5.「リトルバスターズ! 美魚アフター」(1) 20/04/03
「リトルバスターズ! 美魚アフター」(1)
夏休み。
いつもは喧騒や喧嘩(特に真人や謙吾)に満ち溢れている寮の中も、時が止まったかのように静まり返っていた。
どこかで水の滴る音が聞こえる。
それぐらいに誰もいない。
静謐。
恭介は相変わらず世界の秘密を探るだなんて、相も変わらずよく分からないことを言っていたけれど、他のみんなも旅行や帰省、部活動……と、示し合わせたかのように出払っていて、僕だけがぽつんと取り残された形だった。
どこかへ行こうか。
いつも何をするにも側に誰かいたから、ひとりになったときどこへ行けばいいんだろう……?
ふと、遠くから足音がする。その足取りは一直線に僕の部屋へ向かっているようだ、果たして、誰だろう。
「直江さんもいらっしゃったんですか」
西園さんだった。
「寮の中、音が通りやすいですから。どこに誰がいるかすぐ気づきます」
「凄い。なんだかよく分からないパワーだ……」
「嘘です。直江さんに会いに来たんです」
「僕に?」
「どこか一緒に行きませんか?」
漣の音。潮の匂い。強い風。
山の中の学校生活とは違い、海を見るのは久しぶりだ。
東京駅から高速バスに肩を並べて揺られながら二時間半、千五百円をかけて、保養地で有名な海沿いの街へやってきた。バスも駅のロータリーに到着して、百貨店や雑居ビルの立ち並ぶ駅前は思ったよりもうら寂しくない。
「あれ、なんだろう」
僕が指差した先には、アニメのキャラクターがプリントされた路線バスが停留所に停まっていた。その周りを若者がカメラで写真を撮っている。
「直江さん、あれはですね……!」
数分間、熱心に時間をかけて僕に知らない世界を教えてくれた。どうやら今話題の学園アイドルアニメのキャラクターで、ここがその舞台になった場所なのだという。
「お、面白い場所だね」
「そうです!」
くすっと笑う彼女の横顔を見る。
いつもは黒を基調とした服なのに今日は白のワンピースに日傘を指して、まるで昔見た絵画のような佇まいだった。うちの学校は夏服も白だけど、私服の白はどこか映えて見える。
「まだお昼前だし、いろいろ散策してみようか」
「そうですね。さっき駅の地図で南の方に水族館や漁港があるそうです」
「じゃあそこへ行こう」
西園さんが行きたいと言っていた戦前日本の歌人の記念館もそう遠くない。
女の子とどこかへ行くのは小毬ちゃんと名古屋へ行って以来で初めてではなかったが、感情を溢れんばかりに表わしてくれる小毬ちゃんと、必要なものを必要なぶんだけ見計らって与えてくれる西園さんとではどちらも性格が正反対で、西園さんといると新鮮な気持ちを与えてくれる。穏やかで、心地いい、春風のような。
アニメキャラクターの垂れ幕が下がったアーケードを抜けて、海のある西の方を目指す。
「こっちから行きましょう」
住宅街に突然現れる緑の散歩道。公園にしては距離が長く、右曲がりに湾曲していて、不思議な形をしている。
「どうやら昔の鉄道の跡だったようですよ」
「詳しいね西園さん」
「ええ、そこに書いてありましたから」と、腕を腰に当ててドヤ顔をしている。
性格が明るくなった。二人で紺碧の海に飛び込んだときはどうなることかと思ったけれど、妹との一件から立ち直りつつある彼女の姿に胸を撫で下ろした。
陸橋を越え、横断歩道を渡る。道路脇に植え込まれている背の低い杉の木が、雲一つない空から木漏れ日を作ってくれている。それでも滝のように流れる汗に、西園さんが「あの……、私の日傘に入りますか?」と提案して、僕はかーっとなって「だ、大丈夫だから」と返事をした。明るくなりすぎだよ。
大きな広場を抜けると、大きな河川に港町らしい風情になってきた。人の数も増えて、観光客向けのお店も増えてくる。
「バーガー?プリン?ここではそんなものが名物として生産されているのでしょうか……?」
額にシワを寄せて難しい方式を解くような顔を浮かべる西園さんに、「ここは多分お茶やウナギが有名だと思うけど……」
さらに、コンビニに通りがかると店長とアニメの服を着た大学生くらいの若者が記念写真を撮っているのを不思議そうに見ていた。
市場に併設された施設に観光客向けの飲食店があるということで、そこでお昼を取ろうということになった。
入り口から近く、海鮮丼から定食までいろいろなものを取り扱っているお店に入り、二人は同じまぐろの漬け丼定食を注文した。800円。安い。
「西園さんは実家に帰らないの?」
「いつもはコミックーマーケット……いわゆる漫画のイベントに参加することになっていたんですが中止になってしまって。実家に帰ってもよかったんですが、いつもと違うことがしてみたかったんです。出不精な私をここまで連れてきて頂いて有難うございます」
よそよそしく頭を下げるので、両手で制して「そんなに改まらなくても」
「こっちの世界に引き戻してくれたのは直江さんですから」
丁度見計らったように定食がやってきて、終始無言ながら、「おいしい」と「うん」の二言だけで満たされるものがあった。
いつもは喧騒や喧嘩(特に真人や謙吾)に満ち溢れている寮の中も、時が止まったかのように静まり返っていた。
どこかで水の滴る音が聞こえる。
それぐらいに誰もいない。
静謐。
恭介は相変わらず世界の秘密を探るだなんて、相も変わらずよく分からないことを言っていたけれど、他のみんなも旅行や帰省、部活動……と、示し合わせたかのように出払っていて、僕だけがぽつんと取り残された形だった。
どこかへ行こうか。
いつも何をするにも側に誰かいたから、ひとりになったときどこへ行けばいいんだろう……?
ふと、遠くから足音がする。その足取りは一直線に僕の部屋へ向かっているようだ、果たして、誰だろう。
「直江さんもいらっしゃったんですか」
西園さんだった。
「寮の中、音が通りやすいですから。どこに誰がいるかすぐ気づきます」
「凄い。なんだかよく分からないパワーだ……」
「嘘です。直江さんに会いに来たんです」
「僕に?」
「どこか一緒に行きませんか?」
漣の音。潮の匂い。強い風。
山の中の学校生活とは違い、海を見るのは久しぶりだ。
東京駅から高速バスに肩を並べて揺られながら二時間半、千五百円をかけて、保養地で有名な海沿いの街へやってきた。バスも駅のロータリーに到着して、百貨店や雑居ビルの立ち並ぶ駅前は思ったよりもうら寂しくない。
「あれ、なんだろう」
僕が指差した先には、アニメのキャラクターがプリントされた路線バスが停留所に停まっていた。その周りを若者がカメラで写真を撮っている。
「直江さん、あれはですね……!」
数分間、熱心に時間をかけて僕に知らない世界を教えてくれた。どうやら今話題の学園アイドルアニメのキャラクターで、ここがその舞台になった場所なのだという。
「お、面白い場所だね」
「そうです!」
くすっと笑う彼女の横顔を見る。
いつもは黒を基調とした服なのに今日は白のワンピースに日傘を指して、まるで昔見た絵画のような佇まいだった。うちの学校は夏服も白だけど、私服の白はどこか映えて見える。
「まだお昼前だし、いろいろ散策してみようか」
「そうですね。さっき駅の地図で南の方に水族館や漁港があるそうです」
「じゃあそこへ行こう」
西園さんが行きたいと言っていた戦前日本の歌人の記念館もそう遠くない。
女の子とどこかへ行くのは小毬ちゃんと名古屋へ行って以来で初めてではなかったが、感情を溢れんばかりに表わしてくれる小毬ちゃんと、必要なものを必要なぶんだけ見計らって与えてくれる西園さんとではどちらも性格が正反対で、西園さんといると新鮮な気持ちを与えてくれる。穏やかで、心地いい、春風のような。
アニメキャラクターの垂れ幕が下がったアーケードを抜けて、海のある西の方を目指す。
「こっちから行きましょう」
住宅街に突然現れる緑の散歩道。公園にしては距離が長く、右曲がりに湾曲していて、不思議な形をしている。
「どうやら昔の鉄道の跡だったようですよ」
「詳しいね西園さん」
「ええ、そこに書いてありましたから」と、腕を腰に当ててドヤ顔をしている。
性格が明るくなった。二人で紺碧の海に飛び込んだときはどうなることかと思ったけれど、妹との一件から立ち直りつつある彼女の姿に胸を撫で下ろした。
陸橋を越え、横断歩道を渡る。道路脇に植え込まれている背の低い杉の木が、雲一つない空から木漏れ日を作ってくれている。それでも滝のように流れる汗に、西園さんが「あの……、私の日傘に入りますか?」と提案して、僕はかーっとなって「だ、大丈夫だから」と返事をした。明るくなりすぎだよ。
大きな広場を抜けると、大きな河川に港町らしい風情になってきた。人の数も増えて、観光客向けのお店も増えてくる。
「バーガー?プリン?ここではそんなものが名物として生産されているのでしょうか……?」
額にシワを寄せて難しい方式を解くような顔を浮かべる西園さんに、「ここは多分お茶やウナギが有名だと思うけど……」
さらに、コンビニに通りがかると店長とアニメの服を着た大学生くらいの若者が記念写真を撮っているのを不思議そうに見ていた。
市場に併設された施設に観光客向けの飲食店があるということで、そこでお昼を取ろうということになった。
入り口から近く、海鮮丼から定食までいろいろなものを取り扱っているお店に入り、二人は同じまぐろの漬け丼定食を注文した。800円。安い。
「西園さんは実家に帰らないの?」
「いつもはコミックーマーケット……いわゆる漫画のイベントに参加することになっていたんですが中止になってしまって。実家に帰ってもよかったんですが、いつもと違うことがしてみたかったんです。出不精な私をここまで連れてきて頂いて有難うございます」
よそよそしく頭を下げるので、両手で制して「そんなに改まらなくても」
「こっちの世界に引き戻してくれたのは直江さんですから」
丁度見計らったように定食がやってきて、終始無言ながら、「おいしい」と「うん」の二言だけで満たされるものがあった。