挿話「罪人のおはなし」
生きていた頃、私は罪深い人間だったらしい。もっとも、私が死んだ後見たもの、
今見ているものは、すべてが不確かで曖昧だ。
もしかしたらこれはゆめで、すべてはゆめのなかの出来事なのかもしれない。
これは私の勝手な走馬灯なのかもしれない。
或いは、もう何回も繰り返していることなのかもしれない。
ミチコちゃんを見届ける、形のない私を。
死んだ後、まだ形を持っていた私は、今の私のような『見えない者たち』に
手錠をはめられ、ひきずられるように『その場所』に連れて行かれた。
道中私は彼らに、私は誰か、どこへ行くのかと聞いた。
「処刑場だ」と彼らのひとりが呟いた。
彼らは私が誰かという問いには答えてくれなかった。きっと知らなかったのだろう。
記憶はないが、形から察するに私は男であったらしかった。
そして、『見えない者たち』の態度から察するに私は罪人であるらしかった。
『その場所』には上にも下にも右にも左にも、白い色が延々と広がっていた。
私の影だけが、床に伸びて、その色をくすませていた。
『見えない者たち』が動くと、私の手錠がジャラリと鳴った。
しばらくの間、私は立ち尽くしていた。
見えない者たちに囲まれて、方向のわからない白い空間で『処刑の時』を待っていると、
静寂が増し、シーンという音と共に私に迫ってくるような感覚を覚えた。
冷や汗が私の喉元を伝った、次の瞬間。轟くような声が響いた。
「生かし続けろ!生かし続けるんだ!」
彼らのうちのひとりが、手錠の鎖をひっぱった。私はまた歩き出す。
しばらくは他の者もついてきたが、次第に足音が減っていき、
私と、最後の一人だけとなった。
遥か彼方に、一本の黒いラインが見えてきた。
私の目の届く端から端まで繋がった一本の直線。
ラインのすぐそばまで近づくと、『見えない者』は立ち止まった。
白い床にはりついている、幅5センチメートルくらいの黒いライン。
何かを区切っているだけの、ただ一本の線なのに、どうしてこんなにも気味悪く感じるのだろう。
思えば、最後に残った『見えない者』
彼がいなければ私は監視員になることも、ミチコちゃんに会うこともなかったのだ。
彼は鎖をじゃらりと鳴らして、こう言った。
「僕と君を交換しないか?」
私は気配のするほうを凝視した。言葉の意味がわからなかった。
「もう一度苦しみたいんだ。
君はもう苦しみたくないんだろう?丁度いいじゃないか」
彼は何も問題はない、といった軽い調子で言ってのけた。
「君は生きることを放棄し、息を潜め、世界にもぐりこむ。
それでいいんだ。とっても簡単なことだよ。」
私は顔を上げて聞いた。
「どうすればいい?どうすれば私が君になれる?」
「なあに、簡単なことさ。君の持ち物のひとつを僕にくれればいい。
そして僕が、このラインを越えて死に絶える。」
私は黒いラインを凝視した後、彼の気配のするほうを見つめて言った。
「だが私は、身に着けているもの以外何ひとつ持っていないんだ。」
「持っているさ」
私は眉をひそめた。そしてズボンのポケットに手をいれる。
そこにはちいさな紙切れがあった。
何か書いてあるが、光に反射してよく見ることができない。
数字の羅列のようにも見えたが、詳しいことはわからなかった。
「それをくれればいい」
私は彼にその紙を渡すとき、一瞬の躊躇いを覚えた。
もしかしたら、私にとってその紙切れは大事なものだったのかもしれない。
彼が私の指先から紙切れをひったくった。
途端に、私は私の影が薄くなり、白い世界に溶け込んでいくのを感じた。
逆に彼の影は濃くなっていった。私と同じような背丈の、同じような男の影。
足先と手先から消えていき、最後に目だけが残った私の前で、
彼はラインの向こう側へと飲み込まれていった。とても楽しそうに。
私につけられていた手錠が、大きな音をたてて床へと落ちた。
一人残された私は、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。