ああ。俺、危うく騙されるとこだったよ!
今日、比家先生のほかの漫画を読んでて気づいたのだ。
今回は、比家漫画について再考してことを記載させていただきたい。
1 比家千有先生は、実は絵が上手い。
わざと下手糞風に描いてるが、比家先生!あんた、実は、めちゃくちゃ画力のある人でしょ!結婚式の漫画見て、確信したよ。あなた、普通に石膏デッサンとかやってたでしょ?
比家漫画をなんとなくでも、読んでしまうのは、実は絵が上手いのが理由なのだと思う。
2 比家先生は、漫画雑誌「ガロ」の亡霊だ。
比家先生のような技術のある人が、わざと稚拙に描くという、このような漫画がたくさん載っていた雑誌をぼくは知っている。
漫画雑誌「ガロ」だ。
実は、ぼくは、「ガロ」は苦手だったのだが、あの雑誌に掲載されていた一連の漫画に熱狂していたファンは確かに存在していた。
漫画を含む、「芸術とは、美しくあらねばならない」という思想に対する強烈なアンチだったのだろう。
つまり、「ガロ」は醜い漫画を好んで、掲載していた変わった雑誌だったのだ。
それを読むことが救いになっていた読者と言うのは確かに確実にいたのだろう。
3 21世紀に新都社に復活したガロを我々はどのように解釈すればよいのか?
再度言うと、ぼくは、「ガロ」が苦手である。ぼくは、美しいものが好きだし、
漫画も美しいものを読みたいと思う。ああ。醜いものなど、宇宙からなくなってしまえばいいのにとすら思う。
恐らく、このような、心性をもっているのは、ぼくだけではなく、事実、商業の世界では、美しいものによって、醜いものは淘汰されてしまった。
それにも関わらず、というか、だからこそなのだろうが、ここ、非商業にガロの遺伝子が性懲りもなく、復活しやがった。
復活しやがったんだよおおお。
4 比家先生が持ってる醜いものに対する愛情は、たぶん、優しさである。
美しいものを求める心性というのは、どこか残酷さに通じるところがある。
では、醜いものを繰り返し提示してくる比家先生の心性はなんなのだろうか。
それは、優しさではないか。
限りない優しさが、比家漫画のあの「ガロ」的世界を作り出しているのだ。
5 結論
と言うわけで、ガロの遺伝子を引き継いだ比家先生には、とても期待している。
今後、どのような世界を展開してくれるのかとても楽しみである。