【雑誌】ニートノベル
【作品名】欠けた天使の与能力(ゴッドブレス)
【作者名】滝杉こげお
【作品URL】http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=17573
【今回は辛口感想で】
私が文芸ニノベ作品感想企画をしていた頃、度々更新を合わせてくれた滝杉こげお先生。
本作もその時に感想を書いたことがある。
その時は“他の滝杉こげお作品に比べれば”面白いと甘口感想を書いた。
私は基本的に初めて感想を書く作品なら、作者のやる気を削ぐような事は書かず、なるべく良いところを見つけて褒める。
ただ2回3回と感想を書く機会があるなら、少し突っ込んだところも書く。つまらなければ正直にそう書く。
だって前と同じスタンスじゃつまらないだろう。
【欠けているし、冗長】
滝杉こげお初期作品に比べれば成長はしていると思う。
別に引っかかりがある訳ではなく、普通に読める文章。難しい言葉遣いもなく平易な表現。
ただそれでも、書くべきことが書かれず、どうでもいいことを書きすぎている。
つまり欠けているし、冗長。
例えば以下のような文章がある。
──
「ふうぅわあああぁぁ」
伸びをし起き上る。今日は早く起きなければいけないはずだが……今は何時だろう。寝起きの頭で思考を巡らすが当然考えた程度では時間を知ることなどできない。時計はどこだろう。辺りを見回すが光がないため見つけることができずボクは仕方なくベッドから這い出し窓の前まで歩み寄る。
カーテンを開けると差し込む光。ボクは思わず目を背ける。昨日は眠れないほどの高揚感があったが一夜明けた今はおどろくほど落ち着いている。不思議な感覚だ。とりあえず着替えようか。今日は生誕祭の準備で早く家を出なければならない。そう考えたらもうあまり時間がない。
階下から漂ってくるいい香り。階段を降りたのちボクはウシエルが毎朝用意してくれている食卓に着く。
──引用終わり
いかがだろうか?
こういった文章が結構頻繁に出てくる。
情景が分かりすく、丁寧な文章だとは思う。
ただ…もっと端折れるだろう。
主人公が起きて食卓に着くまでの様子をそこまで丁寧に描写することが、物語上そこまで重要だろうか?
そんなシーンを挟むぐらいなら、他に書くべきことが幾らでもある。
本作のタイトルにある「与能力」についても、言葉自体は5話に出てきたが、それが何であるかが明らかになるまで8話を待たねばならなかった。
ちょっと遅い。
そして一般的なWEB漫画・小説の読者はそこまで気が長くはない。
「欠けた天使」については1話から明らかになっている。「与能力」も2~3話あたりで出せるはずだ。
要は、物語にもっと強弱をつけて欲しい。
頭の中に思いついた文章をすべて書いてしまっていないだろうか?
誰かに読ませるということを考えれば、もっと読みやすくできるはず。
滝杉こげお先生は漫画も描いている。
では本作を漫画化するとして、上記で引用したようなシーンもすべて描くつもりだろうか?
冗長、と言ったのが分かって頂けたかと思う。
【天使らしさに欠ける】
ラノベには「異世界トリップ物」が溢れている。
でも逆に、本作に見られるように「異世界の者が現代日本に来る」というジャンルの作品も多い。
6話で、主人公アーエルは現代日本に飛ばされる。
この6話でというのもいかにも遅すぎるのだが…。(1~3話までで早々に飛ばすべきところ)
アーエルには天使の世界、天界で生まれ育ったバックボーンがあるはずだが、その設定が余り活かされていない。
1~5話までを読む限り、天界というのも余り人間界の文化と大差がない様子だった。蛇口を捻れば水が出る水道とか普通にあるし、学校の授業もあるし、好きな異性に物を贈る風習まである。いずれも人間界と変わらず、天界らしさは微塵も感じられない。天界らしさは神様とかメタトロンとかぐらいのものだ。
5話も費やすのならば、天界をもっと現実離れしたものとして、浮世めいたものとして描写してほしかった。
アーエルは6話から現代日本に飛ばされ、その見慣れない文化を目の当たりし、戸惑っている様子がある。
でも、それまでの描写からして、天界と大差なかったはずだ。
6話冒頭、違う世界で生まれ育った人が、まったく未知の世界を初めて目の当たりにした戸惑いが書けるおいしいシーン。でもそれまでの天界の様子が平凡なものだったので、戸惑う方が不自然に思える。
アーエルは知識があるからそこまで戸惑わなかったのかもしれないが…。
地の文を書いている作者が人間界のそれを知っているため、アーエルが見たものを未知の物として描写できていないだけだろう。
例えば、「サッカー」といった単語が出てくる。
それを作者は既知のものとして書くが、アーエルは知識としては知っていても見るのは初めてだろう。
見るのが初めてであれば、それを見たときに出てくる表現は違ったものになるはずだ。
「サッカー」という単語が出てくるのはそれをルールも含めて知っている者の思考だ。
「白と黒のまだら模様をしていて良く跳ねる玉ころを少年たちが蹴っている。何の意味があるのか。人間はああやって体を動かして遊ぶのが好きなのか?」
などと表現すべきところ。
天使の世界にスポーツという概念があるかも分からないし、この少年たちがサッカーに興じる様子だけで、初めて異世界に来た者の戸惑いを表現できる。
「達成感を感じられず、天使の価値観を持つ」のなら、それ相応の物の捉え方・感じ方があるだろう。
そうした描写が欠けている。
この物語には、そういう描写こそ与えてやるべきだろう。