第四十二話 七宝討伐遠征
「『七宝衆・琥珀』…すなわちは『虎覆逆霆・麻垂の為手』たる憑百琥庵。彼は既に人としては在りません。一人ではなく、一つ。アレは人間ではなく兵器として我ら滅魔とは違う方面から人外鏖殺を遂行するモノです」
「…というと?」
「人外には当然ながらに位階や格というものがあります。低位から高位につれて、それはそのまま人外の強さに反映される。霊格や神格持ちともなればいくら生涯を滅魔に捧げた憑百の猛者でも手に余る。だからこそ生み出す必要があったのです、神殺しを」
「それが琥庵だということかな?彼は神域に迫る力を持つと…?」
「迫る力ではなく侵す力、ですかね。彼は億万の〝憑依〟のもとに短き生を燃やし尽くして百の神格を滅ぼす者。我々はアレを|現人神《あらひとがみ》と呼称していましたが」
集落への帰還から二日経ち、旭は陽向家の当主としての雑務に追われていた。
当主継承の儀は昨日の内に済ませ、そこからすぐに押し寄せてきた仕事の数々にはさしもの彼も眩暈を覚えるほどだ。
集落内の人間にはもう次期当主として知れ渡っていたが故、当主としての顔を広める必要性には駆られなかったのが救いか、それでなんとか自らの役職に集中できている状況でもある。
とはいえ、最初はあまりの膨大な量にどこから手を付けたものかと思っていたがそれもすぐに解消された。
「助かってるよ、本当。君らがいなかったら僕は過労死していた…」
かつて通っていた学舎前の鉄棒に腰を下ろして空を仰いでいた旭が右へ顔を傾け礼を述べる。その先にはいつもの面々が揃っていた。
「まあ、いつお前が当主の座に就こうとも問題ないように準備はしていたからな」
「はい!兄様の負担を少しでも減らすことがわたしの成すべき事ですので。ねっ日和ちゃん」
「正直任務をこなしてる方が楽だけど、兄ぃに死なれるのはとっても困るからなんでもする」
若き当主を支える二人の妹と友。仕事を分配し旭以上の手際の良さで片付けてくれる三人の存在は非常にありがたいものだ。単身でやっていたら過労死は冗談としても不眠不休は免れなかっただろう。
「そもそも長老も人が悪いと思わんか」
鉄棒に寄り掛かり懐から煙草の箱を取り出しながら日昏。一本咥えたところで日和に睨みつけられ、渋々風下である旭の左側へ移りながら、
「今が憑百関連で忙しいと分かっていながらに旭へ全部放り投げるとは。それまでやっていたことをいきなり任せられるわけもないだろうにな」
「はは、それは言えてる」
自分自身の力量不足を嘆きたいところだが、今回ばかりは苦笑で同意するしかない。
実際問題、日昏の言う通りだった。今は集落内部での職務に従事していられる場合ではない。刻一刻と深刻さを増していく憑百への対抗策を練り上げなければならない現状、当主としても戦える世代の若者としても今は前線で如何に敵を抑えるかを念頭に置くべきなのは明確だった。
「…それで、旭兄ぃ。どうするの」
距離を置いてもまだ煙草を吸う日昏へ睨みを利かせる日和が問い掛ける。それが何を示しているのかは聞かずとも分かる。
「態勢を整えたいよね。『陽向』だけじゃ足りない。戦力を確保して、決戦地を用意する。『憑百』は総じて場所を選ばないからね、こちらから強引にでも引き摺り込むしかない」
今日由璃との面会で得た、憑百琥庵という規格外の存在への情報。憑百は化物揃い、その上あれと並ぶレベルが数人は確定している。危険だ。
北南それぞれに跳ばされた珀理と琥庵はもう合流してしまっただろうか。敵が動き出すのが何時になるのかを掴めないのは不味い。後手後手に回っていては近い内に表の世界で収拾がつかない騒ぎが勃発してしまう気がする。
連中に、先手を打たせてはいけない。
「幸いにも、由璃の情報によれば『七宝衆』同士は滅多に群れないらしい。それぞれが各地を巡り人外を殺しているのなら、こちらもその動きを先んじて読めれば……」
七宝を纏めて相手にするのは論外だ。やるならばこちらも精鋭を集めての各個撃破。それが最善。
できれば当主と琥庵は後回しにしたいところではあるが、それも状況次第というところだろう。
(何か大きな動きがあれば神門家を通して四門さんが伝令を請け負ってくれている。とはいえやはり、風魔家からの情報支援が潰されたのは痛いな。これまで陽向家も彼らの助力あってこそ迅速な行動を起こせていたというのに…)
下手をすれば現代機器を上回る速度での働きをしてくれていた彼ら忍の一族。辛くも唯一逃げ延びた当主もつい最近昏睡状態から目覚めたと聞く。陽向家当主となった身としては見舞いも兼ねて面会に行きたくもあるが、やはり状況がそれを許さない。
「そうそう簡単に読めるのならば苦労はしない。仮にも一族の幹部職に該当する連中だぞ」
「だよねぇ」
日昏の正論に一笑して返すと、一瞬間で膨れ上がった殺意が旭の背筋を震わせた。
「なっ…」
「ええまあ、丁度そのお話なんですがね」
振り返り、目と鼻の先にあるにこやかな笑顔を見て大きく仰け反る。それ自体はなんでもない、悪意の欠片も無い純粋な笑みだった。その表情を形作る狩衣の男もまた同じく敵対意思を宿さない。
だから殺意の発生源は、いきなり空間を割り裂いて現れた彼ではなく、
「こらこらなんだ!」
「いきなりなになに?」
男の背後で、二人の巫女が四本の腕で小柄な少女の貫手を押さえ付けていた。口調と態度は平時と変わらず呑気なものだが、主を傷つけられかけたことに対する怒りは滲み出ている。
対する着物の少女日和は押さえられた腕を振り払い、巫女を無視して男を見上げた。そこにはもう猛烈な殺意の放出は無く、ただ興味を失った瞳で呟く。
「…四門家、まぎらわしい。敵かと思った」
「おや、これはこれは。これほど俊敏に門の開閉に反応できる者がいるとは知りませんでした、驚かせてしまいましたね。お詫び申し上げます、退魔の神子よ」
年下の女の子でも丁寧な物腰は変わらぬまま、現れた四門は日和へ片膝を着いて謝罪する。双子は不満そうに頬を膨らませていたが、やはり主の意向には逆らう気も無いのか何も言わずにただ数歩下がった。
「さて、それでは改めまして陽向旭殿。無事に当主の座を継がれたようでなにより。名乗るのが随分と遅れてしまいましたが、私は四門家今代当主の四門|季定《すえさだ》。この子らは私の右腕、|冬夏《とうか》と|秋春《あきは》になります」
「ども!」
「こんちゃ!」
「識と礼に欠ける|悪童《クソガキ》と詰って頂いて結構。誰に対してもこういった態度なのはもう、どうしようもない不治の病として看過してもらう他ありませんので」
恭しく一礼する季定に倣うこともなくそれぞれ左右の手を挙げて挨拶した双子へはもう一種の諦観すら抱いている様子だ。彼も彼なりに苦労しているのかもしれない。
「いえ、気にしないので大丈夫ですよ。こちらも妹が不躾に失礼を」
「日和、あとで説教だ」
「転移にも気付けなかった昏兄ぃは説教いいの?仮に敵なら大変だったけど」
「日和ちゃん…あんまり兄様達を困らせちゃ駄目ですよ?」
昊に諌められるといつもの調子を失う日和が口を噤んだのを好機と見て、旭は早速季定へと話を切り出す。
四門家の此度の役割は決まっている。現れた以上は内容にも察しがついていた。
「それより貴方がここへ来たということは、何か報告すべきことがあったからなのでは?」
「ええまあ、その通りでございます。一報お耳に入れたいことが」
左手に持った檜扇で双子の頭を交互に叩きながら、季定はまたしても大事をさらっと口にする。
「風魔家の生き残り、当主|迅兎《はやと》の姿が忽然と消えました。神門家直轄の病院で内外共に無断での出入は出来ないはずだったのですが、流石は忍の家系ということですかね」
「…確か、昏睡状態から覚めたばかりだったはずでは?」
「そんな状態で…安静にしていなければいけないのに。一体どうして…」
日昏と昊はそう言って共に疑問符を浮かべていたが、旭には彼の唐突で無謀な愚行を促すその思考がある程度読めていた。黙ったままの日和もそれは同様だった。
「憑百を探しているんだ、おそらくは。自分の里を壊滅させた敵を殺す為に」
「四門。風魔の里を滅ぼした三人の憑百っていうのは、七宝?」
仇討ちに乗り出したと思しき風魔の行方の前に、日和は誰もがまだ確認していなかった事項を問うた。彼は扇を開いてパタパタと上下に振りながら一つ首肯する。
「そのようですね。実質は配下二人ではなくその一人で滅ぼしたようなものなのでしょう。今は私の部下が風魔の里から足跡を辿り行方を追っているところ…でしたが、迅兎殿の消息の方を優先させています。けれど、どちらにせよ行き着く先は同じになりそうで」
風魔迅兎は忍としての技量を全て兼ね備えた一級の乱破であり、隠密はもとより調査・潜入・追跡の術にも長けている。一度捜索を始めれば四門よりも早く敵へ辿り着くだろう。
里を滅ぼした憑百と消えた風魔。この二つはいずれ必ず交差する。
そして浮上する問題。
満身創痍の風魔が『七宝衆』を含む憑百三人を相手に勝算がほぼ皆無ということ。戦えば殺されるのは間違いない。
それと、復讐に駆られる風魔に本来得手とする隠密を期待できないということ。特異家系が第一に重んずる、表の人間達に対する秘匿の遵守。今の風魔がこれを律儀に守ってお利口な仇討ちを成すことはまず考えられない。
「止めよう。迅兎君を死なせるわけにはいかないし、また戦地で一般市民を死なせる事態にもさせない。これは陽向家当主としての成すべきことだ」
「だろうな。俺も同意見だ」
吸殻を指で潰し、日昏が前に出た。同意を示すだけでなく、同行をも志願していると受け取ってよさそうだ。
さらに日昏へ続いて二人の少女。
「ん、七宝の一人目。早めに殺そう」
「わたしも行きます。荒事はあまり、ですけど…」
日和だけでなく昊までも出陣を申し出てきたのは意外だったが、彼女も状況の重さを考えてのものか。実際昊の存在価値は全陽向家の人間からしても非常に大きく高いものだ。
「うん、頼む。僕は今から長老のところへ報告へ向かうから、その間にそれぞれ出立の準備をしておいてほしい」
「整ったならば私に一声お掛けくださいませ。途中までで良ければ、辿った足跡の地点まで門を繋げてお送り出来ますので」
時間との勝負である以上、四門家の力を借りない手は無い。大きく頷いて旭は季定の協力を受け取る。
〝倍加〟を巡らせ、強化された脚力で長老の住居である最も大きな屋敷へ跳んだ。
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「承知した、当主。人選は既に済んだか?」
最奥の間にて、今現在の状況を手短に伝えた旭へと|隷曦《れいき》はそれだけ言って許可を与えた。
いや、既に旭を当主と呼んでいる時点で陽向家の全権を彼に委ねているのか。
ともあれ話が拗れることなく済んだのは旭にとっても好都合だった。
「はい。自分と日昏、日和、昊。この四名で風魔迅兎の保護及び敵対勢力の掃討を行います。その間、こちらのことはお任せします」
「わかった。確認するが、晶納はいいのだな?」
同世代の火力特化人員、星光の退魔師は今回連れて行かない。非常に頼りになる戦力ではあるのだが、今彼には別命を与えてある。
「はい。晶納には人外勢力の抑止に務めてもらわなければならないので」
暴走を始めた『憑百』の悪名はもう人外達にも渡り始めている。これにより波及した刺激は恐怖だけではない。これを好機と見て一気呵成の大攻勢を目論んでいる人外も確かに存在することは認知の内だ。
晶納にはその歯止め役を任せた。いくつか大きな波を生み出す地点・対象の割り出しには成功していた、これを徹底的に潰してもらうことで『見せしめ』となってもらう。
旭らしからぬ荒い手ではあるが、時間が押している状況故に仕方が無かった。短時間で人外勢に知らしめるにはこれが一番手っ取り早い。ひとまずは思い知ってもらう。
『「憑百」の騒動に便乗した|愚か者《じんがい》がどのような末路を辿るのか』。
晶納以上に適任の人材はいない。
「では、支度が整い次第出ます」
「待て」
深く一礼し退出しようと立ち上がった旭に、隷曦が制止の声で留めた。
「彼奴も連れて行け、本人の強い要望があった」
「え…?」
顎でしゃくる先を振り返れば、入って来た襖の前で静かに正座する女性の姿があった。いつからそこにいたのか、離反した憑百は地下牢から解放され旭の言葉を待っていた。
「由璃、さん。…長老、これは?」
「案ずるな、幾重にも封緘術を掛けて力は御してある。お前の意思で解くかどうかは決めればよい、それまではただの人間にも劣る小娘よ」
言外に外で始末してくることすら容認するといった様子すら臭わせ、隷曦は机に広げられていた書簡へ何事か書き連ねる作業に意識を向けてしまう。
(陽向にとってはもう用済みってことか…)
得られる情報は得た。もう保護と称した憑百由璃の価値は消え失せ、あとは精々敵を釣るだけの餌程度の使い道にしかならない。そう捉えられている。
強く歯噛みし、旭は無言で踵を返す。襖を開け、隣で旭の指示を待つ彼女を呼んだ。
「由璃さん。怪我の具合は」
「問題ありません」
「戦えますか」
「今は囮くらいの役目しか果たせませんが、〝憑依〟の封印を解いてくだされば」
「そうではなく」
一呼吸空け、唇を噛んで次の一言を継ごうとしたがうまくいかず。結果的には優しく苦笑した由璃の口から言わせる羽目となってしまったことには後味の悪さが残った。
「かつての同胞であろうが殺す覚悟は決まっています。だからどうか、そんな顔をなさらずに」
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「信用できるんだな?」
集合場所に指定していた集落中央広場で、開口一番に日昏が向けた言葉の先にいたのは由璃ではなく、
「はい!由璃さんは嘘をついていません、信じられる方です!」
彼女の深層心理までを〝感応〟によって読み取った昊が断言を返し、それで日昏も満足し引き下がった。
「…ま、その気になれば感情や自我すら偽れる術式も無くはない、んだけど」
「日和。この流れでそういうこと言っちゃうのはやめようね」
あまりにも無粋な呟きを聞いてしまった旭も小声でそう注意し、最後に揃った面子を見回してから、双子の巫女とお手玉で遊んでいる四門家当主へと歩み寄った。
「五つ!む…む、っつ!」
「いける!記録更新できる冬夏いけるコレいける!!」
「愚かですね、私は片手で十三の記録を保持するお手玉マスターですよ?」
(緊張感無いなぁ)
双子の片割れが六つの布袋を宙に放るのを応援するもう片方。そして悠々と十個目を追加して片手で操る季定。初対面の頃からずっと疑問に思っていたが、やはりこの男。
(右腕が…)
羽織る大きめの狩衣で隠れていたが、彼の右手はおそらく二の腕辺りから先は無い。前回の転移の際、肩に乗せられた手の感覚からなんとなしに感じていたが。
「ああ、旭殿。準備はよろしいですか?」
旭の接近に気付いて、十の布袋をジャグリングしたまま向き直った季定に頷きを返す。背後では「ぴぎゃぁー!!」とかいう悲鳴と共にお手玉が終了していたが二人とも無反応。唯一昊だけが慌てた様子で駆け寄っているのを視界の端に認めた。
「五人ですが、大丈夫でしょうか。負担になるようでしたら編成を再考しますが」
「お気遣いなく。これでも当主なので、五人程度は難なく跳ばせますよ」
にこやかに答え、シャンシャンと小豆の擦れる音を発していた十の布袋も左掌の上に開いた空間の穴に呑まれて消える。収納にも使えるとは便利な能力である。
「それじゃあ行こう。準備はいいね?」
四名それぞれに視線を配るも、どうしても一人だけには確認以外の意味が込められてしまう。本人が覚悟を決めたと言っていたのに、どうしても。
「私だけが何もせず、というのは虫の良い話でしょう?それに、もしかしたらですけど」
これから同じ家で生まれ育った者達との殺し合いになろうというのに飄々とした態度で、彼女はむしろそれとは違うところに意識を向けていた。
「いるかもしれませんので、私を逃がしてくれた恩ある方が。だとしたら尚のこと引っ込んでいるわけにはいきません」
「逃がしてくれた人…日昏達のことではなくて?」
「それより前に、ですね。途中ではぐれてしまったので、どうなってしまったのかが分からず気掛かりだったのです」
経緯が分からないが、憑百に歯向かったその人が無事で済んでいるとは思えない。とっくに肉塊にされていてもおかしくはない。
「死んでいたなら、それはそれ。風魔の当主ではありませんが仇討ちは出来ますし。まずは確認あるのみです。片方は人外だったのでわりと丈夫だとは思いますけど」
「えっ人外?」
さらっと放たれた言葉に思わず鸚鵡返しで訊いてしまう。
「はい、確か魔獣種でした。なんで助けてくれたのかは、よくわからないんですけど」
「ど、どういうこと…!?」
転移直前に湧き出た疑問は、現地で『彼女』に会うまで深まるばかりだった。