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第三十話 さっさと死ぬか生きるか死ぬか(宮城毒素)

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「|所詮《しょせん》、俺たちは、こんなもんかよ」
 石動堅悟は舌打ちをする。
 堅悟は――時々、忘れそうになる。
 初心、目的、志や計画、思い描いた理想も何もかもを。
 ここは新宿の歌舞伎町劇場通り。
 降り出した雨は通りを染め上げていた血溜まりを洗い流し、つい数分前まで敵や味方だった無数の|屍《しかばね》を人から物へと変えていく。
「なあ、――四谷」
 石動堅悟は|対峙《たいじ》する。
 生き残った戦力は数えるほどしかなくこの数週間の潜伏期間でおよそ七割の人員が天神救世教の信徒たちに討ち取られるか寝返るかをして、リリアックという烏合の衆から姿を消している。
「俺は、なんのために戦ってるんだろうな」
「さあ、知ったこっちゃないけどさ、あんたはあんた自身のために戦ってるんだ――って僕は思ってたよ」
「そう――だよな」
 時々、忘れそうになる。
 英雄が英雄と呼ばれる理由。正義を正義たらしめるもの。悪に染まる快楽と背徳。孤独や不安と、友情と絆。
 自分が今、持っているもの。子供の頃から、ただ自分が手にする姿を思い描くだけだったもの。くだらない見栄。自覚のない虚栄心。ちょっとした正義感と、ありきたりな悪意と苛立ち。
 死臭と腐臭。|雨露《うろ》となって消える血混じりの風。
 堅悟が立ち向かうものは台頭から僅か一月にしてこの国の政治や経済を飲み込むまでに至った天神救世教――一〇〇人を超えると思しきその信徒たち。
 それに対して堅悟の背後に控える味方の数は十にも満たず。
 本来ならば、堅悟の隣に立っていなければならないはずの|同胞《はらから》は、堅悟の視線の先で悠然と傘を差しながら、
「それで? 結局、石動先輩はなにが言いたいんだろう」
 くるくると回る傘が雨を弾く。
 濡れた前髪が額に張り付く。
 空の色が怪しかった。
 黒く赤く鈍く明るい。
「なあ、四谷。“俺たち”は――なんのために戦わなくちゃいけないんだ?」
 それは、四谷に対する初めての誰何でもあった。
 出会った時から。再開してから。そして天神救世教の信徒として今一度相見えてから。
 堅悟は、失念していたことを理解する。
 顔も名前も言葉も心も。
 知らないのだ。
 四谷真琴が何者なのか。
 その腹に歪んだ感情が、濁って汚れた赤い邪悪か、それともくすんで擦れた青い凶悪なのかさえ。
 わからない。
「そんなもの、どうだっていいじゃないか」
「……ああ、そうだな。多分、興味もなかったんだ――。俺は、お前にも」
 この世界にも。
「今だって、お前がどうして俺たちを裏切ったのか、その理由を聞いて、背景を知って、悲しんで悔やんで、辛い気持ちを乗り越えて、改めてお前を敵と認識して――なんてありきたりな“くだり”を演じることに、本当は興味なんかない」
 そうとわかった瞬間も。それから少し経った今も変わらず。単純に――有象無象の敵として。
「四谷、……俺はお前を殺せるぞ」
「そっか。それで?」
 この会話を始めた理由は?
 四谷が問う。それに堅悟は疲れたように肩の力を抜いて、
「ひとつだけ、お前を殺す前に訊いておきたいことがあったんだ」
 それが唯一、心残りになるかもしれないから。
 今のうちに訊いておく。
「お前さ、結局、――男なのか? それとも女なのか?」
 それはお前を殺せばわかるのか。
 それについてはちょっとだけ興味がある。
「俺はさ、――はは。お前が女だったらいいなと思ってたんだ」
 四谷の表情から笑みが消える。そしてそこには、もはや何も浮かばない。
 まるで虚無のような顔をして。
「死ねよ、――石動堅悟」
 雨は止まない。
 それでも濡れた|戦塵《せんじん》が舞い上がる。
 堅悟は進むだけだった。立ちはだかるものは全て壊して崩してはね除けて。
 ただ一点に、ただ一心不乱に、たとえ孤立しようと単騎になろうと。
 死に場所を求めるかのように人工島へ。
 |彷徨《さまよ》うように、石動堅悟は突き進む。


 着工から早一ヶ月。
 昔からそこにあったように東京湾に浮かぶ人工島と、膨大な資金が投入され、すでに八割方の完成を見せている天神救世教の本部たる巨大な要塞は――暗く淀んだ空色と鈍色の雨が降りしきる中では、神を崇め英雄を擁する者たちのそれとは思えぬほどに|禍々《まがまが》しく見えた。
 黒いローブに身を包み、荒波のなかを泳いで渡ってきた間遠和宮は、人工島への潜入に成功すると、高い金を払って工作員に予め用意させておいた段ボールを組み立て、頭からすっぽりとかぶって身体を丸めた。
「こちら間遠、人工島に潜入した。これより作戦を開始する」
 一挙手一投足、見た物聞いた物すべてを報告しろ――と事前に言われていた通り、間遠は胸元のマイクに向かって報告を行うが、ワイヤレスのイヤフォンからは「了解」の声は聞こえてこない。
 故障――ではないのはわかる。通信相手がいる部屋で流れているブルータルデスメタルバンドが奏でる血みどろの重低音が絶え間なく響いているのが聞こえてくるからだ。
 元々、間遠は資材を運び込むトラックに紛れて人工島に潜入するつもりだった。それが出来なくなったのは、間遠の担当天使であり本作戦に於ける協力者でもあるはずのミカが「間遠くんには試練を与えなければならない」という半笑いを浮かべながら述べた理由で作戦決行の三日前に人工島に続く橋を天界産のプラスチック爆弾によって崩落させ(橋自体は一日で修復されたが)、無駄に警戒を強化させてしまったからだ。
 ミカは間遠が考える代案を|悉《ことごと》く否定してみせ、結果的に泳いで渡るという手段に間遠を追い込んだが、いざ海に飛び込む時になってみると「うわあ波がすごいね」とか「たどり着く前に死んじゃうんじゃない?」などと不安を煽り、泳いでる最中も通話越しに「どれだけ苦しいか感想を教えて!」とか「なに泳ぎしてんの? やっぱりクロール?」などとうるさかったにも拘わらず、肝心な今になって沈黙しているのはどういうつもりか。
「おい、駄目天使。……聞いているか。作戦を開始すると言っている」
 沈黙と重低音。
「ミカ。俺はここからどうすればいい」
 沈黙と重低音。
「……おい?」
 反応がないまま三十分ばかり経過した頃、イヤフォンの向こうで扉がばたんと閉じた音が響き、がさがさとビニール袋が揺れる音が近付いてきた。
 そして、がちゃがちゃ。慌ててイヤフォンとマイクを装着したのか、マイクを直接指で触れたような雑音に、間遠は思わず顔をしかめる。
『あ、もしもし? 間遠くん? 生きてます?』
「貴様、なにをしていた」
『ちょっとコンビニにおでんを買いに行ってたんだよ。天使といえども、空腹には逆らえないからね』
「…………」
『それで? なんだっけ』
「人工島に潜入した。作戦開始だ」
『あー、はいはい。了解了解。……あ、てことは、間遠さんひょっとして、今段ボールかぶってる?』
「……ああ」
『あはは!』
 笑い転げているが、身を隠すならとりあえずこれだ――と言って段ボールを手配させたのもミカであったはずだ。
『間遠さん、状況わかってる? ふざけるのも大概にしようよ!』
「……………………………………すまん」
『すまんじゃないよぉ。失った信頼を取り戻すのは難しいんだよ? これ以上僕をがっかりさせないで欲しいよ、まったくぅ。まあ、それはいいとして――』
 ミカの声色が変わる。
『いよいよ、この日が来ちゃったね。まあ、大した成果は得られないかもしれないけど、とりあえず、今回僕たちがやろうとしていることについて、間遠さんがどれだけ理解できているか、チェックさせてもらうよ』
「ああ」
『じゃあ、まずは今回の作戦が立案されるに至る経緯から説明してもらおっかな』
 間遠には、目の前のことに集中しすぎると、そもそもの話を忘れてしまう悪癖がある。思い込みの激しい性格についてはミカも承知しているところであり、間遠和宮という男を管理する上では決して無視できない|懸念《けねん》要素でもある。
『少しでもとんちんかんなことを言ったら罰ゲームだよ。風俗はしばらく禁止だから』
「それは――困る」
『うーん。間遠くんてこういう子だったかなあ』
 それはさておきである。
「経緯……。経緯――か。そうだな。最初に違和感を覚えたのは、天神救世教の名前が広がってから間もなくの頃だったはずだ。準悪魔が現れたと聞いて駆け付けても、ついた頃には、救世教の奴らがすべてを終わらせた後だった――というようなことが、立て続けに十件続いたときだったか」
『正しくは三件だけどね。盛らないで、間遠さん』
「あまりにも対応が早すぎる。俺はなにか裏があるんじゃないかと疑った。リザが教祖になっている時点で胡散臭いとは思っていたが、調べてみたら興味深い事実が発覚したんだ。天神救世教は元々、埼玉の田舎で生まれた信者数も少ない小規模な新宗教団体だった。当時の教祖が謎の死を遂げ、乗っ取りまがいにリザが旗を振り始めたのが三ヶ月前。得体の知れない準悪魔どもが目撃されるようになったのが二ヶ月前。俺は――」
『真実を確かめたいって僕に泣き付いてきたんだよね。僕は素直な間遠さんが好きだよ』
 実際、独りではどうしていいかもわからなかった。
 堅悟に連絡を取ろうかとも考えたが、天神救世教が台頭してからはリザがカーサス神父に命を狙わせた面々の手配書が街中にばらまかれるようになり、リリアックは鳴りを潜めながらも徐々にその勢力を削り取られているという噂を耳にしていた。
 デビルバスターズも抜け、他に信頼の置ける知り合いもいなかった間遠は、|碌《ろく》に担当天使としての仕事もせず、ネットカフェで難民生活を送っていたミカを引っ張り出して半ば強引に協力者に仕立て上げたのだ。
 恐らく天神救世教――リザの背後には天界上層部の思惑が潜んでいる。自らの所属に弓を引くことになるはずなのだが、ミカは存外簡単に仕事を引き受けてくれた。
「まあ、人間嫌いの人間もいるように、僕の場合も嫌いなんですよね、天使の奴らが。職場でもいじめられてたし」
 天界連中なんて碌なもんじゃねえ、とのこと。
『オッケー、間遠さん。それじゃあ、本作戦の概要も言ってこーか』
「なるべく敵戦力との戦闘を避け、何かしらの情報を持ち帰る」
『うん。これくらい単純じゃないと間遠さんのミニマム脳みそじゃ処理できないからね。いいよ、すごくいい。じゃあ、作戦中に絶対にやっちゃいけない行動は?』
「リザを見つけ、直接その真意を問いただすこと」
『そうだね。あんまり少年漫画じみた軽率な行動は取らないようにね。青年漫画のノリでいこう。淡々と、粛々と、冷徹に冷血に。間遠さんの格好いいところ見せて~』
「それで」
『ん?』
「俺はどうすればいい」
『ああ、そうだね。まずは――』
 ミカは、心底呆れたような口ぶりで、
「その、段ボールを脱ぎましょうか」
 と言った。
 ぽたぽたと。
 |雨粒《あまつぶ》みたいに滴り落ちる。
 ぼたぼたと。
 塊みたいに流れ出る。
 石動堅悟は呼吸を整え、名も知れぬ虚空と視線を交わし、握りしめた剣を伝って両手に触れる――四谷真琴の鮮血から|温《ぬく》みと寒気の両方を感じていた。
「馬鹿野郎……」
 ぽたぽたと。
 指先から滴り落ちる。
 ぼたぼたと。
 洗い流された血液が洗い流され、下水口へと飲み込まれる。
 アーティファクトごと胸を貫かれた四谷は、力なく膝から崩れ落ちると、瞳からも光は消え、有象無象の|屍《しかばね》が築く山の一石となり、そのまま二度と動き出すことはなかった。
「所詮、――こんなもんだぞ、俺たちは」
 友情も信頼関係も――実のところはそれほど利害が一致しているわけでもない。
 だったらどうして一緒にいる。
 まるで共通した理念をその胸に抱いているが如く自信に満ちあふれた顔をして組織の一員を名乗っているのか。

 ――そりゃ、|欺瞞《ぎまん》こそがあんたらの本質だからでしょーが。

 東京へと出発する直前、鈴井鹿子に言われた言葉が、耳の奥で甦る。
 確かに、と堅悟が自嘲するのは、今日この瞬間の出来事は、四谷との再会から――此原燐との死闘から――リリアックの結成から、ずっと予想されてきた未来だったからだ。
 四谷と協力関係を結んだあの日の帰り道、堅悟が真っ先に堅悟が考えたことは、四谷が裏切り――敵に寝返った場合の対処についてだった。
 結局、四谷の能力は不意打ちや|撹乱《かくらん》に於いては有効的だが、その力の特性を知る者との真正面からの打ち合いには弱い。しかも同じ人間に使い続けると、まるで免疫が生まれたかのように能力の効果が弱まることが判明した。
 堅悟は、時間をかけて四谷の能力に身体を慣らしていった。
 この戦いに於いて、四谷は当然、一度自力で能力を打ち破ったことのある堅悟を警戒していた。それ故に、一瞬で決着をつける算段であったようだが、周到に準備を重ねていた堅悟にはその一瞬の|隙《すき》もありはしなかった。

「……終わりましたか、堅悟様」
 振り返ると、未だに続くリリアックと天神救世教の信徒たちとの戦いを背にした翼ちゃんが、四谷の|亡骸《なきがら》を見下ろすように立っていた。
「本当に、よかったのですか?」
「なにが」
「その方は、堅悟様の――」
「なあ、翼ちゃん」
 堅悟は翼ちゃんの肩に手を置き、苦しげに息を吸う。
「結局、弱い奴らはすぐに死ぬなぁ」
 急造の兵であるはずの天神救世教の信徒たちにばたばたとなぎ倒されていくリリアックの兵隊たちを見て、堅悟は一度、絶望に打ち|拉《ひし》がれた。
 しかし、ある程度数が減ってからは様子が変わってくる。敵の戦力をほとんど減らせないまま七割の仲間を失ったにも拘わらず、生き残った三割が戦い始めると、それだけでほとんどの敵を|殲滅《せんめつ》してしまう。
 なし崩しで堅悟たちのデスマーチに仲間入りを果たしてしまった鈴井鹿子もその三割のうちのひとりだった。最古参のメンツが雑兵に狩られる中、新兵が|単騎《たんき》で数十人を相手に不敵な笑みを浮かべている。
 異常な状況とは思わない。堅悟は、どこか醒めた眼差しで仲間たちの善戦を眺めていた。
「ちょっと、遠回りをし過ぎたのかもな」
 今にして思えば、“友達”との約束を果たすのに、山を登るような準備などいらない。
 長らく独りぼっちだったから、友達とバーベキューに行くのに正装が必要ないなんて、知らなかったのだ。
 でも。
 もう、大丈夫。
「ここはあいつらに任せて、俺たちは先を急ごう、翼ちゃん」
 ――今度こそ、面白いものを見せてやるからよ。
 東京湾の人工島。
 そこで奴らが堅悟を待っている。
 いつか交わした約束の酒を持って、全ての終わりがそこで始まることを。
 どうやら、他ならぬ堅悟自身も、待ち侘びているようだった。
 翼ちゃんはむすっとしたように顔を背け、信用できないですね、と言った。
「堅悟様は、いつも口ばっかりですから」
 と。
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