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第八話 失意の諦観、不撓の意志

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 何十倍にも膨れ上がった腕が、少年との間合いを一気に詰めて鞭のように振り回される。
「ッ、四十倍!!」
 突然の攻撃に、少年は“倍加”の能力を用いて迎撃する。蹴って弾いた巨大な腕が空に跳ねる。
 ズモゴゴバッ!!
「なっ!」
 数ヵ所にも渡って強引に関節が作り上げられた奇怪な腕の表面が盛り上がり、そこからさらに枝分かれして不気味な肉の腕のようなモノが飛び出した。
 地を蹴りその腕の突撃を回避しながら、少年は今なお膨張し続ける由音を見た。
「……なんだ、そりゃ」
 肉塊の怪物が、そこにはいた。
 粘土をデタラメに練り上げて適当に積み上げたような、肌色をした肉がぐもぐもと蠢きながら体積を増している。
 だが、原型はある。
 由音そのものが肉塊になったというよりは、由音という人間から発芽する植物のように肉の塊が生えているような。
 ただ、その由音自身すら今はその自身から生み出される肉塊に呑み込まれ掛けていた。
(あいつの言ってた、“再生”の暴走ってやつか!)
 異能の暴走自体は少年にも経験のあることだったが、目の前のこれはそれを遥かに超えるスケールだ。
 ともかく止めなければならない。
「おい!しっかりしろ!お前の力だろ、お前でどうにか出来る力のはずだっ」
 既に肉塊へ半身まで沈み込ませている由音へと、少年は声を飛ばす。
「………………ご、めん。……無理だ」
 ゆっくりと顔を上げて、由音は意思に反して少年を狙い動き続ける肉塊に振り回されながらも諦め切った表情で少年を見た。
 その両眼はやはり昏く淀んだ漆黒の色で満たされていた。
 由音の諦念に連動するように、内側の浸食は速度を増して由音を侵していく。
 肉の塊全体から、薄っすらと覆う黒色の揺らめきが発生する。
「ごめん、言わなくて…ごめん。おれ、バケモノなんだ、そういうのに、憑かれてんだ」
 その黒色は次第に濃く肉塊を染め上げ、少年はその黒から感じる寒気に身を震わせた。
 間違いなく、邪気の気配。由音に取り憑いている悪霊の存在を改めて認識する。
「悪霊…なんだってそんなもんに」
「しら、ねえ……生まれつき、こうだったんだ……おれ、だって……こんな、こんなの」
 由音の昏い両眼から流れる涙に少年が気を取られた時、邪気を纏い速度を増した肉塊の腕が横合いから少年を殴り飛ばした。
「ごめん、違うんだ、おれは……こんなこと、したくない…!」
 暴れ出した悪霊が、少年の魂を喰らいたがっている。
 思えば、あの死霊に襲われた時からこの悪霊は狙っていたのだ。この身体を使って死霊という魂を喰らうことを。それにより得た力で由音という人間を支配し、その肉体を操ってさらに多くの『餌』を取り込もうと。
 だというのに、自分はそんなことを気にもせずに、隠れて少年に任せっきりにするのが嫌で自らが闘う為に悪霊の力を利用しようとし、抑え付けていた力を緩めてしまった。
 結果がこれだ。完全に自分の過失と言える。
 自分自身がそれでどうこうするだけならまだしも、よりにもよってせっかく会えた自分との共通点を持つ理解者に危害を加えてしまった。
 知られて、しまった。
「…………ごめん。だから、……ころして、くれ。もう、いやだ」
 もう全てが嫌になった。
 元々生き続けることにそれほど執着があったわけでもない。いい機会だ。
 知られたくなくて、気味悪がられたくなくて隠していたせいで、ここ一番で足を引っ張り本当の化物に成り下がった。
 もう、生きているだけで自分は害だ。
「……お前、は」
 なんとか受け身を取った少年を押し潰すように、頭上から巨大な黒い肉塊の掌が降る。
「はぁっ!」
 それを少年は片手で受け止めた。人間としての限界値まで引き上げた能力の反動か、受け止めた腕の表面が裂け、内側から筋肉の千切れる音が響く。
「お前は、そんな力を…」
 涙を流しながら、由音は覚悟した。
 罵られる、詰られる。この化物と、そんな力を宿した不気味な人外の怪物だと。そう罵倒されて自分はようやく会えた理解者に責め立てられながら『退治』されるのだ。
 それも仕方がないことだと、由音は諦めて受け入れる覚悟を決める。
「ーーーすげえな」
「…………え?」
 少年の一言を、由音は最初理解できなかった。
 何が?
「そんな力を、ずっと抑え込んできたのか、一人で。すげえよお前」
 肉塊の掌の下にいる少年の表情は由音の位置からではわからなかったが、その声色に嘲りや侮蔑の感情は無かった、ように聞こえた。
 掌を片手で押さえたまま、少年はもう片方の手を固く握り、異能を集中させる。放たれた一発の拳は、肉塊を真上に跳ね飛ばした。少年の拳からも血が滲む。
 傷ついた自分の体のことなど気にも留めず、少年は開けた視界で肉塊に埋もれた由音と視線を交差させる。
 その顔は、笑っていた。
「…うん、安心しろ」
 優しく微笑み、少年は言う。
「俺はさ、お前の味方だからな」
 それは絶対に言われることがないと思っていた言葉。由音がもっとも欲していた言葉。
 軽蔑でも侮蔑でもなく、
「どんな時だって、お前が望むのなら」
 同情でも憐憫でもなく、
「必要なら俺が、お前の力になるから」
 それは、由音の奥底に力強い芯となって、崩れ折れ掛けていた心を支えた。
「だからお前も諦めんな、そんな簡単に死にたがるな。俺が必ず助ける。だからお前はしっかり生きろ」
 死霊との闘いで既に満身創痍だったはずの少年は、とてもそうは思えないほどに頼もしい言葉と意思を持って、由音を励ますようにそう言い放った。
 死霊に次ぐ悪霊との連戦に少年は臆するどころか笑みすら浮かべて、同じ『異能』という苦悩を背負う友を助ける為の闘いに臨む。
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