ポーズを取るのもいつの間にか慣れてしまった。
「はい、川添騎手! 肩の位置そのままで! 目線下さーい! はいそのまま! 二枚撮りまーす!!」
ストロボライトがパッと瞬いて消えた。目には光のカケラのようなものが残って、クラっとした。この感覚にも慣れた。
デビューしてから丸一年、いったい何枚の写真を撮られただろう。どれほどテレビカメラを向けられただろう。
競馬界のため、ファンのため。そう思って続けてきて、その思いは今だって全く変わってない。ただ、この一年、わたし自身は何か得たんだろうか?
「はい、ご苦労様。今日はこのあと『ミラクルケイバ』の取材がくるから。アヤカちゃんの好きな渡会さんがインタビュアーだって」
そうなんだ。自分のスケジュールを全然把握してない。メディア関係の交通整理はマネージャーの安達さんに任せっきりだった。デビュー直後、あまりにも取材依頼が殺到しすぎて、わたしも厩舎もキャパオーバーしてしまった。そんな経験、これまでなかったから。芸能プロダクションのモリプロにマネジメント委託して、そのあたりはすごくラクになった。タレントさんが事務所に所属する訳が、身をもって分かった気がした。
「さっきのカメラマン、去年もアヤカちゃんを撮ってるんだけど、言ってたよ。『川添騎手、去年と比べてさらに可愛くなったね』って--騎手にしとくのもったいない、ってさ」
あはは、と愛想笑いした。心の中は乾いているが、声も乾いていないか気になる。
騎手にしとくのもったいない、か。
確かに、取材の交通整理に比べれば、騎乗馬の交通整理はずいぶん簡単な状況なんだけど、さ……
「アヤカ、お前、分かってるか?」
「はい」
レースのあと、わたしは騎乗馬の調教師に詰められていた。十六頭立てのレースで二番目に人気のある馬に乗せてもらったのに、最下位にしてしまったのだった。
結果が全ての世界だから、こうなるのも当たり前だと思っている。説教にもすっかり慣れた。
こと競馬については、慣れてしまってはいけないんじゃないか、と思いながらも。
「お前の乗った馬、オーナーさんがいくらで買ったか知ってるか?」
分からなかったので、わたしは首を横に振った。調教師は呆れた顔で続ける。
「五千万円だ。セールで、それだけのカネをかけて購入した訳だ。値段だけじゃなく、実際に力もある。十分勝てる馬なんだよ。それをお前は……」
「…申し訳ありませんでした」
「謝るのは簡単だ。ただ、謝っても取り戻せないことはある。俺は言ったよな? 『テンから飛ばすレースをさせろ』って。お前は新人で3キロの減量特典がある。だから依頼したんだ。しかし、ハナを切れなかった。何故だ?」
「…他馬の出足が良くて、無理にハナに立ったら脚を無くすと思ってしまって……自重しました」
確かに、調教師から指示されていた。徹底して逃げろ、と。でも、逃げられなかった。逃げないといけなかった。
道中他馬が前を走っていると、走る気を失ってしまう。極端なまでに。そういう馬だとも聞いていたのに、瞬間の判断で、馬にブレーキをかけてしまった。
わたしのミスだ。それは間違いない。
「…俺はこの馬の次のレース、お前より上位の騎手を乗せる。それだけだ。俺は俺で、信じて大事な馬を預けてくれたオーナーさんの信頼を裏切ってしまった。同じ轍を踏まないように、次走はより勝てる可能性のある乗り役で臨むよ」
競馬というのは、馬同士が競うスポーツだ。ただ、馬はその辺をウロウロしているものじゃなくて、主に北海道の牧場で生産されて、それを馬主というオーナーが購入する。牧場の人が自分でオーナーとなって走らせることもあるけれど、とにかく馬は人の財産なのだ。値段は本当にピンキリだけど、高い馬だと二億や三億といったとんでもない値段で取引されることもある。
調教師はその高額の財産を預かり、育て、無事にレースへ出すのが仕事。そして騎手は、レースでその馬を勝たせるのが仕事だ。
わたしは、その仕事が全然上手くできていない。
情けない。本当にヘタクソで。
ごめんなさい。
「…お前がこれから何年騎手を続けたいのかは分からないが、女だから、と周囲が甘やかしてくれる残り期間は、それほど残っていないと思うぞ」
涙が溢れてきてしまう。人前で泣いてはいけないのに。
『女はすぐ泣く』
『これだから女はダメだ』
憧れて入った競馬の世界は、圧倒的に男の世界だった。直接言われることはさすがに少ないけれど、陰でこんなことをたくさん言われていることを、わたしは知ってる。
中央競馬には、信じられないくらい上手い騎手がたくさんいる。前のレースでわたしが乗ってどこも良いところのなかった馬が、トップ騎手に乗り替わった途端に鮮やかに逃げてみせ、そのまま圧勝するような光景を何度も目の当たりにしてきた。
わたしには動かせない馬を、どうしてあの人はあんなに軽やかに走らせてしまうんだろう?
技術が違う、身体能力が違う、才能が違う。そう言ってしまえばそれまでなのかもしれない。
悔しい。デビューしてしばらくは、毎レースのように、拳を握り締めていた。
でも、今はどうだろう。本当に心の底から悔しがっているだろうか?
自分に疑問を抱きはじめるのと時を同じくして、毎週の騎乗馬の数もどんどん減りはじめていった。
わたしは、"アイドルジョッキー"と世間から言われているらしい。中央競馬十数年ぶりの新人女性騎手。中央競馬ただ独りの女性騎手。
あらゆる方向から見られている。競馬関係者からも、それ以外の人からも。ただ、競馬関係者の目線のシビアさは、とてつもないものだった。