日曜日。
僕たちはつつがなく文化祭を終え、今はラストを飾る後夜祭の真っ最中である。
最後の締めにどうしてもとの本人の希望により、司会進行は織原先輩が勤めていた。体育館の舞台の上で、ビンゴをノリノリで回している姿がここからでも良く見える。
僕は体育館のやや後ろ側の壁に寄り掛かって座り、缶コーヒーを飲みながらそんな先輩の姿を眺めていた。
生徒会最後の仕事という事ではりきっているのか、それとも昨日の事が原因なのか判別は付かなかったが、今日の先輩はどうにもテンションが高いように見える。いつもの穏やかな感じのする笑みではなく、このお祭り騒ぎにはしゃいでいるような――失礼な言い方かもしれないが――歳相応の笑い顔を見せていた。
「どうですか、彼女の生徒会最後の晴れ姿は」
「彼女とか言うな」
「本当のことだろ?」
ジュースの缶片手に近寄ってきたのは、例によって例のごとく福原だ。ちなみに、僕は昨日何があったかなんてことは誰にも言っていないはずなのだが――
「ああ、会長に聞いた」
「なんでそんななんでもないことみたいに……ってか先輩も口軽すぎだろ」
「んなこたねーだろ。だってほら、これからすることを考えれば大した問題じゃないじゃん?」
「そこまで知ってるのかよ」
「というよりも、一部始終は全部知ってますぜ」
正直、そこまで驚きは無かった。どこかでそうじゃないかと思っていた。
そう思わないと辻褄が合わないことが多すぎる。最初は、僕が先輩を好きなことを知ってからかっているのかと思ったが、それだけではテラスで先輩が突然現れた時などの説明が付かない。
今思えば、あの時の福原の思わせぶりで挑発的な態度は、僕が先輩から告白されたことを知っているからこそだったのだろう。
「なんでそんなに詳しいんだよ。先輩とそんなに仲良かったか、お前?」
まぁ、比較的誰とでも仲良く接している福原のことだから、先輩と話しているところなんか見ても不自然に思うことも無かっただろう。
考えてみれば生徒会以前に弓道部の頃から付き合いがあるのだ。むしろ仲が良くて当たり前かと僕が思っていると、福原は脈絡無くとんでもないことを言い出した。
「俺さ、去年の今頃に先輩に告ってフラれたんだよね」
「は……今、なんて言った?」
「いや、まぁかなり前の話しなんだけどな。高崎には言おうかと思ってたんだけど、時期を逃しちまってさ。驚いた?」
「驚かないわけ無いだろ」
「ははっ、確かに」
そう言うと、福原は僕の横に腰を下ろしてとつとつと語り始めた。
「去年の秋ぐらいな、今の俺たちみたいに生徒会から三年生が引退して、忙しくなり始めて。その頃かな、次期生徒会長が織原先輩で決まり……みたいな空気になっただろ。まぁ順当だし、俺もいつかそうなる事は分かってた。分かってたんだが、当時の俺はそりゃあ焦った」
昔を懐かしむように、遠くを見るような目で語る福原の口から『先輩』という言葉が出たとき、僕はなんとなく納得した。
思えば、弓道部から付き合いのあったはずの福原なら、『生徒会長』としての先輩よりも『弓道部の先輩』としての時間の方が長かったはずなのだ。
それなのに、織原先輩が生徒会長になってから僕は一回も福原が先輩を『先輩』と呼ぶのを聞いた覚えがない。
「自分じゃあ分が悪い賭けだとは思ってなかったんだぜ? ほら、俺とか高身長成績優秀運動神経も良し。人望まであって、もうどこのデキスギクンだよって感じじゃん?」
「自分で言うなよ」
「事実だからな」
胸を張って、ニヤリと笑う。自分の深刻な話のときにさえユーモアを忘れない福原に、僕は苦笑いで先を促した。
「俺はその頃にもう生徒会に入ってたし、別に先輩が弓道部を引退するからって会えなくなるわけでもなかったんだけど、やっぱり俺は妙に焦ってた。多分俺がまだただの一年坊主だったのに、先輩が凄い上の方の人間になっちゃうような気がして……遠くに行かれるのが怖かったんだと思う」
そこで初めて、福原は真面目な顔でため息を吐き出した。
福原に想いを告白された先輩は、こう答えたそうだ。
『弓道部とか生徒会とか、凄い真面目にやってくれてるのも分かるし、それが私を見てっていうのも正直嬉しい。だから、福原君の気持ちが嘘だって言うんじゃないんだけどね。それで『好き』っていうのはなんか違うと思うんだ。福原君はただ、自分の大きな目標として私のことを見てるだけだと思う。こんなこと言うと自信過剰みたいだけど』
同じ道の前と後ろ。決して隣に並ぶことのない、背中を見ているだけの人間とは付き合えないと、そう言ったそうだ。それは、あまりにもはっきりとした拒絶だった。
「いやーもうバッサリ斬られちゃってさ、ショックでそれから三日はろくに飯も喉を通らないわけよ。生徒会に顔出すと、先輩はもう何にもなかったような顔で仕事しててさ、それがまたショックだったわー」
それはまるで、少し前の自分を責められている気分だった。
『憧れ』で満足していた自分。『恋』だと思いたくなかった自分。遠ざかっていく先輩の背中を眺めているだけでいいのだと、自分は取り返しが付かなくなった時に諦めるのが良いのだと、そんな風に考えていた自分。
考え方は違っても、福原もまた、僕と同じような経験をしていたのだ。
「それから、なんか俺も開き直って色々話すようになったわけ。気が付いたら恋愛相談なんかもされちゃってさー、まいったぜ。普通自分がフった男にするかって感じだけど、少しは頼ってもらえてるのかと思うと断れなかったしさ。しかも相手はお前だし」
僕を指差して苦笑する福原。
「それはいつから?」
「んー、マジで詳しく聞いたのは一週間くらい前かな」
それは僕が、先輩と話し始めてまだ日も浅い頃。先輩を『先輩』と呼んでまだ間もない頃だったはずだ。
「本当かそれ? その時はまだ、言葉交わすようになって二・三日とかだぞ」
「ま、それだけお前が衝撃的なことでもしたんじゃねーの? 知らないけどな」
いつの間にかなくなっていたジュースの缶を名残惜しそうにすすりながら、福原は立ち上がる。そろそろ後夜祭も終わりに近づいているようで、先輩が最後の挨拶に行うために舞台の中心に立っていた。
「俺さ、お前が羨ましかったんだぜ。ぶっちゃけ」
「……先輩の方から僕のことを気にかけてたから?」
僕も後に続くように立ち上がる。福原は壇上の先輩をじっと見つめていた。
「ちっげーよ、バカ」
福原は僕の背中を思いっきり引っ叩いた。脱いだら紅葉のような跡ができていそうなほどの、痺れるような痛みが背中にじんじんと広がる。
「俺がお前と行き違いに生徒会室に入ってった日を覚えてるか? 俺はアクシデント処理の分担からの帰りで、お前は飲み物を買いに外に出てた」
「ああ、あったなそんなのも」
「その時、お前が席外してた時に言われたんだけどな、会長に『気になる人がいるかも』って。俺はもう一発で高崎のことだと分かったね」
「なんでだよ。その前に話した俺、そんなに不自然だったか?」
「いいや、全然。でもお前が『先輩』って呼んでたのを聞いた時にな、なんとなく分かった。お前らはきっと、お互いに無意識にでも、両方から近づけていけたんだよ。先走った俺とは違って」
そうだろうか。少なくとも僕は、今思い返しても自分の方から近づいていけたとは思えない。
最初に言葉を交わしたときも、一緒に飯を食べに行ったときも、告白を受けた時も。それは全部先輩の方から一歩踏み出してきてくれたから。最後の最後でさえ、僕は先輩がお膳立てしてくれた勝負に乗っかっただけだ。
そして負けた。あの人には勝てないと悟った。だから――
「そんなんじゃないよ」
僕は自嘲するように、苦笑しながら答える。
「僕はあの人に首根っこつかまれて、ムリヤリ隣に並ばされただけ」
でも、それでも。差し出された手を、いつ引っ込められるかと怯えながら握りに行くような自分でも、それでもやっぱり先輩が好きだから。
「だから今は、必死で喰らい付いてるだけ。これ以上絶対に離されないように」
福原は笑って言った。
「ばーか、それが恋ってやつだろ。知らないのかよ、恋と憧れってのは違うんだぜ?」
壇上の先輩が、挨拶の締めに入る。僕は人の脇をすり抜けるように舞台袖に向かった。昨日の事を思い出しながら。
『敵わないですね、先輩には』
僕はため息を吐き出した。困った口調を作ってはいたが、不思議と心は穏やかで、この空のようにすがすがしい気分すらしていた。
『そんなことないよ。避けられたらどうしようかって、凄く怖かった。キスだって上手くできるか分からなかったし。まだ顔が熱いよ』
『そんなの僕だってそうですよ。まぁ、負けは負けですからね。先輩の言うとおりにします。というか、なんか吹っ切れた気もするんです。さっきまであんなこと言ってた癖になんなんですけど……ははっ、スッキリした気分です』
笑い合う。今日の朝には、こんな風に先輩と笑えるなんて思ってもいなかったのに。
しばらくそんなことを続けていると、先輩はふと何かを思い出したように、顎に指を当てて考えるような素振りをした。
『そういえば、一つ言う事聞いてもらえるんだよね、なんでも』
『そうですね、なんでもいいですよ。ただし、あんまり酷いこととかやめてくださいね?』
『じゃあ、こんなのはどうかな。明日、――――――』
『いや、それはちょっと。っていうか、それはあまりにも酷いのでは』
さっきの真っ赤な照れた顔はどこへやら、先輩はとっておきの悪戯を思いついた子供のように嬉しそうに笑う。
『なんでもって言ったじゃない。少し恥ずかしいの我慢すればいいんだし、できるでしょ?』
『それにしたって、先生もいるかもしれない前でっていうのは……』
『だって、そうすればもう人目を気にするとかいう話じゃなくなるし、取り返しも付かなくなるでしょ?』
そして思い知らされる、僕はこの人には決して敵わないと。でもそれがどこか心地よくて、僕の方も自然と笑みがこぼれた。
『ええ分かりました、やりますとも。でも、その前に一つ聞いてもいいですか?』
それは凄く気になっていたはずのこと。何故今まで聞かなかったのかと思うような、そんな単純なこと。
『先輩は、僕のどこが好きなんですか?』
先輩に手招きされて、僕はライトの眩しい舞台の上へと上がる。見ている生徒たちはもちろん、周りの生徒会員までもがシナリオにない僕の登場に首を傾げていた。
集まる視線に顔から火が出そうになる。後夜祭は最後のイベントなので羽目を外し気味の出し物も多く、そういうことをとりあえず黙認してくれている先生たちは、ほとんど見に来ることがないのが唯一の救いだ。
緊張してガチガチの僕をよそに、先輩は体育館にぎっしり座っている生徒たちを見渡して言った。
「それでは最後に私事なのですが、我が校生徒会書記の高崎君から一つ発表があります。それではどうぞ!」
マイクを僕に手渡す先輩の顔は、これ以上ないほどに楽しそうだった。
その顔を見て僕は、もしかしたらこの人は結果的に正しいことをしてきただけで、本当はただの自分本位な人なのかもしれないと思ってしまった。
でも、もうそんな事は関係ない。
『だって、高崎君は今までの私を初めて否定してくれた人だから』
それはあなたの方だ。あなたは今までの僕を全部ぶち壊してくれた。それはもう、本当に取り返しが付かないところまで。
だから、責任を取って貰おう。最後の最後まで。そのためだったら、僕は必死で先輩の隣にい続けてみせる。
「えー……、僕、高崎信二は……このたび織原姿子先輩と付き合うことになりました!」
「No believe」 完