第二十二話 白銀の正体
日本三大妖怪。
それは極東日ノ本に旧く古くから数多伝わる妖怪の中でも、一際突出した力と歴史を持つとされる三種の妖。
それはかつての時代を蹂躙した伝説の怪物、『鬼』。
それは今代にまで伝承を続けて来た水神の依代あるいは化身、『河童』。
そして今現在、陽向の退魔師、火力特化の精鋭を圧倒している相手は他ならぬ赤鼻の魔物。
扇ぐ羽団扇から吹く風が、纏う切断性を存分に発揮して荒れ狂う。
「富に、興味は、無いか。退魔師」
「あ?」
それは自身の周囲で斬風を迎撃しながら回転する二振りの天秤刀に加え、両手に握る武装で大天狗・鉄平と打ち合っていた最中のことであった。
鉄平はおもむろに口を開き、区切り区切りに言葉を紡ぐ。
「莫大な、富。栄誉より、栄光より、遥かに価値ある、もの。そう、思わんか」
「何が言いてぇんだテメエは」
大振りの大上段で振り下ろす直刀の一撃を硬化させた腕で防ぎ、右手で突き出したマチェットナイフの刺突を掌で受け止められる。
互いに刃越しでの力比べ。不味い、と晶納は感じた。
“倍加”の異能を持っている旭であれば話は別であろうが、天狗を前にして力押しは極めて避けねばならぬことであることくらいは知っていたからだ。
三大妖怪上位個体に備わる異能・神通力。読みの如く、扱いこなせば神にすら通ずる力には金剛の術もある。すなわち、常識外れな物理能力。
開眼し、解放する“鋭化”の異能。研ぎ澄まされた五感から、天狗の呼吸の隙間を見出す。
「おォらッ!!」
呼気に応じて込められる力の強弱の落差を狙い、瞬間的に両刀を強引に押し込む。空いた胴体へではなく、あえて顎へと持ち上げた膝を叩き込む。
神通力で強化された肉体へ徒手空拳で挑むなど愚の骨頂。たとえ退魔の血が流れる『陽向』の器であってもそれは同じことだ。
このレベルの人外を相手に決定的な手傷を負わせたいのなら、長い年月を掛けて培われてきた陰陽の術しかない。
生憎と、五行法や術式を不得手とする晶納には、自らの真名と肉体強化の術しか持ち得なかったが、それで充分。
ただそれだけを極め続けて来た彼にとっては、それ以外に信ずるに値する力など存在しなかったのだから。
膝蹴りの衝撃で真上に打ち上げられた顎。手放し、自由になった両手の刀で猛攻を仕掛ける。
一撃、二撃、三撃…回転しながら金脇と銀脇が天狗の背後から迫る。
好機に二刀を振るい、天秤刀との挟撃で前後から天狗を斬り裂く。鉄平を間に挟み、天秤二刀とすれ違うように斬撃を重ね当てた。
退魔の力が乗せられた四刀による同時攻撃、さしもの大天狗といえどもこれは、
「…温い」
「ッ!?」
鋭敏となった聴力が捉えた呟きに、驚愕と共に振り下ろした刀を構え直し振り返るより速く。
胴を打つ脚撃が深く沈み込んだ。堪らず漏れた呻きが吐血に阻害され、ごぱりと不快な音が鮮血と共に口から吐き出される。
地を跳ねながらかろうじて体勢を立て直し無様に転がることは避けたが、肋骨の粉砕は間違いない。脇腹から脳へ迸る激痛が“鋭化”を曇らせていく。
「ご、はっ!…や、ろぉ…!!」
「『仙薬』は、その富を確約する、もの。アレさえあれば、人の世においても強大な力を、保持することが、出来る」
一陣の風が晶納の全身を不気味に撫ぜる。途端に裂傷が開き瞬く間に全身が血に塗れていった。
「この時代、必要なのは、武力ではない。富力、財力。かつてのように、武に頼った暴力だけでは、世は渡れん」
右手に握る羽団扇の先で晶納を指し、顎を擦る鉄平が諭すようにこう続けた。
「故に、雇われている。ここに在る限り、保障されているからだ。富が、財が。…貴様も、退魔など棄てたらどうか。共に雇われ稼業というのも、悪くはない。その武力こそ、富へ繋がるものとなる」
大天狗鉄平は、退魔師陽向晶納のことを昨夜の戦闘を込みで高く買っていた。今の世を統べると考えている富へ手を伸ばす手段として、持ち前の武力を駆使することは理に適っている。
昔と手順は真逆になってしまったが、そうあることが強者の証なのだとするならば、大妖怪である彼の心中は揺らがなかった。
だが、
「……けっ。とどのつまりは、金欲しさに『仙薬』に絡んで飼い犬に成り下がってるって、話だろうが。仮にも大天狗とかいう人外のわりに、情けねぇこった」
顔を上げて見れば、確かに斬撃のダメージは天狗の肌を裂き通っている、ように見える。
だが明らかに致命傷には遠い。神通力による表皮の硬化は思った以上の効力を発揮しているらしい。
痛みに縛られるようにゆっくり緩慢な動きで上体を起こしながら、晶納が吐き捨てる。
「興味がねぇな。金なんぞは元より、名誉も栄光もどうでもいい。んなモンよりな」
直刀|柄鋤《かなつき》が左手から力を吸い上げていく。退魔の直系たる力を、真名から汲み上げていくのを感じる。
もっと、もっと。より切れ味を、速度を、重さを。余すことなく刀身に乗せる。
そうでなければ大天狗は殺せない。
殺さなければならない。
大丈夫だ。強敵ではある。だが、殺せない相手じゃない。
殺さなければならない。
自然と笑みが漏れる。
痛みが引いて行く。実際には痛覚すらも“鋭化”の糧にしているだけに過ぎないのだが。
深い呼吸と共に頭が澄んでいく。五感が洗練されていく。
痛手は負ったが四肢は健在。闘うに支障はない。
だから殺さなければならない。
人外は、諸共、一つ残らず、全て。
「オレは|人外《テメエら》を殺している方が、ずっと楽しいぜ。だから死ね、害悪」
「……やはり、貴様は異常だ。退魔師」
これ以上の会話を無意味と理解したのか、鉄平は羽団扇を持つ腕を前に出し、力を練り上げ始めた。
タタン、タン、タッ
自身の血に塗れた状態で、晶納は静かに足元を四度踏む。それは意味ある特殊な歩法。
「“|是歩《ぜっぽ》・|四岑鐙破《ししんとうは》”」
星光の退魔師に集う天秤刀が、主の意思に鳴動を示した。
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重い両開きの鉄扉が熱波に炙られ真っ赤に熔けて大穴を開ける。そこへ、次いで縦横に奔った斬撃がトドメとなって扉を跡形も無く吹き飛ばした。
工場街の中でも一際広大な建造物。傍目からは毒々しい黒煙を噴く煙突が幾本も伸びる大工場に見えるその内に、二人は飛び込んでいた。
直後にばら撒かれる無数の銃弾。今度は一階二階はもちろん屋根天上に張り付く者までいる有様からの全方位射撃。
「おっと…“|壌土《じょうど》|弐式《にしき》・|庇甲壁《ひこうへき》!”」
咄嗟に旭が五行法を用いた術式を展開していなければ、いくら熟練の退魔師と妖精でも被弾は免れなかったかもしれない。
工場の地面を突き破って現れた土の防壁が四方から斜めに競り上がり、四角錐の形と成って彼らを銃弾から防護する。
無論、ただ閉じ篭っているだけではない。
四角錐の内側で、遠隔から自らの真名に呼び掛ける。それに応じ、九つの陽玉はそれぞれが独自の軌道を描きながら工場内部を蹂躙する。
土の防壁に遮られて視認して照準することは出来ないが、それでいい。遮二無二我武者羅に暴れ回るだけで、アレらは放置し切れないだけの脅威を撒き散らす。
「…、オイ陽向の。つまんねえよもっと盛大に喧嘩しようぜ」
防壁の外側から聞こえる阿鼻叫喚の惨状に不満顔で愚痴を漏らすアルに、旭は呆れ顔を返す。
「君は目的をもう忘れたのかい?僕達は真っ当に喧嘩を吹っ掛けに来たわけじゃない。より確実に勝てる手があるんだから、それを用いるべきだろう。君だって件の女の子を助けに来たんだから、それだけを考えて…」
こんな状況で説教を始めた旭が、不意に顔を上げる。
四角錐を突き破って鋭利な先端が覗いたかと思えば、さらに背後側面から同様のそれが次々と貫通して襲い来る。
「……」
分厚い土の四角錐を、外側から黒ひげ危機一髪のような有様で太い鉄杭が何本も貫き立つ。人間の男、瀬戸の力によって普通の人間には不可能なほどの速度で打ち込まれたものだった。
静かになった防壁の内側を怪訝そうに眺め、二階部分の手摺に立つ瀬戸は次に放つ鉄杭を周囲に浮かせて様子を見る。
この程度で殺せる相手であれば、ここまで手こずることなどなかったはずだ。
そう、用心深く警戒していた瀬戸の推測は結果的には当たっていた。
貫通していた鉄杭が、いきなり内側に吸収されるようにして全て呑み込まれ、直後に防壁が内側から斬り刻まれた。
「やァってくれやがったな人間!こめかみ掠ったぜクソが!!」
側頭部から血を流すアルが、忌々しそうに上げた視線の先にいた瀬戸を睨み叫ぶ。
「フン」
鼻息でそれを一蹴し、容赦なく鉄杭を五本射出する。
既にアルの周囲の地面には面白味の無い無骨な投擲槍がいくつか刺さっていた。先の鉄杭を利用してアルが創作した武器である。
それらを向かい来る杭と同数の五つ、斜め上へと蹴り上げる。
三つが空中で衝突し、残り二本は互いにすれ違いながら正確に対象の肉体へ迫った。アルは双剣で弾き、瀬戸は手摺から降りて回避することでやり過ごす。
「あの子はどこだ!?」
「たぶんもうちょい奥だよ!この工場外から見た感じでもかなり奥行きがあったから」
危うく人体を貫通し掛けた鉄杭に対する激しい動悸で胸を押さえる旭が奥の扉を指差す。地下でもない限り、目当ての少女はそこだろう。
工場内部にいた敵の半数近くは、既に旭の操る陽玉によって(あるいはその余波で)打ち倒されていた。しかし残りの半分も、恐れや驚愕の様子を見せながらも手にする武器の矛先を逸らすことはしなかった。
散り散りに跳ね回っていた九つの陽玉を手元に戻し、旭はいつ銃撃の雨が襲ってきてもおかしくない状況で昨夜戦った相手、二階に立つ瀬戸を見上げる。
「君が『仙薬』の主犯格?てっきり手下か何かかと勘違いしていたよ。思ったより若いな…」
「お前が…鉄平の言っていた普通ではない人間の能力者、『陽向』の特異家系者とやらか。台詞そっくり返したい気分だな」
ふっと笑みを浮かべることで返答とし、人差し指を突きつけて告げる。
「これまでだ。その行為、人間社会での法には触れずとも僕らの見過ごせる類のものではない。人外を利用しての荒稼ぎ、楽しかったかい?」
あらゆる万病を癒す『仙薬』。その正体は、白銀の少女の真名を理解した瞬間に判明した。
人の身体を侵す病魔を『毒』と定義した時、その薬は確かな効能を発揮する霊薬と化す。
少女は自らを『うにおん』と名乗ったらしいが、それは違う。
衰弱し、朦朧とした意識の中で行った自称は酷くおぼろげで、とても不確かなものだったろう。弱り切って呂律が回っていないことも一因にはあったはずだ。
だからアルも誤解していた。しっかりと名前を聞けていたのなら、彼にだってそれは分かったはずだ。
白銀の少女…いや、
「幻獣種、白銀の一角馬ユニコーン。まだ幼体とはいえ、神聖な存在である彼女への扱いがなっていないんじゃないかい。…これまでの『仙薬』を生み出す過程で、一体何本折ってきたんだ?下衆が…」
アルにはその言葉の意味がよくわからなかったが、瀬戸の方はなんでもなさそうに首筋に片手を当ててそっぽを向いた。
「再生するのだから問題ないことだろう。アレはまさしく金の生る木…いや人外だ」
当人にとってはそれこそなんでもない一言のつもりだった。別に煽って判断を鈍らせようとか、そんな考えは微塵も抱いていなかった。
だが、二人にとってはそうではなかった。特にアルムエルドにとっては。
血走った眼で両手の剣を握り跳躍、旭もそれを止めることなくすぐさま周囲に残存する敵の鎮圧に意識を向けた。
幻獣ユニコーン救出戦、局面は最終盤へ差し掛かろうとしていた。