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第三十八話 一難去ってより大難

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 特異家系者同士で争う機会などはまずもって有り得ない。だが長い歴史の中で一度も無かったということもまた、ない。
 だからこそ、陽向家にもごく僅かではあるものの自衛の手段として対特異家系者の戦術指南書が存在した。
 しかしそれも有用かと問われれば首を捻るしかない書物であり、そもそもが人と世代によって大きく変化していく戦術や傾向を特異家系者のみに絞って対策するというのはどうやったところで不可能な話なのだ。
 一通り読破していた旭からしてもあれは今この局面においてまるで役に立たないものだったと胸を張って言える。
 それでもただ一つ参考になったものがあるとするならば、それは人外を敵とした時の対抗策と同じく、相手の真名を看破すること。
(初代憑百家当主は…〝憑依〟を行使するにあたり自らを『玉』と捉えて意識を深層に沈めていたとか)
 珀理の貫手をすんでの所で躱し、脇腹に引き上げた膝を捻じ込むが受け切られる。そのまま肘で足を破壊されそうになったが接触の瞬間に水泡が大きく弾け両者を引き離す。
 リリヤテューリの的確な援護のおかげでもう何度目かになる窮地を救われていた。旭では直撃させて怯みもしなかった五大元素の力が、妖精種であるリリヤの行使によって当主にすら通じる火力へ昇華している。やはり人間が無理矢理に扱えるよう調整した術では力不足らしい。
 そんな異常なほどの強度を保っている憑百珀理の真名には、陽向家と同様にある共通点があるはずだった。
(玉、つまりは宝石だ。古来から魔除けや御守りとしての力が信じられてきた希少鉱物には自然から生み出される効能がそれぞれに存在する。西洋では魔術やオカルトにも媒介として度々使われていたって話も有名だ。だからッ)
 近代でもパワーストーンと呼ばれブレスレットやネックレス、指輪などの形で組み込まれ親しまれている宝石の数々。魔除けとしての意味でならたとえ神格を降ろす御業であろうとも〝憑依〟の本質から離れる行為に他ならない。だが先述の通り宝石には人の域にあらざるものを引き寄せ得る神秘と幻想が重ねられてきた側面もある。
 陽向家が陽光、そして憑百家には宝石の真意が名に与えられる。
 振り上げた拳に合わせ、五百倍にまで達した倍加腕力の一撃を真正面からぶつける。衝撃が肉を震わせ筋を千切り、骨を粉砕させ突き抜けた骨片が肘から飛び出た。激痛に歯を食いしばり眼前の敵を見据える。
「……琥珀の、|理《ことわり》っ…!!それがお前の保持する真名!」
「それがどうした」
 看破されても眉一つ変えず、一歩の踏み込みも無しに振り抜いた拳骨がひしゃげた右腕ごと旭を薙ぎ払う。
「くぁあ…!」
「旭さん!」
 弾かれたように飛び出したリリヤが腕を押さえる旭を庇って前へ出る。
「力を、力を貸して!あの人を…」
「先に逝くか薄羽」
「リリヤぁ!くっ〝劫火玖式!〟」
 手を前方にかざすリリヤの心臓を抉り出し握り潰す。五秒後の殺害を実行する為に地を踏む助走の歩みが止められる。ズルリと、泥沼のように軟化した地面を踏み抜いて膝まで沈み体勢が大きく崩れた一瞬に叫ぶ。
「焼き払って!」
「〝|活槍燼《かっそうじん》!〟」
 立て直す前に珀理を中心に赤い円陣が浮き上がり、太い炎柱が竜巻のように渦となって昇る。さらに炎の竜巻を横から串刺しにする火炎の槍が五本、同時に突き刺さり爆炎を巻き起こした。
「…旭さん!腕を」
「ああ、頼むよ」
 紅蓮の渦を背に駆け寄るリリヤが血塗れの右腕に両手を這わせる。すぐさま尋常でない速度で裂けて砕けた腕の治癒が始まる。だが。
「いや、やっぱりいい。悠長に治させてはくれないようだし下がって」
「…そんな。あのひとは……人、じゃないのですか」
 小石を蹴る程度の勢いで振った足が二人分の火炎を散らし、火の粉舞う中で男は歩幅を緩めず機械のようにただ進み続ける。
「『|骸佩神淵《がいはくしんえん》』…確かにこの身、琥珀を宿す者。だがそれがどうした、真名を知ったところで何が変わる」
 冷めた瞳が面覆いの奥で光る。人であることを棄て人外を滅ぼす滅魔と成り果てた今代当主の力は未だ底知れず、ついには本人の口から放たれた一言は致命的に彼らの戦意に罅を入れた。
「俺はまだ〝憑依〟も使っていないというに、真名を明かして何になると」
 ぐらりと視界が揺れる。言葉だけで、旭の頭は鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
 確かにこれといった外見的変化は無かった。憑百家は〝憑依〟の発動によってなんらかの異形に変異するのは知っていた。知ってはいたが、それでも。
 格の違いを埋めるのに、四年では足りなかったということなのか。
(違う…違う!底は見えなかったが、四年前の比じゃない!この男、あの時よりさらに力を付けている…!?)
 見誤ったわけじゃない。単純な話、四年前の交戦時にも未だ憑百珀理という男が全盛期に至っていなかっただけのこと。そして今でさえ、この男はまだ上がる可能性を秘めたまま。
 人を外れた先の域。遥か高みの当主の座をさえ超えて、さらに先へ。
 人の器を保ったままで?
「ありえない、人の原型を維持したままで通れる道理じゃないぞそれは。何をした…憑百家は一体なんの外法に手を出した!」
「万象一切から人より他は要らず、それは妨げになる貴様等も同じこと」
 答えにならない言葉を返し、腰を落とした珀理の姿がふっと消える。
「!!」
 視界に移らない、気配も辿れない、どこへ行ったかわからず急所だけを守って構えるしか出来ない。それはリリヤも同様だった。
 だけど、それから珀理の追撃がやってくることはなかった。
「ご安心を、陽向君。憑百珀理は既におりませんよ」
 代わりに聞こえてきたのは場にそぐわぬのんびりとした声音と、カロンと鳴った下駄の音から視線を上げて行けば白藤紋の袴が揺れ、パチンパチンと開いては閉じる檜扇を握る左手。
 ワイシャツの上から大きめに羽織る狩衣はだいぶ手が加えられているのか、本来のそれより裾も袖も短く風に吹かれてなびいていた。
「…あな、たは?」
 突然にやってきた静寂と人影に思わず警戒心を露わにしてしまう。相手はそれに笑顔で応じ、眼鏡越しに穏やかな感情を瞳で伝えてきた。
「憑百の動きを報告に受け、急いでやってきた使い走りです。この場の戦力では倒すどころか追い返すことすら不可能だったので、強引に退場してもらいました」
 事実とはいえはっきりと実力不足を突きつけられ少し口の中に苦いものを感じた。そこに反論の余地はないが、撤退させることすら無理だと分かっていながら現実に珀理の姿を消してしまった神主然とした恰好の男に疑問が湧く。
 口に出す前に察したのか、閉じた扇で自らを指して軽く会釈。
「先程申した通り使い走りですよ。神門に命じられて、と言えば分かりますか?前に一度会っていると聞きましたが」
 神門。その単語で思い当る節は一つしかない。
 四年前に同じような窮地を救ってくれた自称最強の特異家系者当主、神門家の男。
 使い走りということは、彼は神門の従者か何かか。
「…旭さん」
 背後から呼ばれて顔を振り向ければ、そこでは神妙な表情をしたリリヤがある一点を指差していた。
 それで思い出す。この場は危機を脱したがまだだ、憑百の怪物はもう一人いる。
「早く行こう!二人が手遅れになる!」
「いえ、もう終わったようです」
 落ち着き払った態度に一瞬薄ら寒い想像が脳裏に浮かぶ。終わったとはまさか。
「あちらにも私の右腕を送りました、あの肌が痛くなるほどの圧迫感が消えたということはうまくやったのでしょう。今頃はそれぞれ最北端と最南端で海水浴でもしているんじゃないですかね」
 ふふと薄く笑って男はこちらへ向き直り、
「さて陽向の次期当主殿。邪魔は消えましたがそれも時間の問題、彼らが体勢を再び整える前にやらねばならぬことは山積しております故、手短にいきましょう」
「やることって、話が見えないんですが…。それに消えた憑百はどういう」
「手短に手短に。とりあえず疑問から拭った方が話のテンポ上がります?二人の憑百は厳密には消えたのではなくて飛ばしたのですよ、私ら四門なのでそういった技が得意なんです。あとはー」
 よほど急いでいるのか面倒臭がりなのか、戸惑う旭へぽんぽんと回答を返して事務的に読み上げるような口調で本題を切り出した。
「特異家系が一つ『風魔』が滅びました。原因は憑百家、それでついに神門家当主が決断を下されまして。現存する一族の中でもっとも数と質を揃えた『陽向』に憑百家の討伐をお願いしたいらしく。その件であなたには早々に陽向家の当主を継いでもらいたいらしいですよ、次期当主という半端な肩書きでは拝命を頂くにも色々と問題が生じますので」
「……え?」
 滅びた。討伐。継ぐ。拝命。
 次々と出て来る単語に疑問符しか浮かばない。隣のリリヤはもちろん話の欠片も理解できていない。部外者だから当然ではあるが。
「だからですね。神門家当主からの…まあ依頼とでも思って気楽に構えてくださってればいいんですけど、」
 開いた檜扇の香りを楽しむようにゆったり顔を扇ぎながら四門は子供にお使いを頼むような軽さで言う。
「憑百の人間を皆殺しにして後顧の憂いなく根絶してくれとのことです。私も直接見たのは今のが初めてですが、あれは近く災厄を撒き散らす予感がします。総力を以て叩き潰しましょう」
「―――…………あー…はい」
 しばし目頭を押さえて俯いてから、旭は血の気の引いた顔色でようやく一言だけ絞り出す。
「ちょっとだけ時間をもらっても?」
 それから発言内容を正確に飲み込むのに三分、事態の深刻さに頭を抱えて二分。
 一方的に喋られてこちらからはまだ何も聞けず終い。情報が足らな過ぎて何から行動を起こせばいいのかも分からない。
 確実に理解したことといえば、とりあえず仮初とはいえ憑百珀理を相手に死を覚悟した二度目の危機は辛くも逃れたこと。
 そして、どの道あの怪物とはどう足掻いてもこの手で決着をつけなければならないということ。
 
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