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第30章 サーペントの奇跡

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 自分たちに安息の地などあるのか。
 フローリアでの暮らしは短い夢で、丙武らに追い出されてしまった。
 海鳴りが聞こえる。サーペント港まであとわずかというのに難民たちの足取りは重い。引き連れてきたウォルトも励ます言葉がなくなり、ただ遠くの水平線を見ながらひたすら歩いた。
 海鳥の鳴き声、波の砕ける音が近づいても船のマストは見えてこない。
「フォーゲンは失敗したのか。まだ船は着いていないのか」
 難民たちの不安に答えるように汽笛が鳴る。
 船はすでに着いていた。
 汽笛に背中押されて難民たちは足を速める。
 ところが港に停泊していたのは三隻の蒸気船だけだった。一隻に二千人ほど収容できる大型船とはいえ、難民は一万人以上いるのである。
 これはいったいどういうことか。ウォルトは旗艦シルトロンに乗り込んで、フォーゲンを問い詰めた。
「まずはありがとう。難民の受け入れ先、船の手配、すべてお前のおかげだ。だが船が少なすぎる。丙武軍団がすぐそこまで追ってきている。蒸気船を二往復させている時間なんてないぞ」
「すまん。俺も最初は高速の蒸気船五隻で一往復と考えていた。だが蒸気船は最新の技術。SHWにも四隻しかない。それでも一隻に五百人づつ追加で一往復する計算だった。過積載の分船足は落ちるが、蒸気船は最速だ。十分敵を振り切れる。四隻ならば、それが……」
 そこまで言って押し黙ってしまったフォーゲンに代わり、ゲオルクが擁護する。
「領海の出口でアルフヘイム艦隊に待ち伏せされてしまった。大破した一隻は途中で沈んでしまったが、しかたない。迂回していたら今間に合っていないのだから、一隻失ってでも正面突破したのは妥当な判断だ」
 船を沈めた張本人のテイジーが悪びれもせず言う。
「沈んだ船の船員は全員救助できたし。今回の件は海難保険を適用させるから平気平気」
 ウォルトは言いたい言葉を飲み込んだ。この世界に「船頭多くして船、山に上る」という言葉はない。しかし互いに譲らなかったために難民たちを分裂させた失敗を、ウォルトは経験していた。
 議論すべき時は過ぎ去った。時間を浪費してはならない。
 ウォルトは難民たちを二千五百人づつ振り分けて、三隻の蒸気船に乗船させた。
 ゲオルクはシルトロンから艦砲を外して陸揚げさせている。これであと百人くらいは乗せることができるだろう。
 残る二千四百人はどうしても乗り切れない。
 ことあるごとに揉め事が起こってきた難民たちだが、今回はすんなり決まった。
 誰が船に乗らないか?
 ウォルト・ガーターベルトは船に乗らなかった。
 ゲオルク・フォン・フルンツベルグは船に乗らなかった。
 フォーゲンは船に乗らなかった。
 テイジー・キタックは船に乗らなかった。
 ヴァルフォロメイは船に乗らなかった。
 マルクス・コムニストゥス・プロレタリウスは船に乗らなかった。
 イワニカは船に乗らなかった。
 アンネ・イーストローズは船に乗らなかった。
 ダーク・ジリノフスキーは船に乗らなかった。
 ダークの部下の元巡視隊の兵はみな船に乗らなかった。
 ゲオルクの部下の水兵たちはみな船に乗らなかった。
 レンヌ市民の女は船に乗らなかった。
 レンヌ市民の男も船に乗らなかった。
 年寄りは船に乗らなかった。
 若者も船に乗らなかった。
 ケガをした者は船に乗らなかった。
 無傷の者も船に乗らなかった。
 臆病者は船に乗らなかった。
 勇者も船に乗らなかった。
 志願する者はみな残った。みな自分で決めた。
 汽笛が鳴って三隻の蒸気船が港を出て行く。蒸気船が戻ってくるのはどんなに速くても二日はかかるだろう。
 奇跡が三つ重なりでもしない限り、残った人間は助からない。
 港の南、北、西から丙武の軍勢が押し寄せる。苔むした古砦のときのように準備している時間はない。
 水兵たちが陸揚げした艦砲を操り、西の正面にぶっぱなした。砲弾が炸裂し、敵を四散させ地面を深くえぐる。また爆発音が鳴り、えぐれた地面はすぐに死体で埋まった。死体を踏み越え、丙武軍団はぐるりと港の周りを取り囲む。
 港町に侵入したならず者たちは乱暴狼藉を働こうとしたが、町に人気はなかった。酒場に入ってみても客どころか店員もいない。サーペントの住人はまじめで昼から酒を飲まないとでも言うのか。ならず者は気味悪がりながらも、戸棚のビンを取って栓を抜いた。噴き出した泡を反射的に口に入れる。抗えずに琥珀色の液体も飲んでしまった。
 体はなんともない。毒はアルコール以外何も入っていなかった。
「どけ。何をしてる」
 ならず者は入り口から入ってきた親分の声に怖じけて、身をかがめて謝る。
「へい。すいやせん丙武大佐。酒の野郎が誘惑してきまして……」
「俺が怒っているのは、お前らが罠や毒を恐れてびびっているからだ。酒を飲むのは構わない。好きなだけ飲んだら、すぐに敵に突っ込め」
 丙武に尻を叩かれて、兵士はボトルをふたつ懐に入れると戦場に戻っていった。
 難民たちに罠や毒を用意する時間はない。町に人気がなかったのは、サーペント市民が巻き込まれないようにフォーゲンたちがあらかじめ逃がしていただけのことだった。
 酒場におかれた仮の司令部に仮の総司令官が連れてこられる。
 ネクル子爵とその妻ヒャッカが丙武の前に引き出された。
 ヒャッカは両手を後手に縛られていたので、立つこともおぼつかない。ネクルがそっと助け起こす。無能者とみなされていたネクルだけは縛られていなかった。
「丙武大佐、早く停戦なさい。いまや本国は和平に傾いています」
 ヒャッカは例え縛られようとも丙武の非を打ち鳴らした。
「あー、うっせうっせ。本国のバカどもなんて知ったことか。俺が正しい。わけわからん反乱軍どもを皆殺しにして何が悪い」
 そう言うと丙武はヒャッカの口を猿ぐつわでふさいだ。
 もはや丙武を止められる者は誰もいない。
 半日も立たずにサーペントは丙武の手中に落ちた。


 港町に侵入されたため水兵たちは、敵に奪われる前に艦砲をすべて海中に投棄する。艦砲に続いて水兵たちも次々と海に飛び込んでいった。
 逃げ場を失った者から順に入水する。死を待つだけの人々は海面から顔だけ出して空を仰いだ。
 羽の生えた何かが近づいてきて、天からはしごを下ろしている。
「なんだ、あれは!?」
 天使のラッパは聞こえない。聞こえてきたのはプロペラの音だった。
 赤い飛行機が低空飛行している。
「なんなんだ、あれは!?」
 ヴェルトロはジテンたちがマンジと戦っていたとき、軍需物資の保管庫から飛行機の燃料をせっせと給油していたのだ。
 ヴェルトロの飛行機からは縄ばしごが下ろされていて、そこにはジテンたちがしがみついている。縄ばしごの末端はレビの聖剣の柄に巻きつけられていた。空中ブランコみたいにさかさまで縄ばしごに足をかけて、レビは聖剣を地面に突き立てている。飛行機に引っ張られていても、それでも聖剣は地面から抜けない。
「本当になんなんだ!?」
 敵も味方も混乱している間にも、飛行機が引き擦る聖剣は包囲する丙武軍団を切り裂いていく。
 ジテンが奇跡を連れてきた。
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