第一話 欠けた天使は夢を見る
どんなに恵まれた環境にいてもそれを享受できないのならば悲劇だ。
黄色い歓声、一身に向けられる視線。それらを浴びながらボクは今日も
『独り』学校への道を行く。顔には笑顔を張り付けているが、内心ボクは
ため息をつくのであった。
**
どこの世界でも騒ぎたい盛りの少女が二人も集まれば話に花が咲くとい
うもの。それは人間の域を脱し天使たちに至るまでも同じであるようだ。
白のふわりとした布を身にまとい、背中の翼をはためかせキャッキャと
話す二人の頭上には、淡く光る小さな輪っかが揺れている。辺りを見回し
ても道行く者たちには決まって揃いの輪っかと翼がついていた。
少女たちは、けれどもそんな周りの様子に気を留めることもなく恋愛トー
クに盛り上がる。
「やっぱり男子で一番かっこいいのってアーエル君よね」
「アーエル? 誰のこと、それ」
「えーっ、知らないの? 隣のクラスの男の子なんだけど超イケメンでさあ、
テストでは常に一位、部活では部長も務めてて、なんと今度の神様候補で
もあるんだから」
「へえ。うちの学校、そんなすごい子が居たんだ」
「うそお、本当に知らないの?」
「うん。アーエル君だっけ? 名前も聞いたことがないわ」
学校指定の黒鞄を手にし道を歩く二人の少女達はそんな話をしながら白
く塗装された道を歩いていた。静かな朝の住宅街。声がどこまでも響き渡
るだろうこの空間に、けれどもどこからであろうか。叫び声にも似た喧騒
が彼女達めがけ後方から徐々に徐々に迫ってきているようであった。
「何かあったのかしら」
一人の少女が問う。けれども隣にいるはずの友達からは返事が帰ってこ
ない。それもそのはず、その友達は歩みを止め来た道を振り返り固まって
いたのである。
「えーっ、どうしたの」
少女は問いかけるがやはり無反応。回り込んでみるとその友達の視線は
後方のある一点を凝視しているようである。肩をたたいてようやく焦点が
戻ってくる。
「来たわよ」
友達は声を絞り出すように言う。
「来たって、何が?」
「アーエル君よ!!」
突如名前を叫び走り出した友達をあっけにとられ見送る少女。友達の走
り去った先にはなぜか人だかりができていた。
「いったい何が起こっているの」
少女は首をかしげる。
困惑する彼女であったが、人だかりが近づいてくるのをながめるうちに
その中心に人がいるのを認めた。
(あれがアーエル……様?)
目に飛び込んできたのは切れ長な目。その上方に位置す眉はキリッと細
長く凛々しさが際立っている。肩まで伸びる茶髪と筋の通った鼻に、優し
く微笑む口元――少女は恋に落ちていた。
視界は赤く熱を帯び、心臓は弾む。少女の駆け寄る先には大勢の人だか
り。それらを押しのけ少女は中心に位置す男へと向かう。もはや少女の目
にはその視線の先にいる男の姿しか映らない。すらりと伸びた指先が彼の
髪をなでるしぐさを見るだけで息が荒くなる。
「アーエル様ーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
彼女の叫び。それに応えて男は振り向き微笑む。
「ああ……」
吐息をもらし、空を仰いだ少女はバタン。失神し地面へと倒れてしまう。
けれども少女の顔には満面の笑みが浮かんでおりとても幸せそうであった
と言う。
どこの世界でも騒ぎたい盛りの少女が二人も集まれば話に花が咲くとい
うもの。それは人間の域を脱し天使たちに至るまでも同じであるようだ。
白のふわりとした布を身にまとい、背中の翼をはためかせキャッキャと
話す二人の頭上には、淡く光る小さな輪っかが揺れている。辺りを見回し
ても道行く者たちには決まって揃いの輪っかと翼がついていた。
少女たちは、けれどもそんな周りの様子に気を留めることもなく恋愛トー
クに盛り上がる。
「やっぱり男子で一番かっこいいのってアーエル君よね」
「アーエル? 誰のこと、それ」
「えーっ、知らないの? 隣のクラスの男の子なんだけど超イケメンでさあ、
テストでは常に一位、部活では部長も務めてて、なんと今度の神様候補で
もあるんだから」
「へえ。うちの学校、そんなすごい子が居たんだ」
「うそお、本当に知らないの?」
「うん。アーエル君だっけ? 名前も聞いたことがないわ」
学校指定の黒鞄を手にし道を歩く二人の少女達はそんな話をしながら白
く塗装された道を歩いていた。静かな朝の住宅街。声がどこまでも響き渡
るだろうこの空間に、けれどもどこからであろうか。叫び声にも似た喧騒
が彼女達めがけ後方から徐々に徐々に迫ってきているようであった。
「何かあったのかしら」
一人の少女が問う。けれども隣にいるはずの友達からは返事が帰ってこ
ない。それもそのはず、その友達は歩みを止め来た道を振り返り固まって
いたのである。
「えーっ、どうしたの」
少女は問いかけるがやはり無反応。回り込んでみるとその友達の視線は
後方のある一点を凝視しているようである。肩をたたいてようやく焦点が
戻ってくる。
「来たわよ」
友達は声を絞り出すように言う。
「来たって、何が?」
「アーエル君よ!!」
突如名前を叫び走り出した友達をあっけにとられ見送る少女。友達の走
り去った先にはなぜか人だかりができていた。
「いったい何が起こっているの」
少女は首をかしげる。
困惑する彼女であったが、人だかりが近づいてくるのをながめるうちに
その中心に人がいるのを認めた。
(あれがアーエル……様?)
目に飛び込んできたのは切れ長な目。その上方に位置す眉はキリッと細
長く凛々しさが際立っている。肩まで伸びる茶髪と筋の通った鼻に、優し
く微笑む口元――少女は恋に落ちていた。
視界は赤く熱を帯び、心臓は弾む。少女の駆け寄る先には大勢の人だか
り。それらを押しのけ少女は中心に位置す男へと向かう。もはや少女の目
にはその視線の先にいる男の姿しか映らない。すらりと伸びた指先が彼の
髪をなでるしぐさを見るだけで息が荒くなる。
「アーエル様ーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
彼女の叫び。それに応えて男は振り向き微笑む。
「ああ……」
吐息をもらし、空を仰いだ少女はバタン。失神し地面へと倒れてしまう。
けれども少女の顔には満面の笑みが浮かんでおりとても幸せそうであった
と言う。
**
「アーエル君、これ」
差し出される小箱。ボクは笑顔でそれを受け取る。
「うん、ありがとう、えーっと……」
「あっ! 私? 私はハミエルって言います」
「ハミエルさん、ありがとうね」
ボクが礼を言うとハミエルと名乗った少女は頬を赤らめ駆けて行ってし
まった……今日はこれで6人目。中身も確認せずにその箱をポケットへと
入れたボクは教室へと戻っていく。
まっすぐ続く学園の廊下を歩く道中、ボクはさっきの彼女が見せたボクを
見つめるあの瞳を思い返していた。
ボクに向けられるのは決まって羨望や敬愛、はたまた嫉妬の眼差し。皆は
いったいボクの何をうらやむのだろう? どうして惹かれるのだろう? ボ
クはただの欠陥品。皆が見ているのはボクが目的のために作り出したただ
の虚像なのだ。本当のボクはいつだって独り。ボクの目から見れば何かに
夢中になれる彼女のような人の方がよっぽど幸せに生きていると思えるの
に……
そんなことを考えながら今日もボクは笑顔の仮面をかぶるのだ。
教室に戻り最前列中央の自分の席へと着くと始業の鐘が校舎中に鳴り響
く。そしてそれを見計らったかのように扉が開き、そこから長身の男性が
入ってくる。彼は首から下げた懐中時計を開くと、
「時間だ。授業を始める」
低めの渋い声でボク達に言う。たっぷり蓄えた顎髭とそれに不釣り合い
なマリンブルーのTシャツ。少し変わった出で立ちのこの天使こそボク達
の担任である、カシエル先生であった。
「12時3……4秒遅れだ。教科書は開いてあるな、前回の続きからだ」
4秒遅れって……先生の言葉に半ばあきれながらボクは羊皮紙を広げる。
病的なまでに時刻に忠実であるカシエル先生。いつもこのような雰囲気で
始まるこの『天使構造学』の授業は息が詰まってかなわないというもの。
それに加えこの先生は何の前触れもなく突然生徒を当ててくるため気も抜
けないのだ。
先生の手により几帳面な光文字で宙に記されていく文字列をみながらボ
クは軽く伸びをする。
「天使の体は思想や思考、感情といった生物の思念を糧に神様がお作りに
なったものだ。だが、当然思念と言うものに形はない。放っておけば消え
てしまうようなそんな淡い存在だ。では、思念を天使足らしめるものは
何か……アーエル、わかるか?」
言ったそばから飛んでくる質問。授業の頭にあたるとは運がない……めん
どうだがあきらめてボクは席を立つ。
「はい。天使には各々一つ核が存在します。核とは神様の感情の断片です。
神様は最初、さまざまな感情を持つ生物でしたが、真に正しき神となるた
め不必要な感情をお捨てになられました。それが天使の核。そして核は神
様の持つ感情がもとになっているため元の生物に戻ろうとする力を有して
います。この核が多くの生命のいる下界から思念等を引き寄せ一つの生命
となる、これが天使です。ただし、引き寄せられる思念はその核となる感
情を除いたものなので表面に出る性質もその核となった感情を欠いていま
す。神様が捨てた感情は負の面を持つものが大半であり、そのため天使に
見られる欠けた感情も負の感情が多いのです。天使に善者が多いのもこの
ことによります」
答えるからには完璧を。ボクが問いに答えると教室にはにわかにどよめ
きが起こった。幾人かからはボクへの賛辞の声が聞こえる。
「うん。アーエル、相変わらずよく勉強をしているな」
「いえ、たまたまですよ」
もちろん嘘だ。この程度の知識、学校入学前には知っていた。先生や皆
からの称賛の目。その期待にボクの心は渇いていく。
カシエル先生はボクに着席を促すと授業を続ける。すぐにクラスの喧騒は
収まりボクもペンへと手を伸ばす。いくらわかっている内容だとはいえ授
業の内容を写しもせず座っているわけにはいかない。ボクは先生の話を聞
く姿勢をとりながら頭では明日のことを考えていた。
明日、そう明日なのだ。この堅苦しい生活も、心の渇きも、明日になれば
きっと……
「よし、今日はこれまで。ああ、そういえば今日は明日の『生誕祭』の準
備があるから授業は午前中で終わりだったな。ではこれで解散だ。明日は
一般の方々も学校内に見え慌ただしくなるがくれぐれも羽目を外しすぎな
いようにな」
授業が終わり、カシエル先生は教室を出ていった。クラスの皆もそれに
続き荷物をまとめぞろぞろと廊下へと出て行く。明日の生誕祭の話がボク
の耳にも届く。星型花火の話、雲滑りの話、神の継承の話。
そう、明日――ボクは神になるんだ。
「アーエル君、これ」
差し出される小箱。ボクは笑顔でそれを受け取る。
「うん、ありがとう、えーっと……」
「あっ! 私? 私はハミエルって言います」
「ハミエルさん、ありがとうね」
ボクが礼を言うとハミエルと名乗った少女は頬を赤らめ駆けて行ってし
まった……今日はこれで6人目。中身も確認せずにその箱をポケットへと
入れたボクは教室へと戻っていく。
まっすぐ続く学園の廊下を歩く道中、ボクはさっきの彼女が見せたボクを
見つめるあの瞳を思い返していた。
ボクに向けられるのは決まって羨望や敬愛、はたまた嫉妬の眼差し。皆は
いったいボクの何をうらやむのだろう? どうして惹かれるのだろう? ボ
クはただの欠陥品。皆が見ているのはボクが目的のために作り出したただ
の虚像なのだ。本当のボクはいつだって独り。ボクの目から見れば何かに
夢中になれる彼女のような人の方がよっぽど幸せに生きていると思えるの
に……
そんなことを考えながら今日もボクは笑顔の仮面をかぶるのだ。
教室に戻り最前列中央の自分の席へと着くと始業の鐘が校舎中に鳴り響
く。そしてそれを見計らったかのように扉が開き、そこから長身の男性が
入ってくる。彼は首から下げた懐中時計を開くと、
「時間だ。授業を始める」
低めの渋い声でボク達に言う。たっぷり蓄えた顎髭とそれに不釣り合い
なマリンブルーのTシャツ。少し変わった出で立ちのこの天使こそボク達
の担任である、カシエル先生であった。
「12時3……4秒遅れだ。教科書は開いてあるな、前回の続きからだ」
4秒遅れって……先生の言葉に半ばあきれながらボクは羊皮紙を広げる。
病的なまでに時刻に忠実であるカシエル先生。いつもこのような雰囲気で
始まるこの『天使構造学』の授業は息が詰まってかなわないというもの。
それに加えこの先生は何の前触れもなく突然生徒を当ててくるため気も抜
けないのだ。
先生の手により几帳面な光文字で宙に記されていく文字列をみながらボ
クは軽く伸びをする。
「天使の体は思想や思考、感情といった生物の思念を糧に神様がお作りに
なったものだ。だが、当然思念と言うものに形はない。放っておけば消え
てしまうようなそんな淡い存在だ。では、思念を天使足らしめるものは
何か……アーエル、わかるか?」
言ったそばから飛んでくる質問。授業の頭にあたるとは運がない……めん
どうだがあきらめてボクは席を立つ。
「はい。天使には各々一つ核が存在します。核とは神様の感情の断片です。
神様は最初、さまざまな感情を持つ生物でしたが、真に正しき神となるた
め不必要な感情をお捨てになられました。それが天使の核。そして核は神
様の持つ感情がもとになっているため元の生物に戻ろうとする力を有して
います。この核が多くの生命のいる下界から思念等を引き寄せ一つの生命
となる、これが天使です。ただし、引き寄せられる思念はその核となる感
情を除いたものなので表面に出る性質もその核となった感情を欠いていま
す。神様が捨てた感情は負の面を持つものが大半であり、そのため天使に
見られる欠けた感情も負の感情が多いのです。天使に善者が多いのもこの
ことによります」
答えるからには完璧を。ボクが問いに答えると教室にはにわかにどよめ
きが起こった。幾人かからはボクへの賛辞の声が聞こえる。
「うん。アーエル、相変わらずよく勉強をしているな」
「いえ、たまたまですよ」
もちろん嘘だ。この程度の知識、学校入学前には知っていた。先生や皆
からの称賛の目。その期待にボクの心は渇いていく。
カシエル先生はボクに着席を促すと授業を続ける。すぐにクラスの喧騒は
収まりボクもペンへと手を伸ばす。いくらわかっている内容だとはいえ授
業の内容を写しもせず座っているわけにはいかない。ボクは先生の話を聞
く姿勢をとりながら頭では明日のことを考えていた。
明日、そう明日なのだ。この堅苦しい生活も、心の渇きも、明日になれば
きっと……
「よし、今日はこれまで。ああ、そういえば今日は明日の『生誕祭』の準
備があるから授業は午前中で終わりだったな。ではこれで解散だ。明日は
一般の方々も学校内に見え慌ただしくなるがくれぐれも羽目を外しすぎな
いようにな」
授業が終わり、カシエル先生は教室を出ていった。クラスの皆もそれに
続き荷物をまとめぞろぞろと廊下へと出て行く。明日の生誕祭の話がボク
の耳にも届く。星型花火の話、雲滑りの話、神の継承の話。
そう、明日――ボクは神になるんだ。
**
「アーエル様、おかえりなさいませ」
そう言ってウシエルはボクをエントランスで出迎える。
「ただいまウシエルさん」
ボクは肩にかけた荷物をウシエルへと渡す。ウシエルはボク達家族の身
の回りの世話をしてもらっている天使、だいぶ老齢で父が子供のころから
この家で働いてもらっているそうだ。きちんと折り目の付いた黒のスーツ
が彼の仕事着。ボクの小さいころから変わらないその立ち姿は安らぎすら
も覚える。
「そういえばウーエル達は?」
「すでにいらっしゃいますよ」
ボクが問うとウシエルは背後を掌で示す。見ると確かに2人の影が。
「おお、兄貴!! 遅かったじゃねえか」
「アーエル兄さん、おかえりなさい」
「ああ、ただいま。ウーエル、オーエル」
ボクを出迎え家の奥から出てきたのは弟二人。次男のウーエル、三男の
オーエル。オーエルはボクへと駆け寄ると満面の笑み。ウーエルはウシエ
ルの横で頭の後ろに手を組み口角を挙げる。
落ち着きがなく兄であるボクにも平気で喰ってかかってくるウーエル、
自分に自信がなく、けれどもその分気の優しいオーエル。性格の違うボク
達三人兄弟であったが、仲は良い。特に末っ子のオーエルはボクやウーエ
ルによくなついている。
「ふふふ、アーエル兄さん。とうとう明日だね」
「なんだ、オーエル。お前も気になっていたのか。明日の『継承式』のこ
と」
「うん、もちろんだよ。だってアーエル兄さんかウーエル兄さん、どちら
かの晴れ舞台になるんだよ。気にならないわけがないじゃないか」
「はははははっ、オーエル。お前も候補者の一人なんだぞ。確かにボクや
ウーエルと比べたらまだ若いお前だけれどお前には才能がある。ボク達に
遠慮するなよ」
ボクが頭をなでてやるとオーエルは照れたように笑顔を見せる。
「まったくだぜ、オーエルよお。おめえに足りねえのは自信だ。俺らなん
かに義理立てする必要はねえよ。お前も候補者だ、他を押しのけてでも神
の座狙いに行かなきゃな」
「うへえ、ウーエル兄ぃ。僕には無理だよう」
「やってやれないことはねえだろ。なんてったってお前はこのウーエルの
弟なんだからよ」
「ウーエル、お前はお前でもう少し自重しろ」
オーエルとの会話に割り言ってきたウーエル。ボクはウーエルにくぎを
刺す。自信ばかりのウーエル、能力はあるが自信の無いオーエル。二人の
その姿を見てボクは微笑む。やはり神にふさわしいのはこのボクだ、と。
「ははは。とにかく兄貴!! 明日は誰が神に選ばれたとしても恨みっこな
しだぜ」
どこからその自信は来るのだろう。ウーエルは自分の部屋へと戻るため
歩き出したボクの背中にそういうのだった。
「アーエル様、おかえりなさいませ」
そう言ってウシエルはボクをエントランスで出迎える。
「ただいまウシエルさん」
ボクは肩にかけた荷物をウシエルへと渡す。ウシエルはボク達家族の身
の回りの世話をしてもらっている天使、だいぶ老齢で父が子供のころから
この家で働いてもらっているそうだ。きちんと折り目の付いた黒のスーツ
が彼の仕事着。ボクの小さいころから変わらないその立ち姿は安らぎすら
も覚える。
「そういえばウーエル達は?」
「すでにいらっしゃいますよ」
ボクが問うとウシエルは背後を掌で示す。見ると確かに2人の影が。
「おお、兄貴!! 遅かったじゃねえか」
「アーエル兄さん、おかえりなさい」
「ああ、ただいま。ウーエル、オーエル」
ボクを出迎え家の奥から出てきたのは弟二人。次男のウーエル、三男の
オーエル。オーエルはボクへと駆け寄ると満面の笑み。ウーエルはウシエ
ルの横で頭の後ろに手を組み口角を挙げる。
落ち着きがなく兄であるボクにも平気で喰ってかかってくるウーエル、
自分に自信がなく、けれどもその分気の優しいオーエル。性格の違うボク
達三人兄弟であったが、仲は良い。特に末っ子のオーエルはボクやウーエ
ルによくなついている。
「ふふふ、アーエル兄さん。とうとう明日だね」
「なんだ、オーエル。お前も気になっていたのか。明日の『継承式』のこ
と」
「うん、もちろんだよ。だってアーエル兄さんかウーエル兄さん、どちら
かの晴れ舞台になるんだよ。気にならないわけがないじゃないか」
「はははははっ、オーエル。お前も候補者の一人なんだぞ。確かにボクや
ウーエルと比べたらまだ若いお前だけれどお前には才能がある。ボク達に
遠慮するなよ」
ボクが頭をなでてやるとオーエルは照れたように笑顔を見せる。
「まったくだぜ、オーエルよお。おめえに足りねえのは自信だ。俺らなん
かに義理立てする必要はねえよ。お前も候補者だ、他を押しのけてでも神
の座狙いに行かなきゃな」
「うへえ、ウーエル兄ぃ。僕には無理だよう」
「やってやれないことはねえだろ。なんてったってお前はこのウーエルの
弟なんだからよ」
「ウーエル、お前はお前でもう少し自重しろ」
オーエルとの会話に割り言ってきたウーエル。ボクはウーエルにくぎを
刺す。自信ばかりのウーエル、能力はあるが自信の無いオーエル。二人の
その姿を見てボクは微笑む。やはり神にふさわしいのはこのボクだ、と。
「ははは。とにかく兄貴!! 明日は誰が神に選ばれたとしても恨みっこな
しだぜ」
どこからその自信は来るのだろう。ウーエルは自分の部屋へと戻るため
歩き出したボクの背中にそういうのだった。
**
「はは、ははははは」
一人、自分の部屋に戻り笑うボク。我ながら気持ち悪いと思う。この姿を
普段のボクを知るクラスメートたちに見せたらどう思うだろうな。けれど
も今日だけはこみあげてくる喜びを抑えることなんてできない。不断の努
力、苦痛でしかなかった生活が報われる日がついに来たのだ。
周囲からの評価、培ってきた実績、さらにはボクと席を争うべき候補者が
神となる資質に欠ける弟たちであるということ。もはや憂いはない。これ
で欠けたボクは完全になれる……ようやくボクの心は満たされるのだ。
ボクは部屋の隅に置かれたベッドへと横たわる。明日は生誕祭の準備の
ため早く家を出なければならない。早く寝るに越したことはないのだが、
どうにも今日は眠れそうにない。
いつも心には焦燥感があった。小さいころはそれの正体が一体なんなの
か分からずにいた。次代の神となるべく作られたボク達兄弟。ほかの天使
達と比べれば明らかに恵まれた環境で育ってきた。何か不自由があればウ
シエルが世話してくれる。何かをやろうと思えば最高の設備が用意しても
らえる。長男ゆえ神様候補として最も有力視され、周りからの期待はボク
の行く末を矯正する。
努力しなかった日なんてない。そして結果も残してきた、だけど。
やってもやってもやってもやっても!! ボクの心は満たされない、感じ
ない、動かない。
そしてようやく実感した、ボクが欠陥品だということを。
自分に欠けた感情、それはボクの致命的な弱点となりうる。埋める方法は
一つ、神になり自分を完成された存在とするしかないのだ。
そして明日。神の生誕1000年を祝すこの日こそ、神の座の継承が行われ
る日でもある。神の能力全てが選ばれた天使に継承されそのものがまた新
たな神となる。神の能力、すなわち『全能』。それを生命に行使することは
基本できないが、その対象が自分自身であれば例外だ。『全能』さえ手に
入ればボクの心ひとつなんとでもなる。もちろん神の業務もきちんとこな
すつもりであるがそんなものは二の次。今のボクにはボクの渇望するもの、
欠けた感情しか目に映らない。
ボクは高鳴る鼓動を何とか抑え布団をかぶる。まるで遠足前の子供みた
いだ。自分で自分に苦笑し、ふと幼少時代の自分を思い返す。自分の欠陥を
自覚したあの日、ボクはここまで努力し続けることができた自分を思い描
けたのだろうか。当然無理だろう。『達成感』無きボクがそれでも努力し
続ける辛さをその時からボクは知っていたのだから。
興奮ゆえ、いらぬことまで考えてしまう自分にあきれながらボクは静かに
目を閉じるのであった。
「はは、ははははは」
一人、自分の部屋に戻り笑うボク。我ながら気持ち悪いと思う。この姿を
普段のボクを知るクラスメートたちに見せたらどう思うだろうな。けれど
も今日だけはこみあげてくる喜びを抑えることなんてできない。不断の努
力、苦痛でしかなかった生活が報われる日がついに来たのだ。
周囲からの評価、培ってきた実績、さらにはボクと席を争うべき候補者が
神となる資質に欠ける弟たちであるということ。もはや憂いはない。これ
で欠けたボクは完全になれる……ようやくボクの心は満たされるのだ。
ボクは部屋の隅に置かれたベッドへと横たわる。明日は生誕祭の準備の
ため早く家を出なければならない。早く寝るに越したことはないのだが、
どうにも今日は眠れそうにない。
いつも心には焦燥感があった。小さいころはそれの正体が一体なんなの
か分からずにいた。次代の神となるべく作られたボク達兄弟。ほかの天使
達と比べれば明らかに恵まれた環境で育ってきた。何か不自由があればウ
シエルが世話してくれる。何かをやろうと思えば最高の設備が用意しても
らえる。長男ゆえ神様候補として最も有力視され、周りからの期待はボク
の行く末を矯正する。
努力しなかった日なんてない。そして結果も残してきた、だけど。
やってもやってもやってもやっても!! ボクの心は満たされない、感じ
ない、動かない。
そしてようやく実感した、ボクが欠陥品だということを。
自分に欠けた感情、それはボクの致命的な弱点となりうる。埋める方法は
一つ、神になり自分を完成された存在とするしかないのだ。
そして明日。神の生誕1000年を祝すこの日こそ、神の座の継承が行われ
る日でもある。神の能力全てが選ばれた天使に継承されそのものがまた新
たな神となる。神の能力、すなわち『全能』。それを生命に行使することは
基本できないが、その対象が自分自身であれば例外だ。『全能』さえ手に
入ればボクの心ひとつなんとでもなる。もちろん神の業務もきちんとこな
すつもりであるがそんなものは二の次。今のボクにはボクの渇望するもの、
欠けた感情しか目に映らない。
ボクは高鳴る鼓動を何とか抑え布団をかぶる。まるで遠足前の子供みた
いだ。自分で自分に苦笑し、ふと幼少時代の自分を思い返す。自分の欠陥を
自覚したあの日、ボクはここまで努力し続けることができた自分を思い描
けたのだろうか。当然無理だろう。『達成感』無きボクがそれでも努力し
続ける辛さをその時からボクは知っていたのだから。
興奮ゆえ、いらぬことまで考えてしまう自分にあきれながらボクは静かに
目を閉じるのであった。