ビートたけし「セックスマスタータイゾーは面白い。最高」
こないだよ、軍団の若い衆集めて「暇だから何か面白い新都社作品持って来い」って言ったのよ。
そうしたら、そいつらの持ってきた新都社作品ってのがほとんど漫画だったんだから本当参っちゃったよ。
それで頼んで見ないわけにもいかないから、とりあえず、家帰ってひととおりの新都社漫画を読んでみたんだけど、
まぁ、今の新都社漫画ってのは凄いね。おいらが新都社の創立の頃見てた漫画なんかよりも、よく言えばずっと進歩してる。
でも、ひととおり見ていくうちに、今の新都社漫画ってのは「技術」だけは進歩してるけど肝心の内容がその技術に追いついてないって気づいちゃったわけよ。
むしろ足を引っ張ってる。
おいらが映画を作るときってのは、作品に何らかのメッセージを詰め込んで、見てくれた人たちにいろいろ考えさせたいって思ってやっているの。
だって、最後まで見てても何の意味のない映画なんて作っちゃったら、見てくれた人に対して失礼なわけだし、そもそもそんな程度の映画なら作る必要も無いと思ってるわけだ。
ところが、今の新都社漫画をちょっと見た限りだと、今の新都社漫画には何のメッセージも、悪ければ内容すら詰まってない。
何の内容もないんだよね。あるのは笑えないお色気と無意味なグロテスク描写くらい。
こんなん見てちゃあ、今の子供なんか絶対にろくな大人に成長しないし、こういうのを作ってる新都社作家さんに申し訳ないけど、「創作」ってのを冒涜してるとしか思えないんだよな。
おいらも新都社ばっかり見てるわけじゃないから、あんまり厳しいこと言えないけど、今の子たちはこういう作品が面白いのかなぁって不安になってきちゃう。
好きで見ているんじゃないのなら、もっとこんな新都社なんて見てないで、映画や舞台を見たほうがよっぽど人生の役に立つっておいらは思うんだけどな。
でも、そんな今の新都社漫画を見てきた中で、唯一「セックスマスタータイゾー」って漫画には、いろいろ学ばせてもらったところがあるんだよね。
この漫画の登場人物ってのがまた傑作でさ。新都社のキャラや作者が出てくるんだよ。おかしいだろ?見たときひっくりかえっちゃったよ。
おいらも初めのうちはつまんねえつまんねえって言いながら読んでたんだけど、だんだんとそのつまらなさが癖になってくる。もうこうなったら後は夢中。
あっと言う間に最新話まで読んじゃって、もう笑ったのなんのってね。おいらが新都社で笑ったのなんて初めてじゃないかな。
それで、なんでこんなに「セックスマスタータイゾー」が面白いのかってをおいらなりにいろいろ考えてみたんだけど、これが不思議と自分の笑いの哲学にも当てはまっちゃってさ。
「セックスマスタータイゾー」ってのは普通の男子高校生が新都社に出てくるキャラや作家をファックっていうギャップを「非日常」としてうまいこと笑いに変えている。
おいらも昔は、タケちゃんマンとか鞍馬天狗の格好でズームイン!朝に乗り込んだことあったけど、ああいう行動も、すべて普通の空間であえてバカなことをやることで笑いを生み出そうとやってるわけだ。
だからおいらが「セックスマスタータイゾー」を面白く感じるのも当たり前ってわけなんだな。まぁ、おいらが面白いと思っても周りはどうなのかは知らないけどよ。
ソースは今日の東スポ記事