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第十話 『出せるだけ全部』

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 茨木童子は、無数の鬼達の中でも最上位に位置される大鬼であり、その実力は鬼の首領に次ぐほどだった。
 そんな大鬼の彼は、意外にも人肉を好まなかった。
 鬼といえば、人を攫い喰らうもの。人間のお伽噺や童話においても鬼という存在は敵であり悪であり、忌み嫌われるモノである。
 故に鬼の因子を持つ彼ら鬼性種は、人間種の観点から『魔族』と呼ばれる分類に分けられる。
 だが全ての鬼がもれなく人喰いというわけでもなく、たとえば日本史上最大最強と謳われる鬼の首領は三度の飯より酒を好み、人間を食すことは滅多にない。
 曰く『酒のツマミとしては最低の味だし、そもそも美味くない』だそうだが、ツマミはともかく味に関しては茨木童子も同感だった。あんなものを喜んで食べている他の鬼共も味覚を疑う。
 だがしかし、鬼の首領は酒を好む上に宴をも開く。毎夜毎夜無数の鬼の配下達と酒宴を行う以上、大鬼達が嫌う人肉も大量に必要になるのだ。
 だからこうして、茨木童子は時折人の世に降りては『食材』を掻き集め手土産を用意してから山へと戻る。その後にどれだけ人間の世界が大騒ぎになろうと、知ったことではないとばかりに背を向けて。
 今回餌場として選ばれたのが、この街だった。いつものようにたいした自我も持たない餓鬼を無数に放ち、適当に街の人間を殺し尽くした頃合いを見計らって|死骸《しょくざい》を山へ運び込もうと考えていた茨木童子は、ふと顔を上げて不審そうに眉をひそめた。
 妙だった。
(…はて、血の臭いが一向に漂ってきませんね。それどころか餓鬼の気配すら減って…?)
 ほぼ無尽蔵に召喚できる低級鬼の出現速度は尋常ではないはずだが、それを上回るほどの勢いで駆逐されていっている。
(あの人間の仕業ですかね?……いや)
 静音を脇に抱えて、茨木童子は浮かんだ想像をすぐさま否定する。眼前に再び現れた少年を視界に認めたからだ。
 ここにいる以上、餓鬼を駆逐している者はこの人間ではない。
「お仲間ですか。まだ異能持ちの人間がいたようですね」
 茨木の言葉には応じず、荒い息をついたまま神門守羽は屋根の上で再度構える。ただし、今度は不用心に突っ込んで襲い掛かるような真似はしない。
「……おい、力ぁ貸せ。早くしろ、必要だ……ああ、出せるだけ、全部………」
「?」
 鋭い目つきで茨木を睨み据えたまま、しかしどこか違うところを見ているような両眼の、その奥に宿る意思の光が数瞬ブレたのを大鬼は見逃さなかった。
 次の瞬間に、茨木童子が見ていたのは夜空だった。
「ッ…な、に?」
 顔面をストレートで打ち貫かれ上半身が大きく仰け反ったのだと理解するのと同時、右腕が真上に弾かれていることにも気付く。正拳突きと共に繰り出した足によって腕が蹴り上げられたのだ。
「吹き飛べっ…二ぃ、百倍!!」
 腕を弾かれて宙に浮いた静音の体を片手で引き寄せながら、守羽は全身を捻りながら斜め上方へ打ち出した掌底を仰け反った大鬼の腹部に直撃させる。二百倍強化の掌底を受けて鬼の体が夜空に飛んでいく。
(意識は無い…けど、特に何かされたってわけでもないか)
 抱き寄せた静音の外傷の有無をざっと確認して、ひとまずは彼女を抱えたまま安全な場所までの撤退を、と考えた時、

「久しぶりですね。こんなに芯に響く一撃は」

 耳元で聞こえた声に、その不自然なまでに落ち着き払った声音にぞっと総毛立った守羽が本能的に声の方向へ腕を突き出す。
 真正面からぶつかり合わなかったことが幸いしたのか、大鬼の拳を真横から弾くように接触した腕ごと守羽の体が衝撃に引かれて後方へ飛ぶ。
「…ッ」
 おそらく馬鹿正直に打ち合っていれば今頃原型を留めていなかったであろうと確信できるほどの威力に痺れる腕を押さえて、縦回転しながら地面に着地した守羽が屋根を見上げる。
「二百倍の掌底…ただの人間なら腹に風穴空いてもおかしくなかったはずだけどな」
「前提がもう愚かしいですねえ。ただの人間なら、でしょう?」
 弾かれた時に手放してしまった静音は、屋根に立つ茨木童子の足元に意識を失ったまま横倒しになっていた。
 屋根から守羽を見下ろす大鬼は、嘲笑を見せながら、
「人間でないことはもとより、私はただの人外でも、ましてやただの鬼でもありません。大鬼というものを、少し侮り過ぎではないですか人間。…とはいえ」
 少しだけ細めた瞳に僅かな興味の色を乗せた茨木童子が、明らかに先刻よりも雰囲気の変化した守羽をじっと観察する。
「そちらも、どうやらただの異能持ちの人間というだけではなさそうですがね。その力、私の知る人間種の域を多少なりとも逸脱しているように思えますが」
 そんな意味深にもったいぶった言い方をする茨木童子に、守羽は強気な笑みを返す。
「さあ、そりゃあどうだろうな。まあ僕がどうだのだなんて話は今はどうでも―――!」
 あくまでも表面上は強気を装う体でいようとしていた一人称の変化した守羽が、言葉の途中で不意に走った頭痛に顔を歪ませる。
「つっ!…………ああ、そうかい。いつまでもいつまでも、ほんとに強情なヤツだよ」
 呆れたように頭を押さえて首を左右に振るってから、
「人間だよ、僕はな。そうじゃなきゃ、この身体は満足に|化物《テメエ》を倒そうともしてくれねえ。不便なもんだ」
「何を言っているのか、よくわかりませんが」
「わかってもらっちゃ困るんだよ。わからんままでいてくれや」
 幾分か余裕を取り戻した守羽が、今度こそ全身に力を巡らせながら自身に言い聞かせるように呟く。
「怪物や化物を退治するのは人間様だって相場は決まってるもんだ。この一件もその例に則って、変更なく鬼退治といこうじゃねえか」
 今現在浮上している意識と相反する思想を持った思考に邪魔されながらも、一筋の汗を垂らした守羽は自身の焦燥を気付かれないように、やはり不敵に笑って茨木童子との対峙および久遠静音の救出に全意識を注ぎ込む。

 ――― その力、私の知る人間種の域を多少なりとも逸脱しているように思えますが。

 鬼にとってはなんの狙いもなく放ったその言葉によって、
(くそ、余計なこと言いやがって…『俺』はそういうワードに過敏だってのにな…!)
 しかし確実に、『僕』たる神門守羽には半強制的な時間制限が掛けられてしまったのだった。
 頭痛が、さらに酷く今の守羽を苛む。
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