ありがたいな、と心の底から思うこともある。
「アヤカちゃん、今年四勝目おめでとう!」
四月、わたしはようやくの四勝目を挙げた。この時期ですでに五十勝以上している騎手もいるなか、一月一勝ペースは褒められたものでは到底ないけれど、それでも、勝てるととても嬉しい。モヤモヤ考えていることが吹き飛んでしまうほどに。
レースでこうして勝つ時も、ダメな騎乗をした時も、毎回のようにこうして声を掛けてくれる、優しい記者さんがいる。
星野ユリ子さん。『競馬FUN!!』というインターネットの人気競馬サイトでメインライターとして精力的に全国各地を飛び回っている。大変なお仕事だと思うのに、いつも満開の笑顔でわたしの前に立っている。わたしは、メディアの人の中で、ユリ子さんのことが一番好きだった。
ユリ子さんは、わたしの記事も何本も書いてくれたけど、どの記事も単なる興味本位だけではなくて、わたしという人間をきちんと読者さんに伝えようと試行錯誤してくださっているのが滲み出てくるような内容で、こういう仕事のできる人になりたいな、と秘かに目標としている女性でもあった。
そんな人の言うことだから、疑う気持ちなんて一切持たなかった。
「今年四勝目は見事な後方からの差し切りでしたね、川添騎手!」
「急に!? えへへ、そうですねぇ……あれしか出来ない子だったので~」
アヤカちゃん! から川添騎手! に呼び方が変わったのが何だか面白くて、わたしはにやけてしまった。このあたりの会話の緩急もユリ子さんならではだった。
レースはリズム良く乗れたのもあるが、前の馬達が飛ばしていたので、後半スピードが落ちたところをビュッとひと差ししたという感じだった。一言で言えば展開が有利だったということ。わたしの乗っていたのは不器用な馬で、展開に合わせて走り方を変えたりはできなかったから、そこに上手くハマったのだ。
それでも、勝ちは勝ちである。競馬の世界は、結果が全て。負ければ叩かれ、勝てば褒められる。とても分かりやすい世界だ。
「展開が向くのも"もってる"証拠! アヤカちゃんには勝負師に必要な運があるのよ、きっと!」
「そうですかねえ……でも、全然勝てないし、それで騎乗数も減るしで……正直言って、今かなりヘコんでるんです~……」
ユリ子さんの前だと、自分の気持ちを素直に吐き出せる。取材する側、される側というと、必然的に構えてしまうものだけど、この人に対しては本当にそれがない。
ただ、本音の出し過ぎは良くない。目の前のユリ子さんの表情が曇ってしまった。申し訳ない、と思う。
しかし、それからすぐにまた表情がパァっと明るくなり、何か思いついたような顔付きで、
「そうだ! アヤカちゃん、今度名古屋に行かない?」
「な、名古屋!?」
突然の提案に驚いてしまった。なぜ名古屋? 旅行? まあ、平日なら調整すればなんとかなると思うけど……
「今月から、若手ジョッキーの新しい大会が始まるじゃない。【ネクストジョッキーズチャンピオンシリーズ】っていうの。長ったらしい名前だけど……NJCSって言うのかしらね、公式には」
「あ、参加しますそれ! 最近ホント騎乗機会も減ってきてるし、嬉しいなと思ってました!」
NJCSは、今年から新たに立ち上げられたシリーズ戦だ。中央競馬と地方競馬に所属する、デビューして数年の若手ジョッキーが参加資格を持っていて、まずは東日本と西日本でそれぞれ予選ラウンドを行い、予選上位の騎手が年末に、地方競馬最大規模の大井競馬場と、中央競馬の中山競馬場でそれぞれファイナルラウンドを戦う、という流れだ。
特に地方競馬の騎手にとっては、決勝まで行けば普段は乗る機会のない中央競馬で乗れるということで、気合の入っているシリーズだと聞いていた。もちろんわたしはわたしで、こんな機会でもないとなかなか地方競馬では乗れないし、何より騎乗機会に飢えていたので、来月のシリーズ開始が待ち遠しかった。
「その、NJCSをね、ウチのサイトでも盛り上げたいなと思ってるの。そこで、名古屋よ!」
「名古屋っていうと……中京競馬場がありますね」
「中央競馬ならそうね。でも、名古屋には地方競馬場もあるのよ。その名も、名古屋競馬場! とても小さくて、直線も短い競馬場だけど、その分、レース序盤から積極的に位置を取りにいくアグレッシブなレース展開は見応えあるの! 何より、女性ジョッキーも頑張ってるしね」
名古屋の女性ジョッキー? ああ! いた、有名な人が!
「…思い出しました、山乃木騎手! 去年デビューした人!」
「そう、山乃木志乃さん。彼女も今シリーズに参加するわ。アヤカちゃん、彼女に会ってみたいでしょ?」
それはもう! と答えようとしたら、中央競馬の職員さんからウイニングサークルに早く来るよう、怖い顔で睨まれた。しまった、まだ写真撮ってなかった! 馬主さんも馬も待たせちゃってる!
「ユリ子さん! わたし、山乃木さんにすっごい会ってみたいでーす!! 調整お願いしまーすッ!!」
遠ざかっていくユリ子さん、満面の笑みでずっと手を振ってくれている。全て私に任せなさい、と言いたげな表情に見えた。