48話 丙家たるもの
「これが人間のやることかよ……」
ざぁざぁと黒い雨が降り、雷鳴が轟き、視界は白い霧で霞んでいた。
ゆえに、高台から見た時には良く見えなかったが…。
アリューザは完全に消失し、巨大な黒い穴だけがぽっかりと大地に穿たれていた。
近づくにつれてそれが明らかになってくると、認めたくないばかりに足取りは重くなっていき…。
遂に、メゼツはがくりと膝を折って地面に手をついた。
ぬかるんだ泥に赤いものが混じっている。
血だ。
それが甲皇国軍のものか、アルフヘイム軍のものか定かではない。夥しい量の血が流れて混ざり合っているのだろう。人間だろうが亜人だろうが流す血は赤い。
にも関わらず……。
メゼツは名門貴族・丙家の跡取りとして英才教育を受けてきた。人類の戦争の歴史というものも学んでいる。だが、現在行われているこの戦争は、かつてあった戦争のどれとも異質なものとなっている。甲皇国とアルフヘイム。両国による国家間戦争というよりも、人間と亜人という種族間戦争。軍人同士の戦いだけに収まらず、民間人であろうが等しく被害が及ぶ無差別戦争。そして、人類の歴史を終わらせてしまうかもしれないほどの強力な兵器が使用される最終戦争へと。
人はどこまで残虐になれるものなのだろうか……と、メゼツは思う。
まるで天が泣いているかのように、不吉な黒い雨が降りしきるが…。それでもここで起きた惨劇を覆い隠し、洗い流すことはできないだろう。
何がこのアリューザで起きたのか、すべてが終わってから到着したメゼツは見てはいない。だが、強化戦士として覚醒したメゼツは、まるで自分がエルフになったかのように感覚が鋭敏になり、見えないはずのものがぼんやりとだが気取ることができた。アリューザに漂うもうもうとした白い霧が、無残に殺された者たちが泣き叫んでいるように聞こえる。それは精霊のような温かみのある優しいものではない。冷たく恨みがこもった怨念ともいうべきものだ。
───まだ生きたかったのに。
───まだ死にたくなかったのに。
───なぜ死ななければならなかったのだ。
幻聴ではない。そのような恨みのこもった声が聞こえてくるのだ。
───お前はなぜ生きている。
───俺たちは死んだのに。
───生きているなんてうらやましい。
───命を分けてくれよ。生き返りたいよ。
───家族の元に帰りたいよ。
「やめろ……やめろ!」
頭を振り、メゼツは亡者たちの声を振り払おうとする。
今のメゼツには、狂戦士として無慈悲に敵を殺してきた時の面影はない。感受性豊かで繊細な少年の、素のまままの表情だった。
「すまない。バーナード少将……」
ぐしゃりと顔を泥の大地に叩きつけ、メゼツはぼろぼろと涙を流して嗚咽した。
一度会ったきりで、余り良い印象を持っていた訳ではない。
だがバーナード少将は最後まで甲皇国軍の誇りある軍人として戦い、散っていったのだ。
自分は間に合わず、何もできなかったというのに───。
「みっともねぇな、丙家の御曹司ともあろう者が」
「…!?」
声がした方を見ると、泥に覆われていた大地がせりあがっていく。
水風船のように膨らんでいき、やがてそれが破裂して泥や血を周囲にまき散らす。
「ふうっ、死ぬかと思ったぜ」
言葉とは裏腹に口調は軽かった。
水風船から現れたのはピエロのような奇抜な化粧、派手な装飾の服を着こんだ男。ウルフバード・フォビア。甲皇国軍の数少ない魔導士である。
彼はアリューザ市街が甲皇国空軍の爆撃で消失する寸前に、バーナード少将の司令部からの緊急避難せよとの無線を受け取り、即座に彼が得意とする水魔法を使い、巨大な水風船を作って自らを包み込むと地中へと逃れたのだった。水魔法というが…血も液体である。彼は周囲に散らばる死体の兵士の血まで使い、生き延びたのだった。
「ああ、酷い目に遭ったよ…。まさか督戦隊に助けられるなんてね」
生き延びたのはウルフバードだけではなかった。
ウルフバードの水魔法は周囲にいたいくばくかの軍人たちも救っており、砲兵士官のサンリやアレッポといった面々も生き延びていたのだ。
「カカカ、督戦隊はお前らがちゃんと戦うよう監視するものだ。逃げる兵士は殺すが、ちゃんと戦っていたお前らまで無駄に殺す訳ないだろう? 個人的に軍人は好かんが、こう見えて任務には忠実だ」
「そのようで。それに引きかえ、空の騎士どもときたら…」
「空の騎士? どういうことだ」
聞きとがめるメゼツに、サンリは相手が丙家の御曹司であることを察して舌打ちした。顔をしかめ、忌々しそうに唾を吐く。
「この有様は空の騎士ともてはやされてる甲皇国空軍──つまりゼット伯爵の空中艦隊による爆撃によるものなんですよ。でもそれを命じたのは……」
「親父殿か…」
「そう。丙家の御大将ホロヴィズ閣下でしょうねぇ。味方ごと爆撃とは流石の英雄クラウスも見抜けなかったという訳だ。実に見事な名采配ですなぁ」
厭味ったらしく言うサンリに、メゼツは何も言い返せなかった。
「ば~~っか。あったりまえじゃねぇか!」
代わりに答えたのはウルフバードだった。
「丙家とは斯くあるべし。ホロヴィズ将軍の作戦は実に理にかなっているぜ」
彼もまた丙家の末席に名を連ねる男だ。
「理とはなんだ!? 理とはそう、弱肉強食だ! 所詮この世は殺し殺されるもの。卑劣、悪と罵られようが強いものが生き残り、勝利と栄誉を手にする。正義とみなされるのさ。勝つためにゃ何でもして当たり前。戦場なんて命をチップにした鉄火場じゃねぇか。負けたからって後からこんなのはおかしいなどとイチャモンつけるのはみっともねぇってなもんよ」
「あ、呆れた……。味方の爆撃の巻き添えで死にかかったのにそんなことが言えるなんて」
「サンリ中尉といったか? 潔いと言って欲しいね。丙家ってのは皆すべからくそういう意識なのさ。覚えておきな」
「う、う~~ん。ついていけない…」
軍人として成り上りたいと考え、実際それなりに有能な士官のサンリだが、彼は軍人としてはごく一般的な思考の持ち主なのだった。一方、ウルフバードは丙家であることを誇りに考えており、「丙家にあらずんば人にあらず」とまで考えている。はっきり言ってキチガイである。
「はっはっはっ」
ガチ、ガチ、ガチ。
笑い声と共に、鈍く鉄を打ったような音が響く。
「その通りだ。丙家とは斯くあるべし。久しぶりだな、ウルフバード?」
「げぇっ! 丙武!?」
キチガイのウルフバードも驚くほどの超キチガイがまた現れる。
両手両足を失ったのに鋼鉄の義手義足をつけてまで戦う軍人・丙武大佐がそこにいた。
腕組みをして眼鏡を光らせ、メゼツやウルフバードらを尊大な目つきで睥睨している。
「……丙武、だと?」
胡乱そうにメゼツは首を傾げた。
丙家といっても非常に多くの家系によって成り立っている。実際、メゼツはそれほど多くの丙家の親戚筋の顔や名前を覚えているわけではない。ヨハン・ウルフェルトなどは丙家でも末席の方になるが、それでもヨハンは従兄弟にあたるのでメゼツも知っていた。丙武やウルフバードとなるとヨハンよりも更に遠い血縁関係となるし、顔も名前も知らず、会うのも初めてだった。
これは余談だが、甲皇国はその昔、後に皇帝家となる甲家が丙家・乙家やその他多くの小国家を併合して成立した統一国家である。ゆえに国の正式名称は「骨統一真国家」とされている。だが国内は、表面的には甲家が支配者一族として統治しているものの、大貴族の丙家・乙家も含めた三大勢力が時に対立しながら歴史を刻んできた。中でも丙家は、かつては甲家に並ぶ有力な王家とされていた家柄なので、自主独立の気風が強い。平和主義者が多く現状維持を望む乙家を特に敵視し、時には皇帝一族の甲家にさえ歯向かう向きがある。更に丙家は、冷遇されたり没落していった貴族や軍人の家系との政略結婚を繰り返してきた。スズカの一族バーンブリッツ家や、ヨハンの一族ウルフェルト家もそうだし、ウルフバードの一族フォビア家もそうだ。他にも鬼家や丁家などといった誰も顧みなくなった没落貴族の家系まで取り込んできた。現状に不満を持つ者を集めることで、時代の変化を、革新を、戦争を望む者たちを集めてきた。彼らすべてを丙家一門とするのが、丙家当主ホロヴィズが築き上げてきたものだ。
「丙家男子たるもの強くあらねばならん。死んでいった者のことなどを思って何とする。それに、俺たちは立ち止まることは許されない。それは死んでいった者たちの犠牲を無駄にすることでもある。もう俺たちは引き返すことなんてできないんだ」
「そうだそうだ!」
「大佐の言う通りだぜ!」
丙武は一人ではなかった。彼の背後には多くの兵士たちが付き従っている。雷雨などものともしないような熱気が、アリューザ跡地を包み込んでいる。
「くくく。ユリウス皇太子から預かった兵士どもだ。俺たちはこれから西方へ進撃し、かろうじて生き延びたらしい敗残のアルフヘイム軍を駆逐しにいく! そうだ、英雄クラウスの首も取ってやるのだ!」
「……ユリウス皇太子も来ているのか?」
「ああ。そういう君は噂のメゼツ君か。丙家の御曹司とお近づきになれるのは僥倖だ。そうそう、君の部下たちは気の毒だったね」
「は? ロメオ軍曹たちがどうしたって!?」
丙武はにやりと笑う。
「そう、ロメオ軍曹やヨハン兵長といったか……? 戦いで傷つき、君は彼らを足手まといだと思って放置してしまっただろう? 敵地に小勢で取り残された彼らは、残念ながらアルフヘイム軍に見つかって殺されてしまったよ。残念なことだ。彼らは武器を捨てて降伏したが、敵は卑劣にも降伏を許さなかったらしいな……無抵抗の者を嬲り殺しだよ。彼らの中で一人だけ生き残っていたウォルト二等兵がアリューザ近辺で発見されたが、それだけ伝えると彼もまた深手を負っていたので息を引き取った。まったく口惜しいことだ」
「な……なん……だと……」
「まぁ、戦場では良くあることだ。足手まといを捨てるのは仕方ないことだし、君が気に病むことではないだろう。が、少しでも彼らの弔いをしたいのなら、今はそう、戦いに集中するんだ。アルフヘイムの糞どもを駆逐しにいこう。奴らは文字通り人間じゃない。害獣さ。知っているか? 奴らは殺した敵兵の耳を削ぎ落とし、アクセサリーのようにじゃらじゃらと飾り立てていたりするんだぞ。ウォルト二等兵なども耳が削ぎ落されていて、そりゃもう惨い見た目になっていた。俺も噂には聞いていたが……亜人の本性、ここに見たりだな」
「くそっ! 俺は、俺は……」
ボロボロと涙を流すメゼツを、丙武はその無骨な義手で優しく抱きしめる。
「今ぐらいは俺の胸で泣いていいんだぜ? だが少年よ、涙を糧に立ち上がるんだ。死んでいった者たちは何を望んでいる? そう、勝利だ。勝利を手にするその日まで、俺たちには立ち止まっていることは許されない! さぁ、いつまで泣いている? 丙家男子たる心意気を見せてみろ」
「ああ……ありがとうよ。丙武大佐。もう大丈夫だ。俺も覚悟を決めた」
「うんうん♪」
「こんな戦争は早く終わらせないといけない。今は勝利へ向かって進撃する時だ」
「そうだね♪」
「兄貴と呼ばせてもらっていいか? あんただって丙家なんだろう?」
「喜んで♪ 俺も弟のためにも丙家男子たる見本を見せないとなぁ♪」
と、丙武は爽やかにキチガイスマイルを見せるのだった。
ちなみにこの時、ロメオ軍曹らは丙武軍団によって捕縛され拘束されていた。強化兵士メゼツの戦力を存分に活用するため、彼の敵愾心を煽るためである。
メゼツはまんまと騙されていた。
つづく