第四十五話 合流、そして対峙
(まず、い…!)
住民全ての退避を確認し、激戦地である方角へ意識を向けた音々へと真っ直ぐに突き刺さる濃密な気配。どっと冷や汗が噴き出る。
憑百と何者かが交戦している場所からではない。屋上に立つ彼女の背後を取った相手から放たれる凶悪そのものと呼べる埒外の圧力。
「タケヤ走りなさい!!」
振り返りはしない、その間も惜しい。
町全域を覆った唄により消耗した体力も回復し切らぬ内に、音々は余力を振り絞って駆け出した。タケヤも事の異常さを察知したのか地上を疾走し屋上を跳んで移動する音々に付いてきている。
出来るだけあの戦闘区域から遠ざかるようなルートを選び走り続ける。あそこで暴れている者達も相応に厄介だが、アレは桁違いだ。
疑う余地も無く確信する。
(アレが大将!七宝とかいう人の形した化物ってやつよね!)
どれだけ引き離したのか、それともすぐ近くまで迫っているのか。
禍々しい瘴気が触手のように背中からぬめりとした錯覚を絡み付かせて来る。呼吸すら阻害されているように感じ、それが余計に体力を削いで来ていた。
(さあどうする、どうする…。逃げ切れるわけはなし、かといって真っ向勝負で勝てるわけもなく。ったく!ここまで人間離れしてるってんならちゃんとそうって説明なさいよあの馬鹿悪魔!!)
完全に八つ当たりじみた悪態を遥か遠方にいるはずの相手へ飛ばしながらも思考は止めない。
「音々ッ」
焦れたのか、タケヤが壁を蹴り上がって屋上に現れる。ひとまず逃走を念頭に置いていた音々はブレーキを掛けることなくタケヤと並走するつもりでいた。
だがタケヤの側はそうではなく、
「えっ!?」
腰を低く落とし、走る音々を真横からタックルして諸共に屋上から落下されられた。
それと同時、落ちた建物どころかその四方に隣接していた建築物までもが唐突に全壊。まるで液状化したかのように、バラバラと砂塵と化していく建物だったものに呑み込まれながら地上へと落ちる。
背中から魔獣種の証である黒翼を現出させ、瓦礫から自身とタケヤを守る。飛翔用ではないが、極めて頑丈な作りをしている翼にはこういった防御の使い方があった。
「嫌だよね、やだやだ」
なんとか衝撃を緩和して着地した二人の前に現れた女が、片手をぱたぱた振って渋い顔を作る。
「あの売女を仕留めようとしたとこでアンタらに邪魔されて、代わりに向かわせた|鏖釼《おうけん》も取り逃がしたってんだからウチらは『七宝』の名折れなわけよ。腹いせに風魔とかいう連中潰してきたんだけど、死に損ないの生き残りがしゃしゃって来てるし」
瓦礫の欠片を蹴り飛ばしながら、女はふわふわにウェーブのかかった髪を指で弄びながら吐き捨てる。
「なもんで、ちゃっちゃと終わらせたいわけよ。さんざ逃げ回ってくれたけどもういいでしょ?さくっと殺してあげるからぱっぱと死んで」
(チッ…これは)
(もう…)
やるしかない。
両名同時に覚悟を決めた。これは逃げ切れる相手ではないし、逃げれば逃げるほどに被害を拡散させるだけだ。倒せるとは到底思えないが、とにかくやる。やらねばならない。さもなくば死ぬだけなのだから。
「おおう、やる気?今更になって?いいわーその悲壮感、敗北と死を察してるその顔。ようし、それなら予想に違わず殺してあげる」
ローテールに括られた毛先をピンと指先で弾いて、女は間合いも関係無しに一歩踏み込んだ。
「「ッ…!」」
音々が唄を紡ぎタケヤが拳を握る。
一番最初に気付いたのは今まさに走り出そうとしていたタケヤだった。女の足元が、晴天にも関わらず濡れている。
「…んっ?」
その変化に女も気付き、視線を落として首を傾げた。どうやら彼女が何かしたわけではないらしい。
直後、濡れた大地から一斉にゴボリと水が噴き上がり女の周りを囲った。さらに水は数十の三日月型を作り女へと飛来、切断性を付与された水刃の包囲に呑み込まれる。
「…〝集水参式・|廓漸波《くるわざんば》〟」
「あなたは…確か」
残骸の積もった上を歩いてやって来た着物姿の少女。音々にはその姿に覚えがあった。かつてのユニコーンを巡る戦いの中で旭と共に戦場を駆っていた退魔の子。
「日和ちゃん…だったかしらね」
「ん。そっちは魔獣種の。憑百相手に、よく生きてたね」
整った日本人形めいた顔立ちをに少しの愛嬌も乗せない無表情で、日和が二人をさらりと見やった。前回共同前線を張った間柄が幸いしてか、特段こちらに敵意を向けて来ることはなかった。
「旭兄ぃも来てる。この一戦、事情とか知らないけど陽向家に仕切らせてもらうから」
事情を理解していないのは音々達も同様だった。こちらが仕掛けた喧嘩がどういった経緯を経て陽向家へ回ったのか知らないが、ひとまずの危機は去った…と考えていいのだろうか。
「それは良かった。なら急いで旭達と合流しましょ、アレだっていつまで押さえておけるかわからないし」
水撃に呑まれる敵の姿はここからでは見えないが、発動した日和が攻撃の手を緩めていないということはまだ終わっていないのは確実だ。
「?…合流、しない。兄ぃ達も残りの憑百の相手に忙しいから」
何を言っているのだろうといった面持ちで、日和がこてんと可愛らしく首を傾けた。ぎょっとしたのは音々とタケヤの方で、未だ危機的状況から脱し切れていなかったのだと戦慄した。
さて新たに増えた少女が退魔師として如何程の実力を有しているのか不明だが、一人増えた程度であの化物に対抗できるはずもなく、間もなくして水の猛攻が吹き飛ばされその中心から片手を払った女が無傷で出てきた。
「んんー、何かと思えば陽向の。時間稼ぎ?それとも偵察?どっちにしても捨て駒だよね、まだそんな小さいのにかわいそー。憑百の良心に期待して見逃してもらえるかもとか思ってたら残念だけど無理だよ?こっちだって降り掛かる火の粉は」
「殺しに来た」
一人でぺらぺらと喋り続ける女に苛立つ様子も見せず、淡々と日和が一言だけ割り込ませた。それを聞き留めたのか聞き逃したのか、女はぴたりと口上を止めてにっこり微笑んだ。
「え?ごめん、もっかい言ってもらえる?何しに来たって?」
「だから殺しに来た。『七宝衆』が一角の憑百|珊乍《さんさ》。七人もいるならあんまり時間は掛けられない、まずここで一人を仕留める」
とてとて少女らしい歩き方で歩み寄りながら告げる日和へ、微笑みを絶やさずに珊乍は口角を吊り上げた。
「なるほど、変わった遺言だ」
-----
「あの…大馬鹿がっ。いきなり飛び出していくやつがあるか」
「向かった先は『七宝』か…!昊の真名解放もまだなのにあの子は!」
四門による転移で到着した町の全景を見渡すや否や、「兄ぃ達はあっちの風魔を、私はこっちを始末する」とだけ言って真っ先に移動を開始してしまった。
止めたいのは山々ではあったが、遠目に見えた彼らの戦闘がかなり逼迫したものであったのと、すぐさま由璃が昊の安全確保を兼任して日和のあとを追ったことで二人も自らの成すべきことを見定めた。
「…なるほど。今度は。陽向か」
「ゾロゾロと数だきゃ揃えてきやがって塵蟲共が」
両者の衝突に割り込む形で日昏が憑百の二人を、旭が風魔の刃を押さえ込んでいた。
ここに来て、ようやく彼らは(いち早く戦闘で対峙していた憑百らですら)初めて動きを止められた風魔の姿をその眼に映した。
黒づくめの布に身を包んだ出で立ちは憑百の戦装束にも似ているが、こちらはより運動性と隠蔽に特化されたモデルに思えた。内に鎖帷子を着込み、口元まで覆う首当ての黒布が幾重にも巻かれている。表情はやはり、布によって目元以外はまったく見えなかった。
ただわかったことは、いくら極力肌の露出を抑えていても隠し切れない深手の数々。中には傷が開いたのか黒布から出血が滴り落ちている箇所すらある。
「旭!風魔当主を連れて下がれ、昊なら傷の手当ても任せられる!」
「了解!少しの間ここは頼むよ!」
背中合わせのまま日昏が振り返らず叫ぶのに応じ、旭も彼の腕を掴んで走り出そうとした。
だが。
「…、を」
空気を斬り裂く鋭い音に、思わず手を離して身を仰け反らせる。顔のあった位置を斬撃が通過し、危うく顔面が二つに割かれる所だったのにぞっとしながら数歩下がった。
「何を…迅兎君!?」
「…ま、を…」
「こちらの予想を超えてきたな…その男を此処から遠ざけろ!復讐の権化だ…もうそいつは」
その続きは聞かずともわかった。一族を殺し尽くされた男、その執念と憎悪は既に許容を大きくオーバーしていた。
我を忘れている。
「邪魔を…するな」
町への被害も、一般人への隠匿も、あまつさえ敵味方の判別すらも困難となり、風魔迅兎の一心はただひたすらに眼前の憑百とそれを阻害するモノにしか向かない。
(言葉だけじゃ最早止められないか!)
本来の想定よりいくらか外れた展開になったが、こうなればやむを得ない。風魔迅兎がこれ以上の戦闘で自死するような事態を引き起こす前に、こちらで多少強引にでも鎮圧させてもらう。
肌を焼く陽光はさらに強く。それはある者達にしか感知できない領域の展開を意味した。
青天の輝きが一段と増し、彼ら陽向家の力は平時の数倍にも引き上げられる。
『賦活の昊』の発動、戦域の拡大。
無人の町はもう、ただ荒野と化すのをただ待つばかり。
-----
「では昊殿。私も戦線に加わりますのでこれで。どうかお気を付けられよ」
「はい、ありがとうございました!由璃さんもご無理はなさらず」
昊が真名解放を終えるまでの間、周囲の索敵と安全圏域の確保に徹していた由璃が一礼と共に鉄塔から跳び下りる。
あの少女が扱う護りの術法は強力だ、それは憑百の追手から庇われていた自分がよく知っている。一人きりとなってもそうそう容易く破られることはないはずだ。
由璃としてはこの一戦、まず相対するべきはかつての同胞にして同じ職責を担っていた者、つまり『七宝衆』の打破にあると考えていた。
『七宝』のそれぞれが持つ特性や能力は皆例外なく強力無比。熟知とまではいかずともある程度の理解があった自分が請け負うのが妥当のはずだと、少なくとも初見で倒し切れるような相手ではなかったと、由璃は懸念していた。
その懸念が、今になって揺らいでいる。
「……まさか、これほどとは…」
鉄塔から地上までの降下中、眼下に見える景色の一点に由璃は集中していた。
一刻も早く向かわなければならない。そうでなければ。
(計り損ねたというわけか、その力の程を。私は元より珊乍、貴様も)
そうでなければあの状況、とても間近で確認しなければ信じられるものではなかったから。
-----
憑百の精鋭部隊『七宝衆』。その全てが並居る特異家系者を蹂躙せしめるだけの脅威を保有する一騎当千の化物達。
だが当然ながら、この七宝がお行儀よく横一列に実力を競り合わせているわけではない。相性や環境によって若干の優劣が現れることは仕方のないことであった。
「お前……」
とはいえど、と日和は頭の中を疑問符でいっぱいにして短く唸った。
「本当に、『七宝衆』の一員?」
日和にとっては一切の悪気を含ませない、純然たる問い掛けだった。だけど問われた側にとっては侮辱と屈辱以外の何物でもなく、
「…………ッッ!!!」
歯が砕けるほど強く噛み締めた咥内から血が滲み出す。
両手足を地に着け四つん這いに伏せていた憑百珊乍が激昂するに当たり、その発言は充分すぎる挑発行為となっていた。