61話 聖剣伝説
「───な、何だ貴様らぁ!?」
「黙れ」
慌てふためく黄金騎士団の兵士に対し、ゲオルクは棍棒のような拳を顔面に叩きつける。|完全鎧《フルアーマー》の兵士が鮮血をほとばしらせながら吹っ飛ばされていく。剣を帯びずに戦っても、齢五十を目前にしても、ゲオルクの強さは若かりし頃と遜色なく超人的だった。
「す、すげぇ」
拳の力だけで、人が宙に浮くこともあるのか。
ゲオルクの背後にいたエルフ族の少年弓兵アナサスが驚嘆の声を漏らす。
「ほれ、驚いておる場合か。おぬしの出番だ」
「お、おうよ!」
ゲオルクに促され、アナサスは弓を引き絞って狙いを定める。
いや、適当に放つだけでいいか。通路の奥からはわらわらと黄金騎士団の兵士があふれ出てきている。
ひゅっひゅっと風切り音を鳴らし、アナサスの放った矢が兵士たちへ吸い込まれていく。矢じりには鎧どおしの加工が施され、痺れ薬が塗られている。いくら重武装の黄金騎士団兵士といえど、一発であえなく身動き取れなくされるのだ。
「面倒なこった」
別の方向では、水鉄砲の魔法を放つ蟹魚人の女傭兵ガザミの姿があった。
ボルニア要塞の狭い通路内では、一度に二人か三人程度の人間しか往来ができないが、放たれた水流によって奥の方にいる兵士までまとめて押し流されていった。
「命までは取るな! 腐っても一応は味方だ」
ゲオルクが激を飛ばす。
傭兵王ゲオルク率いる僅かな数の精鋭は、ボルニア要塞の一角に立てこもっていた黄金騎士団に対し戦闘を仕掛けていた。
それは、まだボルニア要塞全体が目覚め切っていない早朝の奇襲であった。
「クラウス様救出に向かわれる前に……陛下にお願いしたいことがあります」
深々と頭を下げながら、メイド姿の少女──その正体は、甲皇国において丙家を監視していたという密偵のひとり──ハシタは言った。彼女は、この長きに渡った戦争を終わらせるためには英雄クラウスの存在が不可欠だろうと、ゲオルクと認識を同じくしていた。
「先日、アルフヘイム正規軍の黄金騎士団とクラウス義勇軍が衝突したというのはお聞き及びかと存じますが、そこでクラウス義勇軍のニコロ将軍、それに義勇軍に協力していたガイバル老師が捕縛され、亡命しようとしていた大勢の避難民と共に幽閉されてしまいました。武器も食料も取り上げられ、今や死を待つばかり。その彼らを救出して頂きたいのです」
ゲオルクは力強く頷く。
「あいわかった。彼らは今どこに?」
「ボルニア要塞内の一角、黄金騎士団が警護する区域に幽閉されております。こちらをご覧ください」
ハシタはボルニア要塞の見取り図を用意しており、どこに彼らが捕らわれているかをゲオルクに伝えた。
「義勇軍でもニコロ将軍は密かな人望がある御方です。本人はオウガ族の自分は嫌われ者だと自虐的に仰っていましたが、そんなことはありません。義勇軍はクラウス様が象徴的な存在で、何事においても目立っておいででしたから、外部の者からはクラウス様のワンマン的な軍隊だと思われがちでした。でも、実際のところはニコロ将軍が縁の下の力持ちというか、内助の功が大きかった。ニコロ将軍が軍の統率をしっかりと引き締めていたからこそ、クラウス様も戦場で思い切った手が取れていたのです」
「なるほど。では是が非でも救わねばな。クラウスどの救出のためにも働いてもらいたい。それにしても、だ」
ゲオルクは顔をしかめて言った。
「守るべき民に、亡命も許さず、食料すら取り上げているというのか」
「はい。黄金騎士団については、団長のシャロフスキー以下、容赦なさる必要はございません。彼らは公然とクラウス様を裏切者とそしり、売国して自らだけ助かろうとしている愚か者なのですから」
───と、そのようなやり取りがあったのだった。
ゲオルク軍による奇襲が予想以上に上手くいったこともあり、黄金騎士団兵士らは次々と戦闘不能に陥っていく。黄金騎士団はアリューザの戦い以前では二千名ほどがいたが、戦死したり脱走したりで大きく数を減らしていたが、それでも五百名近くの人員が残っている。ただ、ニコロたちが囚われているこの区域を守っていたのはほんの百名余りに過ぎなかった。他の区域からの増援が来る前に、ニコロたちを救出せねばならなかった。
「ここがそうだな。思ったよりも容易かった」
「傭兵王のおっさんの無双ぶりたるや、味方ながら恐ろしいものがあったぜ」
アナサスが軽口を叩くが、ゲオルクは憮然としていた。
「ふんっ、きゃつらが弱兵すぎただけのことだ。逆に、これからきゃつらを率いて甲皇軍と戦わねばならんのに、役に立つのかと心配になったわ」
ゲオルクの言葉通り、今はこうやって叩きのめしているが、アルフヘイムの民であることに変わりはない。ハシタは容赦する必要はないといったが、それでもゲオルクは黄金騎士団にも甲皇軍と対峙する際には共に戦う友軍となってもらうつもりだった。
やがて、ゲオルクは目的地に到達する。ここまでゲオルク軍で負傷・死亡した者は誰もいない。それどころか、黄金騎士団兵士も戦闘不能にされるだけで、死亡した者は誰もいないという鮮やかな手腕であった。
「ふん!」
ゲオルクは巨木のような太い足で、重たい鉄扉を蹴り飛ばしてこじ開ける。
そこは、ボルニア要塞でもかなり大きめの居住地となっている区域だった。開けた空間に、寄り添うようにして固まっていた大勢の人々が驚いた表情で振り向く。ハシタから聞いていた市民たち──クラウス親衛隊のアメティスタが亡命させようとしていた女子供や老人といった戦えない者たち──であるが、膨大な数がいた。恐らく何千人といる。これまでクラウス義勇軍は、これだけの足手まといとなる非戦闘民を保護しながらも戦ってきたのだ。
「あ、ありがとうございます。シャロフスキーは我々を反逆者として捕らえ、食料も水も奪われ……このまま餓死させられるのではと……みな絶望していたところだったのです」
げっそりとした顔をした学者風の男が、足取りもおぼつかない様子でゲオルクの手を取って感謝の言葉を述べる。
「なんの。助けに来るのが遅くなってすまなかったな」
ゲオルクは部下に命じ、セントヴェリアから持ち込んできた食料を惜しみなく避難民に分け与えるのだった。
「良かった。本当に……。私のような大人はともかく、子供たちが危ないところでした……。ハレリア! リエカ! 食料が届いたぞ!」
「うう、ととさま……」
避難民の親子だろうか。飢餓状態になっていたらしく、青ざめてうずくまっていた。同様の光景はあちこちで見られ、避難民らは黄金騎士団の目を盗んで隠し持っていた僅かな食糧を分け合ってしのいでいたようだが、五千人ほどもいた避難民すべてに行きわたるはずもなく…。彼らは幽閉されてから既に三日ほどが経過していたが、まったく食料を口にしていない者、特に乳飲み子を抱えた母子などが危ぶまれる状態だった。
「避難民が多すぎます。これでは備蓄が…」
「惜しむな。すべてを分け与えるのだ。すべて!」
「はっ!」
ゲオルク軍に対し、ボルニアのウッドピクス族は寝床の提供をしてくれただけだったので、新たな食料の備蓄は無い。これでは兵を食わせる分もなくなってしまうのではと心配する部下に対し、それでもゲオルクは民の命を最優先することとした。
フローリア産の小麦でできた上質の軽焼きパンに焼肉を挟んだものや、セントヴェリア近辺の精霊の泉から汲んできた清浄な飲み水、牛・馬・羊など各種家畜から絞った乳や、魚や野菜や肉団子が入った滋養に富んだ粥など。次々と運ばれる食料を、避難民らは騒然となって平らげていく。
「助かった。感謝する、傭兵王……」
「おお、おぬしがニコロか」
避難民の中から、逞しい体つきのオウガ族の戦士ニコロが現れる。彼と共に囚われていたというガイバル老師を伴っていた。
「クラウスどのを救出したい。おぬしの力も借りるぞ」
「おう。俺とあいつは親友なんだ。あいつを助けるためなら、喜んでこの命捧げてみせる」
「うむ。実に頼もしい。あてにしておるぞ」
ゲオルクは満足そうに笑い、ニコロとがっちりと握手を交わす。男は男を知ると言うが、ゲオルクはこの無骨なオウガ族を一目で大いに惚れこんでいた。
「傭兵王陛下、避難民への寛大なご処置、感謝いたします」
ニコロに続き、その隣にいたガイバル老師も、深々と頭を下げて言った。アルフヘイム|魔術研究機関《アカデミア》の重鎮であるこのエルフ族の老人のことは、ゲオルクもセントヴェリアにいるダート・スタンから聞かされていた。ラギルゥー族に代表されるように、アルフヘイムの権力者たちは自らのことしか考えていないことが多いが、このガイバルのように救民に駆けずり回っている良心的な者もいると。
ゲオルクは豊かな髭を撫でまわし、口元をほころばせた。
「何の、困った時はお互い様だ。それにこの食料は、元々セントヴェリアの者達や道中でアルフヘイムの民から受け取ったものだ。最前線で戦うおぬしらにこそ食べる権利があるというもの」
「恐れ多い。陛下はお強いだけでなく、英明でもあらせられる。クラウスどのが会いたがっておられたのも頷けます」
「そうか、彼は私と会いたがっていたのか」
「それはもう。傭兵王のお人柄は音に聞こえておりましたし……それに……」
ガイバルは声のトーンを下げていく。その視線が、ゲオルクの腰の長剣へと注がれていた。
「陛下。その腰の剣……少し拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「うむ? 良かろう」
長剣を鞘ごと剣帯から外し、ゲオルクはガイバルに手渡した。
ずっしりと重そうにガイバルはその長剣を受け取ると、鞘から少しだけ刀身を見て、すぐさま懐から眼鏡を取り出して更に熱心に見定めようとしていた。
「少々頑丈ではあると思うが、何の飾り気も無い長剣だ。何かおかしなところでもあったか?」
「へ、陛下……。この長剣をどちらで手に入れられたのですか!?」
「うむ。それは私の育ての親である傭兵ガラハドから譲り受けた剣だ。私は捨て子だったのだよ。ガラハドが私を拾った時、赤子の私とこの長剣が道端に捨てられていたという。もう何十年も昔の話だが……戯れに、ガラハドはこの長剣はかつて甲皇国にあった諸王国家が使っていた王の剣ではないかと言っていた。私もそれを本気にしていた訳ではないが……」
「すると甲皇国で入手されていた訳ですね。なるほど、合点がいきました」
「説明してくれないか? その剣がどうしたというのだ。まさか本当に王の剣だとでも言うのか」
「王の剣……。ある意味そうですね。驚きました。陛下、この長剣は……失われた古代ミシュガルド由来の聖剣なのです」
「ミシュガルドの……聖剣!?」
何十年も付き合ってきた長剣の正体に、ゲオルクも驚愕する。
ガイバルが語ったところによれば、かつて存在したというミシュガルド大陸にあった古代王朝は、天空の城アルドバランに代表されるような、非常に進んだ科学・魔法技術が存在したという。そして、ミシュガルド大陸が沈んで王朝が滅んでもなお、その後継者をうたう甲皇国には古代ミシュガルド王朝から持ち出された科学・魔法技術の聖遺物が幾つもあるというのだ。
「間違いなく、こちらはミシュガルド王朝の聖剣です。かつて、ミシュガルド大陸で起きた数々の戦乱でも活躍したと文献にはあります。主にエルフ族が使用していたのですが……甲皇国の始祖となった人間族の手によって|盗まれた《・・・・》のです。以来、行方知れずになってしまったと思われていましたが…」
「ガラハドは、これは甲皇国に滅ぼされた諸王国家の剣と言っていたな」
「実際、そうかもしれません。甲皇国のある西方大陸も統一されるまでは戦乱の最中にありました。今の甲皇国に反抗していた小さな王国で、これが使用されていたのかも」
「なるほど……。単なる傭兵の与太話だと思っておったが…」
「この聖剣単独では、特別な力があるというほどのものではありません。ですからお気づきになられなかったのかと。少々頑丈と仰られてましたが、そうですね、少々切れ味や頑丈さがあるだけの長剣です。ですが、この聖剣には対となる魔剣があるのです」
「魔剣だと…!?」
「はい。クラウスどのから聞いた話ですが、恐らく甲皇国皇太子ユリウスが持つ黒い魔剣のことかと思われます。魔剣は単独でも恐るべき力を持ち、対抗しようとしていたアリアンナどの・シャムどの・ダンディどのの三剣士の力を奪い、攻撃が通らなくさせてしまうダークオーラを持っていたそうです。私もその話を聞き、アンローム博士と共に古代文献をあたりました」
「アンローム博士とは…?」
「私のことです。その話、私からも説明させて頂きます」
先程、ゲオルクに感謝の言葉を述べていた学者風の男が現れる。ハルドゥ・アンローム博士と名乗るこの男は、アルフヘイム政府から古代ミシュガルド由来の文献の調査を依頼され招聘されたSHWの学者だという。アルフヘイムにおいても、最も古い種族であるエルフ族でも解読できない古代文献は数多いという。
「……そうですね。確かにこれは古代ミシュガルド由来の聖剣のようです。文献によれば、古代ミシュガルド王朝で崇められていた神話の神々の名前をとって聖剣や魔剣は名付けられています。陛下の持つ聖剣は戦神ルネスの剣。そしてユリウスが持つ魔剣は闇の魔王フォデスの剣と呼ばれるもののようです」
「何と……これはそのような名がつけられていたのか」
高々と聖剣・戦神ルネスの剣を掲げ、ゲオルクは感嘆の溜息を洩らした。心なしか、その刀身が光り輝いて見えるようだった。
「ルネスの剣とフォデスの剣は対となっています」
ハルドゥは続けて言った。
「フォデスの剣は持つ者をダークパワーに引きずりこみ、悪の心に染めてしまうのですが、代わりに無敵の力を与えてしまいます。それに対抗できるのは、唯一、対となるルネスの剣のみ。ですが、まさかそれを傭兵王陛下が持っていらしたとは……運命の悪戯と言うべきでしょうか」
ハルドゥも溜息を洩らした。
「古代ミシュガルド神話において……ルネスとフォデスは親子なのです。ルネスは父として、暗黒面に堕ちた息子フォデスを剣で切り伏せたと言われております。これは、まさに……」
ゲオルクとユリウスの関係を暗示しているようだ。
神話の再現を、神々は望んでいるというのだろうか。
そう、ハルドゥは言いかけたが、ゲオルクの心中を察して言いよどんだ。
「……神話は神話だ。だが、ユリウスを止められるのが俺だけというのならば……」
ルネスの剣の柄を握りしめ、ゲオルクは表情を引き締めるのだった。
つづく