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第20章 ニーテリア暦1717年もののフローリア赤ワイン

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 ミーリスの酒場には竪琴の音色が響いていた。
 背の低い亜人の男は鉄兜から飛び出た耳をそばだてている。青錆びた剣を佩いた女剣士は聞き入っていた。
「ヒャッカ様は終戦工作の会と計って、アルフヘイム大陸への渡航を企図しました。しかし甲皇国が人質を手放すはずもなく、渡航許可はなかなか下りません。ヒャッカ様は慰みに果樹栽培を始めました。メルタ公女のつてで、ウルフェルトから土壌改良のための土を大量に輸入。古代の水道橋を補修させて灌漑を整え、宝果の種を植える。土属性の魔法で促成栽培、交雑して塩害に強い品種を作る。待ち焦がれながら、来る日も来る日も宝果を植え続け……」
「止めてください」
 あれほど聞きたかったヒャッカの話を僕は拒絶した。
 ナナヤさんの歌が止まって、侍女だったシーナさんが面食らいながらも話を勧める。
「まだまだエピソードはありますよ? オロイ内海のほとりで岩塩が取れたんです。それでヒャッカ様は魚の塩漬けの加工場を建てて……」
「もうたくさんだ」
 僕が頭を抱え込むのを見て、ナナヤさんは竪琴を爪弾くのを止めた。
 何を怒っているのだろう。ヒャッカが甲皇国でも楽しく暮らせているならそれでいいじゃないか。
 何も怒ってなんかいない。僕はこの後のことを知っているから聞かないだけなんだ。そういいわけしてみても、心の中にできたイビツな何かが内側からチクリと刺す。
 うなだれた僕の頭をショーコさんがなでた。今の僕にはそんな気遣いはわからない。
「こういうときは酒だ! 酒にかぎる! そこのウエーターなにぼさっとしてんだ、さっさと457年もののフローリア赤ワインをもってこいってんだ」
 みなれない顔のウエーターは本気にして、地下の貯蔵庫まで探しに行ってしまった。
「ショーコ! うちの新人をからかわないでおくれよ。ダウ暦457年は禁断魔法の被害と大凶作が重なった年でワインは一本だって作られなかったでしょ」
 女将のミーリスさんがいたずらっ子を叱る。
 カウンターで飲んでいた女性客がすっと席を立ち、僕たちのテーブルに未開封のワインボトルを置いた。
 ちょっと騒ぎすぎて迷惑だったろうか。
「1717年もののフローリア赤ワインならあるよ」
 僕は驚いた。
 ショーコさんの話を盗み聞きしていたことにではない。あれだけ大騒ぎしてたら誰にだって聞こえてる。盗み聞きにはあたらないだろう。
 僕が驚いたのは女性客の持ってきたワインが、件の存在しないはずのワインだったからである。
 ダウ暦457年というのはニーテリア暦では1717年のこと。ダウ暦は甲皇国の暦なので、アルフヘイム大陸では好んでニーテリア暦が用いられた。この女性客はきっとアルフヘイム大陸の人なのだろう。肩まで伸ばした黒髪に隠れて見えないが、エルフの長耳ではないことは確かだ。卸したてのような綺麗なマントを身にまとっているから歴戦の冒険者ではなく、それなりに身分は高そう。アルフヘイム大陸の女性でエルフではなく、それなりの身分と考えると農業大国フローリアの出身だろう。
 僕はフローリア出身の知人に思い当たって、名前を呼んだ。
「もしかして、ボタン・フウキさん?」
「気付くの遅いよ」
 当りのようだけど、答えにたどり着くのが遅かったようだ。それもしかたない。ボタンさんは四年前はまだ幼さの残るほんの少女だった。
「ってことは、これはあのときのワインなのかい?」
 ショーコさんがワインボトルに飛びつく。
「そうよ。みんなで飲もうと思ってね」
「いいのかい? 世界で唯一の幻のワイン」
 ボタンさんに断ってはいるが、すでにショーコさんの手にはコルク抜きが握られている。
「ここにいる人には飲む資格があるし、それに。あれから四年たった。機は熟したわ」
 4年という歳月はワインを熟成させる。人はどうだろう。四年で僕は成長しただろうか。
 小気味良い音を鳴らしコルクを抜いて、ショーコが小さなグラスにワインを注いでいく。
「私は勺をしたから、音頭はジテンにとってもらおう」
「音頭なんてやったことありませんよ!」
「やったことないからこそ、今やるんだ。何事も練習だよ」
 とても乾杯する気分じゃない。僕はふさぎこんだ気持ちを振り払うように、声を張った。
「それではグラスをお手に持って下さい。互いの無事と再会を祝しまして、かんぱーい!」
 赤い宝石のようになったグラスを、僕はしばらく見つめていた。意を決して口をつける。味はよくわからない。匂いはとても良かった。花のような果実のような、濃縮された香り。
 成長したなんて実感はないけれど、お酒を飲める歳にはなったみたい。
 僕は気分を良くして、もう少しだけ昔話を続けることにした。
 


「強くなりたいんです! 剣の稽古をつけてください」
 古砦の大部屋で出会いがしらにジテンが言う。
「またなのか!? ごめんな、これから話し合いがあるから誰か他のヤツに頼んでくれ」
「またなんですか!? いつも会議会議会議会議」
 本当に話し合いなんてするんだろうか。はぐらかしているだけじゃないかとウォルトに文句を言っていると、剣闘士たちがぞくぞくと大部屋に入って来る。どうやら会議は本当にあるようだ。
 火矢使いの竜人、シメオンにジテンは頼み込む。
「強くなりたいんです。弓の稽古をつけてください」
「やめといたほうがいいんじゃないの。そいつバリスタめっちゃ下手だったぞ」
 シメオンが答える前にトマが横槍を入れた。
「何でトマさんは僕の邪魔をするんですか!」
「邪魔してるわけじゃない。合理的に考えろって話さ。俺があげたのは短剣だっただろ。ここにいるヴァルフォロメイ大先生は投げナイフの達人だぞ」
 それならばとジテンはヴァルフォロメイに改めてお願いする。
「強くなりたいんです。短剣の稽古をつけてください」
 短剣使いの盲人は孫でもいなすように言った。
「会議が終わってからでよければ教えよう」
「きっとですよ」
 ジテンはすぐに短剣の稽古をつけてもらえるよう、会議を見届けることにした。
 ところが願いに反して、いつまでたっても終わらない。
 会議は踊る。されど進まず。
 ウォルトはいつものようにフローリアへ向かうことを主張し、レビはホタル谷へ向かうことを主張するだけだった。
「戦中、フローリアは兎人の難民を受け入れた実績がある。だから、すでに何度もフローリアに特使を派遣している。非戦闘員だけでも受け入れてくれないかと」
「何度も派遣しているのは何度も断られているからだろ。丙武がフローリアを拠点にしている限り無理なんだよ」
 反乱軍討伐に失敗したとは言え、丙武は未だに六千の兵力を有している。レビの言は正鵠を射ているだろう。本質を突かれたからこそ、ウォルトは感情的に言い放ってしまった。
「そもそも、剣を引きずっていたせいで中央高地の戦いにも遅参しておいて……」
 口に出してからしまったと思ったが、もう遅かった。
「わかった。俺が足を引っ張っているというわけだな。ホタル谷へは俺だけでも行く。最初からそうすれば済む話だった」
 そう言うなり、レビは古砦を出て行ってしまった。謝るいとまもない。
「悪いが俺もホタル谷へ行く」
 そう言って火矢使いの竜人はレビを追いかけて行った。シメオンの離脱が嚆矢となり、剣闘士たちは続々と雪崩を打ってレビの元に走る。
 大変なことになった。もはや話し合いではどうにもならない。にも関わらず、フォーゲンが何か発言をしようとしていた。
 フォーゲンならばウォルトとレビの仲を取り持つことができるかも知れない。
「フローリアに向かうことも、ホタル谷を向かうことも、一長一短ある。ならばSHW商業連合国に向かう案はどうだろう。このフォーゲン、単身海を渡りSHWの大社長に打診してみよう」
 ここに来ての第三勢力出現である。もはや収拾は着かない。
 反乱軍の分裂は決定的となった。
 残った者たちを見回してウォルトは力なく問う。
「こうなってしまった以上、ここから先は自由意志で行動してくれていい。君たちは出て行かなくていいのか」
 考えているのか決めかねているのか、誰も何も答えない。
 ひとり盲目の短剣使い、ヴァルフォロメイだけがゆっくりと口を開いた。
「わしは残る。そこのボウズに短剣を教えると約束しちまったからの」
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