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第十六話 四大幹部 (どんべえは関西派)

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 「で、あんたはまだ駄目なの?」
 「……あぁ、すまないな」

 そう言って頭を下げる和宮
 ここは鹿子の探偵所
 和宮は帳簿にミスがないか確認しながら、暗い声でそう尋ねる。
 あのティンダロス騒動を乗り越えてから、和宮はある程度復活していた。アインスウェラーを顕現し、能力を発動することはできるようにはなった。あの事件が何かしら彼にいい影響を及ぼしたらしい。だが、本調子からは程遠かった。
 何か足りないのだ。それは、能力を発動した時の反応だったり、肉体強化だったり。あるいはただの勘違いなのかもしれない。
 それが今、非常に重い問題として和宮の背中にのしかかってきていた。
 あと少し
 あと少し何かがあれば、元に戻れるような気がするのに。

 「あと少し……か」
 「ン、なんか言った?」
 「いや、何でもない」

 そう答えて、小さくため息を吐く。
 もどかしい。
 中途半端に希望が見える辺り、より一層。
 そんな目に見えて落ち込んでいる彼に二人の声がかけられる。

 「まー、まー、しょげナイしょげナイ」
 「そうっすよ、間遠の旦那。俺たちもいるんだし、長めの休暇とでも思ったらいいじゃないですか」
 「……すまないな、お前たち」

 軽い口調で和宮を慰める二人、天音とキョータだ。
 彼らはティンダロス騒動の後で、正式にデビルバスターズに入ることとなった。今はリザから戦い方の指南を受けたり、探偵の仕事の手伝いをしたりして、探偵事務所で泊まり込んでいる。ちょっとおちゃらけたところはあるものの、リザは二人のことを気に入っていた。
 いつもなら、この時間は三人で組み手をやっているのだが、今日に限って違った。
 なぜなら数十分前にリザが探偵所を飛び出して行ってしまったからだ。
 理由はなぜか聞かなかった。聞く暇がなかったのだ。
 また「ここで待っているように」と言われたので、少し悩んだのだが、結局言われた通りにすることにした。
 暇を弄びつつ、ひたすら駄弁っている非正規英雄達。
 彼らに激震が走るまでに、あまり時間はかからなかった。

 ドゴンッ!! という轟音と地響き。そして川の水がはじけ飛ぶバシャンッという気持ちの良い音。それらが一斉にまじりあい、不気味な不協和音となって鹿子たち非正規英雄たちの耳へと襲い掛かる。
 それに真っ先に反応したのは鹿子だった。
 座っていた椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がると近くの窓に駆け寄る。
 そして、そこから河川敷の方を見る。
 すると水滴がびっしりとついたガラス越しに、悪魔の姿を確認することができた。あまり窓が大きくないことと、ほんの一瞬だけ、影が映った後、彼らはすぐに移動しまったせのではっきりと見えなかった。
 だが、一つだけ分かったことある。
 悪魔の数は一体だけではない。

 「―――ッ!!! キョータ、天音!!!」
 「ナニッ!!」
 「鹿子先輩、何が?」
 「悪魔!! 行くよ!!」
 「ッ!? 分かった!!」
 「いいですけど……間遠の旦那は?」

 キョータのその言葉で、全員が一斉に和宮の方を見る。
 その視線を一身に受けて、和宮は厳かに答えた。

 「行く」


 足手まといにしかならないとしても、それでも、自分は行かなければならない。
 その答えに対して、誰も何も言うことなくそのまま固まって探偵所から飛び出していった。


 相対する四体の悪魔
 触手の邪蛸クトゥルフ
 業火の悪鬼クトゥグア
 黄衣の帝王ハスター
 暗闇の怪奇ニャルラトホテプ

 彼らは廃工場から離れた後、激しい戦闘を繰り返しながらここまで移動してきたのだ。ちなみに、激しいと言ってもそれは見た目の話であって、実際に受けた傷、ダメージといった点では逆にそこまでではなかった。
 なぜなら、お互いに手加減をしているからである。
 殺さないよう、死なないよう。最低限の力で最高の戦いを演じていたのだ。
 だが、それも限界だった。

 彼らは小休止として一旦降り立ったが、その心は激しく燃え上がっていた。
 激しい戦いを望んでいる。
 全力で殺したいのだ。
 だが、下手にやりすぎてうっかり相手を殺してしまうと、バハムート(もしくはマーリン)の手によって殺されるし、自分もかなりの痛手を負うこととなる。それは、あまりにも割に合わない。
 また民間人も殺すことはできない。それはカイザーの逆鱗に触れる可能性がある。
 そのため、必死で抑えている。強敵と戦えるまたとない機会なのに
 その分、ストレスがたまる。

 いい加減吐き出したい。

 彼ら全員がそう思っていた時だった。


 「待て!!!」


 鹿子の声が響く。
 それを聞き、四人の悪魔たちは一斉に顔をそちらに向ける。
 すると、河川敷に並び立つ四人の非正規英雄の姿

 それを確認した直後、クトゥグアが口を開いた。

 「ハスター様」
 「……何かね、セバスチャン」
 「ここはどうです。一時休戦としたしまして、彼女たちで鬱憤を晴らすというのは」
 「ふむ、それもまた一興じゃな」

 老人の声
 それで応えつつ、コクリと頷くハスター。どうやら何も言いださない辺り、ニャルラトホテプとクトゥルフも、それに異論はないらしい。
 クトゥグアは、全員の総意を受けて非正規英雄たちの方へと顔を向ける。
 すると、すでに戦闘準備を整えた彼女たちの姿が目に飛び込んでくる。トール、コモン・アンコモン、ティップ・タップ、そして機能不全なアインスウェラー。それらを構えて並び立つ英雄達。
 だが、それに一切臆することなく、クトゥグアはいつも通り話しかけた。

 「初めまして、名も知れぬ非正規英雄の方々」
 「…………どーも」
 「差し出がましいようですが、一つよろしいでしょうか」
 「何さ」
 「ここは、四対四で戦うよりもばらけて一騎打ちとしゃれこみませんか」
 「なんですって?」

 思いもよらない提案に驚く。
 それは和宮たちも同じだった。

 「どうですか? お互い時間の節約にもなると思いますが」
 「…………」

 悩む鹿子
 スタンドプレーを好む彼女からするとその提案はありがたいものだった。だがしかし、和宮を一人で戦わせるのはいささか心配であった。それを過敏に感じ取ったのか、後ろに立っていた和宮は小さな声で鹿子に話しかけた。

 「鹿子、俺のことは気にするな」
 「……ほんとにいいの?」
 「あぁ、代わりと言っては何だが、なるべく早く戻ってきてくれ」
 「…………ありがと」

 彼の言葉を受け、鹿子は決断する。

 「いいわよ。キョータと天音もいい?」
 「任せテ!!」
 「良いっすよ。俺も独りのほうが気楽でいいし」

 その言葉を受けてクトゥグアも満足そうに頷いた。
 そして、一言

 「では、ばらけましょうか」

 次の瞬間
 悪魔と非正規英雄がそれぞれ地面を蹴って飛び出した。
 ただし、和宮とクトゥルフだけはその場で固まったまま動こうとしなかった。河川敷、なめらかな石が敷き詰める中で二人は地に足をつけたまま睨みあう。いや、睨んでいるのは和宮だけかもしれない。
 なぜなら、クトゥルフは突然明るい声を上げると陽気に話しかけてきたのだ。
 「おじさん!!」
 「なんだ」
 「おじさんが私と遊んでくれるの!?」
 「何?」
 「じゃあ、私のお友達を見せてあげるね!!」
 「うん?」

 そこで和宮は気がついた。
 足元が濡れている。
 よく見てみると、粘度の薄いスライムのような液体に足先が浸っていることが分かった。どうやらクトゥルフの体液らしい。触手からそれを大量に吐き出して、周囲が不気味な緑色に染まっていく。
 またそれは腐った魚のようなにおいを放っていた。
 一瞬、溶解液か何かかと警戒するがそんなことはない。
 革靴に異変は見られない。
 ということは、これは何?

 和宮は警戒することにすると、一切仕掛けることなくその場でとどまり続ける。
 今の状態で積極的に攻撃を仕掛けても勝てるとは思えない。なら、能力を生かして逃げるしかない。とりあえずは様子見だった。
 それが悪手だった。
 突然、バチャンッという軽い音がすると、その粘液の中から巨大な蛸の足のようなものが生えてきたのだ。それも一本ではない、和宮を囲むように三本も現れたのだ。吸盤が醜くその穴一つ一つから粘液を垂れ流している。その大きさは約二m程度

 「これが私のお友達!!」

 そう言った次の瞬間
 和宮の右側に生えた触手がその身をブルンッと振るうと、殴りかかってくる。

 「――ッ!!! アンスウェラー!!」

 能力を発動すると、体が勝手に動き、剣で触手を受け止めた。
 ガキンッという鈍い音と衝撃が襲い掛かり、そのまま少しよろめいてしまう。だが、何とか倒れることなく受けきった。どうやらサイズと重量はあるが、それ以外に何か特別な能力があるわけではないようだった。
 和宮はほっと一息つきながら度の感覚がなくなったか確かめる。
 すると気がついた。あの酷い匂いが感じられない。
 どうやら嗅覚を失ったらしい。
 運がいい。これなら凌ぎ切れるかもしれない。
 和宮がそう思った直後だった。

 ズンッという衝撃と共に骨が砕け、強烈な痛みが襲い掛かってくる。

 「え?」

 直後、和宮は吹き飛ばされた。

 「カハッ!!!」

 地面に倒れ、痛みに悶える。
 何が起きたか分からない。困惑が彼の頭を支配する。
 一方でクトゥルフはピョンピョンと飛び跳ねながら、さも楽し気に叫んだ。

 「やったーーー!! すごいよ!! 触手さん!!!」

 和宮は
 何とか顔を上げると触手が生えている辺りを確かめる。
 どうやら左側に生えていた触手が和宮を弾き飛ばしたらしい。
 それは分かったが、それでも分からない。それなら『完全自動攻防』で受ける、もしくは回避することができたはずだ。いくら不調とはいえ、能力がしっかりと機能することは確かめている。
 ということはあの触手に何かある以外あり得ない。

 そこで和宮は思いのほか早く答えに気づいた。
 触手はそれぞれ自由に動いている。奥に立つクトゥルフはそれらに命令を飛ばしているようには見えない。
 つまり、あの触手はそれぞれ生きているのだ。
 別個の生き物ということだ。
 これでは『完全自動攻防』をいくら使っても話にならない。

 「――ッ!!」

 戦慄する和宮
 はっきりと分かった。
 この悪魔は、自分の天敵だ。

 怯える彼の姿を見てクトゥルフは、粘液の中からさらに何本も触手を生やしながらこう言った。

 「あんまり早く壊れないでね!! それだとつまらないから!!!」


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 勝てない。
 全く同じ時に鹿子もそう思っていた。
 目の前にいるのは不定形の怪物ニャルラトホテプ。川を挟んで対岸の川岸で、二人は戦っていた。否、鹿子が一方的に追い詰められていた。と言っても、攻撃を食らって死にかけているわけではない。逆に攻め立てているのは鹿子なのだ。
 トールを振りかざし、充填していく。それを見てもニャルラトホテプはなにもしようとしない、ただクネクネと不気味にうごめいているだけ。
 なめられている。
 それが分かって苛立つ。

 「死ねぇッ!!!」

 いつも以上に語尾を荒げて叫ぶ。
 そして十秒間充填したトールを振るうと、周囲の空間ごとニャルラトホテプを横殴りにする。この一撃、並の悪魔なら死にはしないものの、かなりの重傷を負わせることができる。少なくとも、その後の戦闘で自身が有利に立てるぐらいには。
 ところが、今回はそういかなかった。
 ベチャッという儚い音共にニャルラトホテプの体が吹き飛ぶ。墨汁のようにその体が周囲に飛び散ると、川岸をどす黒く染めていく。傍目に見る限り、それは血だまりのようにも見えるが違う。
 血だまりであればどれほど楽か。

 「やったか……?」

 そんなわけないと知りつつも、希望を抱かずにはいられない。
 そんな鹿子の見ている前で、地面にまき散らされたニャルラトホテプの体の破片が動き始める。ナメクジのようにべちゃべちゃと跳ねたり跳んだりして、さっきまでいた場所へと集まる。それは非常に不気味な光景だった。
 結局
 一分とかからずにニャルラトホテプは飛び散った体の欠片を全て集め、肉体の再生を終わらせた。

 「クソォッ!!!」

 悔し気にうなる鹿子
 今まで不定形の悪魔には何度も遭遇してきた。それらは総じて、コアと呼ばれる部分があり、そこを潰せば簡単に死んだ。なのに、それなのに、目の前にいる悪魔は違う。コアが存在しないのだ。つまり不死身と言って過言ではない。
 こんな敵の戦い方、鹿子は知らない。
 絶望的な顔をする彼女の姿を見て、ニャルラトホテプはこう言った。

 「攻撃は通用しない」
 「ふざけるなよ!!」
 「覚悟」

 その言葉を最後に、ニャルラトホテプは本格的に戦闘態勢に入る。
 両腕らしき部分を横に大きく広げると、自信の体からいくつもの黒い球体を浮かび上がらせていく。その不気味な姿に、鹿子は寒気を覚える。久しぶりの苦戦に死の予感のようなものが心の底から湧き上がっていく。
 どうすればいいのか、彼女にはもう分からなかった。




 「え?」


 天音のつぶやき。
 それと共に、彼女は全身に開いた傷口から大量の血を吹き出しながらゆっくりと倒れていく。
 何が起きた。
 重力に引かれ地面に倒れるまでの間に、彼女は一瞬の間に起きた一連の出来事を思い返していた。


 川の中腹で対する非正規英雄と悪魔

 「ティップ・タップ!!!」

 その声と共に旋風の魔靴が顕現される。
 能力は『大気操作』
 代償は『中断』。実はこのアーティファクト、発動中に敵から一撃でも攻撃を受けると強制的にキャンセルされてしまい、次の発動までにインターバルが必要となってしまう。厄介なものだが、もう慣れているので大した障害にはならない。
 天音はいつでも攻撃を仕掛けられるよう、片足を大きく上げる。すると、足元で風が渦巻くと川の水をまき上げて、日光を反射するとキラキラと輝く。美しい光景だったが、それに見とれる人はいない。
 その唯一の観客はハスター。白い仮面越しに彼女の姿を確かめると、ゆっくりと声を上げる。その声は余裕たっぷりだった。

 「ほっほっほっ、若いのう」
 「フン!! 爺さんは引っ込んでたらドウ?」
 「そういう訳にはいかないのじゃ」
 「じゃあ死ね!!」

 そう言って天音は右足を全力で振るう。
 それと同時に能力が発動すると、強烈なかまいたちが発生すると、ハスターを切り裂くべき飛んで行く。それをいち早く察した彼は、マントの裾を翻して横に飛ぶとそれを躱した。
 だがそれは想定内。
 これは様子見の一撃だ。
 特に悔しがる様子もなく、次の攻撃の準備をする。
 ハスターは天音の攻撃を見て驚きの声を上げた。

 「ほう!! 風か!!」
 「そう!! 世界を救う大天使アマネちゃんの前にひれ伏しなさい」
 「強力だが、未熟」
 「は?」
 「わしの勝ちだ」

 その言葉の直後
 ばさりとハスターのマントが揺らめく。
 その隙間から、青白い掌のようなものが天音の目に一瞬映った。
 そこには不自然に黒い穴が開いているような気がした。
 それが何か、そんな些細な疑問が脳裏を横切った時。

 天音は見えない何かに全身を貫かれていた。

 痛みを感じる暇もない。
 薄れゆく意識の中で、天音はハスターの声を聴いた。

 「風使いなら、ワシの方が上だ」

 ハスターは腕に周囲の空気を吸い込み、圧縮、放出する機構を備えている。
 それを用いて亜音速で空気の槍を吐き出したのだ。
 用途こそ限られるものの、一撃の威力なら天音を遥かに超える。

 四大幹部最強と呼ばれるハスター。
 それは豊富な経験と圧倒的な攻撃力を備えた悪魔。
 彼の射程に入って無傷で帰れた者は、存在しない。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 残るはクトゥグアとキョータ。
 この二人は川にかかっている大きな橋の中央に立っていた。
 二人の間合いは大して離れていない。ひとっ走りすればすぐに詰まる。
 クトゥグアは目の前に立つ若い青年に向かって丁寧に頭を下げると言った。

 「さて、あなた様の相手は私がさせていただきます」
 「ハッ!! 後悔するなよぉ!!」

 燃え盛るクトゥグアを相手にキョータは勝算を抱いていた。
 見る限り、敵の攻撃は炎、それならなんとでもなる。

 「行くぜ!!」

 そう高らかに宣言するとキョータは硬質化能力を発動する。
 すると、全身が岩に包まれて醜い怪物の姿へと変貌する。彼の腕にはめられた銀色の腕輪、シーシュポスと名付けられたそれの『硬質化』能力だ。いつもなら顔を隠す捜索用なのだが、今回ばかりは戦闘に使う。
 なぜなら、この状態なら炎は自分の体に燃え移らないからだ。
 問題は一つ、代償だ。『本体弱体』と呼ばれるもので、岩に囲まれている間、中の人間は完全に無防備になる。仮に岩を貫かれてしまうと、普段より防御力が落ちているキョータは大ダメージを負うこととなる。また、『硬質化』使用中は『コモン・アンコモン』は使えない。
 だが、今はそんなこと関係ない。
 岩の巨体を操り、キョータはアスファルトを踏み砕きつつ、ゆっくり前に進んで行く。
 それを見てもクトゥグアは大して脅威とは思っていないようだった。それどころか、「ハァッ」と退屈そうに小さくため息を吐いた。
 その程度で自分を止められるとでも思っていることに、嫌気がさしたからだ。

 「行くぜ!!」
 「……どうぞ」

 予定変更。
 長く楽しむつもりだったが、どうやらそこまで強い非正規英雄ではないらしい。
 一瞬で終わらせることにした。

 「燃え尽きなさい」

 クトゥグアはそう言い放つと、両腕から大量の炎を大波のように一気に吐き出した。その量は目を見張るほどで、橋の端から端までその業火で包み込まれた。だが、そんなこと意に介さずキョータは炎の中へと突っ込んでいく。
 燃えないと分かっているからこその暴挙だ。
 岩越しに熱を感じるが大したことはない、少し暖かい風呂に入ったぐらいの感覚だ。
 それより問題なのが視界だった。あまりに強い炎のせいか、目に見える範囲が全て紅蓮に包まれてなにも見えないでいた。

 「クッ!!」

 この炎から抜け出さなければ、敵に死角を取られて奇襲を食らうかもしれない。
 急がなければ。
 キョータはそう思い、歩を進める。


 だが、しかし
 それから数分経っても、キョータは炎から抜け出せずにいた。

 「クソッ!! 何でだ!!!」

 どれだけ歩いたか分からない。
 いくら前に進めど進めど、炎に包まれたままなのだ。一向に抜け出せる気配がない、どこまでも続く、目が痛くなるような赤色だけが広がり続けている。時間が経つにつれ、岩の中に熱がこもって息が荒くなる。全身から汗がとめどなく流れる。意識こそまだしっかりと残っているが、このままでは後五分も持たないかもしれない。
 必死で足を前に出し、出口を探し求める。
 キョータはすでに、自分がまっすぐ歩いているのかいないのか、それさえもはっきりとわかっていなかった。
 しかし、ここで動きを止めることは死を意味するし、熱がこもるからと『硬質化』を解除しては普通に焼け死んでしまう。
 完全に手詰まりだった。

 「ハァ…………ハァ…………」

 出口のないサウナに閉じ込められている気分。
 キョータにもう、勝ち目はなかった。

 クトゥグアは、炎に包まれてひたすら同じ場所をグルグルと回る岩の怪物の姿を満足げに眺めている。彼の火炎はキョータを中心として燃え上がっているので、外部からの干渉がない限りその場から逃げることはできないだろう。
 あとは中で焼け死ぬのを待つだけだ。
 ゆっくりと料理をすればいい。
 クトゥグアはお嬢様に出す夕食の献立を考えながら、観察を続けることにした。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 四体の悪魔を前にして、さすがの堅悟も防戦一方に追い込まれていた。
 ケルベロスの連撃を躱し、ツィルニトラの口から放たれる触手を切り伏せ、スライムの放った粘液の銃弾を弾き飛ばし、接近してきた羊角を蹴り飛ばすと、一旦距離を取る。次の瞬間にソロモンの能力を発揮すると、小さなネズミに変化し、草の中を進んで行くと近くにあった木の裏側に隠れた。
 さすがにこれはきつい。
 一度帰ることも視野に入れながら、こっそりと影から悪魔たちの方を覗く。
 すると彼らは「どこに行った!!」「そこの木をなぎ倒せ!!」「グルルルル」と声を上げながら、見当違いの方向の木に攻撃を繰り出していた。
 この隙に敵を一体でも屠るか、もしくは逃げるか。
 そう悩んでいた時。
 突然、上空からふわりと一体の悪魔が降り立ってきた。
 装甲に身を包み、純白のマントを身にまとった悪魔。マーリンだ。偶然にも彼は、堅悟の目の前に現れたため、全身の姿こそ確認できなかったものの、声だけはしっかりとその耳に聞こえてきた。

 「はーい、そこまで!!!」
 「何ッ!!」
 「ギャアアアアアア!!!」
 「「「グルァッ!!!」」」
 「なぜ、マーリンがここに……」

 思い思いの声を上げる悪魔たち
 それに対してマーリンは非常に軽い口調で言い放った。

 「うん!! 君たちには悪いんだけど、ここで石動堅悟君に死なれるわけにはいかないんだ!!」
 「うるさい!! お前に関係ないだろ!!」
 「いやー、それが関係あるんだよなー」
 「帰れ!! 貴様に用はない!!」
 「君になくても僕にあるんだよ」
 「ええぃ!! そんな事知らん!!」
 「話聞いてよ」
 「聞かん!!」
 「じゃあ、ちょっと死んで」
 「な

 直後
 地面が鋭く隆起すると、四本の槍のようなものが生え、悪魔たちを貫いたのだ。実はマーリン、宙を舞いここに降り立つ直前、既に術式を仕掛けており、すぐにでも瞬殺できるようにしていたのだ。
 黒崎たちは捜索に集中していたせいでそれに気が付かなかったのだ。
 そのため、四人まとめて殺されることとなった。

 「いえーい!! 絶好調!!」

 飛び跳ねて喜ぶマーリン
 その前に広がるのはあまりにも残虐な光景。無機質な土色の棘が全員の心臓を正確に突き抜けている。そのため、苦悶の声こそ上げることはないが、その体はピクピクと痙攣して赤い血を垂れ流し続けている。四人分の流血は地面に染み込んでいき、緑色の雑草が残念なことになっていく。
 堅悟はここから動くべきか、否か悩む。
 仲間割れか何か知らないが、どう考えてもあの悪魔は自分より上手である。
 動くと居場所がばれて殺されるかもしれないが、動かなかったらやがて見つかり殺される。
 どっちにしろ死だ。

 「…………」

 それなら一矢報いてやろうかとエクスカリバーの柄を握りこむ。
 しかし、なかなか覚悟が固まらない。
 もう一度、どうするかと悩んでしまう。
 その時だった。

 「見つけた!!」

 そんな声と共にマーリンがくるりとこちらを向くと、堅悟の隠れている木を指さした。
 なぜかわからないが、ばれた。
 堅悟は諦めると、ゆっくりとその陰から出てきた。

 「そうだよ、ここにいるよ」
 「よかった!! 無事だ」
 「……え?」
 「ほら、握手しよ、握手」
 「お、おう………」

 装甲に包まれたその手が差し出される。
 堅悟は反射的に体が動いてしまい、それを握りこむ。
 その反応に喜んだマーリンはさらに明るい声を上げると、両腕を広げると言った。

 「さぁ!! 次はハグだ!!」
 「え、えぇ…………」

 初めて会うタイプの悪魔に堅悟はただただ困惑するばかりだった。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 「…………」
 「…………」

 にらみ合うカイザーとバハムート。
 お互い一定の距離を取り、それぞれの得物の先を向け、最大限の警戒心を向けている。仮にどちらかが動いたとしたら、直後切りあいになる。それが分かっているのでお互い動こうとしないのだ。
 だが、動きの速さと手数ではカイザーが勝っている。この間合いなら、確実に先手をとれる。
 一方、バハムートは足元に薄い水を張り巡らせており、いつでもそこから刃を放つことができる。
 一触即発
 この状況で
 先に口を開いたのはバハムートだった。

 「ふむ、ここまでにするか」
 「そうだな、バハムート、これ以上は私も望まん」

 そう言ってお互い刃を下ろす。
 バハムートはその後、大きくため息を吐いてからもう一度水を集めると、再び椅子を作り上げ座り込んだ。カイザーはやはり、立ち尽くしたまま。実は彼も座りたかったが、それはバハムートに隙を見せることとなる。それだけは許されない。
 今のところ、自分の方が押している。弱みを見せては舐められてしまう。
 バハムートはほんの少し考えた後、もう一度大きく息を吐いた。
 そして、一言

 「分かった」
 「何?」
 「神討大戦、力を貸そうじゃないか」
 「本当か」
 「俺が嘘を吐く必要がどこにある」

 喜ぶカイザーとは対照的に渋い声のバハムート。
 勝った。
 これで、目的を果たすことができる。
 装甲の下で破顔するカイザー。それが分かっているのかバハムートは「ただし」と条件を付けくわえてきた。

 「なんだ。バハムート」
 「一つ条件がある」
 「なんだ」
 「リザという非正規英雄がいるらしいな、彼女を私に狩らせてもらいたい」
 「何?」

 真意が測れず困惑する
 それを感じ取り、バハムートは補足説明を入れる。

 「何、そのリザとやらは現役で最強の非正規英雄と聞く、それは非常に興味がそそられる。一度、手合わせしたいのだ」
 「…………」

 なるほど、バハムートらしい考えだった。
 カイザーは悩む。
 彼女との因縁をこんな形で終わらしていいのか、自分が彼女に引導を渡すべきじゃないのか。それとも、これはある意味ちょうどいい機会ではないか。彼女との因縁にいい加減見切りをつけるべき時が来たのかもしれない。神討大戦錦を集中したい今となっては彼女はただただ邪魔なだけだ。
 しかし、バハムートが彼女に勝てるのか。
 仮に負けてしまったら、それはそれで面倒なことになる。
 かれこれ五分間ほどカイザーは考え続けた。

 「……分かった。彼女は任せよう」
 「楽しみだな」

 果たしてこれは正しい決断なのだろうか。
 カイザーにその答えは分からなかった。
 バハムートはさも楽し気な声を上げるとカイザーに質問を飛ばした。

 「一ついいか?」
 「なんだ?」
 「そのリザとやらの神聖武具、その情報を貰いたいのだ。残念ながら俺は詳しく知らないのでな」
 「分かった。教えよう」
 「頼む」

 一息ついてから、カイザーは説明を始めた。

 「彼女の武具は三つ。一つはグングニル、自動追尾機能を持つ。限界などない、彼女の手に戻るか標的を討つまで永遠に追い続ける。もう一つはアイギス。完全防御の楯だ。どんな攻撃も吸収し、無効化する。ただし限界までにそのダメージを衝撃波として吐き出さなければならない」
 「どちらも面倒だな」
 「しかし、最大限に警戒しなければならないのは必殺の剣、ジークフリードだ」
 「それは何だ?」

 一拍開けて
 カイザーは重い声で答えた。

 「あの剣に装甲の厚さは関係ない。彼女は自らの命を代償に。その命の分だけのダメージを確実に相手に与えることができるのだ。寿命一年分を食らうと、即座に全治一年の傷だ。当たってしまうと、躱す術は無い」
 「何ィッ?」

 初めて聞く、凶悪な能力。
 さすがのバハムートも戦慄せざるを得なかった。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 肩で息をする鹿子を眺めていたニャルラトホテプだが、彼は突然何かに気づいたかのように顔を上げる。彼は今、廃工場に残しておいた自分の体の一部から入ってくる情報に意識を集中させているのだ。それはちょうどカイザーとバハムートの話し合いが終わった瞬間でもあった。
 彼は鹿子のことを完全に無視すると、周りにいる四大幹部たちを見渡す。
 すると彼らの影が不気味にうごめくと、そこから小さなニャルラトホテプが現れる。
 それらは一斉に口を開くと言った。

 「話し合いが終わった。帰るぞ」
 「そうか、早かったのぉ」
 「えー!! これからいいとこなのにーーー!!!」
 「お嬢様、帰りましょう。今日の夕飯はカルボナーラでございますよ」
 「え!? ほんと!? セバスチャン!!」
 「はい」
 「じゃあ帰る!!」

 そう言ってクトゥルフは生やしていた触手たちを全て元に戻すと、地面を蹴って飛び出し、クトゥグアの元へと戻っていく。地面に倒れ、息も絶え絶えの和宮は完全に無視されていた。
 クトゥグアも、腕を振るってキョータを包んでいた炎を消す。すると、その中心で岩の怪物が倒れていた。どうやら暑さで朦朧としているらしい。意識こそまだ残っているようだが、しばらくの間は動けないだろう。
 ハスターも、同じように橋の上に集まる。
 最後、ニャルラトホテプも向かおうとする。
 だがそれを鹿子が呼び止める。

 「待て!!!」
 「…………」
 「私はまだ、やられてない!!」
 「……はぁ……」
 「なんだ!!」
 「早死にするぞ」
 「え?」

 ニャルラトホテプが呆れた声でそう呟いた直後。
 トンッと軽い衝撃が鹿子の首を襲う。

 「え?」

 意識が遠のく。
 当身を食らったらしい。
 何が起きたのかというと、鹿子の背後の影から現れたニャルラトホテプの分身が彼女の意識を奪ったのだ。

 完敗だ。

 鹿子はそう思ったのを最後に気を失った。


 四大幹部たちはとどめを刺す気にもなれなかった。
 彼らは来た時と同じように地面を蹴ると、宙を舞った。


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 「クソッ…………」

 天音はそう呟くとゆっくりと立ち上がる。
 さっきまで大量の傷跡から致死量の血液を垂れ流しながら倒れていたのだが、その傷はもう跡も残っていない。真っ赤に染まっている服に開いているいくつもの穴が唯一の痕跡だった。
 そんな中、彼女がかけているネックレスが怪しい輝きを放っていた。
 ダブルホルダーである彼女のもう一つの神聖武具『ベレヌス』能力は『瞬間治癒』受けた傷を一瞬で癒すことができるのだ。代償は『反動』この能力は尋常じゃないほどの魔力を消費するので、一度使うと一週間は使えないうえ、数分後には疲労が戻ってくる。あまり実戦向けの能力ではない。
 だが、天音はそれを使い、無理矢理体を動かすと地面に倒れている非正規英雄たちの回収に向かった。

 「クソッ!! クソッ!!! クソッ!!!!」

 何もできなかった無力感を噛みしめ、誰に向けているのか分からない罵声を吐き出しながら、まずは意識の残っているらしい和宮の元へと向かって行った。





42, 41

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