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田んぼのおはなし

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 植えられてまもない苗の間を、吹き抜ける風。黄緑色の草花がさやさやと鳴る。共鳴する。
もう少しで田んぼに落っこちてしまいそうなぎりぎりのところに、転がっている赤いランドセル。ミチコちゃんは息を切らして、畦道に寝転んでいる。突然飛び起きると、きょろきょろと辺りを見回す。
ランドセル見つけると自分のところまでひっぱってきて、しかめ面をしながら泥を払う。
そして立ち上がり、空を見上げながら私に問いかける。
「どうして田んぼなんか選んだの?」
 私は答えない。ミチコちゃんは不安そうな顔で辺りを見回し、そしてうつむく。
重い沈黙のなか、風の音だけが行き交う。近くにある林の木々が、ざわざわ、ざわざわ。
「嫌だよ」
 何が嫌なんだい?
「ここ、嫌」
 なぜ?
「上手く思い出せないから」
 ミチコちゃんがしゃがみこむ。大きな目を細めて林の方を見る。風が吹く。


 おーい という声がする
 笑い声も聞こえる

 ミチコちゃんは耳をふさぐ

 振られている手
 大きな手、小さな手

 ミチコちゃんは目をふさぐ


 しばらくすると、風は止む。
「好きだったものを忘れちゃうって、嫌」
 昔からミチコちゃんのことを知っていたわけではない私には、何も言えない。
この田んぼが好きで、ここにあった何かを好きだったミチコちゃんを、私は知らない。
 私はただの罪人であり、形も持たずにこの子を見守り、見届ける存在だ。
深く干渉してはならない、心を動かされてはならない。
けれど何故だろう、私はこの子に見入らずにはいられない。
この子の一挙一動、その全てに。

 顔をあげたミチコちゃんは、私の気配のする方向に目を向け、にぱあと笑った。
「ロリコンさん、めっ」
 今までの憂鬱そうな眼差しが信じられないような笑顔だが、言っていることは手厳しい。


 ミチコちゃんは手をのばして、畦道に咲く野の草花を摘む。
摘んでは捨て、摘んでは捨てる。慣れた手つきだ。
「むかしむかし、田んぼには大きな大きなカエルの王様がいました。」
ミチコちゃんは何かに語りかけるような口調で、話し始める。
「カエルの王様は、あんまりに大きくて、えっと…太っていて、
その上動くのが嫌だと言って、自分でご飯をとってこないくらい、わがままでした。
だからしまいには、みんなに嫌われてしまいました。」
 ああ、聞いたことがあるな。懐かしい。と私は思った。
ミチコちゃんが即興したかのような荒い作りのストーリー。
けれども何故か聞き覚えのあるフレーズ。私に記憶などないはずなのに、なぜだろう。

「王様はひとりぼっちでした。
動きの鈍い王様は、ある日男の子に捕まえられてしまいました。
男の子は王様と同じくらいわがままでした。
二人は同じくらいわがままで、嫌われ者で、さみしがりやでした。
だから二人は、逆に仲良くなってしまいました。
けれど王様は田んぼに戻らなければなりません。
例え田んぼのみんなに嫌われていたとしても、
王様がいないと、田んぼの苗はすくすく育たないのです。」
ところどころ違和感があるのは、きっとミチコちゃんの中で脚色が加えられているせいだ。

 ふと、ここでミチコちゃんはお話を中断し、唄を歌いだした。
「あめあめふれふれ とうさんがー
じゃのめでおむかい うれしいなー」
 ミチコちゃんは歌うのが好きだ。
歌詞もメロディも殆どがデタラメだが、透き通った良い声で歌う。
歌いながら、ミチコちゃんは手をのばす。その手には赤い傘が握られる。


 シト、シトと雨が降り始める。
それはすぐにザアアアアアアアという音を地面にたたきつける、土砂降りになる。
田んぼは消えてしまう。雨がすべてを呑み込んでしまう。

薄暗い、雨が地面を叩くだけの世界で、
ミチコちゃんの傘だけがくっきりと存在している。
赤い色が鮮明に、私のこころに焼きつく。

 けれどミチコちゃんは、すぐに傘を捨ててしまう。
雨の中ではしゃいでいるミチコちゃんの無邪気な様子に、私は目を細めながら思う。
このままでは風邪をひいてしまう、どこか雨宿りできる場所を探さないと、と。
 もちろん私は知っている。ミチコちゃんは、風邪なんてひかない。
馬鹿だから風邪をひかない、なんてわけではない。ミチコちゃんは賢い。

 けれど、ミチコちゃんは風邪なんてひかない。

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