四人で遊びに行く、というのは実は割とよくある話だ。というより、俺とユキの方からよく持ちかける話なのだ。
もちろん俺とユキが提案する以上、そこには『協定』に関係するメリットがあるのは言うまでもないだろう。
『四人で』親睦を深めるということは、四人一緒に登校していることと同じだ。四人でいることが当たり前だと思うようにするための、地道な刷り込み。そうなれば、逆説的にシュウとナツキが二人っきりになる時間は減るというわけだ。
そしてさらに、四人で出かけているときにお金を使ってしまえば、ナツキたちのデートで使える資金を削ることも出来る。なんともまぁみみっちい作戦だ、笑ってくれても全然構わない。だが、効果的ではある……はずなのだ。そう思わなければやってられない。
ともあれ、そういう打算的なものがないはずのナツキから四人で遊ぶ提案があったということは、前者の目的が達成されつつあるということなのかもしれない。
その日の昼休み、日課である屋上での俺とユキの会話はそんなところからスタートした。
「それで、どこへ行こうかとかは決まったのか?」
俺たち四人の中で、クラスが同じなのはナツキとユキだけだ。俺以外の三人は去年同じクラスだったのだが、今年はシュウも二人から外れて、俺とも同じクラスにはならなかった。
だから、朝の会話で何か決めかねたことが出た場合、女子二人で決めて男子は文句を言わないというのが、俺たちの通例になっていた。
放課後に集まって話し合おうにも、部活や委員会がてんでばらばらなせいで落ち着いて話せる機会がないからだ。次に四人揃うのを待っていたら明日の朝になってしまう。会話の進展が一日ごとというのは、いくらなんでも遅すぎる。
「ん、最近暑くなってきたし、プールにでも行こうかってことになった」
「プールね、いいじゃないか」
ここら辺でプールというと、学校から電車で二十分ほどのところにある遊園地のことだ。中に屋内・屋外プールが設置されていて、遊園地で遊ばないならそこそこの値段で遊ぶことができる。
もっと近くに市民プールもあって、そちらは料金も段違いに安いのだが、中学生以下のガキどもの多さや、満員電車のような人口密度の高さもあって、高校生にもなって行っている奴はかなりの少数派だ。
「じゃあ新しい水着を買ったりとかするのか?」
「うん、ナツキちゃんと明日の帰りに買いに行ってくる」
どことなく顔を綻ばせながら、ユキは言った。
「へぇー。それ、俺らは着いて行っちゃダメなの?」
「ダメ。そういうのは見てからのお楽しみにさせとこうって、ナツキちゃんが言ってたから」
「そすか」
なんとなく予想していた回答だっただけに、俺は軽く返す。
俺の方はこんな活動をしていることもあり、正直言ってシュウと二人で顔をつき合わせたくないと思っているところがある。別れさせようと思っていること自体に罪悪感があるし、変にナツキの話題を振ると勘繰るようになってしまいそうで怖いのだ。かといって、他に共通の話題がホイホイ出てくるほどに仲がいい訳でもない。
廊下ですれ違えば挨拶は交わすが、積極的に会って話そうということにはならない。毎日一緒に登校しているというのに、なんとも薄い間柄だ。
しかし、ナツキとユキはそうではないらしい。というか、ユキはかなりナツキに懐いている節がある。
ユキは野暮ったい見た目通りに友達が少ないらしく、俺やナツキ以外と喋っているのをほとんど見ない。だからこそ、その懐き具合にも納得はいくのだが――
「プールか……最近、本当に暑くなってきたなー」
まだ六月も半ばだというのに、もうじりじりとした暑さを肌に感じる。
空を見上げると、雲がまばらで、青というよりは文字通り空色に近い空が目に入った。入道雲こそ見えないけれど、立派に夏の空といった感じだ。
俺とユキが常連になっているこのベンチは日陰だからまだいいが、ガンガンの日照りの下で飯を食いたい奴も少ないだろう。これから屋上は、どんどん人気をなくしていくに違いない。
そう思って、ふとユキに顔を向けて聞いてみた。
「なぁ、本格的に暑くなってきたら、ここどうする?」
あまり考えずに口にしたからだろう。明らかにはしょりすぎた問いを理解できないというように、ユキは長い前髪の下で細い眉をひそめた。
「どうする……って?」
「俺たちも食堂とかで飯食おうかーって話だよ。そろそろ梅雨にもなるし、ずっと昼休みは屋上ってわけにもいかないだろ?」
そう説明を足したところで、俺は根本的な間違いに気付いた。ユキの眉根によった皺が、より深さを増したからだ。その溝の原因は、質問の意図が伝わらなかったからということではない。
ユキは底冷えのする声で、
「……ずっと?」と呟いた。
正直、こんな夏場に鳥肌が立ちました。
「いや、違うって! ユキさんの言いたい事は分かります。こんなカモフラ関係をずっと続ける気なのか。そんなこと考えるよりもあの二人をどうにかするのが先だろうとそういうわけですよね!?」
「声が大きい」
大慌てで取り繕うと、ユキはさらりとそう言って大きくため息を吐いた。『協定』――ナツキたちに関する話をしている最中、ユキは妙に冷徹になることがある。
確かに感情的になって話すことではないとも思うが、ユキのそれはちょっと行き過ぎているような気もする。この前俺に危機感が足りないと言っていたが、コイツには罪悪感というものが足りないんじゃないだろうか。
冷たい視線で俺を射抜いたまま、ユキは咎めるように口を開いた。
「前から思ってたんだけど、ハル君って今の状況を変えよう、良くしようってちゃんと思ってる?」
「そりゃあ……思ってるよ」
「そうかな? 私からは、今のままが続くのならそれでもいいって思ってるように見える」
「それは……」
相変わらず、コイツは痛いところを突いてくる。
実際その通りかもしれない――現状で十分だと思っているのかもしれないと、俺はちょうど昨日から自覚し始めていた。
昨日ナツキが来て、思わせぶりな言葉を吐いたとき。極端な話をすれば、俺にはナツキを押し倒す機会があったわけだ。自分に都合の良すぎる解釈をするなら、あの時のナツキはそうしてくれと言わんばかりに露骨な隙があった。
なのに動かなかったのは、怖かったら――後のことを考えてしまったからだ。
あの時、あの場で手を出していたなら、そりゃあ今の関係のままじゃいられない。ユキとシュウの関係がどうなってるかは詳しく知らないが、少なくともシュウは絶対に俺を許さないだろう。シュウが本気でナツキを好きなのは、見ていれば誰でも分かることだ。
ナツキとも、そんな乱暴な形で行為に及んでしまった後で、まともな恋愛関係になれるわけがない。そうなってしまったら、たとえナツキたちを別れさせたとしても意味がないのだ。
「……ふぅ」
小さいため息に顔を上げると、ユキは悲しいような、寂しいような、呆れたような、何も感じていないような、色を混ぜすぎて逆に薄くなったような表情で俺を見ていた。
「続けるのが嫌だったら……止めてもいいよ?」
『協定』を、という意味で言っているのは明白だ。今ならまだ間に合うと、彼女はそう言っているのだ。
「それで、お前はどうするんだよ?」
「私は一人でも、二人の邪魔を続ける。私は今の状況が我慢できない。それを許容するくらいなら、全部壊してしまってもいいって思ってるから」
「全部壊してって……それじゃその後どうにもならないだろ。二人が別れた後に、もしも誰とも関係が修復不可能なくらい壊れちまったら、それこそ本末転倒なんじゃないのか?」
俺が昨日一日考えていた問い。今が壊れてしまうくらいなら、そんな危険を冒すくらいなら、今が多少不満でも我慢するのが良策なんじゃないか。その問いに対して、ユキはしっかりと首を横に振った。
「私は、自分の好きな人の隣に誰かがいるのが我慢できない。私を好きになってくれるのは無理でもいいから、誰とも付き合わないでいて欲しい。そういう、自分勝手なわがままを言っているの。でも、自分勝手だって自覚はあったから、三ヶ月前のあの時にそのわがままを行動に移す気はなかった。ただ落ち込んで、でも仕方ないって、受け入れなきゃいけないって思ってた」
はっとする。
なのに、彼女は俺のことを知ってしまったのだ。同じ立場の共犯者――想いを共有できるかもしれない相手と、出会ってしまった。
「誤解しないで。私はこうなってしまったのは貴方のせいだとか、そういう風には少しも思ってない。むしろ、ハル君には感謝してるくらい。だってナツキちゃんから貴方の話を聞かなかったら、私は絶対に何もできないまま……ずっと塞ぎこんでいたままだったと思うから」
俺は思い違いをしていた。ユキには、ナツキやシュウへの罪悪感がないんじゃない。感じないわけがないのだ、あれだけナツキに懐いているならなおさら。
ただ、必死に押し殺しているだけなんだろう。そうでもしないと、友達と好きな人の恋を邪魔することなんて普通はできないから。
俺たちがやろうとしているのは、『悪いこと』だ。誰もが幸せになんてならない。誰かは絶対に傷付かなくちゃならない。人を傷つけて、自分が代わりに幸せになろうとする行為、そのための『協定』、だからこその共犯者なのだ。
危機感がなかっただけじゃない。俺は、この『協定』の本質さえ見えていなかった。
「だから、今ここでハル君が抜けるって言っても私は止めたりしない。行動するきっかけを与えてくれただけで、十分だと思ってる。だから、私のことは気にしないで」
俺はどこかで期待してた。このままユキと『協定』を続けていれば、自然とナツキとシュウが別れて、俺にお株が回ってくる。そんなあるはずのない1%以下の可能性にすがって、決定的な行動に出ることを躊躇していた。
でも、それじゃダメなんだ。ユキの言うように、常に、今、なんとかしなければならないという危機感。手に入れたいものがあるなら、代わりに何かを失う覚悟が必要だったんだ。
「……」
じっと答えを待っているユキに、俺はしっかりとした口調で言った。
「いや、続けるよ。それから……今まで、中途半端な気持ちでやっててごめん」
「え?」
突然頭を下げた俺に、ユキは面食らったようだった。
「ユキの言うとおりだ。俺、今のままでもいいなんて思ってた。正直言って、四人で登校したり遊んだり、こうやってユキと昼飯食ったりしてるのだって俺には居心地がよかったんだ。でも、違うんだよな。俺らがやってることは、『楽しみながら』なんてやり方で、やっちゃいけないものだったんだよな」
そう、幼なじみとしてのナツキ、友達としてのシュウ、それと同じくらい壊したくない『今』の中には、彼女としてのユキもあったのだ。それがカモフラージュだったとしても、同じ秘密を共有して、傷を舐め合えるような関係はとても楽だったから。
「だから、ごめん。これからは、しっかりやる」
それはあくまで、自分のために。全部壊してしまう勇気なんて、まだないけれど。
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その日の放課後、ホームルームが終わった後に教室を出た俺は、見知った顔が廊下の壁に寄りかかっているのを見つけた。
「よう、シュウ」
「おお」
「どうした? サッカー部の奴らなら後から来ると思うけど、急ぎの用なら呼んでこようか?」
「いや、それはいい。今日は、ハルに話があって来たんだ」
「俺に?」
意外な発言に俺は首を傾げる。俺は『協定』の気まずさからシュウに積極的に絡みに行くことは少ないが、シュウの方から俺に話をしてくることもまた珍しいのだ。
それはやはり、俺がナツキの幼なじみだからだと思う。今では立場が逆転したとはいえ、去年までは間違いなく、俺はナツキに一番近い男子だったのだ。それが彼氏ができた今でもそれなりの付き合いを続けてるというのは、現彼氏として色々と思うところもあるだろう。
「ああ。ちょっと移動しないか。廊下じゃちょっと……な」
その雰囲気で、なんとなく察した。これはナツキの話だと。ついでに、その内容も。所詮、俺たちの間で大きい共通項なんてナツキぐらいしかないのだ。
二人で落ち着いて話せる場所としてぱっと思い浮かんだのは、いつもユキと二人で話している屋上だった。
「じゃあ、屋上に行こうか。今の時間ならほとんど人もいないだろ」
シュウが軽く頷いて、二人とも無言のままで歩き出す。俺は昼休みのことを思い返しながら、そっと手を握った。