清らかな涙
~6~
ダニィとモニークが旅立った会場では、
主役ヒロインの結婚を祝福する余韻を楽しむために客が二次会を開いていた。
その席にはヴィトー・J・コルレオーネと仲の良いダート・スタンの姿もあった。
「コルレオーネ殿、この度はお嬢様のご結婚まことにおめでとうございます」
「スタン総督、わざわざお忙しい中ご出席いただき光栄です。」
頭にターバンを巻き、結婚式を祝うための黒のコートに身を包んだ
尖った2つエルフ耳を持つこの老人はノースエルフ族族長のダート・スタンである。
アルフヘイム北部の亜人族たちを束ねる総督であり、同時にアルフヘイム政府の議長でもある。
また、政府内では国内のエルフ族と、亜人族間の争いごとを解決する穏健派の代表格の長老である。
穏健派の代表である彼にとって、黒兎人族代表の族長ヴィトーの娘の結婚式に顔を出すのは、
政治的な意味でも重要である。
ダート・スタンは白兎人族と黒兎人族との和平を推し進めていた。
もし、2つの民族が統一を果たせば兎人族はアルフヘイム国内で人口第一位の民族となる。
その偉業を成し遂げれば、これから先のアルフヘイム統一も夢ではなくなるだろう。
また、ヴィトーとしても、長年続く白兎人族との争いの日々に終止符を打つべく
白兎人族代表との話し合いの場を設けたいと思っていた。そのためにも、
穏健派のダート・スタンとの関係は公私においても重要である。
「今日は政治的な関係抜きに 親友として参りました。
心の底より お嬢様の御多幸をお祈りいたします。」
ヴィトー・J・コルレオーネと、ダート・スタンが話し合うコルレオーネ邸の外では
一悶着が起ころうとしていた。
「おーい!誰かぁー!?モニークのヤツァ居ねぇのかよぉお~?」
柄の悪い如何にもチンピラ振る舞いの若者の姿がそこにはあった。
やや兎面混じりのこの白兎人族の男は、この里では忌み嫌われる
アーネスト・インドラ・ブロフェルドという名前の男だった。
白兎人族のブロフェルド大佐の息子である彼は、白兎軍が黒兎人族を指揮下においているのを
良い事に、黒兎人族の村々で犯罪行為を繰り返していた。男女への暴力沙汰は勿論のこと、
殺人や放火に強盗までやらかすまさにクズの中のクズであった。
本人はそれをスタンプラリーと称し、村々で悪さをすることを生きがいにしていた。
黒兎人族が反抗しようものなら、父親の名前を傘に手出しが出来ないようにし、
それでも反抗してくる者には目の前で処刑するなどやりたい放題の悪行三昧をしていた。
ブロフェルド将軍も、最初は息子の悪行に注意をしていたが、
やがて息子の素行の悪さを上層部に知られるのが怖くなってか、上層部に居る同期に頼み込んで
揉み消しを図っており、とどのつまり息子の悪事を黙認していた。
最悪なことにこの救いがたい馬鹿息子の目に、美しきモニークの姿が目にとまってしまった。
モニークに一目惚れしたアーネストは、ストーカーまがいの行為を繰り返し、
やがては脅迫行為を行うようになった。
「モニークさんはハネムーンでおりません……お帰りを」
黒兎人のウェディングスタッフの一人が、門前払いをしようとアーネストを追い払おうとしたが、
その態度が気に食わなかったのか アーネストは突如としてそのスタッフの胸ぐらをつかんだ。
「嘘ついてンじゃあねェぞ クソババア……その八重歯ブチ折られてェのかァ?
アァん?」
アーネストはそう言いながら、スタッフを突き飛ばすと周囲のテーブルの
料理を床に投げつけて、撒き散らかした。
「モニークちゃぁぁああん ダニィみたいなインポ野郎のヘナヘナチンポじゃ満足出来ないでしょぉ~?
この俺が満足させてあげるからさぁ~~ 一緒にモフモフしよぉよぉ~~~~!?」
何不自由無い生活をしておきながら、口ぶりは畜生以下の外道のそれであった。
もし、この場にダニィとモニークが居たら一瞬で2人の晴れ舞台はブチ壊しにされていただろう。
彼らが旅立った後だったのがせめてもの救いだった。
いずれにせよ、この救いがたい悪党のせいで大勢の黒兎人が迷惑していることに変わりはない。
黒兎人の僧兵が、アーネストに切り掛ろうとするがそれにビクともせずに
挑発を繰り返した。
「Yoyoyoぉぉおお~~~~??危ないんじゃねェのぉ~?
おたくら、俺に手を出したら白兎軍が飛んでくるんですけどぉおおお~~~~???」
目を見開きながらオラオラと怒りを逆撫でしてくるアーネストを前に、
歯を食いしばりながら黒兎人たちは成すすべも無く、ただ嵐が通り過ぎるのを待つしかなかった。
「おい」
ふと、アーネストは肩を叩かれ振り向いた。
振り向いた瞬間、アーネストの顔面に握り締められた拳が飛び込んでくる。
拳による衝撃のせいで、吹っ飛ばされるアーネスト。
真っ白なテーブルクロスに、彼の返り血が飛び散り、倒れ込んだテーブルの料理が
まるで岩肌にぶつけられた波のように弾け飛ぶ……
「アーネスト中佐……会うのを楽しみにしてたぜ」
人参酒を煽り、妹の結婚のせいで悪酔い気分のディオゴは、
荒ぶる口調でアーネストを見下ろしながら、拳の軟骨をバキバキとならしていた。
妹に付きまとうゲスな男の話はちょくちょくと聞いていた。
故に、会ったら一度半殺しにしてやろうと考えていた。
そのせいか、ディオゴの腕は、筋骨隆々の神々の彫刻のように膨張し、血管が浮き出ていた。
こんな腕で殴られれば、骨がまともに済むはずが無いのは誰の目にも明らかだった。
「てめェ…このッ!!」
突如として顔面を殴られ、ブチ切れるアーネスト……
ただ単に親の七光りを傘に威張っているだけのヘナチョコなら、
ここまで好き放題やらかすことなど出来ない。彼のスタンプラリーを支えていたのは腕っ節の強さが根底にある。
ディオゴと同じ軍属である彼は、格闘でもかなり強い。
空手や柔道でも黒帯クラスの腕っ節を誇り、その暴力で好き放題やらかしていたのだ。
アーネストのジャブをかがみ込んで躱したディオゴは、
即座にアーネストの鳩尾、両肋にパンチを2~3発叩き込む。
「ぐぁあッ!!」
咄嗟にかがみ込むディオゴの身体を両腕に挟み込み、そのまま後方へ投げ飛ばそうとする
アーネストだったが、その前にディオゴの掌底が顎に飛んでくる。
「ぐぇあッ!!」
顎を殴り飛ばされるアーネストはそのまま空を見上げるようにしてテーブルの上に倒れこむ。
倒れ込んだ身体の上に食べ物が散らかり、彼の身体を覆う。
倒れ込んだアーネストの胸ぐらを掴む。血だらけのアーネストは怯えながら
襟元の階級章を見せつけ出す。
「……貴様 こんなことをしてただで済むと……思うな……
俺はお前の……上官なんだぞ……」
アーネストは部隊こそ違えど、同じ白兎軍に所属する中佐である。
しかも、ディオゴが籍を置くブロフェルド駐屯地の本部管理中隊を指揮する中佐に暴力を振るったのだ。
処分を喰らうのは目に見えていた。だが、ディオゴはそんなこと構うものかとアーネストの襟元の階級章を
襟ごと引きちぎる……
「上官がなんだ! こんなモン喰らえだ!!」
引きちぎった階級章をアーネストの顔面に投げつけると、彼の右目を突き刺すかのように
ディオゴは勢いよく人差し指を突きつけた。
「……黙ってよく聞きやがれ!! この薄汚ねェ脳無し野郎!!
今度てめェのその薄汚ねェ面 妹の前に見せてみろ……
親でも分からねェぐらいに 顔面をズタズタにしてやる!!」
尖った八重歯を見せつけ、まるで犬のようにガルルルと唸り声をあげながら
ディオゴはアーネストを威嚇する。だが、それを鼻で笑うかのようにアーネストは捨て台詞を吐き捨てる。
「薄汚い黒兎め……覚悟しろ……大人しく……
妹を渡した方が……良かったと……後悔させてやるからな……」
そう言うと、アーネストは血の混じった唾をディオゴの顔面に吐きかける。
血の混じった唾が、ディオゴの頬にへばりつくが、それを拭わずにディオゴは
アーネストを引きずり起こし、顔面に拳を叩き込む。
「げばァ!!!」
殴られた衝撃で噴水に着水するアーネスト……
ディオゴは、ウェディングスタッフを呼び、噴水に浮かぶアーネストを運ばせる。
「こいつをつまみ出せ」
アーネストの悪行に嫌気が差していたスタッフは喜んで、気絶したアーネストを
運び込むと、そのまま彼を玄関の外へと放り投げた。
ディオゴの勇気ある行動に拍手が起こった。
「よくやったぞー!!ディオゴ!!」
「でかしたぜー!!ディオゴ!!」
だが、その皆がディオゴの勇気ある行動を賞賛した後に
彼は父親ヴィトーに激しい叱責を受れることになる。
「一体、なんて馬鹿なことをしでかしたんだ!!お前というヤツは!!」
「父さん……父さん!」
日頃から衝突することが多いのだろう、やれやれとため息をつきながら
ディオゴは父を宥めようと試みる。だが、今回ばかりはヴィトーも我慢が出来なかった。
ヴィトーとディオゴの激しい口論が、コルレオーネ家の居間で繰り広げられていた。
「相手はお前の上官だぞ!!それもただの上官じゃあない!!
あのブロフェルド将軍の息子だぞ……!!」
「じゃあ 父さんは あの薄汚ねェ糞野郎に
モニークが一生付きまとわても良いって言いたいんだな!?」
「そうじゃあない……!!奴の行いをダート・スタン殿に掛け合って
裁きを受けさせるべきだったのだ……!!」
「その裁きを下してくれる連中に賄賂を贈ってンのは何処のどいつだ!?
あんなジジイが頼りになるか!!」
「お前には頭脳というフィルターがないのか!? どうして
行動に移す前に頭脳で濾過して行動に移せないんだ!!」
「濾過して行動した結果 あいつが少しでもまともになったのか!?
なってねぇからこんなザマになったんだろぉがよ!!」
「どうしてお前は拳を使うことしか能の無い野蛮人なんだ!?
口という立派な文明を与えてやったのに 何故それを使おうとしないんだ!!
お前は野蛮人のままで居たいのか!?」
「口で言っても分からなけりゃあ、拳で殴るしかねェだろうが!!!!!!!」
「お前の言い分は妥協に過ぎない!!」
「アンタの言い分は焼け石に水なんだよ!!どうしてそれが分からンねェんだよ!!」
「もうやめてよ!!伯父さん!!ディオゴ!!」
ツィツィ・キィキィが泣きながら2人の口論を止めに入る。
モニークとダニィがこの場に居ないのがせめてもの救いだった……
もし、彼女が居たのなら 自分のせいで2人が喧嘩していると号泣していただろう。
気に病むことの多いモニークのことだ……リストカットでもしかねない。
非暴力主義者のダニィが居たら 火に油を注ぐようなものだ。
おそらくダニィはヴィトーの言い分に加勢し、2人に一方的に責められたブチ切れたディオゴは、
ダニィの胸ぐらを掴むか殴るかしてこう怒鳴りつけるだろう。
「だいたい、てめェはモニークの恋人だろォが!!恋人が付きまとわれてるってのに
何で身体張って守ろうとしねェんだ! 意気地なしの糞野郎!!」
そこから更にヒートアップしてディオゴはダニィを責め立てるだろう。
「モニークを碌に守れないくせに、よくも俺からモニークを奪ったな!!」と……
コルレオーネ家は富豪でも無い中産階級であるが、代々宗教家、政治家、村長を輩出してきた
優秀な家系である。だが、その反面 精神疾患を患う率が非常に高く、鬱病や総合失調症といった
精神病からアルコール中毒や阿片中毒、自傷癖といった合併症を引き起こすことが多い。
モニークもアーネストというストーカーに付きまとわれ、危うく包丁で
手首を切ろうとしていたのをダニィに止められた過去があるのだ。
父親ヴィトーは鋼の魂を持つ男であったが故に、その精神病を患わなかったが
息子のディオゴと娘のモニークは精神疾患を煩い、自殺した祖父からの隔世遺伝が
色濃く出ているように思われる。
ディオゴは宴会恐怖症と過呼吸症候群、そして近親愛に苦しんでいるし、
モニークに至っては自傷癖発症寸前である。従姉のツィツィも可愛い従弟妹達が悩み苦しむ姿を見るのは辛かった。
満身創痍となったディオゴの傍にツィツィ・キィキィは座った。
ディオゴは天井を無気力に見つめながら、話しかける。
「……姉御」
「なぁに? ディオゴ」
「……ダニィが居なくて良かったよ…」
「……どうして?」
「…もし、あの場にダニィが居たら……殺してたかもしれないから」
自分の推測が当たっていたことにツィツィは驚きながら、悲しそうに返す。
「……そうだね」
従弟のディオゴが起こしえた惨劇を想像し、ツィツィは戦慄しながらも
どうして仲良くなれないのかと嘆くように俯いた。
気まずい沈黙が流れた後、それを破ったのはディオゴだった。
「……姉御……」
「どうしたの?」
ディオゴはどこか甘えるように尋ねた……
まるで従姉のツィツィに自分の苦しみを聞いてもらいたいかのようだった。
「どうして俺……好きな人と……一緒になっちゃダメなのかな……?」
「……っ!!」
ディオゴの切実な問いかけにツィツィは言葉を失った。
その問いかけの内に秘めれた あまりにも残酷な意味を知っていたが故に
残酷過ぎる一つしか無い答えを返すことなど絶対に出来なかった。
「……はぁーっ……」
ため息をつき、目頭を隠すディオゴの右腕が震えていくのが分かった。
ディオゴだって、こんな現実を理解できない訳では無い。
ただ、理解していても納得するにはあまりにも残酷過ぎる。
「こんなに……こんなに……愛してんのに……
こんなに……大好きなのに……
なんで……妹だから……兄貴だからって……っ……
どうして……一緒になっちゃダメなんだよ……っ」
ディオゴの目から堪えきれない一筋の涙が流れる。
「ぅ……ぅ…‥うぅっ……」
彼の泣き顔には劣情など無かった。
ただそこにあったのは 純粋な愛情だった。
妹だから……兄だから……そんな垣根など超えた……
ただ純粋にモニークという女性を愛するディオゴという男性が流した愛の涙だった……
恋破れ、叶わぬ恋に涙する失恋の涙だった……
ディオゴの涙は
美しい美しい……この世のどんな水よりも澄んだ……清らかな涙だった……
「ディオゴ……っ」
可愛い従弟ディオゴの涙にツィツィは心打たれてしまった。
ツィツィ自身も震える身体を抑えきれず、涙で震えるディオゴを抱きしめ泣いた。