炎上騒ぎが起きた、その次の日の夜のこと。
「くそ、クソッ!!クソォあ!!」
怒りに狂う男の声と、間髪入れずに工場内に響く何かを蹴る音。
その何かは蹴られる度、血と汗を散らして小さな呻きを上げる。既に悲鳴すら出す余力は残っていない。
「―――いつまでやってる、ジャド。いい加減にしないと死ぬぞ」
そんな男の奇行を見かねて、人間の能力者が止めに入る。
「黙ってろ瀬戸!あんなクソ騒ぎも、オレの腕が捥がれたのも!元を正せばこのクソガキのせいだろうが!!こんなモンじゃ気が済まねえ!」
忌々しく自分の切断された右腕の断面を押さえ、ジャド―――そう名乗る七歩蛇の真名を持つ人外―――が声高に叫ぶ。
昨夜の騒動の中で、ジャドは幼き退魔師たった一人に苦戦を強いられ、さらに片腕を引き千切られるという醜態まで晒して逃げ出した。それら怒りと屈辱の矛先は、今現在埃の積もった薄汚い地面に転がされている白銀の少女へ向けられている。
虚ろな瞳で吐血混じりの咳を繰り返す少女を見下ろすジャドの視線は負の感情で満たされている。再度、右足を持ち上げて爪先を横たわる身体の中央へ刺し込み掛けて、
「ッ…!」
不思議な旋律の音調に体の自由を縛られた。
「テメエか…音々!」
思い通りに動かせなくなった首をどうにか回して殺意の視線を送る先に、手すりに腰掛けた魔獣種の女、音々がいた。
長い赤毛のポニーテールの先を指先で弄り、他者に干渉を及ぼす魔の唄を口ずさみながら、唄と共に声帯から言葉が紡がれる。
「それ以上その子を傷つけるなら殺すわジャド。選びなさい、呼吸を停止される唄か自害を強制される唄か。今なら望む方で|殺し《うたっ》てあげる」
何気ないことのように言う音々の言葉は酷く冷たく。毛先から上げた視線には押し込められた憎悪がこれでもかと詰められていた。
白銀の少女への暴行に、堪えられない激情の噴出口をジャドへ向ける。
「…ヒッ、ヒヒ!何様だテメエ、殺すぞ?」
「アンタが死ね、クソ蛇」
旋律に一段と力を込め、絶命の唄を紡ぎかけた時。グリンと首を回したジャドの口が大きく開き、丸めた舌から毒液の水鉄砲が飛んだ。
「チッ!」
皮膚に触れるだけで爛れる硫酸のような毒を手すりから降りて避ける。舌打ちと共に唄が解除され、自由になったジャドがのたくる不気味な挙動で肉迫してくる。
(オラ触れて見ろ!ちっとでも体液に触れりゃあ毒殺確定だぜクソ魔獣!!)
(毒蛇の分際でいい気になるんじゃないわよ、もう一度距離と取って自由を奪う唄を…)
ズン!!
互いに得手とする距離を求めて思考を巡らす中、迫るジャドと後退しかけた音々との中間に巨大な鉄骨が突き刺さる。
いきなりの介入に動きを止める両者。それらへと向けられる瀬戸の声。
「いい加減にしろと言ってる。今はこんなことをしている場合じゃないだろう」
瀬戸の周囲には同様の鉄骨がいくつも滞空して次の牽制を控えさせている。これ以上続けるようならば、あれらが一斉掃射されることは間違いない。
「…私はその子に危害を加えなければ、もうそれでいいわ」
「ケッ」
人間の能力者に諭され、まず音々が下がる。ジャドの方も片腕を失った状態でさらなる消耗を抑えたいのか、唾を吐いて背を向けた。
「それに、だ。…鉄平」
呼び声に応じ、雇われの人外はカツンと一本下駄を鳴らして無言で出現した。瀬戸が次いで言うより早く、現状を端的に報告する。
「来た。妖精と退魔師、合わせて四人」
「……アァ?」
それに対し再び噛み付いてきたジャドが、報告を聞いた我が耳を疑う。
「妖精…あの赤髪野郎か!?なんで生きていやがる!このオレの毒を受けて生きてるはずがッ」
言い終える前に答えを見つけ、ジャドは憎々し気に地面に横たわる少女を睨む。
「こ、の……クッソガキが、やりやがったな…!!」
「行けジャド、既に金で雇った連中は武器を持たせて向かわせた。鉄平、音々。お前達も連中を迎撃して来い」
「了解、した」
「…アンタは?瀬戸」
一つ頷いて飛んで消えた天狗に続きかけて、振り返った音々は倒れ伏す少女を抱き起す瀬戸に訊ねる。
「『仙薬』の精製を始める。既にこれを求め大金と共に予約に押し寄せて来る客も少なくなくてな。時間が惜しい」
「……あっそ」
素っ気ない返事をして、今度こそ音々は工場を出て行く。その背後で、強く歯を噛み締めるジャドも続いた。
白銀の少女、その存在は利用価値が尽きぬ限り使い潰され続けていく。いずれチャンスを見つけ次第に、と考えていた音々だったが。
(…そのチャンス。もしかしたら今かもしれないわね)
考えを読まれぬように無表情を通していた魔獣の女は、後方から蛇の眼光が鋭く見据えていることに気付きはしなかった。
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人払いの結界を一人で設置・展開まで漕ぎ付けるのには随分な手間と時間を要した。
アルは残りの毒素を排除し万全の状態に戻るまで安静にしていたし、日和と晶納には『仙薬』の一派が潜んでいるアジトを見つけ出す為に動いてもらっていた。
だが、おかげで目指すべき場所は見つかったし、結界も展開を終えた。周囲数キロに及び、昨夜工場の全焼騒ぎがあったにも関わらず一般人はおろか警察消防すらここには来れない。
「体の具合はどう?アルムエルド」
「…ああ、問題無い」
街灯や電気の明かりがあるだけの、無人の一帯。そこで二本の剣を両手に握るアルは体の万全を確認し、旭に応じる。
もう全員は臨戦態勢を整えていた。いつでも飛び出せるように。
そうして、旭が号令を掛けるより早く敵は攻めて来た。荒く地を蹴る複数の足音は、すぐさま旭達敵性戦力を視界に入れるやいなや攻撃を開始する。
拳銃、軽機関銃、散弾銃…手当たり次第に掻き集めて来たような統一性のないそれら銃器が弾丸を無数に吐き出していく。
「「―――“我が身は陽を宿す者”」」
一斉に散開し、内の二人は真名の解放を告げる文言を口にした。
「“夜天の輝煌、浮かぶ威光は不可視にして永劫”」
「“重ね重ねて、束ね束ねて”」
そんな中で先陣を切るはアル。両手に持つ無銘の剣を振るって人間達を次々に薙ぎ払っていく。その打ち漏らしを、後から追う日和が丁寧に沈黙化させていった。
さらに突破した敵陣の向こう側、重火器まで持ち出した連中の一人が|対戦車《アンチタンク》ミサイルを肩に担いで照準、発射。
煙を引きながら地と平行に飛ぶ火薬の塊。人間の生み出した兵器の脅威に双剣を一層強く握り直すアルの隣を走り抜ける二人の退魔師。
着弾の寸前に文言は完成し、
「“その陽は牢固たる磐石の星光”」
「“その陽は灼け衝く無謬の裂光”」
爆裂と同時に『陽向』の精鋭がその真価を発揮した。
柄を持たない二つの巨大な両刃、天秤刀の金脇と銀脇がミサイルの爆炎と衝撃を斬り散らし、黒煙を引き裂いて九つの太陽が熱波を伴い敵を吹き飛ばす。
「ほーん、やるじゃねぇの」
「どうも!」
「黙ってろ人外」
アルの素直な称賛に対する二者真逆の反応を見せ、速度を落とすことなく目的地までひた駆ける。
数こそ多いが、武装した連中はあくまでも装備品以外は並大抵の人間とたいした違いは無い。
武力に秀でたもの珍しい妖精種と元々荒事に慣れている退魔の家系者、この掛け合わせに対してそれらは抵抗と呼べる抵抗も成せず蹴散らされるのみ。
だからこそ、であろうか。
カツンと鳴り響く一本下駄の足音。
「…来たか、性懲りも、なく」
赤ら顔の人外が、法衣を揺らして地に降り立つ。
これに対し、四人の足並みは乱れることはなかった。
早い段階での大天狗の出現はある程度予想のついたものであった。その対応も、また迅速かつ確実に成される。
「行け。アレはオレが殺す」
「気を付けて、慢心油断は厳禁!」
「馬鹿が、誰にもの言ってやがる」
旭の小言に苛立ちに満ちた一言を吐き捨て、夜道の先に立つ大天狗へと引き連れた天秤刀と共に飛び掛かる。
「晶兄ぃ、たぶん負ける」
「まあ、うーん。どうだろね」
半ば押し込めるように建物ごと天狗と姿を消した晶納の行方を疾走の中で横目に探すも、破壊の発生しか見て取れない。時折吹き荒れる烈風は天狗の力によるものか。
「そんなにやべえのか?大天狗ってのは」
銃弾を回避なり防御なりしながら片手間で会話を続けるアルが疑問半分愉悦半分といった具合の表情で訊いてくる。
「大天狗はね、個体差とかもちろんあるんだけど…あれはどう見ても大天狗の上位に位置する人外だよ。下手をすると、それこそ強大な妖怪種である大鬼辺りに匹敵する実力かも。そうなると、いくら晶納でも単身で勝つのは厳しいかな」
「普通、大天狗は退魔師で徒党を組んで倒すような相手。火力馬鹿の晶兄ぃでも単独じゃ無理」
淡々と答え、日和は余りある袖から細い指を伸ばして、
「だから、アレ殺したら晶兄ぃの援護に向かう。ほんとは旭兄ぃの方に行きたいんだけど、仕方ない」
指の先。さらなる増援の中央に、蛇のようにうねくる不気味な挙動の人型―――七歩蛇のジャドが待ち構えているのが見えた。
「『陽向旭』の真名で突破して兄ぃ。そしたら、あとは私一人で充分」
「…もうちょっと人数的に余裕があればよかったんだけどね」
今回においては戦力差ではなく人数差が大きすぎる。足止めにせよ殲滅にせよ、本拠地に辿り着くまでの間に晶納と日和が抜けることは想定の内にはあった。
肌を焼く熱波を溜め込む九つの陽玉を従える旭を、並走する日和が眩しそうに細めた両目で見据え、
「だいじょぶ。私にとっては旭兄ぃが|主人公《い ち ば ん》だから。それを引き立たせるのが役目。かっこいいとこ、見せてね?」
十歳とは思えないほどに大人びた笑みで未来の当主へエールを送るのを、無碍にするような根性無しではないつもりだった。
強く頷き、真名の力を解放。
「…突破する。アルムエルド!遅れず僕の後ろを付いてきて!」
「了解ィ!楽しくなってきたな陽向の旦那!!」
宵闇の一角を照らす夜明けが如き陽光が、敵陣の一角を穿ち突き抜ける。
「オイ小娘。オレの腕をどこへやった」
「燃やして捨てた。旭兄ぃも、ばっちいって言ってたし」
「ぶっ、殺す…!」
有象無象を焼き払い突破した後に残った少女が一人。燃え盛る炎に紛れ込みそうな朱色の着物を振って応じる。
退魔師と妖精の疾走は衰えることを知らない。
『仙薬』の真実が隠された目的地まで、既に目前と迫っていた。