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第三十七話 全て足りない

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「同じ退魔師の血が半分、となれば結界の察知と突破も可能ではあるか」
「あくまで半分しかねえから多少手こずったがな。おい由音、無事か?」
 日昏を挟んで向こう側にいた由音へ確認を取ると、由音は疲れ切った表情でそれでも強がるように笑みを見せた。
「……余裕っ!」
「そか、了解。お前だろ、あの馬鹿でかい邪気の噴出は。結界の外からもわかったぞ、そのおかげで見つけられたのもあるんだけどな」
 手足を振るい屈伸をして準備運動を済ませながら、俺は相手の顔を見据える。
「下がってろ、この中じゃ悪霊憑きのお前は思い通りに力を出せないだろ。そもそもアイツは俺の敵で、これも本来は俺の喧嘩だったはずだ。また巻き込んじまったみたいで悪いな、俺に関わってなきゃ、いくら悪霊憑きだからってこうはならなかったはずだ」
「だから、何回言わせんだよ」
「ん?」
 ダークスーツの男は俺達の会話を興味深げに聞いている、手を出すつもりはまだないらしい。
 由音は結界のせいか気怠そうな体でいつも通りの声量を出しながら言う。
「お前の敵ならオレの敵で、お前のケンカならそりゃオレのケンカだ!いつまでもオレを遠ざけようとすんじゃねえよ!オレとお前で温度差あり過ぎて寂しいじゃねえか馬鹿!!」
 何を言い出すかと思いきや、こいつは未だにそんなことを言う。
 おそらくは、俺と由音が知り合う切っ掛けになった、中学時代の頃のことをまだ恩義と感じているのだろう。だからこそ、こいつは俺に味方する。
 …だが、ここから先は。
「こっから先、俺に付いて来ると、もうたぶん戻れることはないぞ。あとは最後まで突き進むだけだ。無事に全部を終わらせられるかどうかも怪しい」
「おう!」
 一応事実を口にして脅してみたつもりだが、威勢の良い由音の返事には一片の迷いすらなかった。
「…それでも?」
「地獄の底まで付いてくからな!ってか天国も地獄もまだ早えよ!まだあと八十年くらいは生きてたいし、だからお前もそれまで死なさねえから!」
「八十年か」
 思わず笑う。随分長生きしたいらしい。まあ由音なら爺になっても変わらず大声出してそうだし、本当に八十も九十も生き長らえそうだ。
 こいつを説き伏せるのは難しそうだ、というか無理そうだ。
 もうこの話題はとりあえず置いておこう。今後どうなるかはわからないが、今は今。やることをしなければならない。
「わかった、とりあえず巻き込まれないように端っこにいろ。“再生”は使えても“憑依”はもう無理だろ。交代だ」
「守羽お前一人で大丈夫か!?アイツ身体スペックが並の人間超えてっぞ!シモンとかいうクソ女と同じだ!」
「だろうな」
 相手は普通の人間ではない、退魔の家系だ。そして父さんが言うには日向家の中でも陽に加え陰も取り入れたかなり特異な存在だったと。
 並大抵の実力ではないのは確かだ。
「でも、俺としても話してみたいことはある。だから俺にやらせろ。…これは俺の根源を突き止める、いや思い出す為の通過儀礼でもあるんだよ」
 俺が『神門守羽』としての万全を取り戻す為に、一度俺の中に流れる退魔の血統とは何らかの形で相見える必要があるとは思っていた。好都合だ。
「そっか、んじゃオレは端っこで観戦してるわ!気を付けろ!」
 俺の言葉に素直に頷いた由音が重たげに体を引いて遠ざかる。
「何があったかは知らないが、慕われているのだな。神門守羽。…陽向守羽と呼んだ方が正しいか」
「神門守羽だ。何があったかは知らないけど、うちの父さんは陽向の姓を捨てたらしいからな、お前らと同じに見られんのはなんか癪だ」
「同じさ、どう繕ったところで君を構成する半分は確実に陽向だ」
「…で?」
 ある程度の距離まで近づいて、俺は黒いスーツの男と対面する。
 陽向日昏は、俺の極力冷たくするよう心掛けた語調に対しても、まるで古い友人と接するような態度で片手を差し出す。
「一応は俺と君は親戚のようなものだ。知っているとは思うが、俺は陽向日昏。君の父親、陽向旭の元友人だ」
「元、ね」
「ああ。今は殺すべき対象だ」
 その一言で、俺は全身に“倍加”の力を巡らせた。足元の地面にピシリと幾筋かの亀裂が入る。
「じゃ、お前は俺の倒すべき敵だな」
「やはり、黙って見過ごしてはくれないか」
 ふうと吐息を漏らし、握手でもしようとしていたのか差し出していた手を引っ込める。
「駄目元で提案したいのだが、守羽よ。陽向の家を継ぐ気は無いか?」
「あ?」
 突然のことに、俺はぶつけてみたかった質問や話題のことも頭の片隅に追いやられた。
「陽向家の再興だよ。君は知らないだろうが、陽向の家は旭のせいで滅んだ。実質的に事を起こしたのは感化された旭の義妹である陽向|日和《ひより》という少女だったがね。それによりほぼ大半の陽向は殺された。俺はその時には仕事で離れていたからいなかったが、流石に異能の|三重能力所有者《トリプルホルダー》は別格の強さだったようだ」
 父さんが捨てた陽向という家は、滅んでいた。それも、同じ家の身内の手によって。
 ということは、目の前の男は滅びた陽向家の生き残りってことか。
「日和はすぐに行方をくらましたから追うことは出来なかったが、旭の方はすぐわかった。何せ、妖精界全体と戦争をした挙句に女王筆頭候補を誘拐したというのだから。多少なりとも人外情勢の情報網に|伝《つて》があればすぐにわかるような大事だった」
「……それって一人でか?」
「一度目はな。それで大敗を喫した」
 家でも聞いた話だったけど、なにしてんだうちの親父殿は。
「二度目で仲間と共に再来したらしい。そこで妖精の女を一人攫うことに成功したようだ……君の母親だな。その辺は自分で両親に聞いた方が早いだろう」
「そうだな、そうする。…やたら親切じゃねえか」
 俺はこんなに敵視しているというのに、何か調子狂う。
「俺の狙いは君の父親だけだからな。むしろ半分だけとはいえ同じ陽向の血族の君とはできるだけ争いたくない」
「お前の事情なんか知ったことか。お前は俺の父さんに手を出すつもりだって明言してるし、俺の友達にも手を出した」
 ちらと由音を視界に入れてから、再度日昏を睨む。
 日昏は視線ごと頭を僅かに前に倒して戻す。…もしかして詫びたつもりか?
「それに関しては済まない。悪霊憑きは基本的に苦しんでいる者が大半だったから、彼もその例に漏れないと思い込んでいた。悪霊を引き剥がして祓ってやろうと思ったのだが、あれは不可能に近いな。一度擬似的に死なせてから魂から強引に引き千切るしか方法が無い」
「余計なお世話だバーカっ!」
 離れたところから片手を振り上げて壁に寄り掛かった由音が叫ぶ。聞こえてたのか。
 それを見て苦笑する陽向日昏は、こうして見るとただの好青年にしか見えなかった。
(……俺の、親戚か)
 もしも俺が、陽向の家でそのまま育っていたのなら、この男のことを俺は義兄さんとでも呼んでいたのだろうか。
 …所詮『もしも』の話だ。関係ない。
 顔を由音からこちらへ戻した日昏は、既に乾きかけている額と口の端から垂れていた血を袖で拭う。
「それで、本当に闘うのか?俺としては、彼の悪霊を祓おうという目的を不達成ながらに終えたので、今夜はもうこれ以上留まる理由がない」
「そうか」
 今にも本当に帰ってしまいそうな日昏を、全身から発する敵意の圧力で押し留める。
 ここでみすみす逃がしてしまうのは、駄目だ。
 相手に戦意が無い。それに今は縁が切れているとはいえ、元は同じ家の親戚。だがそれ以上に奴は今後必ず俺の父さんの命を狙いに来る相手。
 殺人予告をしている人間を黙って見送る道理が無い。
「…内臓をいくつかと、手足の骨を黙って壊させろ。それでしばらくはおとなしくなるだろ」
「優しいな」
 ふっと日昏は笑う。
「俺は君の父親を殺すと言っている。止めるには俺を殺すしかないぞ」
「人殺しは出来ない」
「真っ当な意見だが、間違いだよ。俺にはもう戸籍も何も無い。死んだところで疑問に思う家族も友人もいない。当然ながら警察が調査することも無い。よって俺を殺したところで世間的に君が殺人犯として扱われることもまた無い」
「そういう話じゃない」
「俺を殺すことは、人外を殺すことと何か違うのか?」
 その言葉に、俺は詰まった。
 俺にはある。
 かつて人外を殺したことが。
 そして今でも、必要とあらば俺は。
「君のことも一通りは調べたんだよ、『鬼殺し』。まったく君は旭と似て大事を起こしてくれる。…鬼を殺すのも人を殺すのも変わりないことさ、だから君は俺を殺せる」
「……たぶん、鬼は同じ鬼を殺したりはしない」
「だから、人が人を殺すのも違うと?それも間違いだ。殺すに足る理由があれば、鬼であれ人であれ同胞を殺すことはある。君は父親が殺されるかもしれないのを理由に俺を殺すことは出来ないのか?」
「ッ出来るか!」
 叫んでいた。冷静に対処しようと心掛けていたのに、いつの間にか俺は感情が昂っていた。
 日昏の言っていることは、間違いじゃないのかもしれない。でも正しいとも言い切れない。少なくとも、俺自身はそう感じている。
「守羽。君はさっき言っていたな。逃げるのはもうやめたと、自身の問題を全て片付けると、現状で維持出来ない平穏を自力で守ると」
 日昏が、初めて俺としっかり真っ向から向き合う。
「それがどういうことなのか、何をすることなのか。君はもう少しちゃんと考え、理解した方がいい」
 日昏が、火の点いていない煙草を咥えたまま、吸ってもいない紫煙を吐き出す仕草をする。それから両手を持ち上げてわかりやすいファイティングポーズを取った。
「その為の手助けなら、多少は協力しよう。ーーー今から俺は君を殺すぞ。殺す気概で挑むぞ。それを認め、君は俺を殺しに来い」
 全身が総毛立つ。
 陽向家の退魔師、陽向日昏が俺に対し殺意をぶつける。
「…く…!」
 殺意に当てられ、俺は先走った。ろくでもない体勢から、どう考えても腰の入らない拳を放つ。
「そう、なるか」
 当然というか、そのパンチは日昏には当たらず通過した拳の横を流れるように移動された。
「ああっ!」
 避けられた拳を横に薙いで裏拳に繋げる。どうせ当たらないだろうが、このまま相手に回避させて距離を取り直す。
 くそ、何をやってんだ俺は。
 自分を叱咤しながら裏拳を振り回すと、視界が上下ひっくり返った。
「…!」
 裏拳を放った腕を取られ、投げられた。
「まだ二歩」
 たん、と軽く地を踏み日昏は宙に放り投げた俺へ右手を突き出す。握っていない。
(目、潰しっ!)
 首を捻って回避、同時に空振った右手を取る。そのまま落下の勢いを乗せて右手を真上に引きながら右脚を真下へ落とす。靴底が日昏の額を狙う。
「…四歩」
 たたんっ、最小限の動きで落とした右脚を避け、取って押さえていた日昏の右手の五指が瞬間的に動き俺の胸倉を引き寄せた。右手一本でしがみ付いていた俺の体を地面へ叩き落とす。
「ふんっ!」
 背中から地面に打ち付ける前に両足を先んじて出して衝撃を流す。胸倉を掴んだままの右手はまだ離させない。俺の左手で胸倉を掴む日昏の右手を押さえ、そのまま低い姿勢で再度懐へ潜り込む。
「五、六」
 俺の接近に合わせて日昏が二歩下がる。が、その程度では逃がさない。
(右腕力四十倍!)
 “倍加”で引き上げ、右腕を振り上げる。狙いは胴体。
 パンッ!
 身体ごと伸び上がる勢いで振った一発は膝蹴りを合わせられて軌道を逸らされた。膝蹴りに使った左足が最初の位置より一歩分後ろに下がる。
 まだだ。この近距離なら威力の乗った攻撃は出せない。右手を押さえたまま手数で翻弄して一撃を狙う。
「これで、七歩だ」
 左足を地に着いた瞬間、ぐんっと胸倉が持ち上げられる。
(さっきから、見た目通りの筋力じゃねえな!)
 明らかに何かブーストしてる。それを示すように、日昏が俺を掴んで一気に持ち上げて手を離す。一瞬の滞空の後に俺の体は重量に引かれて落下する。
「ーーー!」
 目を開けられないほどの突風。直後に目の前が真っ黒になる。
 日昏の着ているスーツが視界一杯に広がっているのだと気付くのと日昏の肘鉄が繰り出されるの、そして俺の両腕が狙い澄まされた心臓付近への一撃へ防御を回すのが同時だった。
 たっぷり数秒の間、空中を真横に移動してようやく両足が地面を捕まえて着地する。
「っつう…」
 両腕に痺れが走るが骨に異常は無い、大丈夫だ。
(でも直撃だったらヤバかったな)
 クリーンヒットしてたら胸骨ごと心臓が破壊されててもおかしくない一撃だった。
(俺と同じ身体強化が出来る系統の異能力者か?それとも退魔師の術式か技能か。そっちの知識はまだあの野郎からは返してもらってねえからな…)
 どの道、仕組みがわかったところで対処法を知ってるわけでもないから意味ないことだが。
「|反閇《へんばい》・|七星《しちせい》|歩琺《ほほう》。異能に頼るのもいいが陽向の退魔師なら歩行法の一つくらいは習得しておくといい」
「だから陽向じゃねえっつのに…」
 …歩行法、か。
(全然知らない名前、ってわけじゃねえんだよな。どっかで聞いたような、…たぶん知ってるんだろう。今忘れてるだけで)
 特殊な歩行の所作で成立する地鎮や魔祓いに用いる歩き方のこと。気を鎮め効率よく廻らせるという効果もあるとされる部分から、身体強化の方法としても使われてる。
 ……覚えてんじゃん。
「それにしても、酷い体たらくだな」
 日昏は余裕を示すように片手を腰に当てて、
「少し殺す気を出しただけでその怯えよう。本当にその気だったら初手で片腕一本貰ってた」
「チッ!」
 悔しいがその通りだ、初めのは酷過ぎた。あんなのはどうぞ折るなり千切るなり好きにしてくださいと差し出したようなものだ。相手がその気じゃなかったからよかったものの。
 …その気が無かったから。
「なんだかんだ、手心を加えてくれると。そう甘えたな?」
 読まれている。俺の心が。
「オイこら守羽ー!馬鹿お前遠慮無用だコラぁ!やっちまえぇ!!」
(くそ、外野がうるせえ…)
「悪霊憑き。東雲由音、だったか」
 壁に寄り掛かって何事か叫んでいる由音を横目に、日昏は何気ない調子で、
「なんなら、彼から一本貰っていってもいいか」
 そう言って、またしても俺以外に牙の矛先を向けた。
(脚力八十倍!!)
 膝から下を刈り取るつもりで足を振るう。
「…殺すつもりで、いいんだな」
 日昏は両脚を曲げて真上に跳んでいた。
「なるほど、君も『そういう』人間か。つくづく親子で良く似ている」
 今度は頭蓋を砕く勢いで振り上げたハイキックもやはり防がれる。
 だが、今度はただ防がれて終わりじゃない。
 ボンッッ!!
「なんだ…っ?」
 防がれた蹴りの踵部分が爆発し、その勢いで強引に日昏を押し負かす。
 押し切った日昏を追いながら、左手に意識を集中させる。
 鋭利な刃、細く薄く、圧縮して、強力な斬撃を。数回振るえればそれでいい。
 イメージを形にして、掻き集める。
 大気中の水分が、手の内に集う。
 それを圧し、引き伸ばし、レイピアのように細く、しかしとても鋭い刀身を生み出す。
(いけるか…!?)
 水の剣の柄を握る。驚くほど手によく馴染んだ。それにとても軽い。
「だぁらっ!」
 縦横斜め、かなり雑に水の剣を振り回す。刀身からは圧縮された水が剣の軌跡をなぞり斬撃と化した。
 四度目で水の剣は折れ形を保てなくなった。日昏は空中で全て受け止めていた、いつの間にか両手に小振りのナイフが握られている。
 とはいえ滞空中の強引な防御だったからか完全には防ぎ切れておらず、スーツの上着やズボンが数ヵ所斬れていた。
 ダメージは無い。が、これでいい。
 こんな付け焼刃なものでも、一応は通じるということがわかった。通じるのならば、付け焼刃だろうが戦術に組み込める。
 出せる手は全て出す。
 追撃防止に投擲された二本のナイフを、折れてただの水になりかけてた剣の欠片から短剣を再度作り直して弾く。こちらは一度の使用で液体の水に戻った。
「その力は…妖精の」
 日昏は少し意外そうに霧散して消えた水を眺めていた。
 あの野郎の、『僕』との対話を終えてから、俺は少しだけこの力を扱えるようになっていた。
 妖精種の持つ、自然界に満ちる五つの元素を統べる力。ただし、手元から離す遠隔操作はまだ慣れておらず出来ない。せいぜい手元で武器の形として使ったり推進力を上げる為の噴射装置を擬似的に再現する程度に操るのでやっとだ。
 さらに“倍加”の限界も上がっていた。…確実に俺が自分自身を純粋な人間ではないと認めてきている証拠に他ならないが、それも仕方無いことかと思い始めている。諦めも肝心だ。
 認めなければ、この先何も守れないのだから。
「おっしゃいいぞー!やれやれやったれ守羽ーぶちのめせぇー!!」
「ちょっと黙ってろ!」
 相変わらず外野はうるさい。お前危うく腕一本取られるとこだったんだぞ。あいつは“再生”でまた生えるからいいのかもしれないが。
 ダークスーツの袖の中から新しいナイフを取り出した日昏が、手の中でその小さな刃を回している。
「というわけで、まだ不慣れな力のせいで手加減は出来ない」
「ああ。手加減も遠慮もしない方がいい。その程度で俺を上回っていると勘違いしてるなら、余計にな」
 勘違いしているつもりはない。相手は本職である退魔師の術をいくつも持っている。妖精の力を一つ使えるようになったくらいで圧勝できるほど甘くはないだろう。
 それでも、なんだろう。この感覚は。
 何か、うまく言葉で言い表せないけど。
 内側で、何かが砥がれていくような、そんな感じがあった。
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 大気に満ちる、彼らの声なき声が聞こえる。
 それは万物を構成する五つの属性を司る、それぞれの力の根源達。
 小さな力を束ねる多くの存在。あらゆる空間においてそれは居て、それを認識することができるのが妖精種の特徴の一つでもある。
 語り掛け、力を少しだけ貸してもらう。
 精霊種という、属性そのものとも呼べる存在へと。
「っ!」
 意識を集中し、駆ける。広げた両手からそれぞれ燃え盛る火と空気中から集った水が剣の形に変化する。
「はぁ!!」
 両手の剣で猛攻を仕掛ける。それを日昏は小振りのナイフで受け流していく。
「…妖精か。害成す敵として阻む者ではなかったから戦う機会はほとんど無かったが、なるほど五大の属性を掌握できるというのは厄介ではある」
 冷静に俺の振るう剣の軌跡を読んで対応してくる。
 元々、俺に剣術の覚えは無い。適当に振り回すことくらいしか出来ない。対して向こうは歴戦の退魔師だ、当然ながら武器の扱いにも長けているだろう。
 連中は陰陽師の術式や出自を基盤とした退魔の術法を主軸とした戦法を取るが、何もお札や祓い棒だけで魔を退治してきたわけではないはずだ。
 だからこそ、単純な剣戟で押し切れるなどとは思わない。
 火の剣を大上段から振り落とす。日昏はそれを難なく右手のナイフで受け止めた。
 ここだ。
 意識を、属性を留めることから拡散させることへ切り替える。
 ボッ!とナイフに接触した瞬間に剣が爆ぜて火炎を振り撒く。
「ぬ」
 火炎に呑まれ、日昏のダークスーツが燃えて数歩下がる。
(逃がすかっ!)
 “倍加”で強化した脚力で追いつき、水の剣で真横一線に薙ぐ。
 確実に直撃だ、剣のリーチから日昏は逃げられない。
 多少心苦しくはあるが、死なない程度に深手は負わせる。
「…、“|形代《かたしろ》・|穢祓《けがればらい》”」
 刀身が服の末端に触れ掛けた時に日昏が何事か呟いたが、何をするにも遅い。俺は躊躇なく日昏の胴体を斬り裂いた。
「…。あ…?」
 腹部を真横に斬った、浅くてもすぐに止血しなければならない程度に出血はするはずだ。
 だというのに、日昏の腹部には傷はおろかスーツすら破けていなかった。
「“凶兆に際し、その身、その魂、囲い封ずる”」
「くそっ!」
 一切のダメージを負っていない日昏の口から、意味ある特殊な文言が紡がれる。退魔師の言霊は言葉で現象を発現させる力がある。止めなければ不味い。
 工場内の地面に手を置き、意識を傾ける。地に宿る精霊に。
 直後に俺の周囲の地面を突き破って鉄の鎖が飛び出す。金行を呼び起こして具現させた属性の一つだ。
「“不浄を避け、謹んで|汝《なれ》の心身を浄する。故に、慎んで身を伏せ”」
 回避、あるいはナイフで迎撃する日昏は鎖では捕らえられない。さらにその中で言霊を完成させたのを気配で察する。近づけない。
 一旦距離を置いて術式の正体を見破り、それから策を練る。
「“|物忌《ものいみ》・|峻拒《しゅんきょ》”」
「…ーーーッ!?」
 距離を取った俺の足元に、日昏の言葉と連動するように円陣が浮かび上がる。薄い青の光を発する円陣の中心に立つ俺の体の身動きが一切取れない。
(縛りの術…!)
 気付いたとて既に手遅れ。俺の頬はナイフを握ったまま距離を詰めてきた日昏の拳を減り込ませて宙に浮く。
 体が地面に着くまでの短い間に、小回りの利くナイフで数回斬られる。俺もいくらかは弾き落としたが、速度と手数が段違いだった。見切れない。
「駄目だな、守羽よ。…それでは、駄目だ」
 呆れたように言う日昏に、着地するタイミングで足を払われる。俺にまともな体勢を取らせないつもりだ。
「倒そうという意思は感じる。だがやはり、お前からは俺を殺そうという意思が微塵も感じられない。一撃一撃が軽い。お前は俺を生かしたまま倒せるほどの力を持っていると思っているのか?己惚れるな」
 額に靴底が当てられ思い切り蹴られる。眩暈がする中、立て続けに日昏の連撃が全身を打つ。
「もっと自分の窮地を自覚しろ、自分の非力を理解しろ。その上で殺意を引き出せ。倒せる実力もないのに殺す気すら無いのなら、お前は俺に致命打の一つすら与えることは出来ないぞ」
 全身を殴り蹴り斬られ、反撃の糸口も見出せないまま俺は膝から崩れ落ちる。
 どうにか倒れることだけはしまいと膝立ちで堪えた俺に、頭上から日昏は言う。
「足りない、お前には何もかもが全て足りない。…腕一本程度なら、本当に落としてしまった方がいいかもしれないな」
 溜息を吐いて、右手にナイフを構えるのを見て立ち上がろうとするが、力が入らない。攻撃を受け過ぎた。
 避けられない。
「歴代陽向家当主の中にも、隻腕や隻眼の者はいた。五体不満足の不自由を乗り越えた先に見えるものもあるだろう。少し、危機感を持って今後を見据えろ。これはその気付け代わりだ」
 子供に言い聞かせるようにそう言って、日昏は反った小振りのナイフを俺の左肩へ目掛けて振り下ろした。
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