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62話 揺れ動く人々

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62話 揺れ動く人々







「───おい! 傭兵王のおっさん!」
 殺気だった声を上げ、エルフ族の少年弓兵アナサスが駆け寄ってきた。只事では無いのだろうが、ゲオルクの周りに集まっている避難民らが怯えた表情を見せる。
「どうした、アナサス」
 返事するゲオルクは、群衆を安心させるように、落ち着き払った声で言った。
「シャロフスキーの野郎、黄金騎士団の残り全部に…更に、ウッドピクス族まで連れてこっちに向かっているようだ!」
「何だと。ウッドピクス族か……奴らは敵に回すと少し厄介だな」
「ああ。ガザミの姐さんが抑えているが、分が悪いようだ。姐さんの水魔法は樹人どもには効果が薄いって…。それに敵の数も多い。なんかやたらデカブツのウッドピクス族の戦士もいる。おっさんでもあれは手こずるかも……」
「アッシュ大公……静観を決め込むのではないかと思っておったが……」
 アナサスの報告に、群衆がざわめいている。
 当然であった。
 ほんの少し前に、亡命しようとする彼らを、黄金騎士団の兵士らと結託した奴隷商人ボルトリックとポルポローロの亜人兵らが襲いかかり、子供たちを連れ去っていってしまったばかりだ。あの暴虐がまた始まるのではないかと、群衆はパニックになりかけている。
 その様子を見て、すぐさまゲオルクは力強く宣言する。
「人々よ。案ずることは無い。しょくんらはこの傭兵王と我が配下のハイランド傭兵、そしてアルフヘイムのために立ち上がった義勇兵たちが守ると約束しよう!」
「おお……!」
 頼もしく勇ましい言葉の内容だけではく、ゲオルクの声には人々を安心させる不思議な魅力があった。
(まるで……)
(ああ、まるで、そうだ)
(クラウス様がここにいるような……)
 人々は、ゲオルクにかつてのクラウスの姿を重ね合わせて見ていた。怯えた表情をしていたのが次第に平静を取り戻していき、少なくともパニックになることはなかった。
「……傭兵王陛下!」
 ゲオルクの元へ、金髪を揺らして駆け寄る美しいエルフの女がいた。その手には、まだ乳飲み子と思われる赤子を抱いている。
「どうかこの子を抱いてやってください。健やかに育つようにと」
「おお、これは可愛らしい赤子だ」
 相好を崩し、ゲオルクは髭もじゃの顔を赤子に近づける。赤子はおっかなびっくりしつつも、ゲオルクの髭をむんずと小さな手で掴み、ぴんと引っ張るのだった。
「ははは、実に元気だ。将来が楽しみだな。……そなたの子か? 名は何と?」
「私の子ではなく……私の友人から預かった子で、エルフの父と人間の母から生まれた子です」
「ほう、するとハーフエルフか」
「ええ。私もハーフエルフですが、エルフと人間が手を携えて生きていける世の中を作ろうと、クラウス様は頑張っておられたのです」
「……もしや、この子は」
「はい。その子の名は……」
 言うまでもなく、その女は治癒魔術師エタノールであった。
 ボルトリックたちが子供たちを連れ去っていった時も、エタノールはクラウスの元へいたので難を逃れていたが、それから黄金騎士団の兵士がクラウスの子供を捕らえようと捜索していることを察し、この避難民の群衆の中へ逃げ込んだのであった。そうした事情を、エタノールは僅かな時間のうちにゲオルクに端的に伝えるのだった。
「どうか、この子の父と母を、助けてやってください…!」
「あいわかった」
 ゲオルクは壊れ物を扱うように、慎重にエタノールに赤子を返す。
 赤子は泣きもせずにじっとゲオルクの目を見つめていた。まだ何も分かっていないし、はっきり見えてもいないその目は、未来のアルフヘイムをどのように映すことになるのであろうか。
(───この子のためにも)
 この戦いに、敗北は許されないのだ。
「行くぞアナサス、奴らの元へ案内せよ!」
「お、おう。合点だ!」
 ゲオルクは精鋭を引き連れ、シャロフスキーやウッドピクス族らが来ているという区域へ向かう。
「戦斧をくれ。俺も戦うぞ!」
 オウガ族のニコロも勇んでそれについていく。
「ニコロ将軍!」
 赤子を抱いたエタノールがニコロにも近づく。
「どうか、クラウス様を……」
「分かっている。あんたもその子を守ってやってくれよ」
「ええ、命にかけて」
「ああ。もしクラウスや俺が帰ってこなければ……あんたがその子の母親代わりになってやってくれよ」
 そんな、縁起でもない!とエタノールが叫ぶも、ニコロは険しい表情のままゲオルクたちの後を追った。不器用な彼には、希望的観測に基づいた気の利いた言葉をかけてやることはできなかった。
 それほど、現状は厳しい。普通に考えれば寡兵のアルフヘイム側に勝ち目は薄いであろうし、あの衰弱しきったクラウスの姿を知っているニコロからすれば、彼を生きて連れ帰ることはほぼ絶望的に思われた。
「傭兵王陛下、ばんざい!」
「どうかご無事で!」
「ご武運をお祈りしております!」
 軍人であるニコロは現状が厳しいことを十分に理解しているが、群衆は早くも楽観的に希望に満ち溢れている。この人に任せていればもう安心だ。そう感じ、歓呼をもってゲオルクたちを送り出していた。
「いや、まったく見事なものですな……。嵐のように現れ、人々を救った後、またも嵐のように去っていく」
 そんなゲオルクの姿に、歓呼の声を上げる群衆の中で、アカデミアの重鎮ガイバル老師が感嘆の声を漏らしていた。
「彼に任せていれば、本当にアルフヘイムは救われるかもしれない」
「だといいのですが……」
「アンローム博士、何か不安な事でも?」
「いえ……本当に、傭兵王陛下によって戦争が終わればそれに越したことはありませんね。だが、幾ら陛下でも、この劣勢に追いやられているアルフヘイムを勝利に導くのは難しいでしょう。そして、|勝てなかった《・・・・・・》場合は───」
「……?」
「いや、仕方なかったのだ……。まさかこのような展開になるとは……。アルフヘイム政府は和平を望んでいると聞いていたし、ゼロ魔素の研究結果との引き換えにあの魔術書の解読結果を渡しても、使われることはないだろうと……娘の、ハレリアのためにと……そうだ、仕方がなかったのだ」
「どうされたのですか。顔色がお悪いですぞ」
「ああ……! だが、私は何ということを……」
 白い物が混じりだした灰色の髪をわしゃわしゃと掻きむしり、ハルドゥは顔を真っ青にして膝から崩れ落ちる。
「おうちに帰りたい……!」
 何故か震えだす考古学者ハルドゥ・アンロームの姿に、ガイバルは戸惑うばかりだが、その彼の震えの理由までは、アカデミアの重鎮といえど察することはできなかったのである。




 ボルニア要塞は迷路のような複雑なつくりをしているが、一部では大人数が一堂に集まることができる中庭のような空間もある。そこに、シャロフスキーが黄金騎士団の残存兵を率いて陣取っており、傍らにはウッドピクス族のアッシュ大公の姿もあるという。
「旦那、奴らがお待ちかねだぜ」
 息を荒げ、先程までウッドピクス族と戦っていたという蟹魚人の女傭兵ガザミが後退してきた。疲労の色が濃いが、熟練兵である彼女は巧みに後退しながら戦っていたので、負傷はしていなかった。
「気を付けてくれ。ウッドピクス族はそれほど好戦的なそぶりは見せていないが、周りにいる黄金騎士団のやつら、刀剣だけじゃなく小銃まで持ってるぜ」
「そうか」
 意に介さない様子で、ゲオルクはずんずんと歩を進める。
 通路の先に、中庭が開けて見えている。
 そこへ、ゲオルクは恐れげもなく姿を見せる。
 一斉に、黄金騎士団の兵士らが小銃を構えてゲオルクへと狙いを定める。そのフリントロック式小銃には、甲皇国の象徴である骨の紋章が刻印されている。それが意味するところは、一目瞭然であった。
「ふん、甲皇国の犬と成り下がったか」
 銃口を向けられてなお、ゲオルクは不敵であった。
 中庭には多くの黄金騎士団の兵士がおり、それと共に巨大なゴーレムのような、ウッドピクス族の戦士タイプと思われる姿も多数あった。この狭いボルニア要塞の通路を通るには大きすぎると思うが、通常の人間サイズの二倍から三倍もの巨大さである。黄金騎士団だけであれば、その残存数も多くはなく、制圧するのも容易く感じられたが、ウッドピクス族の戦士が多く加わっているとなれば手こずりそうであった。
「薄汚い傭兵が!」 
 シャロフスキーが吠えている。ウッドピクス族の協力も得られていることもあり、強気であった。
「貴様、せっかくの和平の道をぶち壊すつもりか!?」
「黙れ、外道が!」
 ゲオルクの大喝に、シャロフスキーは呑まれて口をつぐむ。
「……自らの保身のために、民を平気で切り捨てようとは! ボルニアから亡命しようとしていた市民らへ対する非道な振る舞い……そして甲皇国ともつながっている奴隷商人を引き入れ、子供たちを売り飛ばそうとしていたことももう露見しておるぞ。もはや貴様は生きるに値しない! この上は、アルフヘイム貴族としての矜持があるならば、即刻腹を切れ!」
「う、ぐぐぐ……!」
 シャロフスキーは顔を真っ赤にする。反論をしようにもゲオルクが言ったことは事実であり、下手に詭弁を弄しようにも、この男には何もかも見透かされているようで、言い返すこともできない。かくなる上は、力づくで黙らせねば…! 
「ふんっ、言いたいことはそれだけか……!?」
 悔し紛れに吐き捨てつつ、腕を上げるシャロフスキー。
 それを合図に、黄金騎士団の兵士らが銃の引き金にかけた指に力を込める。
 今にもゲオルクを射殺せんとする構えであった。
「や───」
 殺れ!
 そう言いかけたシャロフスキーだったが、言い切ることはできなかった。
 腕を上げたまま、シャロフスキーは硬直していたのだった。
 そして、信じがたいことに、部下であるはずの黄金騎士団の兵士の数人らが銃口をシャロフスキーへ向けていた!
「な───」
 何をしている、やめろ!
 そうシャロフスキーは言いたかったが、やはり言葉が出ない。
 驚愕するシャロフスキーだが、それは銃口を向けている部下たちも同じであった。彼らはまるでそれが本意ではないかのように、目を見開いて口をぱくぱくとさせているのである。
 やがて、数発の銃声が鳴り響く。
 体中を穴だらけにしたシャロフスキーは血みどろとなって斃れる。数々の謀略をなしてきた策略家の呆気ない最期であった。
「アルフヘイム貴族の矜持を見せ、部下に命じて自害するとは見事ですな」
 その涼しい声は、シャロフスキーの隣からであった。
 ウッドピクス族のアッシュ大公は、影を操る特殊能力を持つ。
 その影は、威力は低いが発動が極めて速く、攻・防ともに使える万能性を持ち、更にごくごく近い距離であればかなりの強度で物体を操作する念動力として使うこともできるのだ。
 アッシュの口ぶりからして、彼がシャロフスキーやその部下を操作したのは明白であった。
「私には、一族を守る責務がありますからな……」
 巨大な姿のウッドピクス族の戦士らが咆哮をあげる。その恐ろしい姿を目の当たりにし、指揮官を失った黄金騎士団兵士らは戦意を喪失し、武器を捨てて次々と投降した。
「傭兵王陛下、私は目が覚めた思いです」
 そう言い、アッシュはゲオルクの前に進み出て膝をつく。
「我々は帰順いたします。共に、甲皇軍と戦いましょう」
「ふむ……」
 アッシュ大公は優れた指導者なのだろう。この判断も賢明である。だが、あっさりとシャロフスキーを裏切って謀殺したやり口といい、ゲオルクとしても少しの薄気味悪さは拭えない。
 だが、今は一兵でも欲しい時だ。細かいことにこだわってはいられない。
「良かろう。手を組むとしよう。アッシュ大公よ」
「ボルニアとハイランドの同盟ですな。これが末永く続くことを精霊樹に祈りましょうぞ」
「……ああ」
 そういい、両者は握手を交わす。
 アッシュ大公の木のうろのような目は、やはり表情が読めなかった。





 そして、それからすぐ、シャロフスキーの死はボルニア要塞内に伝搬する。
 同時に、シャロフスキーが主導していた和平工作というのが、実質上アルフヘイムの降伏を意味するところということが、彼の残していた甲皇軍との取引書簡が見つかったことによって露見する。
 やはり、和平の道はありえなかった。
 このことを理解したアルフヘイム正規軍のアーウィン将軍・メラルダ僧兵長らも覚悟を決める。
 かくして、この土壇場になってようやく、ボルニア要塞のアルフヘイム正規軍は一つに結束したのであった。








つづく 
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