74話 鬼の副長
「伝令! “暴火竜”が───レドフィンどのが負傷!」
「何っ!? あのレドフィンがか……無事なのか?」
「元気に暴れまわっています」
「は?」
「ただ、翼を傷つけられ、しばらくはもう飛べることができないからと周囲がいさめているのですが、本人はまだ戦えると言って暴れるものですから、治癒魔導士が催眠術で鎮静させようとしています」
「そ、そうか。あいつらしいな」
ニコロはひとまず胸をなでおろした。
将棋で言えばレドフィンは飛車のようなもの。この戦いで戦えなくなったとしても、今後の戦いを考えれば失うわけにはいかない。
(───これが最後の戦いになれば良いがな)
ニコロは眼前に巨人のように立ちはだかるゲーリング要塞正面をにらみつけた。
この方面での戦いは、最も熾烈を極めている。
だが、アルフヘイム側の綺羅星のように輝く名将も英雄も…ゲオルクもクラウスもアメティスタもビビもこの場にはいない。
(───よりによってここを任されるのが、俺のように地味なヤツだとはな)
本人は謙遜するが、周囲のニコロへ対する評価は高い。クラウス義勇軍立ち上げ当初からのクラウスの右腕であり副将。兵からの人望も厚いニコロは、ゲオルクに代わるアルフヘイム軍主将として、“三頭の竜”の内で最も兵員数の多い主力部隊の指揮を引き受け、ゲーリング要塞正面で甲皇軍主力部隊と真っ向からぶつかり合っていた。任されるだけの実績と実力があると思われているのだ。クラウスのように兵を奮い立たせる演説などはできないし、その戦いぶりは地味だ。しかし、不思議と存在感があって頼りがいがあって、敵の猛攻にさらされていてもしぶとい守りを見せる…そんな堅実な将軍、“堅将”として。
「敵砲撃! 三分前の予知通り、十秒後には着弾!」
「防壁魔法、展開急げ!」
ニコロの傍らには予知魔術師ファル・モツェピがおり、予知を受けてからすぐさま指令が伝わる。
「防壁魔法、展開!」
ニコロの指令を受け、すぐさまベルクェット率いるオウガ鬼兵隊、そしてメラルダ率いるエルフ僧兵隊が呼応し、防壁魔法を展開する。だが彼らの表情は苦悶に満ちていた。
「ベルクェット隊長…第一、第二鬼兵隊はもう…魔力が残っているのは第三のみで…」
ベルクェットは部下の報告を聞きながら、それでもゆったりと紙巻き煙草をくゆらせていた。
「ふん、楽しくなってきたじゃないか」
「た、隊長?」
「真の楽しみは苦しみの中にこそあるのさ」
部下を安心させるよう、苦しい中でも敢えて余裕を見せていたのである。
「アルフヘイム全軍がオウガ族の腕前に注目している。開戦当初は己らだけ島をSHWに売り渡し、民族ごとSHWに亡命して裏切り者とそしられていたオウガ族がだ。こんな名誉なことはあるまい」
「は、はい!」
オウガ族鬼兵隊が受け持つアルフヘイム全軍の中央から右翼にかけての頭上には、やがて呪術でできた防壁が展開されていく。
一方、アルフヘイム全軍の中央から左翼にかけてはメラルダ率いるエルフ僧兵隊が受け持っていた。
「メラルダ僧兵長、中央の部隊がもう限界です!」
「分かりました。私がカバーします」
「くっ…でも僧兵長。エルフの私たちが、なぜオウガの下に立って戦わねばならないのですか」
「あなたたち。まだそんなことを言っているの?」
メラルダは部下を叱責する。
「この場にいるすべての戦士に、身分の貴い、賤しいはありません。互いに頼み合ってこそ、世は立つ習いなのです。エルフもドワーフもオウガもオークも。みなが大事の時は身を捨ててアルフヘイムへ忠義をなすのです。隣人を愛しなさい!……と、あのクラウスなら言ったことでしょうね」
「……! そうでした。オウガのニコロは、あのイケメン…いや、英雄クラウスの代理なのでしたね…」
「そうよ。クラウスはいい男よね。あんな旦那さんが欲しいものだわ」
「みんな、僧兵長を処女で独身のまま死なせないようにしましょう!」
「……え、ええ。何だか引っかかる言い方だけど…お願いね?」
女ばかりの僧兵隊は姦しいが、メラルダの演説によって士気は上がった。やがて、僧兵隊の頭上にも法力でできた防壁が展開されていく。
ズン、ズン、ドン、ドン!
見事、砲撃は防壁で防がれ、空中で炸裂音が響く。
しかし砲弾の破片が兵たちの頭上へパラパラと降り注いでくる…。
「砲撃……防壁魔法で防げているよな?」
「ああ」
「じゃあなんで足元が震えるんだ。地鳴りみてぇに…」
「西の防壁が間に合わず…第65小隊の連中が吹き飛ばされたらしい」
「マジか」
「二十人ぐらい固まって塹壕にこもってたが、肉片と血だらけで、原形を留めているやつはいなかったとか…」
名も無き兵士が恐れおののき、頭を低くして塹壕にこもって噂話をしている。
殆どの甲皇軍の砲弾はアルフヘイム本陣へ届くことなく、空中で炸裂して防がれていたが、その防壁の規模が徐々に小さく薄くなっていっていることに誰しもが気づいている。そして兵たちが噂しているように、一部の防壁が破られたり間に合わなくなってきているのだ。
(───防壁魔導士たちの魔力が尽きかけているんだ)
これまで再三、アルフヘイムを守ってきた防壁魔法だが、余りに激しい甲皇軍の砲撃に対してほぼ常時展開せねばならなかった。防壁魔法は敵の物理・魔法どちらの攻撃にも有効な万能ぶりを見せているが、それを展開するのは機械ではなく、人力なのだ。例え、ベルクェットやメラルダが軽口を叩きながら、あるいは必死に部下たちを叱責しながらでも、やはり限界だった。
(敵の砲弾は未だ尽きる気配はない。防壁魔法なしで、こちらの最大火力となるレドフィンもなしで、戦わねばならない…)
ニコロの眉間に険しい皺が寄せられる。
「た、大変です!」
そこへ、斥候からの凶報がもたらされる。
「敵騎兵、右翼と左翼から接近! 敵銃兵集団、中央で戦列を組んでいます!」
ニコロを中心とする参謀本部に戦慄が走る。
エルフの参謀たちは騒然となっている。
「なに!? そうか…こちらの防壁魔法は薄くなってきている。魔導士による遠距離魔法攻撃もする余裕がなかった。こちらの魔道士部隊の力が尽きようとしているのを見て、決着をつけに攻勢へ出てきた訳だな」
「そのようです。戦列歩兵を前面に押し出し、側面から騎兵が突撃をしてくる構えか…」
「数は!?」
「銃兵およそ一万! 騎兵およそ両翼あわせ三千!」
「ど、どこにそんな戦力が…!?」
「防壁魔法はもはや頭上からの砲撃や爆撃を不完全に防ぐことしかできない」
「敵地上部隊の小銃や刀剣突撃については防壁魔法まったくなしで、野戦築城を利用しながら防がねばならないでしょうな…」
彼らの顔ぶれを見ると、ボルニアで正規軍を支えていたエルフの将軍アーウィンなどは、例外的に優れたエルフの将軍だったというのが良く分かる。
いずれも戦歴はそれなりに重ねているアルヘイム正規軍のエルフの参謀たちのはずだが、口々に騒いでいるだけというか、どうすべきかという即断するような言葉は出てこない。それに悠長に議論をしている時間などなかった。もう敵はすぐそこまで迫っている。軍隊の頭脳である参謀本部はすぐに対応せねばならないのだ。青白い顔をした尊大なエルフの貴族出身の士官たちは、いざという時にはクソの役にも立たなかった。
「トーチ」
ニコロは腹の底から出すように唸った。苦渋の表情だった。
「なんでぇ、大将」
ニコロの隣に控えていたトーチは、わざと軽妙に返す。
南方戦線からずっと戦い続けてきた歴戦の勇士。地を這う竜人族であるサラマンドル族の戦士トーチは、ホタル谷で戦死したエイルゥ隊長の後を継いでサラマンドル隊隊長となった。僅か百名にも満たないサラマンドル隊だが、アルフヘイム側では最精鋭ともいえる戦士たち。そのすべてがプレーリードラゴンに騎乗する騎兵集団。現状、甲皇軍の騎兵に対抗できるのは、彼らをおいて他にはいない。
「サラマンドル隊、出られるか? 敵騎兵への対応に」
「何言ってんだ」
トーチはせせら笑う。
「敵は三千だろ? 俺たちゃたったの百人しかいねぇんだぞ」
「……」
「なぁ、腕が鳴るじゃねぇか? 兄弟たち」
トーチが後ろを振り返ると、剣や槍や斧など、それぞれの獲物を掲げて気勢を上げる同胞たちの姿があった。いずれの表情にも恐れげはまったくない。
「すまん」
ニコロはトーチたちに深々と頭を下げる。
しかし、トーチはその肩を勢いよく叩いて笑った。
男は男を知る。
ニコロの苦しみを誰よりも理解しているのはトーチだった。
「いいさ。死んでもエイルゥ隊長に褒めてもらえるだろう。俺たちの最後の戦いぶりを…ゆくぞ、サンダー! グレガー!」
「おうっ!」
「サラマンドル隊、ばんざーい!」
トーチ率いるサラマンドル隊が駆けていく。
たった百の兵を半分に分け、それぞれ五十づつがそれぞれ千五百の敵に当たりにいくのだ。まさに決死の突撃であった。
「ニコロ将軍…正面の銃兵へはどう対応を…」
「兵が浮足だっております。ここは撤退すべきかと」
「そ、そうですぞ。防壁魔導士もろくに動けない以上、もはや泥仕合は確定事項。この場は危険です!」
「あのサラマンドル隊は囮に出したのですな。さすがニコロ将軍! この間に撤退するのですね!」
エルフの参謀たちが必死にニコロにすがってくるが。
「黙れッ!!」
まさに鬼の形相で吠えるニコロに、一瞬で配下の参謀や兵すべてがすくみあがった。
「野戦築城にこもれ。塹壕から頭を出すな。敵が近づいてきたら白兵戦へ持ち込む」
「そ、そんな……そんな泥に塗れた戦い方は……名誉あるアルフヘイム軍人の我々がすることでは……」
「それが戦争だ。机上でわめいているだけなら軍服を脱いで立ち去れ。貴様らに軍人の誇りがあるなら踏みとどまれ。名誉だと? 名誉は泥を多く被った者にこそある」
「……ううっ」
「俺も戦斧で戦う。貴様ら、全員、獲物を持て! ここが正念場だ! 逃げ出すやつは俺が頭をカチ割ってやる!」
と、ニコロはオウガ族独特の牙を剥き出しに怒鳴った。
参謀も兵も、みなが渋々とだが武器を手に取って配置についていく。襲い掛かって来る甲皇軍も恐ろしいが、まるで鬼のようなニコロはそれ以上に恐ろしかった。
浮足立つアルフヘイム軍をギリギリのところで踏みとどまらせるのは、やはりニコロでしかできないことだった。
ゲーリング要塞での戦況は、刻一刻とリアルタイムで近くのボルニア、そしてアルフヘイム側の根拠地となっているセントヴェリアにも魔導によって届いていた。
ボルニア要塞の留守を預かるアーウィン将軍は、これを機に攻めてくる甲皇軍を警戒しつつも、その様子はないことにひとまず安堵する。だがかえって自分だけが安全な後方にいる歯がゆさを覚えていた。
「地下に赴いた巫女さま方をお守りせねばならんので、一定数の守備兵はボルニアにも置かねばならなかったが…この決戦に、軍人として戦うことができんのはな…」
水晶球には戦況が映し出されていたが、レドフィンが墜落していくところでは「ああっ!」と悲鳴にも似た声が上がる。
「……苦戦しているな。しかし、どのタイミングで禁断魔法を発動するつもりなのだ。前線にいる兵たちは勿論、我々にも知らされてはいないぞ……」
「将軍!」
慌てた声をした兵がアーウィンの元に駆け寄って来る。
「どうした、敵が攻めてきたというのか!?」
すわ、と緊張するアーウィンに対し、斥候の兵は戸惑ったような表情を浮かべていた。
「いえ、敵というか……セントヴェリアからです」
「セントヴェリア…? 政府に何か異変でもあったのか」
「それが……どうもクーデターが起きたようです」
「何だと」
禁断魔法、それをいつ発動させるかという権限と鍵を握るのは、セントヴェリアにいるアルフヘイム首相ダート・スタンである。
だがそのセントヴェリアでは……アルフヘイム全体を揺さぶるであろう政変が、今まさにこの最終決戦のさなかに勃発していたのである。
つづく