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「かく言うわたしも第10話でね…」

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「それで、調べたんだ?……あっ、ダメ。強す……ぎ」
「あぁまあな……ほれほれ」

 休部状態が解かれないのもあり、野球部としての活動が出来ず場所の確保が困難なので
校舎の中庭芝生が、校内での俺達の練習場になった。

「さすが一年から三年間シニアでファーストを譲らなかっただけあるな、良い股関節してるよ」

 芝生の一本一本がハーフパンツ越しにチクチクと刺さる痒さに、歯を食い縛りながら耐
える。

「あひッ、ぎぅ……!」
「お前さ、なんでストレッチしててそんな面白い声出すんだよ?」

 地面に百八十度開脚で座り、背中に健太郎を、俺の膝が内側に閉じないように足で抑え
ながら股割をさせて乗せている。

 投手を除いたポジションの中で、おそらくファーストが一番柔らかい股関節を求められ
るポジションだ。(キャッチャーも願わくば柔軟性が欲しいんだが)球際での自信と、この
柔軟性を武器にリトル・シニアでレギュラーを守ってきた。

「で、どうやら……」一段と深く俺の背中を潰して「毎週水曜日、大学のグラウンドを借
りて練習してるらしい、ぜ」健太郎がそう言った。
「ぎゅふッ!!」

 この健太郎がもたらしてくれた情報が、今のこの状況をどう打破するのかはいささか不
明ではあるが、健太郎が意味の無い行動をするのは決まって誰かを混乱させてハメたい時
なので、これは間違いなく健太郎野球部再生プランの一段階なのだろう。

「……見に行くのか?」
「あぁ……ぜひとも、な」

 さぁキャッチボールしようぜ、健太郎がおもむろにバッグから硬球とグラブを取り出し
た。俺もグラブ袋からファーストミットを取り出した。

「………」

 少しだけ手触りが固くなって、少々色褪せたミットを取り出す。週末に一年近く使って
いなかった、このミットの手入れをした。だけど、ボールを喰らわせて、その息吹を再開
させるのは、俺の左手を黒ずんだポケットを支えるのは、今この瞬間からだ。

「ほらっ、早く構えろよ!」

 大きくテイクバックを取って、健太郎が鋭いスローイングで胸元に放ってきた。

「あぁ!しぁっす!」




 緑に溢れたキャンパスは、色とりどりの派手な格好した学生に溢れていた。よく陽の当
たる山肌に作られた大学で、眼下に水量の多い多摩川を望めた。

「ウチの学校が私服な分、あんまり変わらないなぁ」

 大学見学だと言って、事務課の職員にグラウンドの場所を教えてもらい、木漏れ日溢れ
る並木道を歩く。

「あ……聞こえてきた」

 道の向こう、木々が切れて光をたっぷりと受ける開けた空間からその音は聞こえた。

「………、おぉっ!」

 並木道を抜けると、目の前に現われたのはグラウンドだった。よくある砂利のグラウン
ドだったが、そこで動く人達を目で追っていて、ややあってから思わず声を上げてしまっ
た。

「思い出したよ……これこの前テレビで特集組んでた」
「そっ、ルールにハンディキャップが合わないなら……ルールを変えた、野球だ」

 つい最近まで、俺のその存在すら知らなかった障害者野球だ。
 今、俺の目の前で白球を追う選手達は、ユニフォームの袖片方がふらふらと走る度に自
由に揺れていたり、脚片方が無く松葉杖に身体を預けファーストで送球を受け取っていた
り、捕球直後にグラブを脇に挟んで瞬時に手を抜き取り返球する隻腕の外野手……

「まさに和製ピート・グレイだろ……あの投手はまさにジム・アボットだな」

 健太郎が事も無げに言った。だけど既に俺は目の前が霞んでいて、健太郎がそう称する
投手の姿は捉え切れていなかった。

 袖で目を擦って、今一度グラウンドを見つめる。

 内外野が分かれてノックを受けている。それは何処でも見られる野球練習だった。選手
が身体的欠損を抱えている事なんてお構いなしに、ノッカーは捕り難い所へとボールを打
っている。選手が捕れなければ厳しい声もかける。

「甲子園って……本来これくらい野球が好きな人達の為にあるのかな」

 選手達の掛け声にネガティブなモノは感じられない。誰もが白球に対して真剣だ。

「豊……あそこ見てみろ」

 感慨深い光景に釘付けになっていた俺の肩を叩くと、健太郎はある方向を指差した。そ
の先にいたのは、汚れの目立たないユニフォームに身を包んだ選手で、松葉杖で身体を支
えながら器用にキャッチボールをしていた。

「あの人が……」
「そ、桜井と激突して野球が出来なくなったっていう選手だよ」


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「で、俺達はここで何をすればいいのさ?」

 彼是一時間、肌寒くなり始めた風の当たる土手で俺達は、あぐらをかいて熱心な野球人
達の練習を眺めていた。しばらく二人の間に言葉がない時間が続いた。

「いやさ、随分と前に彼の事がテレビで特集されてるのを見たから……多分、桜井も知っ
てるよ」
「……彼がまだ野球を続けている事を?」

 だとすれば一体、桜井はなぜ

「単なる贖罪の気持ちだけじゃないのかもー……ね」

 健太郎が、すっくと立ち上がって、芝生の付いたリーバイスの尻をバフバフと叩いた。
それに倣うと、俺も来た道を戻り出した健太郎の後を追った。

「じゃーどうすんだよ、別に桜井を縛るモノは」
「なんだかんだ、桜井も苦悩してるんだよ。あとは誰かお節介な人が背中を押して……た
だ信頼してやれば良い」

 それは御手洗さんの事か?

 あの蕎麦屋で御手洗さんは、熱心な目で俺達に桜井の事を頼んだ。健太郎にキッカケに
なれと言い、健太郎はそれに対し『僕等でキッカケになる』と答えた。あの言葉が健太郎
なりの御手洗さんへのパフォーマンスだとしても、やはり俺は桜井入部のプランには要る
という事だが……一体俺は何をすれば良いんだろう。

「多分、桜井は自分でも表現の仕様の無いジレンマに陥っているんだろうよ。でもそれは
良い傾向だよ」指先のピッチングダコを親指で擦り「前進を望むヤツにしか苦悩は訪れな
いからね」
「………」

 前に進む覚悟が無ければ、苦悩の前に人は簡単に立ち止まってしまう。それは長い選手
生活でも、過酷な受験勉強でも同じで……色々な人達のそういう姿を見てきた。ただ、人
はそんな障害を屁でもないと思えるようになれたら、本当にタフになれる。健太郎はそれ
を、桜井に期待しているんだろう。

「明日……」

 校門を抜け、丘陵地帯を一望出来る坂道を下りながら健太郎が言った。

「桜井に話そう。今週末の練習、キメるよ」




 昨日の健太郎の決意表明には、俺もいささか心を打たれたのだが……

「お決まりだよね」

 そういう時に限って、クラスの違う桜井と絡む時間を作れない時間割だったりする。
 一応、偏差値的には東京のランキングで上から数えた方が早いという我が校は、それな
りに授業のレベルも高く、授業間の休憩時間に多少なりとも次の教科への準備を取らなけ
ればならない。しかもホームルームというモノが存在せず、各教科の担任が教室を持って
いて、生徒の方が授業毎にそこへと移動する、いわゆる欧米のスタイルなので、教室移動
は非常にスピーディーに行わなければならない。そんな事もあり、一部の上級生は教員の
目を盗んでは校舎内の移動方法にキックスケーターや、スケボーといった手段を用いて移
動時間の短縮を図っている。時には校車内をトライアル用の自転車で移動するツワモノも
いる。

 しかし、どうも健太郎においては、そんな構内の常識の例外なようで……コイツはいつ
も授業間に仲間内にメールを送っては嫌なちょっかいを出してくる。

 まぁ俺にも得意教科などはあり、そういった教科なら、授業の直前に教科書を斜め読み
すれば、大学の講義のように端折った板書であっても移動の合間にいとまを作る余裕がある。

「古文にオーラル、実験が二時限続きとかね……」

 要するに、俺にとっての苦手科目が並んでいる今日は行動を起こすにはあまりに都合が
悪いという事だった。

 そんなこんなで、放課後の練習にとりかかった今、健太郎はご機嫌斜めだ。相変わらず
のコントロールで、キャッチボールが楽で良いのだが……どうも健太郎の球がいつもより
鋭い。伝わり辛いが、簡単に言えば……いつもより球速が、はるかに速い。

「俺はキャッチャーじゃねぇんだぞ!」

 挙げ句の果てには、最高球速が百四十キロを軽く超える左腕で振り被りやがった。硬式
球用のグラブという事で、半ば任意でポケットの中にボールが納まってくれるから、それ
程耐え難い衝撃に襲われるワケではないが、やはりファーストミットで受けるボールでは
ない。

「なぁやっぱりさ」

 お前の投球を見せれば桜井も納得してくれるんじゃねぇか、とか

「それにさ」

 お前のバッティングだって絶対アイツが見たら野球狂の血が騒ぎ出すって、などと色々
と健太郎に、桜井スカウト攻勢について打診を試みているのだが

「………」

 そんなに今日の事がお気に召さなかったのか、ただただ健太郎は黙々と俺に向けて、そ
の投球のピッチを上げていった。


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「えー今日から、桜井コーチの同級生で野球部のエース候補の健太郎君と笹井君に来ても
らいました。健太郎君は本格派の超高校級左腕だから……モッさん、特にお手本にするよ
うに」

 御手洗さん、俺の名前さり気に間違えただろ。

「それと、笹井君もシニアで不動のレギュラー張ったファーストで守備は抜群だから参考
にするように。何でも聞く事、それじゃ」

 ああーっす!と、子供達の威勢の良い挨拶で、御手洗さんによる俺達の紹介が終わった。
今日から俺達二人は、御手洗さんのご要望通り小平アスレチックの練習に臨時コーチとし
て参加する事になった。問題の桜井はというと、俺達と極力目を合わさないようにしてい
ながら、その背中が不満に満ちた表情を物語っていた。

 軽くランニングとストレッチ、ダッシュをこなしてキャッチボールとなった時だった。
俺と健太郎はコーチとして目を光らせながらも、自らの肩を作ろうと列の端の方で向かい
合ったのだが

「スンマセン、健太郎さん……」

 健太郎を呼ぶ声が聞こえた。この声は

「俺とキャッチボールやってくれませんか……」

 アスレチックのエースナンバーを背負う、期待の左腕モッさんだった。

「お前は普通はキャッチャーとだろ」

 健太郎が訊ねると

「それは桜井コーチに任せた、今俺はアンタとキャッチボールがしたいんだよ」

 まるで敬意の感じられない口調で、モッさんがそう言った。それはある意味、挑発のよ
うにも聞こえた。

「豊、悪い……御手洗さんと、な」

 健太郎は、はにかんでグラブの背で俺の胸を押してきた。ああ分かったよ、と言ってか
らモッさんを一瞥すると、彼は斜に構えながらも、俺に軽く会釈してきた。

「あぁ、なるほど」

 この子の行動の意図が何となく掴め、呟いた。つまりは先週見せた健太郎のレーザービ
ームに挑戦をしたいという事なのだろう。だとすれば、なんと投手向きの性格か。

 それでも高校生と小学生だ、さすがに差は歴然となる

「おっ……」

 と思ったのだが、気合に関してはモッさんが優っているようで、いきなり塁間にも満た
ない距離をフルスロットルで放った。球離れも遅く、球筋も鋭かった。

 対する健太郎も

「おいこら健ちゃん」

 セカンド発進なんてモノではない、健太郎もトップギアを入れたと思わせる程にダイナ
ミックでクイックなフォームで球を放った。ちょっと小学生がおいそれと取れるようには
思えない球威で、ボールは『ほぼ』あらかじめ構えられていたモッさんの胸の前のグラブ
に収まった。

「………」

 御手洗さんとのキャッチボールは謹んで辞退だ。子供達のバックアップをしながらでも
健太郎の戯れを眺めてみたい。

「うぇぇーい!」
「ナイボー!」

 チームの列ところどころから張りのある掛け声があがる。健太郎とモッさんの間に、そ
んな声はあがらず

パァッーン!!

 お互いのグラブにボールが収まる度に、ただただ凄まじいキャッチ音が響いていた。

「おーおー」

 対抗意識丸出しのモッさんの背中の向こうに見える、健太郎の顔は愉快に満ちていた。


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