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第13章 針山、晴れ丘、泥の堀

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「なんでついてくるアルか」
 ハリー・ハリーの言う通りで、元は剣闘士たちの仲間であったジュードは逃げる必要はない。
「皆僕のことなんて忘れてしまっていた。今更帰る場所なんてない」
 いつからいたのか、闇の中から第三者の声がジュードに言葉に同調する。
「わかるよー、あいつらヒドいよなー。かわいそうになー」
「何者アル!?」
 まるでとりとめのない闇が凝り固まっていくように、闇の中から黒い鎧の男が姿を現した。
「十万石マンジだ」
「私とは逆で、甲皇国からアルフヘイムに寝返った男か」
「ほう……知っていたか。それならば話は早い。俺ならば甲皇国では丙武の部下だったから、今近くまで出撃している丙武に渡りをつけることができるが、どうだ?」
 丙武のもとに身をよせることに抵抗はない。ただうさんくさい十万石マンジというこの男が癪に障った。
 ハリー・ハリーは自分の強さには自信がある。しかし世の中は広い。規格外の化け物がいる。暴力のサーカス団の切り札だった巨大ロボットを一刀両断した剣を引きずる男、体術で圧倒してきた包帯男、一切気配を感じさせず近づいてきた黒鎧のこの男。ああ癪に障る。
「癪だが乗ったヨ」
 青や緑の彩り豊かな景色が続く。
 木々の新緑のことではない。隆起した岩の話である。
 洞窟でもないのに石筍ができていて針の山のようだ。ハリー・ハリーは変わり切った地元から注意深く土地勘を働かせる。
 この針山はかつては広葉樹林だった。冬に葉が落ちきったって、こんな寒々しい景色にはならなかった。
 この広葉樹林を抜けた先。晴れ丘という名の台地があったはずだ。
 針山を抜けた先にあったのは穴の開いた結界。
 穴が開いているおかげで三人は禁呪汚染地帯から出ることができた。
「急がなくては! 穴が開いているということはすでにここを通ってヤツらは外に出たということだ」
 足を速めるマンジにハリー・ハリーが追いすがる。
「剣を引きずった跡はもっと後ろのほうにあったから油断したネ。ヤツらの頭を押さえるために、この先の古砦に入るアル」
 かって知ったるハリー・ハリーの地元。苔むした古砦に臨む晴れ丘の丙武の陣中へ最短距離でたどり着くことが出来た。
「丙武閣下。かつての部下十万石マンジが反乱賊徒どもの情報を手土産に帰りました。暴力のサーカス団残党ともどもぜひとも幕下にお加えください。反乱賊徒どもはすでに結界を通過しています。ヤツらに先んじて古砦に入城しましょう」
 マンジはすぐさま丙武に面会して、意見具申した。
「おう。マンジか。別に幕下に入るのは構わねえが、少し遅かったな」
 丙武が指差す古砦のやぐらの方を三人が振り向くと、白い旗がするすると掲揚されていた。
 降参の白旗ではない。白地に赤い実で染めたグラデーションが入っている。この旗はジテンのマントをそのまま使ったものだ。すでに古砦は占領されたということを示すために。
 白旗には字がびっしりと書き込まれているが、細かくてとても読めない。
 双眼鏡で見ていた丙武が真ん中に書かれていた文字をかろうじて読んだ。
「ク、ラ、ウ、ス……クラウス・サンティ!? おのれクラウス! 今の今まで死んだふりしていやがったのか!! てめーら城攻めの用意をしろ!」
 マンジはあわてて止めた。
「お待ちください。あれは罠です」
「砦の銃眼に鳥が止まっているのが見えるだろ。人気があれば鳥は警戒して近づかないはずだ。敵の数はそれほどいないとみた」
 丙武もただの猛将ではない。冷静な分析にハリー・ハリーはため息をついた。こいつも規格外の化け物の類かと。
「これは空城の計です。かつてクラウスがボルニア入城戦において、敵を釘付けして遊兵にするために使った戦術です」
 戦史ヲタでもあるマンジは早口で説明し、尚も丙武を留めた。
「ならば、確かめてみよう。ボルニアで思い出した。ボルニア上空を飛んでいる練習機があったな。ヴェルトロ大尉を呼び出し、上空から砦を偵察させろ」


 ヴェルトロは本来ならばアリューザに引き返すつもりだったが、丙武からの依頼で苔むした古砦に向かっていた。
 燃料はもうアリューザまではもたない。古砦の偵察の後はフローリアに着陸する予定だ。
 偵察自体は難しくない。やはり難関は結界をくぐり抜けることだろう。
 禁術汚染地帯に入るときには結界上部にできたほころびから侵入したが、今回出口になりそうな穴は地上から100メートルほどの低い位置にあった。
 どちらにしろ偵察のためには低空飛行する必要がある。ヴェルトロはゆっくりと機体を傾けた。
 だんだんと古砦が近づいてくる。山岳の稜線を縫うように渡りやぐらで四つの砦が繋がっている連立式の山城。周りには堀もあるにはあるが、浅い。おそらく元々は空堀で雨水がたまっているだけだろう。四つの砦に一つずつ、計四台のバリスタがある。
 練習機は人を視認できるほど高度を下げた。砦の中はがらんとしていて、人は二人しか見えない。一人はバリスタの射手。もう一人の技師風の男はバリスタ四つを何やらいそいそと配線で繋いでいる。人手が足りていないのが空から見るといとも簡単に分かった。
 これは砦を手薄にしたおとりなどではない。むしろ虚勢を張ったブラフだ。
 射手が練習機に向けてバリスタの矢をつがえる。
 結界に空いた穴が自己修復し始めていた。練習機の主翼の長さより穴の直径が縮むと、もう通れなくなる。バリスタの矢一本ぐらいならば直撃は避けられる、押し通ろう。
 ヴェルトロはすぐに腹をくくり、強引に穴をくぐった。
 そのタイミングを狙いすましたかのように一度に四本の巨大な矢が発射される。
「四本!?」
 四本の矢は穴を四分割して、右上、右下、左上、左下に狙いをつけて放たれていた。穴を通るタイミングでは絶対にかわし切れないように。
 一人の射手の方向とタイミングに合わせて無人のバリスタ三台が自動で発射していた。あの四台を結ぶ配線はこのためのものだったのだろう。
「だがまだだ!」
 ヴェルトロはあきらめてはいなかった。
 右下の矢は大きく遅れている。ヴェルトロは右下に練習機を旋回にて逃す。左下の矢が左の車輪を破壊した。左上の矢は左の水平尾翼に突き刺ささる。
 窮地を脱した練習機はのろのろと低空飛行を続けたが、高度がこれ以上上げられない。
 ヴェルトロは着陸できそうな地形を探す。丙武に偵察の定時報告入れるひまなんて無い。険しい山肌に落ちる練習機の影はみるみる大きくなっていた。
 敵前、あの浅い堀に着水するしかない。
 練習機が減速して堀へと舞い降りる。水面が浅いせいで練習機は水切りのように何度もバウンドしてからようやく止まった。
 練習機から這い出したヴェルトロとシャルルはケガはしていなかったが、堀で泥だらけ。
「こんなことなら水上機に乗ってくればよかった」とヴェルトロはのん気なことを言って堀から出ようとした。
「動くな!」
 動くなと言った敵兵が自分よりもさらに年下の子供であることにシャルルはまず驚いたが、武器を突きつけずに動くなと脅していることにも驚いた。
「ここらへんはつまづきの石という魔道具を埋めてあるから本当に動かないほうがいいぞ」
 後から来てトマが説明する。
 ようするに堀の内側は地雷原になっているらしい。
 唯一つまづきの石を埋めていない西のルートを馬に乗ったフィリップが先導した。
 二人の捕虜を捕まえてすっかり緊張感の抜けたトマがジテンをからかう。
「エルフってのは弓が上手いもんだろ。ジテン、お前ほんとにエルフか?」
「孤児だからしかたないんですよ。誰も教えてくれなかったんだから。弓うまくなりたい。シメオンさんとか教えてくれないかな」
 ジテンというこの少年があのバリスタの射手だったと聞いてはシャルルは驚いた。
 古砦を守っていたのがジテン、トマ、フィリップの三人だけと後に知ってシャルルはさらに驚くことになる。
「しかし君の弓が下手だったおかげで俺は撃墜されずにすんだ、ありがとう」
 捕虜のヴェルトロの言葉は皮肉ではなかったが、ジテンは面白くなさそうだ。
「フィリップさん、八剣士の中で誰が最強なんですか」
「何だ? ヤブから棒に」
「一番強い人に武術を教わろうと思って」
 トマがフィリップを見上げて笑った。
「八剣士で最強議論なんかしたら、みんな自分が最強って言うに決まってるよな」
 八剣士とは反乱に最初から協力した八人の剣闘士のことをひとまとめにした言い方である。元銀行員のマシューと漁師の三兄弟の末弟で雷系魔法が得意だったサンチャゴ、戦死した二人と敵の捕虜となっている三兄弟次男のジュード以外の六人がいる。三兄弟のうち長男のアンドレイは二刀流の使い手。騎馬ならばフィリップが八剣士最速だろうし、短剣を用いた格闘ならばヴァルフォロメイの右に出る者はいない。シメオンは炎系の魔法と弓術を組み合わせた火矢を。トマは槍使いだが、魔道具の発明家でもある。
「よし、着いたぞ」
 フィリップはそう言うが、砦の中には着いていなかった。
「中に入らないの?」
 シャルルが不審がる。
「入らない。これから君たち二人にもつまづきの石を埋めるのを手伝ってもらう。捕虜だろうが子供だろうが働いてもらうぞ。人手が足りないからな」
 丙武が攻めるのちゅうちょしているうちに防備を固める必要があったが、まもなくタイムリミットが来た。
 丙武率いる一万の軍勢がゆるりと攻め寄せてきたのである。
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