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第14章 つまずきの石地雷原を巡る戦い

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 一万人対三人では戦いにならない。丙武はただ押しつぶせと命じれば良かったし、現にそうした。
 二千人の前衛が雪崩を打って晴れ丘を駆け下り、その勢いのまま泥の堀を渡りきる。浅い堀も砦からの散発的なバリスタの射撃もなんら障害にならない。
 前衛は堀の内側に侵入すると初めて足を止めた。
 足を止めたというより、足から根が生えたように身動きが取れなくなったと言うのがより正確だろう。
 先頭集団の三百人が一斉に感電してしまったのだ。
 これはつまずきの石という魔道具の効果で、魔石の中にあらかじめ封入しておいた魔法が埋めてある石の上に少しでも魔素のある生物が乗ると発動する仕組みである。
 魔法の地雷と思ってもらって差し支えない。あくまで怪我人を生み出し、救出と治療で時間稼ぎするためのものだ。地雷と同じで、つまづきの石自体には即死させるほどの効果はない。
 とは言え封入されていたのが雷魔法だったことが犠牲者をさらに増やすことに繋がった。感電した仲間を救おうとした勇気ある兵隊たちもまた感電して動けなくなったのである。
「この雷魔法はサンチャゴの得意魔法だった。サンチャゴの魔法にまた助けられた」
 トマは空に向かって話しかけた。生前、サンチャゴとつまずきの石を開発していた思い出話でもするように。
 情けない話だ。生者が死者にすがっている。
 それでもトマはすがらずにはいられなかった。生きている者はこの砦に五人と一頭しかいないのだから。
 ジテンも天を仰いだ。
 つまずきの石にひるんでどうか敵があきらめて帰りますようにと。
 敵の親玉がまともな神経であることを祈ったが、相手はあの丙武である。
 あきらめて帰るどころか、三百人の兵を救出治療することなく前進を命じた。
 さらに後衛の五千人に督戦と称して、前衛の味方に向かって砲撃させる。
 兵の心理として、止まって味方に撃ち殺されるよりかは進んで感電するほうがいくぶんかましだ。
 千七百人がだんごになって三百人の味方を踏みつけていく地獄の様な光景に、さすがのマンジもドン引きして丙武を諫めた。
 しかしプライドの高い丙武が、怪我人を救助する間攻撃をやめて欲しいと停戦協定なぞ結べるはずがない。そこでマンジは一計を案じた。
 捕虜を解放すると言ってジュードを引き渡すのである。それも捕虜交換ではない。こちらからはカプリコ、ヴェルトロ、シャルルを要求せずにジュードのみを返すという破格の条件だ。反乱軍はきっと乗ってくるだろう。
 捕虜に当たらないように攻撃は止まるので、その間に三百人を救出しようというのである。
 言いだしっぺのマンジが交渉に当たることになり、ジュードを連れて泥の堀のすぐ内側まで出向いた。つまずきの石の地雷原の目の前までやってくると、予想通り攻撃の手は止まった。今のうちに前線指揮官を集めて、三百人の救出に当たらせる。
 ところが肝心の捕虜の返還の交渉のほうは反乱軍側の代表者が誰も出てこないので遅々として進まない。
 マンジとの交渉を受けようとするジテンをフィリップが阻止していたからである。
「これは明らかに罠だ!」
「わかっています。マンジは信用できません。だけど……だけど……。お兄さんのアンドレイさん、弟さんが生きていると知ってとてもうれしそうだった。これから助けるチャンスはいくらでもあるとも言ってました。それが今なんです。次のチャンスなんて待ってられません!」
 ジテンはとうとうフィリップを振り切って、唯一つまずきの石を埋めていない西のルートに飛び出した。
 ジテンが地雷原の中の透明な細い一本道を西進するのを見て、マンジは確信した。
「罠にかかったな。そこが安全地帯か」
 マンジはけして道義的な理由で捕虜開放を献策したわけではない。敵を交渉のテーブルに着かせるだけで良かった。そうすれば敵は地雷原の外に出るために必ず安全なルートを通らなければならない。
 マンジが手を上げて合図を送ると、丙武はすぐさま西のルートへ前衛千七百人を差し向けた。さらに後衛の五千に命じて前線に向けて援護射撃を行った。ただし援護とは名ばかりで敵味方巻き込んだ無秩序な砲撃である。
「おい! 俺も前線にいるんだぞ!!」
 そうは言いながらもマンジは余裕で砲弾をかわしている。
 利用価値が失われたジュードは砲弾飛び交う前線に取り残されてしまった。砲弾から逃れようとジテンのいる唯一安全なルートへと急ぐ。
 唯一安全だった西のルートは最も危険なルートになっていた。前衛千七百が細長い安全地帯に殺到する。
 ジテンはすっかり腰が抜けて、へたりこんでしまった。
 めまぐるしく変わる戦況についていけない。すでに吹き飛んでしまった捕虜の交渉から頭が切り替えられず、なすすべもなく敵の銃弾を受けてしまった。
 丙武からの督戦で死に物狂いとなった兵たちは子供だろうと容赦しない。動けずにただの的になったジテンの右ふとももを撃ち抜いた。続けざまにさらに二発の銃弾が襲う。特徴的だった耳のとがりがすっかりなくなってしまっていた。左耳の上半分がかじられたようにない。腹の中に熱を感じ、見ると茶色い上着が赤く滲んでいる。もう一つの銃弾はへその下にもう一つの穴を開けていた。
 運良く致命傷だけは免れていたが、運悪くかもしれない。苦しみを長引かせただけだったのだから。
 腹を押さえてうずくまっていたジテンを兵士たちが跳ね飛ばしていく。安全でなくなった安全地帯から飛び出したジテンの体は、宙を舞ってつまずきの石の地雷原に落ちようとしていた。つまずきの石は命を絶つほどの殺傷力はない。しかし、右足、左耳、腹から出血し続けているジテンに耐えられるだろうか。
 ジテンの体が地雷原からまた跳ね飛ばされて安全地帯の中に戻った。必然的にジテンを跳ね飛ばしたジュードが身代わりに地雷原に落ち、つまずきの石は発動した。
 バチバチと稲光が走り、白煙が上がるほどの電流がジュードの体を駆け巡る。右手を前に伸ばし、うつぶせに倒れたままの姿勢でジュードの体は固まった。感電して動けないはずである。それなのにジュードは体の中で少しでも動く部分を使って、うずくまっているジテンににじりよって行った。触れて感電させないように、右手をわずかに離しながら魔素をジテンの体に送り込む。
 すると右足の銃創がふさがり、腹の中にあった銃弾が押し出されて外に出てきた。右耳の出血も止まったが耳は短くなったまま戻らない。一度失われた部位だけは取り返しがつかなかった。魔法も万能ではない。
「回復魔法が使えるなら自分自身に使ってください。あなたのほうが重傷だ」
 言葉が話せるほど回復したジテンと対照的に、ジュードは痙攣する唇をふるわせてしゃべった。
「僕はもう死ぬからいい。君は生きろ」
「なぜですか!」
 ジテンの疑問ももっともで、ジュードが面識のない自分のためにここまでする理由はない。
「自分が謀略の道具にされることに僕はすっかり疲れてしまった。大人の世界は利害の対立と騙しあいに溢れている。君はこんなところにいてはいけない。子供の世界に帰るんだ」
 ジュードはジテンが捕虜開放のために飛び出してきたという事情を知らない。
 だから戦場に紛れ込んでしまった子供を助けたい一心だったのだろう。
 無理に無理を重ね、重傷の体を押して、最後の一滴まで魔素を搾り出してジュードは力尽きる。すべてから開放されたその死に顔の安らかさだけが救いだった。
 その光景を見ても兵隊たちはまったく心を動かされない。恐怖と命令に支配された無慈悲な兵隊たちが、三人束になってジテンに襲い掛かる。
 空から降り注いだ四本の柱のような物が三人の兵隊を次々に串刺しにした。
 バリスタが降らせる矢の雨が兵たちに墓標を建てていく。
 それでも兵隊たちは殺されることが唯一の開放でもあるかのように、列をなしてやって来た。
 その列に暴れ馬が正面から突っ込む。二十人ばかりひいたところでようやく止まり、フィリップは馬から飛び降りた。そして代わりにジテンを抱え上げて馬に乗せる。
「この馬はアークという名前だ。可愛がってやってくれ」
 一方的にそれだけ伝えると、フィリップはアークの尻に鞭打つ代わりに黒いたてがみを撫でた。
 アークは賢い馬で、それだけで何かを察して砦に向かって走り出す。
「アーク止まって! 引き返して! 君のご主人がピンチなんだ。フィリップさんは足が不自由なのに、敵のど真ん中で君から降りた。死ぬ気なんだ」
 ジテンが何を言おうともアークは主人の最後の頼みを固く守って走り続けた。ジテンは馬の止め方なんてわからない。フィリップの最期の姿が遠ざかっていくのを目に焼き付けることしかできなかった。
 フィリップは地面に突き刺さっていたバリスタの矢を軽々と引き抜くと、その場に座り込んだ。それをあきらめの表れと誤解した兵たちが、とどめを刺そう槍を構える。
 槍よりも圧倒的に長いバリスタの矢が、兵たちにとどめを刺した。フィリップが座ったのはここを一歩も退かぬという表れだったのである。
 兵隊たちは恐る恐る遠くから小銃をあびせたが、バリスタの矢を棒切れのように軽々振り回すフィリップに上手く狙いが定まらない。
 フィリップは怪力というわけではなかった。足の不自由をカバーするための、肩と上腕の鍛錬の賜物だった。
 その鍛錬の日々が終わる。
 兵隊たちは蜂の巣になるまで念入りに小銃を撃ち続けた。
 それでもフィリップは座ったまま、身じろぎ一つせず倒れない。
 兵隊たちは動かなくなったフィリップを槍でめった刺しにした。
 それでも倒れないフィリップを気味悪がって、兵隊たちは先に進めない。
 フィリップは息絶えてなお敵を食い止め続けた。
 砦をぐるりと包囲していた後衛五千の軍勢が突如背後から襲われ、包囲網が寸断される。襲ったのは百に満たないほどの少人数であったが、地雷原の中の細長い安全地帯に閉じ込められることを恐れた前衛千七百の兵たちは壊走を始めた。
 敵兵が晴れ丘に向かって逆流していく中、ウォルト率いる百に満たない精鋭は悠々と砦に入城する。
 遠くに旗が翻るのを見て、ウォルトは間に合ったと胸をなで下ろした。が、すぐに間に合わなかったことを悔やんだ。座ったまま絶命したフィリップだけが誰も居なくなった地雷原に取り残されていた。
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