。馬鹿な男」
 蒼甫よりも早く、蒼甫の名前が呼ばれた。見上げた先にあったワゴンの後部座席のドアは開いていて、そこから銀色の髪をなびかせながら、一人の少女が降り立った。
「未練がましいのね。その腕時計」
 悲しくなるぐらい懐かしい声。辛辣な言葉づかい。足が前へ出るたび、口角が動くたびに胸が高鳴る。言葉を発せられずにいる蒼甫に、彼女は淡々と口を動かす。
「皮肉ね。強さに傲慢だったあなたが、今は守られて、その手の届かない強さに憧れている」
 そして彼女は、少し悲しい顔をして。それでも躊躇わずに。
「貴方はもう、光らない」
 そう告げた。
3

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