トップに戻る

次 >>

序章

単ページ   最大化   

序章 「サン・ヴィルコの虐殺」

   
 戦争とは、かくも恐ろしいものなのか――。

 その日、末端の一兵であった少女の眼にまさに地獄のような惨状が展開されていた。
 ごうごうという不気味な音を上げて燃え盛る炎。大砲や爆撃によって粉々に吹き飛ばされた肉片、それを踏みつぶす北中支軍の戦車。少女の眼には鋼鉄の鎧を身にまとった巨大な猪に見えたことだろう。
 人が、人の姿をせず、そこらじゅうに転がっている。それは普段食卓に並べられるものとさほど変わらない色をしているか、炭のように黒こげになって銀世界を点々と染め上げていた。

 これが戦争なのだろうか――。いやそうには見えない。おじいさまの話していた〈それ〉の姿は微塵も感じられない。これは虐殺だ。それ以外になんと表現したらいい――?

 我がダイマン王国伝統の騎兵隊は敵軍に対する奇襲攻撃のために勇猛果敢にも地平線の彼方へ駆け抜けていったが、運よく還ってきた者たちは一人としていなかったのである。
 おそらくは目の前の怪物に食い殺されたか、蒼い軍服を着た北中支兵に殺されたか、いずれにせよもうこの地上にいることは到底考えられなかった。
 騎兵隊を制した戦車団はいよいよ少女たち歩兵の護る陣地へ襲い掛かってくる。
「撃てぇー! 」
 不意に私の隣にいた隊長が叫び声を上げた。少女はひたすら重いボルトを引き、銃弾を装填し引き金を引く。何も考える余裕なぞない。いま信じられるのは隊長の号令と、自分のいま見えざる敵兵に銃口を向けている小銃だけだった。
 機関銃のガガガガという甲高い耳をつんざくような音と、自分を含めた小銃たちの重いドォンという銃声。少女は引き金を引くたびに彼女自身では制御しきれないのではないかと心配になるほどの大きな音と頬を殴るような衝撃が走った。
 不意に機関銃の音がやんだ。こんなときになんだ、と少女は舌打ちをした。おそらくその場にいた兵隊すべてが舌打ちをしたことだろう。拳銃を握りしめた隊長が機関銃兵へ叫んだ。
「おいっ! 機関銃、どうしたっ? 」
「弾切れですっ! 」
「なにぃっ? 」
 少女の儚い希望が一つ音を立てて崩れた。
 すると次々と戦友たちは機関銃兵のような声を上げ始める。
「隊長っ! 弾がありませんっ! 」
「隊長殿っ! もう弾がっ……! 」
 声が上がるたびに隊長の頬はみるみるうちに引きつっていき、少女の小銃の弾丸が尽きるころには自分の眼に見えるほど顎がガタガタ震えていた。
 隊員たちはしきりに意見具申をする。
「撤退しましょうっ!このままでは無理ですっ! 」
「隊長っ!丸腰のまま立ち向かっても無駄死にですっ! 」
 そうしている間にも戦車団は我々の窮状に気付いたのか速度を下げゆったりと我が軍の陣地へ迫ってきた。隊長は未だに沈黙を護っている。
 どうしようもなくなって少女が半分泣き叫ぶ形で隊長を呼ぶ。
「隊長ぉっ! 」
「総員着け剣っ! 」
 その号令一下に一同は唖然とした。予想だにしなかった命令が下ったからだ。
「しかしっ……隊長殿っ……」
 一人の二等兵が憮然とした表情で隊長へ近づく。
「『着け剣』の命令ということは、あの敵戦車群に突っ込めということで……」
 そんな二等兵の言葉を隊長はホエザルのような声で遮った。
「うるさいっ! 突撃準備ぃぃぃぃぃぃぃっ! 」
 少女、マリー二等兵は茫然とガタガタ震える手で銃剣を抜き、小銃の先へ装着する。それを見て他の隊員も渋々ながら着剣し始めた。さっきの機関銃兵はスコップを握りしめて、何やら眼を瞑り呟いている。その首からは十字架が下がっていた。
「突撃ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ! 進めぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! 」 
隊長が拳銃を棄て、サーベルを抜くと目と鼻の先の敵戦車群に刃を向ける。それとともに隊長は陣地を飛び出し、少女たちも喚声を上げ地獄へ身を投じていった。愚かな命令であるとは、そのとき誰一人として口に出せなかったのである。
 ダイマン王国軍十八万の兵力に対し、北中支軍約五万。これほどの兵力差があったにもかかわらず、緒戦はダイマン軍の惨敗に終わった。これが世にいわゆる『サン・ヴィルコの虐殺』と後世に遺されることになるのである。
1

どうしん 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

次 >>

トップに戻る