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11話:アナル×人妻属性…コリジョンコース

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「………!!」

 辺りを見渡せば、誰もがその手を止めていた。声を上げる者もいない、街道を走るトラ
ックの排気音と、破裂音みたいな皮の叩かれる音だけが、グラウンドに響いていた。
 思わず息を飲み、遠投の距離で各々が立ち竦んだまま眺めているのは

「人が悪い……」

 肩で息をするエースナンバーと、彼のはるか向こうで仁王立ちして球を待つ健太郎だ。
 二人のキャッチボールは、離れれば離れる程に、内容が壮絶となっていった。距離を取
ればその分だけ、より鋭くより低い球筋をお互いがノーバウンドで放り合い、二人の間が
広がるにつれ、より遠くの位置でキャッチボールをしていたチームメイトが手を止めていった。

「よーっしナイスボー!!」

 健太郎が声を弾ませて、そう言った。対するモッさんはライオンズの涌井よろしく、表
情を変えずに、頭上でグラブを掲げ、返球を促した。
 今や健太郎とモッさんは、小学校のグラウンドを斜めに横切り向かい合っていた。よも
や普通小学生が遠投でここまで離れる事はないだろう。しかもその距離を更に広げようと
する事も。
 チームメイト達が呟くように

「モッさんすげ……」

 などと漏らすが、それ程の距離を取って、二人に決定的な違いが生まれた。いまいち気
付いているチームメイトは少ないが、埋めがたい経験の差はあれ当のモッさんは痛感して
いるだろう。
 健太郎の投じるボールは、真っ直ぐにアスレチックスのエースのほぼストライク位置に
収まっているのに対して、モッさんの投げる球にバラつきが出始めたのだ。健太郎の頭上
ジャンピングキャッチや、素早い落下点への移動のお陰で目立ちはしていないが、それは
本人としてはさぞ悔しいだろう。

「ま、小学生にしては凄いんだけどさ」

 苦笑して呟くが、それ以上にうちのエースのドSっぷりに関しては、この先同じチーム
でやっていけるのだろうか不安になってきた。

「さぁ!肩温まったからちょっとだけ本気出すよ!」

 日本の数々の球団を渡り歩いたブライアン・シコースキーばりに、その左腕を大袈裟に
回して、健太郎がそう言った。
 ブレる事のない上半身、踏み出しから一切の力みもなく、しなるような左腕がボールを
放った。ゴウゴウと音が、強烈なバックスピンで切り裂かれている空気の壁から聞こえて、
先程とは比べ物にならない球速でボールが、スピードに怯みながらも本能的に構えたアス
レチックスのエースのグラブの中に納まった。それまでの緩く小高い山のような放物線は
見られず、まさに一直線で、分かり易いレーザービームだった。

「ふぅ……すげ」

 すぐさま狼狽の色を隠したモッさんの表情、そんな彼の口から漏れた感嘆がかすかに耳
に届いた。





 軌道計算の容易い健太郎とのキャッチボールを終え、額に汗をかきながらの小休止を取
って、誰に言われるでもなくモッさんはふらりとブルペンへと向かった。スパイクの裏で
地面に打ち付けたピッチャープレートの周囲を均し、それを確認してプロテクターを装着
したキャッチャー、確か……

「トモフミ……だったな」

 程よく冷えたジャグの麦茶をあおって、先日の試合での立派な捕手ぶりを思い出した。

「よし、全員フリーやるぞ!今日はバッピを前田君にやってもらう!ファーストを笹井君
にやってもらうから、みんなちゃんと送球しろ!」

 集合した子供達に御手洗さんが、てきぱきと指示を出す。子供達は脱帽した帽子の形を
整えてから被り直して、それぞれのポジションに散っていった。

 もう俺の名前はどうでもいいや、という気分になってきました。

「あんちゃん本当に上手いの?」

 セカンドに守備についた選手が訊ねてきた。

「口で言ったって分からんだろ……実際確かめな」

 軽くゴロを放ってやって、そう答えた。わざとスタートを遅らせてボールのコースに入
ると、小さな二塁手は逆シングルで捕球して、一連の動作の中で送球してきた。

「ショート!」

 対角するポジションへと、ゴロを放った。視界の端に見えた健太郎が、ネットに向かっ
て、ゆったりとしたフォームで投球練習をしていた。

「C球じゃ、さぞやりにくいだろうな」

 新規格球とはいえ、やはり軟式は軟式。縫い目の指先への引っ掛かりなどは一度硬式球
に慣れた者にとって多少の違和感があるだろう。ましてや手先の感覚の鋭い投手だ、その
長所が直接アダになるかもしれない。

「それじゃ、まず六年生が二回り!待ってる間にみんなは素振りしておけ!」

 選手によっては、マスコットバットを担いでいる。

「あっと……桜井は?」

 ブルペンに目をやってみると、桜井はトモフミの横でしゃがみながら、せわしくキャッ
チャーの足捌きを実演していた。ショートバウンドした投球に、腰からぶつかりにいって
後逸を阻止する練習だろう。後姿だけだが、トモフミがとても熱心に聞いているのが分か
る。モッさんも容赦なくホームベース前方にボールを叩きつけていた。

「準備良いぜ……どんどん来いよボウズ共」

 健太郎が渦巻状にレーキが掛けられたマウンドの真ん中から、バッターボックス横で準
備をする選手達にそう言った。


49, 48

  



「それじゃ身体が開くんだよ、もっと軸足でこらえて溜めてみろ。次!」

 張りのある声で次のバッターを促した。バッターと相対するなり健太郎の投球フォーム
は、それまでのゆったりとしたフォームからシフトアップした実戦的なフォームで投げ始
めた。

「もっと踏み込んでもそれくらいの内のコースなら打てるさ!」

 打席に入る前の素振りと、その構えから健太郎は選手の苦手なコースを判断しているよ
うで、絶妙なコントロールを駆使して徹底的にそのコースを攻め立てた。既に把握してい
るモッさんの平均球速であれば、健太郎のコントロールはマシンより正確だろう。何より
凄いのは、五球に一球くらいの割合で健太郎がわざと甘いコースに投げている事だ。

「よーしナイバッチ!!」

 言ってしまえば健太郎が打たせているのだが、打つ感覚と打ち損じる感覚は同時に覚え
なければ、コースの得手不得手を本当に自覚するのは難しいモノだ。苦手コースからボー
ル一つ分ずれただけでも、その身体に葉っぱの岩鬼が憑依する事だってある。
 しかし……

「テイクバックで軸足の膝が割れてるんだよ。もっと爪先をまっすぐ前に」

 普段あそこまで傍若無人な人柄なので、御手洗さんにコーチを頼まれた時に多少の不安
を感じていたが、なかなかどうして……健太郎が物凄く面倒見が良い。まるでこれは

「そういや、他のチームでコーチやってるなんて知ったら……大輔が怒るかね」

 弟に優しい兄貴のようだ。
 大輔には内緒にしておくか。これも野球部再建のためだ。

「ファーストォッ!」

 これはこれは健太郎の怒号です。ジャストミートした痛烈な打球が、一・二塁間目掛け
跳んだ。小学生の打球とはいえ、フルスイングでジャストミートしただけあって、その球
足は鋭い。

「これが本職ッ!」

 ここ最近、健太郎と放課後に学校の中庭や駐車場で練習を重ねていたワケだが、考えて
みれば……ファーストの守備位置に立って実際に打球を捕球して

「ファースト、ひとつ!!」
「ヘイ、パス!」

 それなりに一連の動作をするのは、中学二年時にスタメンで出場した試合が最後だった。
 低弾道で駆け抜けるボールのショートバウンドの浮き上がりを、逆シングルでキャッチ
し、身体に染み付いた動きで左足をスイッチして、スナップスローでベースカバーに走り
込んだ健太郎にボールを渡した。

「ナイッファースト!」

 辺りの野手、順番待ちの打者から喝采を浴びた。
 打撃が著しくいまいちだった俺が、シニアのチームで二年にしてスタメンを張れたのは、
この球際のプレイを得意としていたからに他ならない。もともと多少股関節が柔らかいだ
けで、大してファーストに向いた体格でもなかった俺は、とにかく試合に出たくて毎週水
土日、親が呆れて車で迎えにくるまで居残りノックを受けていた。
 とりあえず、お手本にはなったようだ。
 そんな安堵を悟られないよう、鼻で溜息を吐いたところ、背後から声がした。

「そうなんだ……」

 ただ冷静に分析して、とりあえずは感心してるといった口調と表情のモッさんが、そこにはいて

「ソコのニーさんだけじゃなかったんだな、アンタも凄いんだな」額に汗して、敬意の感じられな
い態度「………佐々木さん」

 俺の名前、桜井から聞いたのか。少なくとも御手洗さんよりは好きだぜ、この人妻好き。




「ごめん、リョオタ……先にやらせてくれ」

 テンポ良くバッティング練習が進んでいた。二順目の後半になったところで、モッさん
がバットを担いで、打席に近付いた。

「早くしようぜ、どっちでも良いから!!」

 健太郎が二人を促した。彼等は顔を近付けて、二、三言葉を交わし、そしてリョオタが
モッさんに打席を譲った。

「……お願いします」

 モッさんはヘルメットの鍔を摘んで、軽く健太郎に会釈をした。ヘルメットに隠れ、そ
の表情が俺の位置からは確認出来ないが、その背中からは並々ならぬ気合が感じられた。

「これは……ちょっと」

 今までは、腰にグラブを当てて立ちっ放しの状態で打球を待っていたが、ここはきちん
と備えるべきだろう。俺は両足のスタンスを広げて、中腰でモッさんを待ち構えた。

ザッ

 健太郎がゆっくりとリフトアップした。ピッチャーとバッター、その間が張り詰めるの
を感じた。
 健太郎の投球がネットに当たり、切り裂くような音が俺の耳に届いた。高さ、コース共
にド真ん中、だがモッさんはテイクバックを取り終わってからピクリとも動かなかった。

「おいおいこらこら……」

 速過ぎる球だった。とてもじゃないけど、真ん中だろうが小学生に投げる球のスピード
じゃない。

「速ぇ……あれで何キロくらいですか?」

 セカンドの子が訊ねてきた。モッさんの表情を見て緊張を悟ったのだろう、質問する声
を押し殺していた。

「いや……どうだろうな、ちょっとわからん」

 軽く百二十キロ以上は出ている事だけは確かだ。小学生の野球の試合では、お目にかか
る事はまずないだろう。しかも今は少年野球の投捕間で投げているのだ。健太郎の長い手
足のリーチでそんな距離を、あんな速球放れば

「もしかしたら体感で百四十キロ以上かもな……」

 聞いているだけでもゾッするのは、この子供達に限った事じゃないはずだ。

「………」

 そんな速球を目にした後でも、モッさんの動きに変わりは見られなかった。痩せ我慢か
どうかは分からない。だけど、構える前の軸足の踏み込みと軽いゴルフスイングには、何
処かに力がこもった、というのは見受けられなかった。
 背後では、桜井が未だトモフミにキャッチャーの指導をしているようで、元気な声が聞
こえてきた。

ごくり……

 ガキ共と並んでいて格好の悪い事この上無いが、高校生対小学生の投げ合いに思わず息
を飲んでいた。

 先程のリプレイ映像のように振りかぶり、健太郎が投げた。ほぼ同じコースへ。
 その次の瞬間だった。ライン際を守る野手だけが感じ得る特別な警報を強く感じ、俺は
一瞬で視界を狭めて、モッさんの挙動に注目した。

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 フルスイングの空振りだった。普通なら腰が退けてしまっても不思議じゃない球威を前
にして、このチームのエースで四番を任されている少年は、少しも臆せずにテイクバック
から摺り足で踏み込んできたのだった。そのタイミングはまさにドンピシャと言える程に
正確で、バッターがジャストミートして打球が空気を切り裂いて、俺の足元を襲う光景を
強くイメージしてしまった。

 もしかしたら、たった一球観察しただけでこうまでも野手に強いイメージを抱かせるこ
の少年の直球への対応力は天賦の才と言って差し支えないかもしれない。
 そして、また健太郎が振りかぶった。再び力強く踏み込むと、モッさんのバットの回転
も火が出そうな程に鋭かった。

「おぉッ……当たった」

 爆ぜるような軽い金属音を響かせて、健太郎の投じたボールはホームベース後方のネッ
トを飛び越えて、更に後ろにロープで掛けられたカーテンネットに突き刺さるように当た
った。三球目でモッさんのバットが健太郎の投球を捉えた。仲間はにわかに活気付いてい
たが、当のモッさんの表情には、決して満足の色は見受けられなかった。さっきと同じよ
うに打席で軽く伸びをして、構えなおした。

 四球目、抜いたスローボール、同じコース。

「わっ、バカ」

 思わず呟いてしまった。が、モッさんは難なくこれをセカンドの頭上を鋭く破り、右中
間へと弾き返した。完全にボールそのものに集中しきっていた。大人でも並の打者であれ
ば、たとえこれを当てられても腰が泳いで、格好悪く打ち取られるだろう。モッさんはテ
イクバックの時点で完全に上体が安定している。

「だけどこの次の球は……」

 遅い球の後の速球、それは捕手のリードの基本中の基本だ。また初球のような球威で放
られたら、たとえモッさんでも

ギンッ

 その心配は杞憂だったようだ。モッさんのバットは健太郎の投球を捉え、その後二球を
バックネットに突き刺した。
 もはや誰が見ても少年野球……否、早い時期での競技野球のレベルに於いては、この少
年が非常に高次元な領域の集中力の持ち主である事が明らかだった。この前の白亜の校舎
に快音を跳ね返した試合でのバッティングと言い、それは観る者を少なからず魅了して、
必ず何かを期待させる。

「いっけぇぇぇええ!!モッさん!!」
「バッチこーい!!」

 守備に付いていたり、次の打席を待っているチームメイト達から応援が寄せられた。
 ここまでの集中力を発揮させる狙いがあって、健太郎はあんな球を初球から放ったとい
うのか。モッさんへの期待が大きいのは何より健太郎なのかもしれない。

 そして、これは単なる俺の思い込みだが……それでも心の中で何処か核心めいたモノを
感じてならない。健太郎は対戦する打者達の潜在能力を高めて、周囲の心臓を捻り潰して
しまう程の緊張感のある投球を繰り広げる、稀有な才能を持っている投手かもしれない。


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桜島ファイアー 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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