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第十七話 『絶対に違う』

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「お?」
 全身を自らの血で染めながらも“再生”という特殊な異能の恩恵で無傷を保っている東雲由音が、振り上げた拳をそのままに素っ頓狂な声を上げる。
「なんだなんだ、消えてくぞ…!?」
 蹴散らし続けていた無限に湧いて来る餓鬼の大軍が、ある瞬間をもってその全てが燃え尽きた炭のように崩れ去っていく。
 夜風に吹かれて舞い散っていく餓鬼だった塵と入れ替わりに、奇声で埋め尽くされていた夜の世界に静寂が訪れる。
(退いた…感じじゃねえよな。ってことは!)
 状況を難しく考えず、由音は血塗れの顔に目一杯の笑みを浮かべて、
「よっしゃあ!!さすが守羽!親玉ぶっ倒したなあ!?」
 振るう相手を失った拳を天に突き出し、訪れたばかりの静寂を引き裂く歓声の絶叫を放った。



「ああうん、事は済んだよ。そっちは大丈夫?…そっか、物足りなかったか。君らしいね、アル」
 由音とは遠く離れた家屋の屋根で、一人の男性が携帯電話を片手に腰を下ろしていた。その周囲には大量の塵が風に乗って渦を巻いている。その塵は、由音のところで散っていた量のゆうに数倍であった。
「ありがとう、助かったよ。…うん、それじゃそのまま、そう、それで頼むよ」
 街中に散開していた餓鬼達の撃滅を協力してくれていた相手にもう一度礼を述べ、男は携帯端末をポケットに突っ込んでほうと一息つく。
(…少し、腕が落ちたかな。それとも歳を食ったせいか、やだなあ……)
 思った以上に錆びついていた自身の肉体に落胆し、男はすぐさま切り替えて顔をある方向へと向ける。
 その方向では、当初考えもしていなかった強力な人外への大番狂わせが決着を迎えていた。
(僕が手を出すまでも無かった、か。とはいえこれは大金星だ。…………そして、これはとても不味い……)
 この大鬼討伐の一件を重く重く受け止めているのは、この時点ではまだこの男一人きりしかいない。



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「……ま、さか。こんな…中途半端な、存在に、…討たれることに、なるとは。……ふん」
「…チッ」
 仰向けに倒れる大鬼茨木童子は絶命の一歩手前にいた。
 四肢は動かす気配もなく、消し飛ばされた右腕と脇腹から腐敗するかのように白煙の浸食がその身を崩壊させ続ける。おそらく脇腹から突き入れた貫手の一撃が致命打となったのだろう。押さえていた傷が、一気に範囲を広げていく。
「その身、その力。……やはり、ただの人間では、ありま、…せんでし、たか」
「うるせえ。黙れ人外。ふざけたことを抜かす…げはっ!」
 苛立ちそのままに言い掛けた勢いは、吐血と共に押し寄せる激痛に遮られた。意識が削り取られていく。
 死に逝く大鬼を見下ろして、千切れた左腕の断面を押さえた守羽が意地を通すように精一杯声を張る。
「テメエらなんかとは違う、俺は人間だ。だから人間を襲ったりもしない、喰らったりもしない、俺は違う、|人外《テメエ》とは絶対に違う―――!!!」
「いいえ、何も、違いませんよ。……そうで、なければ…この私が、倒される、は、ず…が…」
 勝ったはずの守羽が追い込まれるように歯軋りをして、体の半分以上が崩壊している大鬼が嘲りの笑みを浮かべる。
「…いずれ、に、せよ。もう普通の…生活など…期待し、ない…ことです、ねえ。大鬼を殺、した化物の…噂など……あっという間に広まり、…そしていつか、我が、主が……」
「ざけんじゃねえ!!ごぶっ…ぅ、俺は…化物なんかじゃ……!」
 叫ぶ守羽のことなどもう視界にすら入れず、夜空を見上げる茨木童子は消失しかけている意識の中でひたすらに呟く。
「ああ、酒呑様。申し訳、わが、ある……じ…。せっ、かく。お気、に、召しそうな…酒が……」
 最期まで何者かの名前を呼び、それは肉体が全て滅び崩れ去るまで続いた。
「くそ、クソ…!!違う、俺は違うっ。俺は…」
「…神門君」
 灰のように跡形も無くなった大鬼の亡骸の前で跪いた守羽の肩に、静音がそっと手を置く。その手から伝わる異能の力が、死に迫っていた守羽の肉体を元の状態に戻す。
「久遠さん…」
「君のことは、正直よくわからない。鬼と闘っていたあの時、君は私の知っている君ではないような気がした」
 何か、言葉に表せないが、あの時の神門守羽は確実に何かが違っていた。何かが変わっていた。それがなんだったのか、静音は知らない。
 あるいはそれは、常軌を逸した怪物を殺せるだけの性能を秘めた化物たるに相応しい力だったのかもしれない。
 静音の言葉に怯えたように表情を引き攣らせた守羽の頭を、肩へ置いた手を首に回した静音が優しく抱き締める。
「でも、私は君に救われた。ありがとう」
「……」
「君が何者でも、どんな存在だろうと、関係無いよ。君は私にとって、公園で一人っきりの寂しさを埋めてくれた大切な友達で、食事に誘ってくれた優しい子で、いずれ入学してくる大事な後輩。『神門守羽』は、それで全部だよ」
 その力は放置していいものではないのかもしれない。その深奥にある『何か』は知らぬ存ぜぬを押し通していいようなことではないのかもしれない。
 だが、静音にはそれを探るつもりもなければ守羽に強制させる気もない。
 いつかは避けて通れぬ道だったとしても、今は。今だけは。
「知らなくたって、無視したって、いいよ。君は、それでいい」
 『いつか』へ至る道を早足で歩む必要はない。ゆっくりと、亀の如き速度で。避けられぬ道をわざとらしく足踏みしつつ進んでもいいはずだ。
 そうでなければ、今の守羽では耐えられない。少なくとも、今は。
 それだけの『何か』が、この少年にはあるから。
「帰ろ?疲れたでしょう、ゆっくり休もう」
 “復元”でも戻せなかった精神のダメージは大きい。枯れ枝のように容易く折れてしまうほど消耗した心を癒せるのは、この時点では時間しかない。
 抱いていた頭を解放し、肩を貸して守羽を起き上がらせる。静音の力では少年一人の歩行に手を貸すのはかなり苦労したが、守羽は途中から自分の足でしっかりと歩き始めた。
「……ありがとうございます。久遠さん」
 心配そうに顔を覗き込む隣の静音に、俯けた顔を上げた守羽は少しだけ微笑んでみせた。
 その心此処に在らずといった様子の微笑に不安はさらに煽られたが、実際のところ守羽の思考は抱き締められたあの時からある程度回復していた。
 そして考える。
 この身の振る舞い方を。
 ひいては、今後の自らの立ち位置を。ただ冷静に、考える。
(…………………………、ああ)
 行き着いた答えに、守羽は瞳を細めて冷え冷えとした光を宿した。
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