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第十二話 「どう足掻いたところで」

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「…う……」
 固い地面の上で、静音は微かな呻き声と共に目を開ける。
 数秒の間、自分が寝かされていた古びた建物の中を見回してみる。どうやらここはビルのエントランスホールらしい。
 そのままひとまず正面出入り口まで歩く中で、自分が気を失う前に起きたことを思い出し、ぴたりと足が止まる。
 家のドアを破壊して押し入ってきた人ならざる者。自ら化物などと名乗っていたが、それは嘘ではないのだろう。なにより纏う空気が人のそれではなかった。
 あの化物が家に来たことと、今こんな古ぼけて使われた痕跡すらない建物に寝かされていたことは無関係ではない。連れ去られてここまで来たと考えるのが妥当な線だが…。
「…」
 静音はまた少し歩を進め、閉まっているビルの扉を少しだけ開けて外を覗いてみる。
 外は既に日が落ち薄暗くなっていて、扉の隙間から見える風景は自分の知っている街とは随分違っていた。
 どれだけ遠くの廃墟まで連れてこられたのだろうかと考えかけたが、違う。ここはおそらく街の外れにある廃ビルの乱立された立ち入り禁止区域だ。となれば今自分がいるこのビルも、いつ倒壊したとて不思議ではないほど老朽化の進んだ危うい場所。
 移動した方がいい。そうでなくとも、せめて屋外に出た方がいい。もし本当にちょっとしたきっかけで倒壊が始まってしまえば圧死は免れない。
 だがそこで静音の耳は何かの衝突音を聞いた。それは例えるのならトラックの衝突事故のような、震動が自分の立っているビルを揺らすほどの大音響だった。
 再度扉の隙間から外を見ると、薄暗い景色の向こうで、誰かが何かをやっているようだった。さらに目を凝らして見ると、
「…!」
 思わず声が漏れかけた口を両手で押さえる。
 見えたのは、あの自称化物の人外。
 外見が和装になっていたり額に角が生えていたりと最初見たのといくらか違いはあるが、見違えるほどではない。
 その化物は、こちらから少し離れた位置でどこか違う方向に顔を向けていた。身を乗り出してもう少し扉の隙間を広げる。化物の視線をその背中越しに追う。
 ビルの外壁に身を減り込ませて項垂れている人が、その先にはいた。
 暗がりの中でも酷い怪我をしているのがわかったその人は、荒い息を吐きながら外壁に半身を預けよろけながら立ち上がる。
「…………神門、君…!」
 上げた顔を見て、静音は今度こそ押さえた口の下でくぐもった小さな声を漏らした。
 つい最近知り合ったばかりだが自分と同じ異能を宿す者で、とても優しく接してくれる年下の少年。今は所々が破け出血したボロボロの身体であの人外と向かい合っている。
 状況が読めない。どうして彼があの人外と闘っているのか。何故この場で。
 入手した情報を照らし合わせて状況への解答を導き出す。…仮定の話でしかないが、どうにかの辻褄合わせをするくらいなら出来た。
 思うに、もしかしたら彼は人外に連れ去られた自分を助けに来てくれたのではないだろうか。そして、連れ去ったあの人外との交戦に移った。
 考えられるパターンはいくつかあるが、これが一番納得のいきそうな状況ではある。
 しかしだとすれば、彼が瀕死であの化物に立ち向かっているのは自分の為ということになる。であるならば、ただここで黙って見ているわけにはいかない。
 彼は“倍加”の能力者だと言った。それに公園での会話、あの口振りからしてこういった荒事にもある程度は慣れているような様子もある。人外との戦闘も初めてではないだろう。
 そして当然ながら、静音には戦闘はおろか人外との遭遇すら初だ。正直何をどうしたらいいのかさっぱりわからない。相手は平然とドアノブを握り潰してこじ開けるような奴だし、普通の人間のようにはいかないだろう。
 自分が出て行ったところで、おそらく二人で逃げ切る選択は使えない。街へ逃げたところで被害が拡大するだけだ。それにあの角の生えた人外がそう易々と逃がしてくれるとも思えない。
 となれば、やはり、
(闘って、倒す。…それしかないっていうこと、なんだよね。神門君…)
 心中で察した静音の想いに答えるように守羽は拳を握って人外へ駆け出していた。守羽は、もう自分達が生き残るにはあの人外を退治するしかないと判断している。
 短い付き合いでしかないが、静音には守羽という少年が聡明だということが分かっていた。考え方、判断力、行動力。この短期間で推し量れるものは多くないが、それでも守羽が愚策を選んでこの状況に持ってきたとは考え難い。おそらくは苦渋の決断だったのだろう。
 自分が攫われた理由が今一つよくわかっていないが、どの道このままここでじっとしている選択肢はありえない。
 このままでは守羽があの人外に嬲り殺されてしまう。それだけは阻止せねばならない。
 やるしかない。
 静音は震える両手足を叩いて喝を入れると、決心をした。
 役に立てるかどうかはわからないけど。
(見ているだけは、駄目だ。私も、何か彼の力になれることを探さないと)
 二人で倒そう、などとおこがましいことは考えない。
 彼の勝率を引き上げる策を練る。多少、身を削ることになるとしても。



      -----
「金剛力というものをご存じですか?」
 頭上から声が降って来る。
「鬼の持つ神通力の一つでしてね。これのおかげで我々は固い表皮や尋常ならざる身体能力を維持できるのですよ。つまり私達を相手に打撃の類は一切通じない」
 片手で地面を強く押さえ、激痛の走り回る体を起き上がらせる。
「そもそもお伽噺に出て来る鬼は皆屈強な肉体をした者ばかりでしょう?鬼というものは、肉体一つをして他の怪物や化物と張り合うことの出来る存在なのですよ」
「こ、ぼっ。……ぁあ、ぐ」
 上げた顔の目の前に草履を履いた足が見える。口から液体が込み上げて来て錆臭さが鼻まで麻痺させてくる。
「まあ何が言いたいか、というと」
 横倒しになった体を起こす前に、目の前の鬼に頭を掴まれ片手で持ち上げられる。
「人間が鬼に勝てる道理など、どう足掻いたところでありはしない。そういうことですね」
 薄く開いた両目が、頭を掴んでいるのとは逆の手を振り被っているのを守羽は見た。
(不味い、頭、潰され―――、)
 コツン
「…ん?」
 茨木童子の頭に小石がぶつかる。何事かと首を巡らせた先には、彼女が立っていた。
 久遠静音。
「ほう」
 鬼の矛先が、殺意の流れが変わる。
「……ッッ!!」
 一瞬で全身が凍ったように寒くなる。
「ぬ…あァぁあああああああ!!!」
 痛みで動くことを拒絶している全身を強引に動かし、頭を掴んでいる鬼の腕を思い切り殴りつける。
 腕力握力五百倍。
 拳の割れる音と鬼の腕が弾け上がる音が同時に鳴り、さらに同時に拘束から解放された守羽が四百倍強化の脚力で大鬼の両足を払う。
 一瞬滞空した大鬼の片足を掴んで振り回し、遠心力を加えた全力の投擲で茨木童子を視界の彼方まで投げ飛ばす。
「静音さん離れ……いや逃げろ!!あの野郎からできるだけ遠くへッ!」
 『僕』たる神門守羽でも数百倍の“倍加”は反動が激しい。粉砕した拳をぶら下げたまま叫ぶ守羽の指示には従わず、静音は片手を伸ばしたままこちらへ駆け寄ってくる。
「神門君っ」
 まるでコンマ数秒でも速く触れようとするかのように指先まで伸ばした片手を見て、守羽は即座に意図するところに気付き同様に片手を伸ばす。
 久遠静音の持つ“復元”ならばこの瀕死の体をも元の状態に戻すことが出来る。静音はそう考えたらしい。
 考え自体は間違っていない。だが守羽はそれが『不可能なこと』だと知っていた。だからその手は触れる為ではなく、静音を安全圏まで引っ張る為に伸ばされたものだった。
 そして、それすら叶うことなく。

「“復元”の能力でしたか。なら、命さえ取らなければ手足を捥ぎ取ろうが問題ないですね」

 あれだけの距離を投げ飛ばしたのにも関わらず、たったの数秒で戻ってきた大鬼の手刀が静音の腕を肩から斬り落とす軌跡を描き、
「さぁせるっかあああああ!!」
 瞬間的に脚力を引き上げて割り込んだ守羽の左手が、暮れの空に舞った。
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