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第四十四話 飛び交う影は風の如く

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 男は若き―――いや幼き頃より聡明だった。
 自らが他者とは違うことを認識していた。それは自分が他より優れているということではないことも理解していた。
 異端。異質。…異能。
 彼はその力を常人が持たざる力であると分かった上で、それを押し隠してきた。世に少なくない異能力者の中で、彼の行動は限りなくおとなしかったと言える。
 誇示することなく、必要以上に怯えることもなく、自身の内にある異能への理解を深めていくだけの日々。特段、日常生活で活用することも悪用することもなかった。そういう意味では、この男は欲に浅く乾いていた。
 だが人としては欠落していた部分は無く、むしろ並の人間以上に情と義に篤い男であって。

「…おい。何をしてるんだお前達」

 そんな男だったから、一人の女性を死に追いやる連中を見逃せなかった。
 押し隠して来た力は露見を恐れたものではない、騒ぎの渦中に呑まれぬ為の隠匿だった。
 でも、だからといってその力を一度たりとも人前で発動したことが無い、ということもなく。
 手足を振るって暴力に抗うのと同じように、男は自身の正しきと思うことに対しては躊躇なく異能を具現させる為の引き金に手を掛けられる。



 時間にして五分か、十分か。その程度だっただろう。
 男にとっては幸運だった。『連中』にとっては目障りという程度の|些《・》|事《・》。
 一人の|人外《おんな》がまた、その地に現れた。
 敵三人、それも歴戦を重ねた猛者を相手によく保ったものだ。その時既に逃がした女はおらず、故に人外も状況の複雑さをさほど感じることなく参戦できた。
 男は『連中』、すなわち憑百の一派と相対していた。
 都合が良い。丁度、この屑共には愛すべき白銀の少女が大変世話になったらしい。一言の対話も無く敵対意思を示すには充分過ぎる相手。
 男は彼女が人ならざる者であることを瞬時に悟った。そして彼女の瞳に宿る敵意殺意に自分が含まれていないことも。
 両者共に敵は共通していた。ここでもやはり言葉は不要。
 無言の内に組まれる共同前線、しかしこれには誤算しかなかった。
 人間の男・タケヤは知らなかった。人外の女・音々は知っていてその上で見誤っていた。
 敵と定めた『憑百』の練兵が如何なものかを。たった一人ですら特異家系を滅ぼせる『七宝衆』というものの脅威を。
 だから敗戦は確定していた、撤退を余儀なくされた。(二人は知らなかったが)同じ憑百の裏切者である女が逃げ切り、さらに別の七宝に追われる事態になることも分からぬままに二人は押されに押され、ついには町中への進行すら許してしまった。
 二人とも口には出さなかったが、町への撤退時点で察していた。負けると、殺されると。
 その予想は正しかった。このまま戦えば彼らはさしたる抵抗もままならぬ内に虐殺され、ついでとばかりに町も壊滅させられていた。



 そうならなかったのは一重に、一人の少年の介入があったからだ。
 防戦一方、撤退以外の選択を奪われた彼らの反撃はここから始まる。
 敵も味方も分からぬ、憤怒に駆られる走狗の一手によって。



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 小さく小さく、誰にも聞き咎められないほどの吐息に近い舌打ちを溢す。
 仕留め損ねた上に、狙い違えた。
 今、半身を爆風に見舞われた男は確かに憑百で、確かに過酷な修行と実戦を重ねた強敵なのだろう。
 だが一番に殺すべきと定めた相手ではない。アレは七宝ではない。
 七宝衆の一人が側近と従えた二人の内の片側だ。メインに比べれば幾分も劣るが、自分の状態を鑑みれば連戦は控えるべきなのだ。風魔迅兎の体は先の襲撃で瀕死手前。単身で挑むには憑百三人は荷が勝ち過ぎる。
 ……いや、だからどうした。
 決めたろう。一族皆殺しにされ、自分だけ命からがら逃げだした時に誓ったはず。
 たとえ風魔の皆が繋いでくれた命だろうが、この身全てを捧げて奴等を滅ぼさねば自分は生きていく資格すら得られない。
 七宝衆だけでない。憑百全てを同じように皆殺しにしてやらねば。
 そう。そうだ。
 痛みなど気に掛けるな。恐怖などとうに棄てた。覚悟の灯火は息絶えるその瞬間まで消えることは無い。
 殺す、殺す、殺し尽くす。
 それ以外の思考は余分だ。何も考えるな。特異家系の使命なぞ知ったことか。どれだけの騒動を巻き起こそうが、最後に目的を果たせていればそれだけでいい。
 風魔忍軍正真正銘最後の一人、風魔迅兎。
 あらゆる手段を以て敵を殲滅する。



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 姿は依然として見えず、だが攻撃だけは絶えることなく続いていた。
 まるで幾百もの幻影を相手取っているようだ。視界の隅に映った影を拳で抉るが、そこには破砕したコンクリートだけ。
 わざと気配を掴ませ、しかし捉えさせぬように俊敏に動き回っている。
 そうして空いた脇腹に火砲のような爆裂が叩き込まれ、真横に跳ね飛ぶ憑百。屋上の端まで弾かれ、両足で踏み止まる。直後、地面が蜘蛛の巣状に割れて崩れた。
「…」
 四階建ての屋上。落下ダメージは〝憑依〟状態の憑百ならばほとんどゼロに等しい。だから着地は考えない。
 見上げた先には大小様々な瓦礫と、それを蹴って移動し接近する影。
「そこ。か」
 ボヒュゥ!!
 落ちながらも的確に突き出された貫手は手応えを返さず、ただ黒い外套だけが抜け殻のように腕にまとわり付いていた。
 流石に相手は忍の一族、接近と同時に転じて変わり身による離脱。そして敵の腕に絡み付いた布の内にはいくつもの火薬を詰めた玉が入っていた。
 忍具が一つ|焙烙玉《ほうろくだま》。それをさらに改良した威力の程は手榴弾の数個を上回る火力で爆ぜ広がる。
 空中二階相当の高さで轟音と爆風が吹き荒れ、地上の人間は思わず避難より先に上空へ顔を向けてしまう。既に二度の爆音を耳にして、それでも平和に呆けた人々は逃げるという発想に行き着くことすらなかった。
 降り注ぐ瓦礫、ガラス片、鉄塊。

 爆発の被害に見舞われた建物の直下にいた人間約十余名の記憶はここで一旦途絶える。



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「好き勝手にやってくれるじゃない……タケヤ!」
「五分くれ!この者らを安全な場所に安置するまで…!」
 両腕で四人の男女を抱えたまま、タケヤが粉塵に咳き込みながら駆けていく。それを横目に、音々は自らの声帯から特殊な音で編み上げた唄を紡ぎ出す。
 それは人の精神に干渉するもの。下手な騒ぎを起こされると面倒だったのと、無意味にパニックを広げられるのを避ける為の洗脳に近い唄だった。
 唄の内容は『避難、逃走、この町から少しでも遠くへ逃げる』こと。
 弾かれるように飛び出した二人のおかげで辛くも瓦礫の下敷きになりかけていた人々の救出には一足間に合い、これも音々によって意識を奪い記憶からも消させてもらった。
「そのまま残りもどっかに置いてきなさい。私はこのまま唄の範囲を広げる!」
 もうこの町は駄目だ。憑百と何者かが派手に口火を切ったせいで全て台無しだ。極力に被害を抑えた上で逃げる算段はご破算にされた。
 次善策は何かを考えて、思いついたことは一つしかなかった。
 住民全てを避難させ、被害をこの町のみに留めた上で敵を倒す。
 唄う。ただひたすらに町の全域へ向けて。
 自分のいる前で人間は殺させない。
(あの子が好いていた人間共を、みすみす眼前で死なせたりしたらもう…まともな顔して会えないじゃないの…!)
 若者は老人を担いで逃げろ、女子供は優先して逃がせ。
 効率的に組み上げた逃走経路と手段を脳に書き込む唄は続く。幸いにも激しく暴れ回る両者は住民に一瞥もくれていないようだ。
 自身もまた意識を失った人間の輸送に手を貸しつつ、完全に無人と化しつつある町中で次なる一手を思案していた。
 どちらがより厄介か。どちらを先に仕留めるべきか。



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 風魔家は忍の一族としての能力に特化していた。それは他家のような戦闘能力に性能を傾倒させる特異家系らに比べれば戦における脆弱さを意味している。
 ―――と、思われがちであった。
 確かに純粋な一騎打ちでは分が悪い。一撃で敵を絶命させる奥義があるわけでもなく、また必殺と呼べる秘技も持たない風魔ではどうあっても戦いで劣る部分が多いのは否めない。
 そもそも忍が真っ向勝負で一騎打ちなどという馬鹿げた愚策を選ぶ時点で敗北必至なのだから、それは元より当たり前の話。
 忍の勝負は顔を付き合わせる前から始まり、そして終わっている。
「……貴様等の足跡を辿るのは造作も無かった。隠す気もないのだから当然、だからその先まで読むのも容易い」
 風魔の索敵・追跡能力は特異家系中随一。四門の配下が彼らを追っている中、既に迅兎は行方を掴み、次に向かう町への先回りまで済ませていた。
 猶予は充分にあった。この町を、自分好みの戦場に変える時間は。
「大口開けて待っていたぞ。阿呆がノコノコと胃袋まで足を運んでくれて、助かった」
 至る所に罠を張り巡らせ、術中に囚われた相手は最早逃れること叶わず。
 忍は姿を現さない。声だけを空気に震わせて、嘲り罵る憎悪の念だけが敵を四方八方包み込む。
「できるだけ苦しんで死ね、憑百。今は亡き我が同胞達へ苦悶の悲鳴を聴かせて死ね。ひとまずは三人、まるで足らんがともかく死ね」
「…ふ」
 瓦礫に埋まっていた男が起き上がると、身体中に飛苦無が貫通あるいは刃を中ほどまで沈んで突き刺さっていた。
 これだけ攻勢を仕掛けておきながらまだ男は敵を一瞬たりとも視界に入れられていない。まさかとは思うが、風魔の亡霊が束成って襲い来ているのではないかとも思える。
 〝憑依〟を得手とする憑百にそのような感想を抱かせるのだから、その実力はもう認めざるを得ない。
「良い。優先順位を変える。その同胞らと再会。させてやろう」
 さらに濃密に纏われる邪気。怪我すら一時的に塞ぎ補うおぞましい怨霊悪霊の想念。この男は憑百の典型的な〝憑依〟の使い手。
 数ある死線を乗り越えて生き長らえてきた憑百家の練兵は並ではない。実力だけでも、七宝以外ですら通常の特異家系者の手練れを超える。
 恐れてはならない。覚悟で追い縋れ。
 決して地力では負けていないのだから。それどころか勝ってすらいる。
 少なくとも、こと『速度』においては。
 邪気が覆われきる直前に、右腕が半ばまで斬り裂かれパッと血が舞い散る。
「……。ほう」
 罠ではなかった。先の一閃は間違いなく意志ある人間の一撃。真横からか、あるいは背後からか。
 腕を裂かれるほどの距離まで接近されたはずなのに、それにすら気付けなかった。
「まだだ」
 声は冷徹に戻っていた。感情に揺さぶられ愚策は取らない。憎しみも怒りも捨てずに、抱いたままに殺害の原動力として燃やし続ける。
(まだ先だ。まだ会えない。皆に会うにはまだ、自分は何一つとして成せていない)
 残像が再び五つほどに増え、今度は直接邪気を纏う男へ刃を向ける。
 早く殺さなければ。敵の数は三、手早く叩いて次なる罠地へ誘導する必要がある。
 単体のみであればまだ、まだ勝機は十分にある。問題なのは、

「オイ、いつまで遊んでんだ|坐菫《ざきん》。|珊乍《さんさ》様がお呼びだぞ」

 問題だったのは増援。仲間意識の薄い憑百であればあるいはと考えていたのに。
(止むを得ない、か!)
「あ?」
 さらに速度を上げ、視認すら困難な勢いで縦横無尽に斬撃を振り回す。新たに現れた男もまた、それを確認して肺の空気を全て吐き出すような深い溜息をつく。
「だっりぃ、殺すぞ小蝿」
 そうして時間差にして二分。
 あと二分、音々の唄による退避が遅ければ数十人が巻き込まれ死んでいた。それほどの激突が展開される。
 
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