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第10章 ボルニアの空へ

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 アンネ率いる巡視隊は無事アリューザ港へと到着し、人員の補充を受けていた。
 ダークの緊急入院はすでに済ませてある。アンネは迅速に病院を探し、戦中から懇意の医師アイアン・ストーンランドのいる病院を見つけ出した。アイアンの治療のかいあって、ダークは一般の病室に移れるほどに回復している。ダークの腹の銃創を確認しながら、アイアンは経過を報告した。
「OK、OK。綺麗なもんだ。確かに銃弾が貫通していたはずなのに、なんで数日でふさがってんだ? あんたの治りの早さは相変わらずだな。あと一ヶ月ほどで退院だ」
「一ヶ月も!? 私はすぐに部隊に復帰しなければならない」
 レンヌの失陥に責任を感じ、居ても立ってもいられなかった。ダークは無傷な時よりも元気なくらいで、ベッドから跳ね起き病室から出ようとする。と、ドアが向こうから開いた。目の前にアンネが立っている。病室の外で待機していて、機転を利かせたようだ。
「部隊のためを思うのなら、一日も早く治すように安静になさってください」
 アンネは少しきつい言い方でたしなめ、ダークに寄り添ってかいがいしくベッドに戻るまで体を支えた。
 その手を振りほどいてまで抵抗することはできない。照れ隠しに頭をかき現状を聞いた。
「アンネ君、レンヌの市民たちはどうなったんだい?」
「禁呪汚染地帯に侵入した後は消息不明です。現在、空軍によって空から侵入を試みていましたが、結界の隙間を航空機で突破することは困難でした。そこで大戦のエースパイロット、ヴェルトロ大尉に白羽の矢が立ちました」
「ヴェルトロ大尉ならやってのけるだろうが、こんな仕事を押し付けられるなんて気の毒なことだ」
 ダークは心から同情した。


 雲一つない青空を一点黄色の物体が横切っていく。
 よく磨かれた機体は強い日差しを反射している。もはや敵も味方もいなくなった空を独占して飛行機が飛んでいた。
 戦闘機ではない。もう戦争は終わったのだから。
 複葉の練習機だ。機体が目立つ黄色なのは新兵が遭難したときに捜索し易いからで、複座式なのは教官が同乗するためである。
 しかし搭乗しているのは新兵どころか竜狩りと恐れられたエースパイロット、ヴェルトロ大尉である。今回の任務は結界を突破すること。そして。後部座席に座るSHWの天才画家、シャルル・コストワネットに禁呪汚染地帯の地図を描いてもらうことだった。
 目指す禁呪汚染地帯はすぐそこだと言うのに、結界の隙間は小さくしか見えない。
「まるで針の穴にラクダを通すようなものだな」
 言葉とは裏腹に自信たっぷりのヴェルトロはおもむろにキャノピーを開けた。
 コクピット内に一気に風が吹き込む。複座にいたシャルルの画用紙がパラパラと七、八枚飛んで行った。
「お願いです。閉めてください」
「もう少し待ってくれ」
 紙を無駄にして落ち込んでいるシャルルはなおも懇願する。
「なんで閉めないんです? 風を見ているとかそんな感じですか?」
「そうじゃない。ただ、なんとなくだ」
 対照的にヴェルトロは終始ご機嫌で、鼻歌まじりにそう言った。
 まるで曲乗りだ。鼻歌が歌い終わるころ、すでに飛行機は結界の隙間を通過している。
 シャルルは筆を取って、上空から見た禁呪汚染地帯を描こうとしたがさっぱりだった。
 霧がかっていて地上は真っ黒何も見えない。黒い霧が機体にも入ってきたので、ヴェルトロは慌ててキャノピーを閉めた。
「帰りますか?」
「せっかく来たんだ。もやもやの中を潜るぞ」
 プロペラで黒いもやを切り裂いて、ズブズブと霧の中を進んでいった。
 四方八方何も見えない。無音。無風。それなのに飛行機は安定しない。
「妙だ。風どころか、機体の推進によってできる気流までないみたいだ」
 パッと明るくなり目の前に地面がある。黒霧に覆われた上空の底にも美しい空があった。
 とっさにヴェルトロは操縦桿を引いて機首を上げる。機体はガタガタと振動し、気流が蘇った。失速していた飛行機は持ち直して揚力を得る。
 ずいぶんと低いところを飛んでいたようだ。ヴェルトロは低空飛行のまま大きく左に旋回していく。
 今度は黒い霧に邪魔されることなく、シャルルはすばやく森の鳥瞰図を素描した。
「早いな、もう描けたのか」
 ヴェルトロの驚きにシャルルは謙遜する。
「これは下絵で完成にはほど遠いです」
「それにしたって、不安定な飛行機の中でさっと下絵を描けるのはたいしたもんだ」
「不安定だなんてとんでもないです。まるでアトリエにいるみたいに静かに飛んでくださったから、絵が描けるんです」
 二人の天才は互いを褒めたたえあっていた。
 空から見ると反乱の首謀者の位置は一目瞭然である。禁呪汚染地域の北辺、北はフローリア、南は精霊の森と接する地域だ。反乱者たちがメメントの森と名づけたその地に腰を下ろし、首謀者たちが話し合っている。陰謀でも巡らしているのだろうか。
 今ならば反乱を主導する者どもをまとめて始末できるが、悲しいかな練習機には対地攻撃できる武装などない。ヴェルトロは西に引き返すために進路を旧ボルニアへととった。 東西に貫くナルヴィア大河のすぐ南には平行して枯れ川が走っている。この枯れ川とナルヴィア大河が最も近づくのが、ボルニア要塞跡地のすぐ東。髑髏峡谷であった。
 枯れ川を遡って、髑髏峡谷からメメントの森までレンヌ市民の行列が続いている。剣闘士たちが護衛しているとは言え、それは到底軍隊の行進とは言えない。空から見ると子供に悪戯されて混乱するアリの行列そっくりだった。
 中でもひときわ無秩序に行列に逆行するアリが二匹。
 黒髪の少年と金髪のエルフ。
 行列から離れて、ヴェルトロたちのように二人を偵察する者がいる。
 こちらはアリというよりもウニだ。もう一人はバレリーナのような格好をしていて、もう一人はごくごく普通の漁師のような格好をしている。
 三人のうちウニの方だけはヴェルトロも名前を知っていた。ハリー・ハリー。かつて髑髏英雄と呼ばれ甲甲国に寝返った亜人、髑髏峡谷の由来となった件の男である。確か現在は暴力のサーカス団に所属していたはずだ。するとこの三人は暴力のサーカス団の残党であろう。反乱のそもそもの発端が剣闘士たちの暴力のサーカス団からの集団脱走なのである。土地勘のある髑髏峡谷で待ち伏せして復讐するつもりに違いない。群れからはぐれた草食動物を狙う猛獣の目をしている。
 そうとも知らずに黒髪の少年と金髪のエルフはどんどんレンヌ市民の列から離れていく。
 追いかけっこをしている二人を暴力のサーカス団の三人がさらに追いかけていた。木陰からバレリーナが飛び出そうとするが、踏みとどまる。


「待ちなさい」
 ケーゴとアンネリエの追いかけっこをカカシさん10体で囲んで金髪の村娘が止める。またもやイワニカだった。愉快な顔のカカシさんも10体も並ぶと圧がすごい。ケーゴもアンネリエもまだ遊びたかったが、ここまでされてはひるんでしまう。
「わかったよ。戻るよ。ちょっと大げさすぎやしない? イワニカさんって結構むちゃくちゃするなー」
 暴力のサーカス団のカプリコは木陰に引っ込み、カカシさんの数に二の足を踏む。カカシさんが農作業しか出来ないことを知らないのだった。
 このままではケーゴとアンネリエはイワニカに連れられて行列に戻ってしまう。分断した敵を各個撃破できない。暴力のサーカス団が逡巡しているうちに、さらに敵が増えた。
 ウォルトに言われて二人を迎えに来たメン・ボゥである。
「憎い! あれは私に目つぶしたダークエルフの女シーフ。今度こそお前の泣き叫ぶ姿を見るアルヨ」
 文字通りメン・ボウを目の仇にして、木陰からハリーが飛びかかる。拳法服のそでからトゲを伸ばしてメン・ボゥに斬りつけた。
 メン・ボゥは得意の逃げ癖でとっさにかわし、ケーゴに助けを求めた。
 ところがケーゴとアンネリエを連れて、イワニカがすぐさま逃げていく。
「なんでー? 置いてかないでー!」
 メン・ボゥの叫び声がいったいどう聞こえたのかイワニカは見当違いの返事を返した。
「分った。そっちは任せる!」
 ケーゴたちは護衛の剣闘士たちと合流したかったが、今度は東からカプリコが追ってきたため西へ西へと離れていく。
 イワニカはケーゴとアンネリエを先に行かせて、カプリコの足止めをすることにした。
 ぐるりとカカシさんでカプリコを取り囲む。
 カカシさんを大きな両の目で見回し、カプリコは見抜いた。
「私もそうだったからわかるの。貴方たちに意思は感じられない。お人形さん。さあ、死ぬまで踊りましょう」
 カプリコがカカシさん周りをくるりと回ると首ねじれてもげた。
 イワニカはあまり足止めできそうもない。
 ケーゴとアンネリエは助けを呼びに言ったが、行列からは遠く誰も居なかった。ついに力尽きて足が止まる。
 声が出せないアンネリエの分も力いっぱい叫んだ。
「誰か助けてー!!」
 何かが反応した。
 ケーゴが上を見る。
 誰も居ない。
 飛行機が飛んでいるが声は届かないだろう。
 木の上のほうからだ。
 禍々しい存在感を感じる。
 木の枝と枝の間に魔文字のびっしりと書かれた帯が幾重にも渡されていた。その帯が何重にも巻きつけられて、三日月型の何かが空中に固定されている。
 何かの繭のようにも見えるが、こんな人間サイズの大きさのは見たことが無い。
 宗教か何かの儀式めいてもいる。何の宗教かは知らないが。
 ケーゴは三日月の真下に立った。
 アンネリエが手を引くが魅入られたように呆けている。
 ここは禁断魔法の爆心地に近いせいか、魔文字の帯はほころび切れかかっていた。ケーゴの折れた剣でも簡単に切れるほどに。
 枝に渡されている魔文字の帯を切ると、止まっていた時間が動き出したようにゆっくりと三日月が落ちてきた。
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