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第四十三話 潜む獣、忍ぶ獣

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「日ィに何度電話掛けてくる気だテメェ頭湧いてるにもほどがあんだろクソが!!」
『だーかーらーアンタじゃなくてハクちゃんとお話ししたいからとっとと黙って代わりなさいよロリコン悪魔!!』

 人の往来の真ん中をずんずん進みながら、電話口に怒号を飛ばす褐色の男。周囲はそんな彼を恐れ人垣はそこだけぽっかりと空いていた。
 ただ奇妙なのが、奇抜な赤髪とガラの悪い態度に似合わずしっかりと手を繋いで歩速と歩幅を調整しているその有様。隣で大声を散らす青年にも怯えることなく無表情(彼にだけはそれが上機嫌だと判別できたが)でとてとてと歩く白銀の少女。
 周りの人間には、それが兄妹にも親子にも到底見えなかった。だが何故だろう、それ以上の親密さを思わせる絆の固さが窺える。
「……ネネ、げんき?」
 その証拠と言わんばかりに、少女は青年へと一切の気兼ねなく通話相手の様子を訊ねていた。青年の方も、青筋を立てたまま心底煩わしそうに首を振って、
「死ぬほど元気っつうかいっぺん死んだ方がいいんじゃねえかってくらいだなァ!」
『こっちのセリフなんだけどっていうかハクちゃんの声聞こえたんだけどハクちゃん元気!?こっちはハクちゃん成分足りなくなってきて精神的に死にそうな感じ!』
「肉体的にも死ねボケ!!」
 青年、アルは自らの愚かさをつくづく悔いた。何故こんな馬鹿な真似をしてしまったのかと。
 人の世でそこそこの苦労を要して手に入れた携帯電話とやらを入手してから、さてまず何をしてみようかと思案した時点でもっと熟考しておくべきだったのだ。かつての別れ際、罵倒の応酬の中で押し付けられた魔獣種音々の連絡先の存在を思い出してしまったのがいけなかった。
 一度掛けたが最後、白との対話を欲しがって昼夜を問わず電話を仕掛けて来る因縁の相手にアルもうんざりしていた。未だ操作に不慣れ故、着信拒否というものを知らなかったのもこの一件に関係している。
「……アル。かして」
「気を付けろよ白。相手はあのセイレーンだ、たとえ電話越しでもどんな洗脳音波を飛ばしてくるかわかったモンじゃねえ」
『勝手なこと抜かしてんじゃないわよ、やったことないけどたぶん無理だし』
 渋々ながらに白に手渡し、予想通りテンションが倍近く跳ね上がった音々の声が身長差のあるアルの耳にまで届く。
『あ~ハクちゃあーん!ハクちゃん大丈夫だった?なんかツクモとかいう|人間《ゴミ》共に襲われたって聞いたけど!?』
「……ん、へいき。アルとリリヤが、がんばってくれたから。あとアキラも」
『あーそういえば陽向も関わってたんだってね?人外情勢でもわりかし騒ぎになってるわ』
 『憑百』はもとより、それを抑える為に動き出した『陽向』の存在も、音々の持つ人外ネットワークの中から流れてきていた。人間同士の抗争なれど、人外無関係にあらずといった状況に身構える者達も少なくは無い。それは音々にとっても同様だった。
「憑百はそこら中に散ってるみてぇだからな。テメェも馬鹿面でふらふらしてっと今にブチ殺されっぞ。むしろそうしてくれ」
『ハッ!上等じゃないのもし会うことがあったらハクちゃんを怖い目に遭わせたツケを万倍にして返してやるわ!』
 威勢よく答えてから、ふと気付いたのか音々が不思議そうに声色を変えて、
『そういえば、そっち人界に降りてきてんの?妖精界じゃ伝播届かないはずよね』
「……うん。ヒョーゴ」
『ヒョーゴ…?―――兵庫!?えっなんで?』
「観光だ観光。ほら白、もういいだろ」
 ひょいと白から携帯電話を取り上げ、代わりに片腕で少女を膝下から持ち上げ肩車する。
「……たかいっ」
「よく見えるだろー。そのまま豚まん売ってるとこ探してくれ、この辺のはずなんだがなぁ」
『…アンタ本当に観光目的でそんなとこにいるわけ?ハクちゃん連れて?』
 アルが『反転』した場に立ち会っていた音々にしてみれば信じ難い話である。妖魔と堕ちた男が、その原因となった人と人の住む世界を好いているはずがない。腕試しや修行という体でならまだ頷けるが、よもや観光などという戯言で誤魔化されはしない。
 音々は肩車に目を輝かせ周囲をきょろきょろしている白には聞こえないようにトーンを落として詰問を始める。
『何企んでんの?まあ、アンタに限ってハクちゃん連れたまま危険なことしようってんじゃないでしょうけど』
「フン」
 当たり前だと鼻息一つで応じて、しかし馬鹿正直に答えてやることはしない。が、白との二人旅で上機嫌のアルは少しだけ教えてやってもいいかという程度には余裕が生まれていた。
「妖精界の古書を漁りまくってな、それらしいのを見つけたんだ。連中は由来の強い地に居座る傾向があるから、ここじゃねえかってアタリをつけた」
『…どこのどいつに会うつもり?わざとらしく主語を抜いた言い方は意地悪いわよ』
「半分悪魔なもんでな、意地悪結構。俺も確実じゃねえ話をすんのは好きじゃねえ。ただ…」
 此度の目的はもちろん観光なんかではない。憑百へ借りを返す為、より強い力を得る為、今よりもっとこの子を守れるように。
「この国風に言うなら餅は餅屋ってやつか?鍛冶なら|鍛師《かなち》、刀なら刀匠。ようは専門家にご教授願おうかってことだ」
「……アル。あれ」
「おっと見つけたか!行くぞ白!せっかくなんだからここでしか食えねえ美味いもん食い歩こうぜ!」
『ちょっとぉ!!』
 話も半端に駆け始めたアルへ、音々は大いに憤慨した。それは途中で打ち切られた旅の目的へのもの…では、もちろんなくて。
『ちゃんと写真撮って送りなさいよ!アンタのじゃなくて、美味しいもの食べてるハクちゃんの可愛い写真をねッ!』
「…………テメェもまあ、あれだ。ブレねえよな」
 音々にとってはアルの目的なんてどうだっていいのだった。
 白に対する過剰なまでの愛情だけはアルも認めているし、信用している。だからこそ、自分に何かあった時への保険として音々との縁も健気に保っていたのだから。
 その一点に関してだけは、この魔獣風情は全幅の信頼を置ける相手なのは間違いない。



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「ふうー。全然足りないけどハクちゃん分いくらか補充っと」
 通話を終え、長い赤毛の髪に埋もれるように当てていた携帯電話を耳から離しポケットに仕舞う。
「いいわねぇあっちは楽しそうで。私も行ければいいんだけど」
 力なく苦笑いし、四周の気配を探りながらぽつりと漏らす。
「こんな状況じゃ、そうもいかないか」
 路地裏、手負いに顔を顰める男が壁に寄り掛かり苦笑を返す。
「済まんな、魔獣の女。巻き込んでしまったことは謝る」
「何度も言わなくていいわよ、こっちだって勝手に首突っ込んだだけのことだし」
 町の一角に身を潜める人間の男と人外の女。
 人の多い通りへ出ようが関係ない、それどころか被害は広がる一方だろう。何も知らない一般人が十人百人いようが、問題なくその全てを殺し最後にこちらへ矛先を定めるだけだ。
 連中がそういう狂人の集まりだということは、既に電話向こうの妖魔が経験済みなのだから。
 白もいた手前、あえてその本人にはこの状況を伝えることはしなかったけれど。
「いいじゃない。万倍にして返してやるわ。あの子を怖がらせた、忌々しい憑百共に」
 そもそも大前提として自分は突っ込んで戦えるタイプではないのだが、そんなことも言っていられない。本来ならば(考えたくもないが)アルのような近接戦技に長けた相手と組めれば音々という人外の本領は発揮される。
 しかし今の戦力は自分以外にはこの男。異能を有しているらしき大柄な人間のスタイルは、短時間とは言え共同戦線を張っている現段階でも分かる。ただの人間であるからしてあまり期待は寄せられないが、それでも前衛を任せるに足る能力者だった。
「とりあえず逃げ回るけど、それでいいわよね」
「異論無い。連中は人目を憚らず暴れるんだろう?ならここは場所が悪すぎる」
 追い詰められた結果とはいえ、街中へ逃げ込んだのは不味かった。こちらは街の人間に注意しながらの動きに対し、憑百は往来の只中であろうが〝憑依〟を展開しかねない。
 戦うにしてもせめて人のいない場所まで誘導したいが。
「それじゃ、裏手を周りながら離れましょ。止血は済んだ?タケヤ」
「なんだ、待っててくれたのか。いつでも行けるぞ」
 呼ばれ、人の男タケヤがゆっくり頷く。
 殺し合いはおろか真正面から殺意をぶつけられることすら常人には慣れ難い事態のはずだが、タケヤは見かけに違わぬ肝の持ち主だったようだ。腕の傷も迅速に手当てを施し次の動きへの備えまで完璧にこなされていた。
「おっけ、なら早速―――」
 極力気配を殺しながら路地裏の奥へ足を向けた最初の一歩目で、足裏を伝う地響きに音々は理解より早く身構えることを優先した。
「爆発…?」
「ぼさっとしない!このタイミング、明らかに偶発的な事故で起きたものじゃないでしょ!」
 震動と共に鳴り渡る轟音。タケヤは建物に挟まれた狭い空を見上げたが、当然ながら真上の天には何の変化も見受けられない。
 これが表の通りであればすぐにわかったろう、黒々と昇る噴煙は彼らにはまだわからなかった。
 僅かに狼狽した様子でタケヤが漏らす。
「馬鹿な。相手の姿も見つからん内から何故こんな…強引に炙り出す魂胆か?」
「あなたは知らないだろうけど、憑百ならやりかねないわね。ただそれにしては妙に…」
 言い掛けて噤む。そんなつもりは無かったにせよ、これは口に出して言うようなことではない。
 音々とタケヤを敵と認識した憑百が、表に引き摺り出す為に行った強硬策。
(だとしたら妙よね、やっぱり。|被《・》|害《・》|が《・》|少《・》|な《・》|過《・》|ぎ《・》|る《・》もの)
 魔獣セイレーンは唄によって数多の現象・状態変化を及ぼすことを可能とした人外だ。それはすなわち声帯から紡がれる特殊な音波、異質に歪めた空気の振動でもある。
 音々は『唄』という技術を以て音をも御す。爆音がどの地点から発生したか程度なら、視覚に頼らずとも分かるのだ。
 今の爆発は地上よりもずっと上。おそらくはどこかの屋上で炸裂したもの。
 たった二人を町中から炙り出すことに躊躇しない憑百にしては控えめだ。音々自身も直接憑百と相対したことは無かったが、風評通りの狂人連中ならきっと、より多くの死傷者を出す場所を選ぶのではないだろうか。大きな恐慌状態を煽る為に。
 ただし、やはり今の爆発が一切こちらと無関係にも思えない。魔獣種として宿す獣の勘が、自らへ及ぶ脅威の一端だとがなり立てていた。
「こっちを狙ったものじゃない。なら、違う誰か?いやそもそも…」
 呟きながら片手で路地裏を巡る逃走経路を示す。確認したタケヤと共に建築物の合間を縫って進みつつ、音々は一つの結論に行き着いた。
「まさか…憑百が起こしたものじゃない?」
 
 だとしたら一体、誰だ。
 襲われていた女を前に割り込まずにはいられなかったお人好しの正義漢と、偶然ながらも巻き込まれる形で、しかし愛しの少女へ無粋な干渉を行った憑百への仕返しとして便乗した人外。
 それ以外の要素が、今この町に存在している。
 まるで憑百のように一つの目的を定め、それ以外に興味を示さない悪鬼羅刹に等しい何かが。




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 至って古典的な、ワイヤーを用いたブービートラップだった。
 踏み抜いた瞬間に爆薬が炸裂し、対象となった男は左半身を爆風と熱波によって焼かれ炭化した肉が千々と裂かれる。
 それでも表情一つ変えずに立ち上がったのは、流石狂信に囚われる滅魔の一員ということなのだろう。
「……ふ」
 本来ならば痛みに悶えのた打ち回るほどの重傷だが、男は自らの無様さに笑みすら浮かべていた。
 そして。
「―――〝来たれ。|野鄙《やひ》に呼号し。|産鳴《うぶな》く兇賊〟」
 男を基点として渦を巻き集う邪気が、吹き飛んだ部位を補い武装し刺々しいフォルムを形作る。
「〝血を啜り骨を齧り。譫語に哂う昏迷の先へ…〟」
 物理的な干渉力すら獲得した周囲の邪気がまたしてもどこかに張られていたワイヤーを切断したのか、無数の鉄杭が一斉に彼へ殺到する。
 だがその程度、完成した〝憑依〟の憑代にとっては何の脅威にもならない。全て黒色の瘴気に侵され腐食し塵と帰す。
 二度の罠。二度の直撃にも相手は動かない。効かないことを知っていたのか、それとも様子見だったのか。明確となった憑百への強い殺意の宿り手は、それでも一片すらの気配すら掴ませなかった。
 普通ではない。これだけはっきりした殺害意志を持っていて、それを微塵も漏れさせず隠れ潜むなど正気の沙汰ではない。
 その常軌を逸した隠伏能力が、かえって正体を露呈させてもいた。
「……なるほど。死に損ないの乱破小僧。先回りしていた。か」

 姿は見えない。物音は聞こえない。肌に感じる気配も無い。
 だが居る、確かに其処に在る。
 まるで足元から伸びる影に睨みつけられているかのよう。すぐそこにいるはずなのに、手を伸ばせば届くはずなのに。その距離をどこまでも引き離される錯覚に苛まれる。
 実体無き影は物言わぬままに。

「……………………」

 ただ忍ぶ。
 ただ示す。
 『貴様等を殺す』と。
 牙は抜けていない。四肢は生きていた。それで充分。

 風魔迅兎という名の現象が、怨讐の仇敵を滅ぼすだけの獣と化す。
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