47話 敗走
「強化兵のメゼツだ! 気を付けろ、手強いぞ!」
「情報によればやつは精霊戦士並みらしい!」
「弓だ。矢を射かけろ!」
「…! ちっ、またか」
メゼツは見つかったことに舌打ちする。せっかく赤みがかっていて目立つ髪をフードで隠し、森の木陰に身を潜めながら進んでいたのに、どこにでもアルフヘイム兵が現れる。
アルフヘイム正規軍の警戒網は、ボルニアからアリューザに至る道中にも張り巡らされていた。
クラウスの萌えの覚醒作戦計画に基づき、正規軍主力のA軍集団でも特に精鋭とされる部隊がアリューザ攻略にかかっていたが、他方面からの甲皇国軍の増援にも配慮されていた。
おかげで要所要所でメゼツは足止めをくらってしまう。
覚醒したメゼツの実力は、巨大な化物となったクンニバル・オーボカを撃破したように、今や精霊戦士にも遜色ない。警戒網を強引に突き破って進んでも良かったが、何せクラウスのことである。アルフヘイム側にどのような備えがあるかも分からず、軽率に進むのは躊躇われた。
(バーナード少将、無事でいてくれよ…)
クラウス率いるアルフヘイム軍の戦力、アリューザにこもる甲皇軍の戦力。比較すれば話にならない。もはやアリューザは津波に飲み込まれるだけの運命だ。ならば、メゼツとしてはアリューザから脱出するであろう同胞の手助けをしたかった。ここでアルフヘイム軍と大々的にことを構えてはいられない。
そのため急いではいたが、正面のバーンブリッツ街道からではなく、アリューザ周辺の野山を分け入って向かっていたが、度々アルフヘイム兵に見つかり、テレパシーで情報共有をしているのかすっかり名前と顔を認識されていた。
「ぐわっ」
地面を抉るような衝撃と共に、爆風がメゼツの顔に飛んでくる。
砂利や小石が口に入り、ぺっぺっと唾を飛ばす。
風切り音と共に、猛烈な矢の嵐がメゼツを襲っていた。
咄嗟に木々を盾にして身を隠すが、矢は木に突き刺さるのではなく、木に風穴を空ける程の威力だった。それほどの威力を持つ矢というのは、もう砲弾と変わらない。いくらメゼツが強化兵で少々の攻撃ではびくともしない頑丈さがあるといっても、これをまともに食らえばどうなるか分からない。
(妙だな。アルフヘイムの剣や弓矢が強力って話は良く聞くが…)
これほどの威力は異常だ。
またもメゼツの足元で爆発が起きた。もうもうと土煙をあげ、矢が地面に突き刺さっている。爆発物かもと思いながら慎重にその矢を触ってみるが、何の変哲もない木製の矢だった。矢尻も普通の鉄である。
(魔法で強化されているのか? となると、術者を殺さねぇと…)
そうだ、術者さえ殺せば後は有象無象なのだろう。
しばらく続いていた猛烈な矢の斉射が収まる。
アルフヘイム兵らは、メゼツの姿を見失っていた。
「探せ! 遠くには行っていないはずだ!」
指揮官らしき女が叫んでいる。
さめざめとした青い肌、頭から突き出る二本の角。オウガ族のようだ。
オウガ族といえばドワーフ族のように力任せで戦うイメージが強いが、鬼兵隊と呼ばれる魔法を使うエリート集団もいる。彼女はその一人なのかもしれない。
女が詠唱を行い、部下達の刀剣や弓矢に強化魔法をかけている。やはり、彼女がいるために猛烈な攻撃が可能となっているようだ。
「悪く思うなよ」
「……!」
木の葉が揺れる音。
それとともに木陰に潜んでいたメゼツが現れ、女指揮官の背後をとった。
一瞬のことだった。
指揮官の女はメゼツの大剣によって体を上下に両断されてしまう。
「アクティどの! お、おのれ!」
女指揮官の部下たちが報復の矢をメゼツに射かける。
だがその矢は既に強化魔法の効力を失っていた。
メゼツは矢を物ともせず、また木陰へ潜んでいった。
遠ざかっていく足音。
後に残されたアルフヘイム兵らは茫然と見送るしかなかった。
「……! あ、アクティ!? アクティ…姉さん!?」
「どうした、ランダ」
疲れた声で、鬼兵隊隊長のベルクェットが部下のランダに声をかける。
ベルクェットは第三鬼兵隊隊長で、ランダは第二鬼兵隊隊長補佐。だがあの爆撃でかなりの隊員を失い、生き残った者の中でもっとも階級の高いベルクェットを鬼兵隊全体の隊長、次に階級の高いランダを補佐としていた。
隊は違っていたが、ランダは冷静沈着で有能な男としてベルクェットは噂に聞いていた。
そのランダがこれほど狼狽するとは。
「わ、私の姉が……」
ランダにはアクティという姉がおり、彼女も鬼兵隊の隊員として後方で甲皇軍の増援に対する警戒活動にあたっていた。アリューザ侵攻にあたるランダより危険は少ない任務のはずだったが、その彼女がたった今、意識が途絶えてしまったという。
「私と姉は双子なので、常に互いの情報をテレパシーで共有しているのです。その姉が、どうやら敵と遭遇していたようなのですが……」
口を噛むランダ。
ベルクェットは首を振る。
「……姉が心配なのだな。だが貴様の得意とする防壁魔法は、今の鬼兵隊にもっとも求められるものだろう。入念に準備が必要だが、貴様を中心として魔力を集めていれば……あの爆撃も防げたかもしれない」
「は、はい……」
「それに、甲皇軍のやつらはオウガ族の島から出撃してきた。アルフヘイム軍における我々への視線はいっそう厳しいものとなった。今、貴様が抜けた場合、これは敵前逃亡としてとらえられるだろう。アルフヘイムにおけるオウガ族の信用はますます低下する」
「……」
ランダは何も言えなくなった。自分からアクティを助けに行きたいとは。
だが、そんなランダの肩を、ベルクェットは優しく叩いた。
「だが構わん。行ってやれ。処罰が下るというなら私がとりなそう。この戦いは……もう負ける。だが国が滅びても、せめて家族や同胞は守ってやらねばな」
「よ、良いのですか!?」
「ああ。だがそうだな……うまく姉を救えたなら、私にも紹介してくれよ」
姉を心配するランダを気遣い、ベルクェットは茶目っ気を見せて笑いかけるのだった。
甲皇国空軍のアリューザへの爆撃は、戦局を大きく変えていた。
アリューザ、完全に消失。
精霊石搭載超大型爆弾により、石造りの民間人の家屋も、陣地も塹壕も、司令部も。草木一本残さず、何もかも地面ごと抉り取られてしまい、巨大なクレーターを残すばかりとなっている。爆心地からもうもうと立ち上る黒煙は、あっというまに黒い雲を作り、ざぁざぁと黒い雨まで降らせていた。残存甲皇国第四軍も骨も残さず消え去ったが、それと引き換えに、アリューザの街から逃げ遅れたアルフヘイム兵も多くが戦死していた。爆心地から少し離れたところまで逃げていて死を免れていても重傷を負っている者も多い。
「治癒魔術師! こっちだ!」
「だめだ、もう助からん」
「そんな訳あるか! 助けろ! まだこいつは…!」
「捨てろ、死体だそれは!」
重傷者への看護が追い付かない喧騒のさなかで、被害状況が大きすぎてどの程度の損害があるのかもアルフヘイム側は正確には掴めていなかった。
「防壁魔法が間に合っていれば…!」
そのように呪わし気に呟くアルフヘイム将兵は多い。
だが、爆撃に耐えうるような防壁を張るには大人数による長時間の詠唱と準備が必要だった。五年前にアルフヘイムに潜り込んだSHWからの傭兵ラナタの裏切りにより、アルフヘイム側には手練れの防壁魔導士が多く暗殺されてしまったという事情もある。それにこれほどの爆撃だ。メラルダ率いる僧兵隊、ベルクェット率いる鬼兵隊が準備を入念にしていたとしても、防げたかどうかは分からない。
「いや、鬼兵隊が命がけで防ぐべきだった!」
そう叫ぶのはエルフの将軍フェデリコ。逃げ足の速い彼はしぶとくも生き残っている。彼の率いる重装歩兵が中心の黄金騎士団の多くが逃げ遅れて戦死していたので、恨みつらみもひとしおだった。
「甲皇軍のやつらはオウガ族の島から飛んできたんだろう!? オウガ族さえ島をSHWに明け渡さなければこのようなことには……!」
だが結局、オウガ族だけの力では島を守ることはできなかった。島を守らなかったのはアルフヘイム正規軍とて同じである。言っても仕方のないことだが、フェデリコの感情的な叫びは、多くの仲間を失ったアルフヘイム将兵の心に突き刺さる。
そうだ、なぜこの爆撃を、この悲劇を防げなかった。
島を明け渡したオウガ族のせい?
爆撃を読めなかったクラウスのせい?
誰かのせいにしなければ……。
認められない。受け入れられない。仲間たちの死を。
あの爆撃が、勝利に向けて突き進んでいたはずの戦局や人心を一変させていた。
アルフヘイム全将兵は肉体的にも精神的にもボロボロの状態である。
そのような中で……。
更に続けざまに、最悪の情報がもたらされる。
「ユリウスとゲル・グリップ率いる甲皇軍の大軍勢が、再度アルフヘイム上陸を果たそうと向かっているという」
主力の大半を失ったクラウス率いるアルフヘイム正規軍A軍集団には、これを防ぐ手立てはない。
また、ゼット伯爵率いる甲皇国空軍も、アリューザを爆撃してから鬼ヶ島へ戻っていったが、補給を済ませれば再度出撃してくる可能性は十分にあった。
一刻も早くニコロ率いるB軍集団と合流し、ボルニアまで引いて態勢を立て直さねばならなかった。
「はぁっ…はぁっ…」
多くの者が息を切らし、重い足で敗走している。
だが早く逃げなければユリウスが迫っている。
ナルヴィア大河の戦いで、ユリウスの脅威は記憶に新しかった。圧倒的な力を振るい、アルフヘイム軍の精霊戦士ですら歯が立たない。そしてその部下のゲル・グリップまで来ているとなれば、甲皇軍の最精鋭である第一軍が来ているということだ。このボロボロの状態で攻められればひとたまりもない。
「このままでは……」
重傷者多数のアルフヘイム軍の歩みは遅々として、アリューザ進撃時の電光石火ぶりは見る影もない。
「全滅も考えられる。今のうちに、体力が残っている者だけでも早々に撤退すべきであろう」
「何っ! 重傷者を捨てていけというのか?」
「やむを得ないだろう。重傷者の足に合わせていては、誰も助からなくなる!」
クラウスの司令部ではまたも喧々諤々とした議論がなされていた。
「重傷者が余りに多い。すべて切り捨ててしまえば、我々は二度と立ち上がれなくなるぞ」
「兵ならば代わりはきく! だが有能な士官や将官を失うことはできんだろう!」
「はっ! それは貴官がただ助かりたいだけであろう。この恥知らずが!」
「何を言うか! わしは冷静に戦況分析をだな……」
司令部の考えはまとまらず、みながまたしてもクラウスに視線を送るが、彼は静かだった。
撤退してからずっと、クラウスは死人のように顔を青ざめさせ、目をつぶって黙しており、ビビに支えられながらようやく歩いているような有様だった。
「大丈夫なの? クラウス…」
心配そうに声をかけるビビだが、聞くことだけはできていて、クラウスはそれに頷くだけだった。
頼りのクラウスがこの状態では…。
何も決められず方針が定まらないアルフヘイム軍は、ただゆっくりと敗走を続けるしかなかった。
だが地獄は、ようやく始まったばかりだったのだ。
アリューザからアルフヘイム軍が姿を消してから半日が過ぎたころ。
アリューザ沿岸に甲皇軍の大軍船団が到着した。
ここに至るまでに魚人兵の散発的でささやかな抵抗はあったものの、ペリソン提督とゼット伯爵による甲皇国海軍・空軍連携での哨戒活動が功を奏しており、魚人兵は発見されるや猛烈な機銃掃射で屍を海上に晒すだけであった。
「ここにきてようやくといったところだな」
ユリウスは感慨深げにつぶやく。
そう、ようやく挙国一致体制が整っていた。
これまで甲皇軍は、甲・乙・丙家のそれぞれの派閥争いが邪魔し、陸・海・空軍の連携が取れないでいた。特に乙家が影響力を及ぼす海軍と、丙家が影響力を及ぼす陸軍の仲が悪い。
そこを様々な政治的努力を通じて一致団結させて戦争継続に集中させようというのがユリウスの考えで、好戦的な丙家の考えを汲むものであり、乙家が邪魔であった。
だが甥のカール皇子が上手くやってくれた。
諜報機関を設立して国内の反戦勢力の封じ込めに努力してきた結果、アルフヘイム側のスパイと思われるトクサなる政府高官を拘束することに成功。これまで長年に渡って甲皇国の戦争継続の動きを阻害し、乙家を通じてアルフヘイム側に情報を融通してきた許すべからざる人物であった。今はカールによって拷問と尋問を受けているところだが、聞き出せるだけ聞き出せた後は、すぐに処刑されるであろう。
そしてこれを機に、乙家を始めとする国内の反戦勢力が一気に萎み、丙家とユリウスの発言力が増した。陸軍・海軍・空軍は一致団結し、このようなスムーズな連携も可能となった。アリューザでの爆撃作戦で空軍との連携が取れていたのもこのためであった。
「機は熟した。あとは果実を刈り取るだけだ」
「アルフヘイムっていう果実を……ですね♪」
「そうだ。丙武よ、貴様は北から攻め上がれ。余は西から攻めあがる。まずはボルニアを陥とし、最終的にはセントヴェリアを陥とすのだ」
「了解であります。亜人をすべて皆殺しにしてやりましょう」
眼鏡の奥の目が血走り、爛々と狂気に輝いている。
丙武という丙家の流れを汲むこの軍人は、丙家の思想を最も忠実に体現した男と言われている。両手両足を戦場で失い、代わりに義肢をつけてでも戦場に立ち、その頭の中は亜人を殺すことだけで占められている。恐るべき復讐鬼である。
新たに甲皇軍は再編成がなされていた。
その中でも北方軍集団司令官として、丙武というこれまで余り戦功華々しい訳ではなかった軍人が大佐に抜擢され、北方戦線を任されていた。もとは少佐であったはずの彼だが、彼の上官が本国からアルフヘイムに向かう航海の途上で魚人のテロに遭い戦死。代わって彼が戦地任官で大佐となった。丙武はたちまちユリウスと意気投合してしまい、遂には北方軍集団を一任されることとなる。丙武の元上官は弱腰な乙家出身だったということもあり、これは陰謀ではないかという説が軍内部でもまことしやかに語られていたが、誰も真偽を確かめようという者はいない。誰しも命が惜しいのだ。
「クラウス率いるアルフヘイム軍は惨めな敗走の途上だという」
ユリウスはほくそ笑む。
「だが、まだ奴は生きているだろう。ナルヴィアにおいて余の前にまで兵を進めてきた奴の手腕は侮れん。完全に息の根を止めねばな……」
さんざん煮え湯を飲まされてきた宿敵の最期を見届けねばならない。
「丙武よ。北へ向かう前に、余と共にしばし西方戦線に付き合え。面白いものを見せてやろう……」
「ははっ、ありがたき幸せ」
「地獄を見せてやるぞ。亜人どもに」
ここに、帝国の逆襲が始まるのだった。
つづく