「えりつん、ねぇ、えりつん」
狭い部屋は落ち着く。
私の両親は、この駅前商店街で服屋を営んでいる。郊外のショッピングモールを中心として人が集まっているせいで、駅前は閑散とした有様だ。当然、客なんてほとんど来ない。
だから、試着室を乗っ取った。子供らしくお願いなんかせずに、諭吉に物言わせて。
「えりつんったらぁ」
私は狭い部屋が好きだ。
全てに自分の手や足が届く範囲内で。好きにカスタマイズする。戸や壁の色も自分好みにしたし、暑いと思ったから扇風機も付けた。カセットコンロで簡単な食事くらいは作れるし、トイレだって工事してもらったから、部屋を出るのはそれこそシャワーを浴びる時くらい。シャワー室だってこの中に付けたいと思っているくらいで。
そこまで辿り着けたら、本当に、この部屋から一歩も出ずに生きられるようになる。それこそが、私の本当に成し遂げたいことだったと、今、身に染みて感じている。
「…イイ加減にしなよえりつん。事務所のあのコワイおじさんも、そろそろ堪忍袋の尾が切れると思うけど?」
そうありたかった。だけど、どうやら、もう、時間がない。
『第一回 ネットアイドル総選挙』といういかがわしいイベントに、何の気なしに写真を送ってみた。そうしたら、なぜか優勝してしまい、トントン拍子で大手芸能プロダクションと契約できてしまった。その結果得られたのは、女子高生が持つにはあまりにも不似合いな枚数の諭吉だった。
「君は次代を担うネットスターであり、芸能界でもトップクラスを狙える逸材なんだって。ツイッターやヤフコメじゃあ、みんなそう書いてる。
でも、だんだん、批判的な内容のものも目立ち始めてる。幾つか読み上げると--
【えりつんとかいう女wwwwww契約金泥棒wwwwww】
【良記事だなこれ。芸能事務所の非道はよく話題になるけど、タレント側が明らかに悪いこともあるんだな?】
【いや普通に詐欺じゃね? プロ野球選手がドラフト指名されて契約金だけもらってキャンプに来ないようなもんでしょ。ありえないよね?】
…などなど、大金をせしめて、一向に働く気配を見せないえりつんに対して、全く関係のない外野が騒ぎ始めてるよ」
諭吉はまだまだたくさんいる。私の手の中にも六人。鞄の中には、もっともっとたくさん。でもこの諭吉達は、なんの理由もなく私の元へ来たわけじゃない。
私は私で諭吉を買って、そして自由を売ったんだ。
諭吉の暴力で親から隣の試着室も買い取って、そこをシャワー室にしたところで、そこで暮らす猶予がない。
どうするのが良かったのか。平凡な女子高生で居られればそれが幸せだったのか。あの時、ヘンなオーディションに参加しようと思わずに。でも、そのままだったら、この部屋は得られなかった。作れなかった。諭吉がないから。
「えりつん。考えてる時間がもったいないよ。それに、君はもう高校を辞めてしまったじゃないの。"元JK"のえりつん。今、元のクラスメイトでここまでえりつんのことを気に掛けてるのは、ボクくらいのものなんだよ?」
『誰とも会いたくないし、話したくない』
そんな最上の自由を、私は手放したくなかった。だけど、それはワガママだ。もう、そんなことは言っていられない。
この部屋を出なくちゃいけない。私の約束の地。
さようなら。
戸を開けて、一歩外に出て、振り返る。
なんて珍妙な部屋なんだろう。
なんて気持ち悪い男なんだろう。