赤錆の匂いがするのは、呼吸を止めた街だけではないだろう。
ダリアはてんてんと足場を飛び移りながら、僕を誘導する。見ればそれは磔台のようで、まだいくつか、顔を削がれた人体をくくりつけたものが残っている。腐臭はしない。死神は人間の臓器を売買することで生活していると聞くから、おそらく手が入れられているのだろう。骨に希少価値はないようで、人間の残滓はそこらじゅうに転がっている。
十四万とんで、六八〇〇人。
それが一日に失われる魂の数だという。
歩くたびに、げしゃり、げしゃりと足元が泣くのは、それだけ多くの人が死んでいるのだという事実を突きつける。
僕はそれから、目を逸らしてはいけないのかもしれない。
「大変なんだね、死神っていうのも」
「そうだよー。一秒に一人以上死んでるっていうんだから、どれだけ人数がいても足りやしないんだ。そのくせ死神志望の連中は少ないんだから難儀な話だよ」
ダリアはうら若き少女でありながら、死神の職に就いていた。
死んだ人間を管理・記録し、冥界へと送り出すのが、現代の死神だ。神というと聞こえはいいけど、実情はだいぶ違う。僕が見る限り公務員なんかと大差なくて、こちらの世界の生き物のように見えて、ホントは現実世界に存在している。かつてビック・ベンと呼ばれていた時計台は今や死神の象徴となっていて、街は立ち昇る血煙と赤錆で満たされ、本能的に鼻をつまみたくなった。
「磔刑ってさ、何か意味があるのかな」
「意味?」
僕は磔台を見上げながら、ぼんやりとつぶやいた。
「そんなスピードで人が死ぬのならさ、わざわざ磔にするのが手間じゃないか。たしか磔刑って、左右から何度も刺すんだろう?」
「ああ、うん、それは羽ばたかせるためだよ」
「羽ばたき?」
ダリアが目線の先で立ち止まる。
「『磔磔』って書いてタクタクって読むんだけど、これは中国語のオノマトペみたいなもので、鳥が飛ぶ音みたいなものを表してるの。だから鳥みたいに羽ばたいて、素直に天に昇ってくれるように、おまじないをかけているんだよ」
「っていうのが、ダリアの妄想?」
「ひどいなあ、もう。ホントだってば」
死神とすれ違う。死神は黒装束とドクロの面が義務付けられていて、ダリアもそれにならっている。まあ、赤ずきんちゃんの亜種にしか見えないけど。
ダリアが立ち止まった。見ると、両手で大ぶりの剣を握った死神が、少し向こうに立っていた。ダリアには小さく手を振ったが、僕に対しては至って無機質だ。阿吽の気配さえ聞こえてこない。不思議に思っていると、ダリアが囁いた。
「わたしのお父さん」
マジですか。
「多分、恥ずかしがってる」
それはそれは、素敵なお父さんだね。
さらに先導するダリアに付いていくと、街を見下ろせる丘に出た。
死神の街は空気が悪い。ライフラインは届いていても、メンテナンスを怠っているからだ。そういう業者の人が来ることもまれにあるらしいけど、大抵の目的は首を差し出すことだ。なんとも迷惑な話だと思う。死神は「死」の取扱免許は持っているけれど、「人を殺す」わけではない。死んだ人間を正しい道へ導くのが死神たちの仕事だ。それを知らない人が、まだ、この世界には大勢いる。
死は決して遠い存在ではなく、意外とすぐ隣に居たりする。メメント・モリを最初に唱えた人は、もしかしたらそれを知っていたのかもしれない。
「それにしても、後悔はしていないんだね」
ダリアが言う。
「後悔って、何が」
「君のことだよ。その歳で“死神になりたい”なんていう人、なかなかいないよ。そりゃあ、わたしたちとしては若い人材がいれば大助かりだけど」
「だろうね。ここへ来たのは僕の意思だ。それに、ダリアと一緒に生きていくからには、僕も死神であったほうが相応しいだろ?」
「くっさいなあ、もう」
十五歳のむせかえるような夏、僕は死神の少女と生きていくことを決めた。
そろそろ、この街にも慣れなければならない。