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第四十八話 復讐と因縁

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 真夏の炎天下が燦々と陽光を降らせる昼下がり、街の一角が土砂と瓦礫を巻き上げて吹き飛んだ。続いて民家が粉砕され、ビルが倒壊する。
「“|金剛《こんごう》|参式《さんしき》・|蛇徹衡《だてっこう》”」
 ダークスーツの男が発した言葉を受けて、崩れ落ちたビルから無数の鉄骨が蛇のようにうねりながら暴れ狂う。
「“|劫火《ごうか》|捌式《はちしき》・|巴翔環《はしょうかん》”」
 身に迫る鉄骨の猛威を前に、こちらもよれたスーツを着た男は前方に出した右手から発生した三つの火球をそれぞれディスクのように薄く円状に変化させて展開する。
 明らかに防御手段としては致命的に不足しているように見えたが、たった三つの火炎の円環は彼に接触する鉄骨にのみ反応しその軌道上に配置されると、凄まじい速度で飛来した鉄骨を先端からバターのように飛沫を上げながら融かしてしまった。
「……ふん」
 鼻息一つ、ダークスーツの男・陽向日昏は咥えた煙草を苛立たしげに唇でピンと動かして追撃の手を止める。
「『神門』に鞍替えしておきながら、未だ『陽向』の術は健在か」
「まあ、この程度。初歩中の初歩だったしね」
 ドロドロに熔けた鉄がすぐそばのアスファルトを焦がし熔解させていく熱でじっとりと汗をかきながら、神門旭は気安く肩を竦めて見せる。
 既に四方の建物は軒並み戦闘の余波で破壊し尽くされ、幅広な交差点の中央で睨み合う二人の周辺には火が燃え広がり黒煙が空高く昇っている。
 陽向家の人間二人の闘いは、互いの全力をもってして街を次々と破壊してしまっていた。
 しかしその最中にも人々の悲鳴や絶叫が聞こえて来ることはない。
 それもそのはず。
 そもそも、今この街にいる|生物《・ ・》はこの場の二人以外に存在しないのだから。
「…“|具現界域《ぐげんかいいき》・|模界《ぼかい》”……か」
 瓦礫の山と化した周囲をぐるりと見回して、旭は呆れたように呟く。
「人間種の持つ『群による想像の創造』、そのシステムを利用して人外が編み出した術式。自らの居場所を求めて人の世から離れた別の世界を生むことが可能な手段」
 人間には集団が認識した共通の現象や不可思議な存在をこの世に現界させる力がある。人外や異能といった人の常識外にあるものはそうして産み出されている。
 そして、その|機構《システム》を人外が模倣し利用して出来たのが、“具現界域”と呼ばれる一つの世界の一部を強引に引き裂いて別空間に仕立て上げる術だ。
 人外が望む、人の干渉が一切働かない理想郷を多くの同胞により希うことで、彼ら人外の者達は安息の地を手に入れた。
 妖精であれば『妖精界』を。
 悪魔や魔獣、『魔族』と呼ばれる者達であれば『魔界』を、それぞれ創造してきたのだ。
 陽向家の人間は、その人外が編み出した術式に目を付け、人間種の持つ機構を基盤に再現した術式をさらに人の手で扱えるように再現し直した。
「この街の各所に仕掛けた下準備を、陰ながらお前が悉く破壊してくれたおかげで随分完成が遅くなってしまったがな」
 強大な力を持つ人外との戦闘を想定して生み出した、『絶対に人間や街に被害を及ばせない戦域』を確保できる空間創造術式。それは事前に綿密かつ繊細な準備を行うことで世界の写し身とも呼べる本物に限りなく近い世界を創る。
 だから粉砕された民家も、倒壊したビルも、一切問題ない。無人であるのはもちろん、この模倣されたこの街でいくら破壊が行われようが、実際の世界ではなんの被害も出ていない。
「僕一人なんかの為に、そこまで執心するか」
 旭は、細めた瞳に哀れみに似た感情を覗かせながら、
「…日昏よ、この空間を生み出すのにどれだけの寿命を削った?」
「……」
 押し黙った日昏に、責めるような声音で旭が続ける。
「準備だけなら、まあ一人でも可能だろう。でも発動には陽向の人間が三、四人は必要だったはずだよ。負担が大き過ぎるからだ…僕だって優秀な人間二人で……かつて僕と君とで発動したもので最小限界だと思っていたよ。それを単身でだなんて」
「お前を殺せれば、残りの寿命なんぞに意味は無い」
 言葉を途中で遮って、日昏は強く声を割り込ませ駆け出す。
「“|壌土《じょうど》|漆式《しちしき》・|牙嚼宮《がしゃっきゅう》”」
 唱えると、旭の足元の地盤が丸ごと生き物のように蠢き、両側から牙のように突き立った無数の地面が巨大な口のように旭を挟み込んで閉じ込める。
 さながらそれは拷問具である|鋼鉄の処女《アイアンメイデン》が如く、対象を内側の棘で刺し穿ち致命傷を与える。
 だが、
「“|木彬《こりん》|壱式《いちしき》・|天樹葉《あまきば》”」
 大地の牙に挟み喰らわれたはずの旭が、内側から平然と声を放ち、直後に硬質な土の拘束を突き破り大樹が姿を露わにする。
 バキバキと土の牙を逆に噛み砕くように樹木が葉っぱを生い茂らせる中、樹の内側の隙間からストンと旭が抜け出るのを見て、日昏は疾駆する両脚に独特の歩調を織り交ぜる。
 必要な歩数は七。早歩きするように意味ある七歩を即座に完成させる。
 陽向家直伝、身体強化の歩行法。日昏が扱うは“|反閇《へんばい》・|七星《しちせい》|歩琺《ほほう》”。
 鍛え上げた肉体の上から掛ける強化術により、並大抵の人間であれば木っ端微塵に粉砕されてしまうであろう強烈なハイキックを容赦なく旭の側頭部目掛けて振るう。
「…らしくないな」
 それを片腕のみで受け止め、旭は眼前の元旧友を見据える。
「悪手だよ、それは。同じ陽向家同士の闘いにおいて五行の力は出すだけ無駄だ。互いに手の内を知っているからね、発動したそれに対応した属性をぶつけてやれば相殺は容易い。そして、」
 グッともう片方の拳を握り、そこに異能を巡らせる。
 神門旭が持つ、異能の力を。
「この僕を相手にして肉弾戦を挑むのも、やはり悪手だよ。|八十倍《・ ・ ・》―――、!」
 常人を凌駕した脅威の拳打を放とうとした旭が、自身の腕が持ち上げられないことに気付いて僅かに目を見開く。
 腕どころではない、全身…日昏の蹴りを受け止めた姿勢のまま、指の一本とて動かない。
「悪手か。旭、それは俺を侮っているのか?」
 受け止められた蹴りから足を下ろし、腰を落として両手を後方へ引く。
「それともお前、老いたか」
 日昏は動けない旭の胴体へ限界まで溜め上げた両の掌底を同時に叩き込む。
 直撃し、くの字に折れ曲がった旭は背後の大樹に背中を打ち据え、しかし勢いは止まらず大樹を薙ぎ倒してさらに後方、半壊した商業ビルを全壊に追い込んでようやく失速した。頭上から降る瓦礫に埋もれて旭の姿が粉塵の奥に消える。
「俺の名を忘れたのか、旭。姓と名そのものに力の宿る、我ら特異家系『陽向』の本領を忘れたか」
 旭の姿を追うことはせず、日昏はさっきまで旭の立っていた付近の地面に突き立っていたそれを手に取る。
 それは日昏が愛用している小振りのナイフ。スーツの内側にいくつも備えてる内の一本だ。
 蹴りを放つと同時に、日昏はこれを地面に投擲していた。ちょうど、旭の影の部分に刺さるように調整して。

 特異家系『四門』の現当主、|四門《しもん》|操謳《みさお》は家系由来の『四つの門』を扱うことで門を通じた空間跳躍能力を有していた。
 それが四門操謳の姓の力。
 特異家系の人間は、名前全てに力が宿る。名前の響きなど二の次三の次、最も重要視すべきは名前に込められた性能のみ。
 『四の門を操り、四の方位を謳う者』。それが四門操謳の真名たる由来だった。
 故に操謳は四方位(さらにその真名から昇華させた八卦の方位)を利用した風水による強化術や現象の発動を可能とした。

 そして彼の名は|陽向《ひなた》|日昏《ひぐれ》。
 『|陽《ひ》にして|昏《かげ》を落とす者』。
「そうか、|昏《かげ》縫い。君はそうだった、陽と陰を兼ね合わせた特異家系中の特異者」
 煙の晴れたそこに、瓦礫を押し退けて起き上がった旭がいた。
 口の端に一筋血を流しながらも、その様子は未だ普段とさして変わらない。あれだけの威力をノーガードで受けたにも関わらず、通ったダメージは僅かなようだった。
 互いに同じ教育を受け育ってきた退魔師。当然ながらその常套手段や戦術はよく知っている。
 つまり対人外を想定して組み上げて来た戦法は対退魔師においては通じない。
 そうなれば、頼れるのは共通して覚え熟練させてきた五行や退魔の術法ではなく、
「…我が、身は、陽を宿す者。重ね重ねて、束ね束ねて、その|陽《ひ》は灼け衝く|無謬《むびゅう》の|烈光《れっこう》」
 文言を唱えながら、口の端に流れる血を手の甲で拭う。
 彼の名は旧姓|陽向《ひなた》|旭《あきら》。日昏とは違い、正統に正当な力を継承した者であり、その真名において彼は陽向家の中でも屈指の実力を誇っていた。
 ボゥッ、と。旭の周囲にいくつもの火球が発生する。
 …いや、それは火球などではなかった。
「出来れば君には退いてほしかった。こんなろくでもない人間一人の為に、その命を散らすような真似をしてほしくなかった。だから戦いも極力避けてきた」
 その玉から放たれるのは暖かだが肌を焦がすかのような熱を持った、光。
 陽光。
「でも駄目なんだね、どうあっても君はそう進むことしか出来ない。なら、かつての親友として僕は受けて立つ他ない」
「……ああ」
 片手にナイフを握り、日昏が構える。足元の影が不自然にぐにゃりと歪んだ。
 そんな影を背後へ引き延ばすのは、旭の周囲で揺らめく陽光を放つ玉。既に数を揃え、付き従う臣下のように彼の周りで配置を終えていた。

「お前は俺が殺す」
「君は僕が止めよう」

 『九つの日を重ね束ねる者』。
 凝縮された小さな太陽のような玉を九つ従えた退魔師の人間、『陽向旭』はそうして久方ぶりに自身の真名を解放した。
 朽ちた廃ビルの屋上で、これまた錆びて傾いた貯水タンクの上に立つ由音が漆黒に染まった両眼で遠くを見据えていた。
「……」
 悪霊の力を汲み上げて人外の五感と感知能力を宿した由音は、この街で発生しているいくつもの事態をほぼ正確に把握していた。
(日昏…と、誰だ?よくわからんが気配がさっき二つ消えた。あっちはかなりたくさん人外が集まってんなー。そこから離れて……マンション?のとこに二つ人外の気配。そっからさらに離れてシェリアとレイスか。迎えに来たんだな)
 戦闘中ならともかく、感知一辺倒で全神経を集中させた時の由音の索敵範囲は尋常じゃなく広い。
 今日に限って不自然なほどに集った人外と異能力者達の動きに逐一注意しながら、由音は守羽の決闘をこの場から見守っている。
 守羽と酒呑童子の決闘を遠方から強化した人外の視力で捉えている由音と、決闘の場を挟んで真逆の位置には同じようにして牛頭と馬頭が観戦している。あちらも手を出すつもりはないようだ。
(…………守羽)
 自分も手は出さない、出すわけにはいかない。
 これは神門守羽の願いであり、命令だ。勝つことを信じているからこそ、惑いや迷いを行動にして表すことは守羽の信頼への裏切りになる。
 ただ。
(守羽、お前)
 ただ、思う。今この段階で確信している、事実を。
(このままだとお前、|死ぬ《ま け る》ぞ)



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 拳の乱打を受けて霞む意識の中、守羽は考える。
 既に人外として肉体の強度はかなり上がっている。そのおかげか、前ほど大鬼の一撃に対し体が破壊されることはなかった。あるいは手を抜かれているのか。
「…ッ、くう!」
 さらに陽向家の強化術である歩行法の改式、“|禹歩《うほ》・|九跡《くせき》|歩琺《ほほう》”も発動済みだ。耐久力だけで言えば前回の比ではない。
 だが、それでもこの怪物の攻撃は堪えるし、こちらの攻撃はまるで通じない。
 地面を踏み叩き、叫ぶ。
「“|壌土《じょうど》|改式《かいしき》・|砂縛捕《さばくほ》!”」
 陽向家の正統継承者でない守羽の放つ、本来の型式から離れて我流で改良した術式が地に浸透して効力を発揮する。
 砕けた地面が細かな砂と化して大鬼の足首に絡み付く。
「こんなんじゃ止められねェぞ『鬼殺し』ィ!」
 土の拘束を容易く引き剥がして酒呑童子が一歩踏み込み拳を突き出す。
 紙一重でそれを躱し、拳を掴んで軽く跳躍すると両脚を鬼の肩に絡ませる。
 飛び付き腕ひしぎ逆十字固め。
「うおらああああ!!」
 鋼鉄の肉体とはいえど、それを万全に稼働させるのに関節を使うのは人間と同じ。ならば、その稼働部を破壊できれば。
 そう思った守羽は、すぐさまそれが間違いだったと気付かされる。
(…コイツ!)
 歩行法による強化に加え百倍以上の“倍加”を使用した身体能力で破壊してやろうと思った肘関節が、びくともしない。まるで太い鉄柱にしがみついているかのようだ。
「発想は悪くねェ。が、」
 腕に絡んだままの守羽ごと、酒呑は腕を持ち上げて、片膝を曲げて一気に振り落とす。
「無駄だ」
 ズドォ!!!
 関節を破壊してやろうと手足を鬼の腕に絡み付けていた守羽は、受け身も取れずに背中から地面に叩きつけられる。
 金剛力の威力をも上乗せされた落下に、背骨が嫌な音を立てた。
「か、はぁ…!!」
 見開いた目が、口から逆流してきた血液と胃液の混じった体液を映す。その奥から高々と拳を振り上げる、鬼の姿も見えた。
 衝撃に身を硬直させた横倒しの守羽へ、大鬼の恐ろしい一撃が降る。

 『君に渡しておく物がある。僕の大事な物だけど、守羽にとっても大事な物のはずだ。君に預けておくよ』

「とう、さ」
 決闘の前々日に、父親から刀の他に渡されたもう一つの物品と、その時の父の言葉。
 鬼の拳を受け周囲の地面ごと深く陥没しながら、失い掛けた意識の中で咄嗟に思い出したのは、それだった。
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 |唄《うた》が響く。
 それは誰も聴いたことがないような不思議な旋律。声帯から紡がれている音なのかどうかさえ不明瞭な、聴く者の心を捕らえる音。
 強風の吹く高層オフィスビルの屋上で、風音にも左右されぬ確たる女性の声が、その場にいた『イルダーナ』の面々の動きを縛り付ける。
「ぐ、ぬっ…!!」
「これは…」
「なんですか、身体、が……」
 急激な変化に、それぞれが体を震わせながら屋上に膝を着く。
「相変わらず強力なのな、音々。お前さんの唄は」
「ま、それが私の本領で唯一の取り得だからね」
 唄を紡いでいるはずの音々が、まるで唄の副音声のように平然と言葉を口から放つ。当然、その最中も途切れることなく唄は続く。
 会話と唄とで、音々の喉からは二つの音が発生していた。
 さらにもう一つ、目を引く点が音々にはあった。
 背中、肩甲骨の付近から生えた黒翼。着ていたシャツと長い赤毛の髪を押し上げて、鴉のような光沢ある黒い翼が一対。
 それは、音々という人外そのものを示す特徴であった。
 人外種には、それぞれにそれぞれの種族として判別する独自の先天的特徴がある。
 たとえば、悪魔を筆頭とする|魔性種《ましょうしゅ》の者達は、皆が共通して黒く淀んだ不気味な瞳をしてる。これが魔性種の先天的特徴、存在の象徴たる『魔性の|穢瞳《あいどう》』だ。
 音々の場合は翼、つまりは動物的な特徴を具現させてある。さらにその色は魔や負を連想させる黒色。
 よって音々の人外としての区分は、

「|魔獣種《まじゅうしゅ》……なるほど、お主が『|魔声《ませい》』か」

 苦悶の声が弱々しく聞こえる中で、しわがれた老人の声だけがはっきりと言葉を放った。
「音々っ」
 レンが音々の体を引くと同時、『イルダーナ』がいるビルと隣接していたオフィスビルの屋上の縁に巨大な杭のようなものが三つ、コンクリートを穿ちながら突き刺さった。
「…なんで効いてないのよ、私の唄が」
 宙に舞いながら、音々は気に喰わないとばかりに眉間に皺を刻む。
 一人だけ、杖をついて背筋をピンと伸ばした白髪の妖精ファルスフィスは髪と同じく真っ白な髭を片手で撫でつけながら微笑んだ。
「生憎と、老いたせいか難聴での」
「ボケて深夜徘徊するのも時間の問題ねジジイ!」
 互いに皮肉をぶつけ合う中、冷や汗を垂らしたレンが慌てたように、
「おい音々、あんま暴れるなって。俺も飛ぶのあんま得意じゃないんだ」
 そう言って音々の両腕を掴んで滞空しているレンの背中には、薄っすらとだが半透明の羽が接続されていた。音々の持つ鳥のようなものではなく、むしろ虫…蝶々を思わせる羽。
 自然界において精霊種の次に関わりの深い妖精種由来の存在の象徴『妖精の|薄羽《うすばね》』である。
「ってか音々も翼あんだから自力で飛んでくれよ」
「私の|翼《コレ》は単純な飾りよ!魔獣種としての動物的象徴でしかないんだから」
「なにその見かけ倒しー」
 文句を垂れ流しながら、レンがゆっくりと音々を再度屋上に降ろし、自分も両足を地面に付けてから限界とばかりに羽を消失させた。
「な、るほど…ヤツが『|魔声《ネネ》』だったか」
「魅了の唄声で数多の船人を惑わせ殺してきたと云われる、忌み嫌われた海の怪物。説得力のある歌唱力だったね」
 ファルスフィスの攻撃によって中断された唄から束縛を解放されたラバー及びティトが前に出て音々を見据えて身構える。
「あーあ、ああなるともう封縛の唄は通じないわ。ある程度身構えられると耐えられちゃうから」
「じゃあファルスの爺様はずっと身構えてたってことか」
 自らの術を突破されたことに若干の苛立ちを見せながら、音々は長い赤毛の髪をふぁさっと掻き上げる。
「結局、真っ当な戦闘になるわけね。めんどくさ」
「しょうがないさ。音々、俺に唄掛けてくれ。強化の唄」
「…それもめんどくさ」
「俺に死ねと?」
 『突貫同盟』の旧友同士が状況を無視した呑気っぷりを見せている中で、ラバーとティトの後方から杖を両手で握り直したファルスフィスが相手方の正体を暴露する。
「あの|女子《おなご》の真名は知っている者もおろうが…『|岩礁の惑唄《セ イ レ ー ン》』だ。|彼奴《きゃつ》の唄声には細心の注意を払え」
「なんかしょうもない会話している間に私の正体バラされたんだけど」
 青筋を浮かべて音々がファルスフィスを睨む隣で、レンはついさっき屋上の縁を穿ち砕いた三つの杭を指差す。
「こっちもやっとくか。ほらアレ」
「なにあれ、…?氷?」
 屋上の縁に突き刺さった白っぽい杭状の物体は、よくよく見れば表面がゴツゴツと粗削りされた氷塊だった。
「妖精界の古株、『|氷々爺《ひょうひょうや》』ファルスフィス。氷の妖精だよ」
 音々の真名暴露のお返しとばかりにレンが明かすと、それに応じるようにファルスフィスの突いた杖を中心に周囲にピシパシと霜が張る。
「わたくしは下がっていますね。戦闘能力はほぼ皆無ですので」
「知ってる。黙って隅っこにいればいいのだお前は」
「……いちいち棘があるんですから」
 ジト目で金髪の美女ラナが樽のような中年髭男ラバーの背中を一瞥して屋上の端っこまで避難する。
 そんなラナの避難を見届けてから、ラバーは着ていた革のエプロンの前ポケットから取り出した愛用の木槌を片手にしっかりと握る。
「フン。では、改めて始めるとするか」
「あまり派手に仕掛けるのはやめてね、ラバー。人の世に、出来るだけ迷惑は掛けたくない」
 頭に乗っけていた赤いベレー帽を外して、(少なくとも外見上は)幼い少年であるティトも両手を持ち上げる。
「数が合わぬが、不平は漏らしてくれるなよ。『突貫』よ」
 空気中の水分を掻き集めて氷結させ、いくつかの氷の砲弾を周囲に発生させながらファルスフィスが先手を撃とうとした、その時だった。
「む」
 レンと音々の立つビルを跳び越えた後方上空から、斜めに真っ直ぐ何かが降ってきた。すぐさま前面に展開した氷の盾で組織の仲間ごとそれを防ぐ。
「ほう……」
 氷の盾に突き刺さった約三十ほどのそれは、よく砥がれた鋭利な|鏃《やじり》だった。
「見覚えがあるの。確か“|投鏃棘鑓《ゲイボルグ》”、だったか。まったく、無暗やたらに神話の武具を模倣し振り回しおって。あの大馬鹿めが」



「―――数では優勢だから楽勝、とか思ってんのか?クソジジイがよぉ」
 二つの組織がぶつかっていたオフィスビルから遠く離れたマンションの屋上で悪態を吐くのは、幼い少女に支えられながらも次撃用の槍を地面から生成しているアルだ。
 全身に包帯を巻いて右手に関しては添え木とギプスで固定されまるで使い物にならない有様だったが、右の脇に挟んだ自前の杖を地面についてどうにか瀕死の体を立たせていた。
「援護射撃、次行くぜ」
「……アル」
 腰にしがみ付くようにしてアルの体を支えていた白銀の髪を持つ少女|白埜《しらの》が、何か言いたげにアルを見上げる。
「わかってるって。そんなに無茶はしないから。それにあんまこのマンションから武器創りまくってるとその内にこの建物崩落しちまいかねないからな」
 アルは金行…つまりは金属を操る能力に長けた元妖精だ。その才能と持ち前の人外としての起源を利用して数多の武装を生成することが出来る。
 今は屋上の地面を伝ってマンション内部の金属を掻き集めて武器を生み出していたので、これをやり過ぎると鉄骨の強度が足りなくなってマンション自体が自壊する恐れがあるのだ。
 左手で投擲用の槍をブンブン振り回して遊んでいたアルが、彼方にいる『イルダーナ』の長である白髪の老妖精の姿を思い浮かべ、
「テメェらの思い通りになんかさせねえからな。老い先短い|氷妖精《ジャックフロスト》め……」
 忌々しく、その真名を吐き捨てる。
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