月曜日の朝、私は駅前の商店街をとぼとぼと歩いていた。天気は私の心模様を映すような重い曇り空で、足首にはまるで独房の囚人が括り付けている円鉛の重しがあるように一歩が重い。
「あれ、月子ちゃんじゃない?」後ろから制服姿の私に声が向けられる。「あ、ホントだ。月子ー、早く行かないと学校遅れちゃうよー?」
声をかけた2人組みの女の子が私の横に並んだ。正直口を開くのも面倒な程、気分が落ちてたんだけど、それを表に出さないようにして私はふたりに笑顔を返した。
「ごめんねーちょっと体調悪くてさー」「大丈夫ー?」「先行ってるねー」
ふたりは私を追い抜くと一度だけ振り返っておしゃべりをしながら交差点を歩いていった。目の前の信号が赤になる。私は立ち止まってため息をついた。
週明けの朝ということもあって気持ちと身体が重い。それに中三の夏という受験戦争の疲れもあって周りを包む空気さえ私には重いものに感じていた。
身体がだるいので学校を休みたいというと、お父さんは「週の初めに休むのは成績を付けてる先生に対して印象が悪い。外に出て少し歩けば気分もよくなるかも知れないし、頑張って学校に行ってみよう?」
というような事を言われ、先週末には柔道部の魚住くんに告白されて、曖昧に断ると周りから「あの2人は付き合ってる」と噂されるようになるし、やること全部空回りな毎日。
はぁ、私の人生ってなんなんだろ。私は立ち止まって空を見上げた。生理痛のようなどんよりとした厚い雲からは生ぬるい雫が落ちてきた。私は路地裏の細い道に足を踏み入れるとその中腹で私は膝を折って横になった。
なんかもう、全部がめんどくさい。受験勉強とか、子供っぽいしょーも無い恋愛とかもうどうでもよくなってきた。とにかく一人になりたい。誰も私に関わらないで欲しい。
路上に腕を枕にして目を瞑る。町の喧騒がふと静寂に止まる。しばらくこうしていよう。私はそっと瞳を閉じた。
「あ、痛っ!」路上に倒れこんだ私に躓いてセーラー服を着た女の子がどんがらがっしゃん、ゴミ袋の山に顔から突っ込んだ。「うわ、なによ!月曜の朝から!最悪なんだけど!」起き上がると女の子は私の方を振り返った。
「ちょ、ごめんなさい!スマホ見ながら歩いてたら転んじゃって…てか、あなたこそ大丈夫?わたしより先に転んでたみたいだけど」
「関係ない。ひとりにして」「そうは行かないわよ」面倒なタイプに絡まれた。歩いてくる足音から私は視線を背けた。
「わたしは|己語中《おのがたりちゅう》3年B組の|忍足弾音《おしたりひきね》。その制服、穀山中のコでしょ?ほらいつまでも倒れてないで、起きれる?」
「触らないで!!」「ちょ、なんなのよ」声を上げた私の顔を見て女の子は手を引っ込めた。
「あんた本当大丈夫なの?転んだときに頭打ったりとか」「違うよ。ひとりにして」
「なんなのよ...どーせ、受験の疲れや恋愛で拗れて学校行きたくないとかそんな感じでしょ?そこで不貞腐れて現実逃避してたって何にも変わんないわよ!」
「いいからほっといてよ!」「なんなのよ、もう」見透かしたような態度をした他校の女の子の雨靴が視界から離れていく。
雨の粒が大きくなってきた。「おい、あれ見ろよ」表路地から男の人の声が聞こえる。「女の子が倒れてるぜ」「大丈夫かよ、死んでる?」
数人組みの若い声をした男性のグループが私の姿を見て裏路地に入ってきた。「ねー、キミだいじょうぶ?」心配するような細い声を聞いて私はアスファルトにため息をつく。
時刻はラッシュアワーになって表通りには人通りが増え、しばらくすると私の周りを人ごみが取り囲んだ。
「本当だって、女のコが倒れてンだって」「セーラー服着てっから中学生?」「お、良くみりゃ可愛くね?」「なになに?事件?」「誰か警察か救急車呼んだ方がいいんじゃない?」
みんなが私を取り囲んで口々に勝手なことを言う。なによ、私はただ、ほっといて欲しいだけなのに!目じりに涙が浮かんできた。
「ここは通行禁止よ!」凛と張った女の子の声が人ごみを切り裂く。さっきのコだ。私は呆れて寝返りを打つ。
「そんなこと急に言われても...」「いいから。迂回して」「こっちの道のほうが駅まで近いんだよ」「ああ、ちょっと!」私の頭のすぐ横をサラリーマンの革靴が飛び越えていく。
それを見て他の人たちも倒れてる私をまたぐように道の向こうへ歩き出してきた。
「ああ、危ないじゃない!...そうだ!このコーンとポールを使って...!」
ヒキネと名乗った女の子は私の身体を囲むようにして表通りから持ってきた赤色のカラーコーンを並べるとそれを繋ぐようにして黒いプラスティックのポールをコーンの上部にはめ込んだ。
「あんた、ちょっと何をやって...!」「はいはーい。女の子が倒れてまーす。交通迂回してくださーい」
そう言うとヒキネは駅へと向かう人たちを誘導し始めた。「ちょっと!通れないよ!」外車の窓から顔を出したサングラスの男が私たちに向かって大声を出した。
「おじさん、何言ってるのよ?」せせら笑うような声でヒキネは路地の入り口の方を指差した。「この時間は車両通行禁止よ。表に標識無かった?それとも日常的にこの道を使ってるのかしら?それならこれとは別の問題だけど?」
「ちっ、このガキどもが...!劇の練習なら別のトコでやんなァ!」
捨て台詞を残すと荒いエンジン音を残しながらクルマは表通りへ迂回して行った。
「あなたもしかして落ちてきたんじゃない?」ヒキネの声を聞いて私は視線を上に向ける。「ほら、このビルから」窓の装飾と店の看板を見て私は再び視線を下に戻す。
「ラブホテルじゃない...」「い、いや。あんたがあそこで春を売っていた可能性も捨てきれないし?」
ヒキネが恥ずかしそうに横を向いた。「つか、あんたがいけないのよ。こんな所に寝てるから」
「おい、聞いたか?」「ビルから落ちて来たってよ」路地口の人だかりがわたし達を見て噂し始めた。「親方、空から女の子が!」若い男の冗談を私は鼻で笑い飛ばす。ヒキネが膝を折って私の顔を覗き込んだ。
奇麗に頭の真ん中で割られたツインテールが雨の雫で濡れている。子供っぽいメイクの同学生は少し溜めを作って私に問いただした。
「あんた今笑ったでしょ?」「笑ってない」私が言い返すとヒキネはスカートの裾をはたきながら膝を上げた。
「あたしも一緒に学校の前まで行ってあげる。もう遅刻確定だけどね」「触らないで!」「はぁー困ったわね...」伸ばした手から顔を退けるとヒキネはその手を頭の上に置いた。
「はい、ちょとー!通してー」表通りから落ち着いた声の男性組が路地に入ってきた。
「どうかしましたか?」声をかけてきた大人は警察らしい。いつもの私だったら慌ててたかも知んないけど、もういいんだ。全部めんどくさいんだもん。
「このコちょっとおかしいのよ」ヒキネが警察に事情を話している。「わけがわからん」警察のひとりが私を見下ろして息を吐いた。「このままだと交通の妨げになるし無理やりにでも起こして学校に連れてきますか?」
若い巡査が中年の上司に提案した。「でもこのコ、ドン引きするくらい嫌がるのよ」「やれやれ...思春期特有の思い込みだろ。ほらお前、反対側担げよ」警官が私の周りに立つ。
「これで一件落着ね」ヒキネが安心したように両腰に手を置いた。やばい、このままだと学校に連れてかれる。私が身を丸めると表通りからアメリカンバイクが重いエンジン音を上げながら路地に滑り込んできた。
「その必要はない」「プロフェッサー!?」警官のひとりが彼の姿を振り返って声をあげる。その男は大型バイクから降りてフルフェイスヘルメットを外すとその中から彫りの深い鷲鼻が姿を現した。長身で壮年の男性が威厳を放つように私達の方へこつこつとブーツの踵を鳴らしながら歩いてきた。
「ああ、あなたでしたか」「後の事はお任せします」そういい残すと警官ふたりは路地を抜けて駅の方へ消えていった。
「ちょっと、あんた誰よ?プロフェッサーって言われてたけど」ヒキネが声をかけると男は抑揚の無い声で応えた。「ああ、私はこの町の闇医者だ。これでも昔は都内の大学教授でね。今は思春期の子供の精神状態を研究している」
闇医者?教授?研究?突然舞い降りたこの状況に幾つものクエスチョンが私とヒキネの頭に浮かぶ。
「キミの名前と症状は知っている。そのトチ狂った精神を矯正するには普通の処置ではどうにもできない。ロボトミー手術を施す必要がある」
「ロボトミー手術?」私は顔を上げてプロフェッサーに声を返す。「頭蓋に穴を開けて脳を削る手術よ」ヒキネがプロフェッサーの言葉に脚注を付けた。
「感情を感じにくくするの。失敗したら廃人になるかも知れないけど」「廃人...」ヒキネの言葉を復唱すると目の前に迫るブーツの足音が水溜りを跳ね除けて凄い勢いでプロフェッサーが私の身体を引き上げた。
「私の研究所に一緒に来るんだ」声を上げる暇もなくプロフェッサーは私の身体を自分の肩に乗せた。
まずい、このままだと本当に...!私は男の背中に拳骨を打ちつけた。けど堅い樹の幹を叩いたようにプロフェッサーはなんの反応もなく歩き始めた。
わたしはただ一人になりたかっただけなのに。ひとりで誰にも声をかけられない場所で横になっていたかっただけだったのに!
やめて!触らないで!プロフェッサーは私を抱え直すとバイクに乗り込んでエンジンを噴かした。
「いい機会じゃない、いい子に更正してちゃんと学校に行くのよ」バイクが走り出しヒキネの声が遠くなる。
いやだ!嫌だ!イヤだ!「安心しろ。手術自体はすぐに終わる。それより喜べ。もう少しでキミの望みどおり何も感じない身体になれるぞ。もうくだらないことで逐一悩む必要もない」
「やめて!」速度が上がって悲鳴が風にかき消される。まさかこんなことになるなんて...流れる涙を振り切って私は瞳を閉じた。
いつものベッドの上、わたしははっと目を覚ました。
昨日から感じていた下腹部の鈍痛も消えている。
窓からは柔らかい日差しが部屋の中に注ぎ込まれている。そっか、あれは夢だったんだ。本当に怖ろしい夢だった。週末から降り続いてた雨はやんで、今日のお天気のような晴れやかな心持ちで私は部屋のカーテンを引いた。
「ああ、会社いきたくねぇ」雨降り後の濡れた地面にお父さんが額を擦り付けるようにして倒れていた。「週5プラスたまに土曜も通うとか、学校ダル過ぎでしょ」お兄ちゃんのダイスケもそれに並ぶようにしてうだうだ寝転んでいる。
「つーか学校行ったって意味あんの?」「ゲームとネットのやりすぎで昨日あんま寝てねーんだよ」良く見たら知ってる顔もそこに落ち並んでる。
私は自分の目を疑った。窓の下の景色には『世界よ、これが日本の月曜日だ』と言う様に団地の駐車場には大勢の人々が横たわっている。
私は自分のほっぺたをぎゅうっと捻った。早く夢から目覚めなくちゃ!