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第31章 ミシュガルド

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 戦える者はあとわずか。ヴァルフォロメイはぎりぎり丙武軍団の攻撃をかわし、ナイフを投げてしとめていった。敵の銃弾は皮膚をかすめるだけだったが、じわじわと命を削っていく。体中血まみれになったころ、とうとう限界が来た。致命傷となる銃創はない。死因は出血多量だった。
 赤い飛行機がくるりと旋回し、丙武軍団の上空を飛ぶ。サーペントの町は背の高い建物が多い。空からうまく近づくことができず、短剣の師匠のヴァルフォロメイを助けることができなかった。
 飛行機が引きずる縄ばしごの先のレビが敵陣を切り裂いていく。
 こうなったらこのまま敵地深くまで切り込み、丙武をしとめる。
 しかし、そううまくはいかない。
 縄ばしごの中ほどが教会の尖塔に引っかかり、からまってしまったのだ。縄ばしごは真ん中から引きちぎれて、上半分は飛行機から垂れ下がったまま飛んでいった。上のほうにつかまっていたベルウッドとボタンと飛行機に乗っていたヴェルトロとアンネリエにはなす術がない。縄ばしごの下のほうにつかまっていた仲間を救出できないかと、しばらく飛行機は旋回する。ついには燃料が切れて、飛行機は浜辺に着陸した。
 縄ばしごの下半分は尖塔のてっぺんからぶら下がったままとり残されている。一番下にいたレビは振り落とされて、派手に教会の外壁に突っ込んだ。聖剣の力によるものか、外壁のほうがすっぱりと切り開かれている。
 無傷で中から出てきたレビは外を見回した。
 味方の兵は誰もいない。丙武軍団は周囲から集まってきている。レビたちは敵中に孤立した。
 ジテンたちは縄ばしごを伝って尖塔から降りると、武器を構えつつ相談する。
「どうしよう」
 困っているメン・ボゥをもっと困らせることをジテンは言う。
「ここは敵のど真ん中です。遠い味方と合流するよりも、近くの敵の親玉を討つほうが早い。丙武を討ちましょう。それで戦いは終わる」
 ケーゴはいち早く賛成する。
「ああ、ジテン。俺たちで終わらせよう。この辺で親玉がいそうな場所を片っ端から探すんだ。このりっぱな教会とか怪しいぜ」
「いや、教会の中には誰もいなかった。丙武がいそうなのは教会よりもあっちだろ」
 レビが指差すほうには警備がやたら厳重な酒場があった。
 考えている時間はない。
 意を決してジテンは酒場に突進した。走りながら、迷わずの短剣を放つ。酒場を守っていた敵兵ののど元に突き刺さり、ジテンの手に帰ってきた。練習の積み重ねが命中精度を飛躍的に向上させている。
 警備の兵がすぐに応射してきた。ケーゴが天に向かって宝剣を一振りすると、炎の壁が出来上がる。鉛玉は誰かに当たる前に溶けてなくなってしまった。
 炎の壁の裏側に回りこもうとする敵はしんがりのレビが防ぐ。
 ついにショーコとメン・ボゥが酒場に飛び込んだ。
 ただでさえ敵中に突然現れたジテンたちに浮き足立っていた丙武軍団は、酒場に侵入されてさらに統率が乱れている。
 間違いない。この慌てよう、酒場に総司令官がいるのだろう。
 メン・ボゥははたして実質的な総司令官である丙武をカウンター席に見つけた。背を向けて座る丙武にナイフを投げようとするが、その姿勢のまま動けない。ショーコまでも固まってしまった。
 動けば殺される。本能的な忌避の感情。
 時間が止まったような静けさ。
 額を流れる汗だけがじわじわと動いていた。
 追いついてきたジテンが酒場の中に入ってくる。しかし目を引いたのは形式的な総司令官のほうだった。
 武官には見えない気弱そうな中年男が後手に縛られたヒャッカを抱き起こしている。
「そうか、お前が……」
 ジテンはネクルをすべての元凶と思い込んだ。奪われたヒャッカを取り返そうと、ネクルの手を振りほどこうとする。
「イヤだ、もう失いたくない」
 ネクルはけして離そうとしない。
 ジテンは迷わずの短剣を強く握って、一歩一歩ネクルに歩み寄る。
 ヒャッカは驚いた顔をして何か伝えようとしているが、猿ぐつわのせいで声にならない。
 ネクルはヒャッカを抱えたままよろよろと後ずさりするが、しりもちをついてしまった。
 この距離ならば絶対に外さない。ヒャッカに危害を与えず、ネクルののど元に当てることができる。投げるまでもない。少し手を伸ばすだけで、頚動脈をかき切ることができる。
 短剣を振り上げた手首をメン・ボゥがつかんで止める。
「ジテン、すまねえ。丙武のほうを取り逃がしちまった」
「作戦は失敗だ。すぐに ウォルトたちと合流しよう」
 メン・ボウとショーコが時間切れを告げた。
「そんなのってないですよ。あと少し、ほんのちょっとでヒャッカを取り戻せるんです。今まで僕はずっとずっと我慢し続けてきたんです。本当はひとりでもヒャッカを助けに行きたかった。でも、いつもいつもいつもいっつも難民のみんなのほうを優先してきた。今日くらいワガママ言わせて下さい」
 珍しくジテンが感情的になっていたせいか、ショーコは力任せに右頬を引っ叩いてしまった。普段は子供に手を上げる人ではない。
「悪いなジテン。フィリップもヴァルフォロメイもお前を殴ってでも止めてくれる大人はみんな死んじまったから、代わりに私が打った」
 その一言でジテンは我に返った。
 さも我を通さず自分を押し殺してきたつもりになっていたが、そうじゃない。
 自分の勇み足のせいで死にそうになったあの時も、命を張って守ってくれたのはフィリップではなかったか。
 また間違えるところだった。
 自分が生きてさえいれば、何度だってヒャッカを取り戻す機会はある。
 ジテンは酒場を飛び出し、血路を開くべく短剣を投げた。
「まだだ。まだ足りない。一人でもヒャッカを取り戻せるくらい強くなりたい」


 水平線に日は落ちて、戦場は夕方、夜と移り変わる。静かな深夜はまだ訪れず、鳴り止まぬ銃声。
 浜辺に降り立ったヴェルトロたちは先に難民の生存者たちと合流を果たしていた。
「あれ、君? 甲皇国航空隊会計課にいたテイジーさんじゃないか。こんな時間に働いてるから別人かと思った」
「げっ、ヴェルトロ君。私だってねえ、こんな残業は不本意よ」
 戦中の知己との邂逅にヴェルトロとテイジーは積る話もあったが、今はそれどころではない。
 しゃべれないアンネリエの代わりにベルウッドが訴えた。
「今ケーゴたちが敵のど真ん中にいる。お願い助けて!」
 皆すでに心が折れていた。
 中央突破という暴挙に、武器を手に取って加わろうとするものは少ない。
 心だけでなく体もくたくただった。
「子供すら戦っているというのに、あんたたち恥ずかしくないの?」
 残念ながらこの女性の名前は資料に残っていない。状況から考えて難民の仲間を罵倒したのではなく、奮い立たせるために言ったのだろう。
「そんなこと言ったって、なぁ」
「かつてレンヌで対立した巡視隊の連中は信用できないって文句付けてたくせに。その巡視隊に守ってもらうだけで、何もせずに情けないと思わないの?」
「俺たちは自ら志願したんだ。乗船せずに残ったのは、守ってもらうためじゃねえ。もう守られてばかりはやめたやめた。いくぞ」
 やけくそぎみではあったが、丸腰の男は中央突破するために突撃した。男をたき付けた女も丸腰で後に続く。ばらばらではあるが次々とレンヌ市民たちが付いて行った。武器も持たずにただ勇気ひとつを持って、難民たちのうねりが丙武軍団と激突する。
 二千四百人の難民はもういない。二千四百人の英雄たちがそこにはいた。
 小銃で武装した軍人に素手の市民が挑みかかる様は、狂気じみた地獄絵図に見える。マルクスだけはこの光景に感動すら覚えていた。
 マルクスが扇動したとしても、難民たちを戦力に変えることはできなかっただろう。今彼らは自立して、自ら考え自ら行動している。
 武器の性能も兵士の数も丙武軍団のほうが圧倒していた。だが丙武は総司令官を傀儡にして、本国の意向も無視し続けている。末端の兵士たちにはなぜ戦っているかがわからない。せいぜい略奪の欲望や八つ当たりを動機にしている。士気の差は歴然だった。
 銃弾を恐れなくなった市民が石を手に取り、丙武軍団を追い掛け回している。
 二つの国が最も恐れた光景だ。
 民を暴力によって押さえつけることができない。それを回避するために仇敵同士の甲皇国とアルフヘイムが手を組んだというのに。結果として排斥を続けた二カ国は難民を自立させ新しき民へと覚醒させてしまった。
 マルクスは先頭に立って率いない。槌と鎌を持って難民たちの後に続く。
 ウォルトは「難民を守れ」と命令しない。「供に戦おう」と皆を励ました。
 ひとりまたひとりと仲間が倒れていった。それでも誰も止まらない。
 丙武軍団はおびえ、怯み、銃を落とす。
「道を開けろおおおお!!」
 レビがこちら側に向かって聖剣を引きずりながら、逃げ惑う兵士たちを轢いていく。
「レビ! レビ!」
 フォーゲンの声が聞こえる。
 声が届くほど近くまで来ていた。レビは呼ぶ声のほうへ走っていく。
 フォーゲンはレビを見つけると、右手を引っ張ってウォルトのところまで連れて行った。
 三人が顔を合わす。我を通してホタル谷へ剣闘士たちを引き連れ、死なせてしまったことをレビは謝りたかった。けれども言葉が出てこない。
 ウォルトも自分の考えに固執してしまったが間違いだったと伝えたかった。
 二人が黙ったままなので、フォーゲンはウォルトの手を取ってレビの手に重ねた。
 無理やりに握手をさせようとしたのだが、ウォルトは手を離そうと腕を挙げる。フォーゲンは離すまいとレビの手の甲にウォルトの手のひらを押し付ける。
 三人が手を引っ張ると、レビが握っていた聖剣がいとも容易く地面から抜けてしまった。
 剣先から黄金色の光が放たれ闇夜を貫く。雲間から指す光のように三人を照らしていた。
「一人では引きずることしかできなかったのに」
「簡単なことだったんだ。三人力を合わせれば」
「まだまだ半人前ってことだ。三分の一人前か」
 三人は光を帯びた聖剣をゆっくりと振り下ろした。
 丙武軍団の上に巨大な光の柱が倒れてくる。敵の兵は光に押しつぶされるように擦り切れてしまった。
 まだ聖剣の威力は減衰しない。包囲に穴が開いて、海まで続く道ができている。さらに海を二つに割って、縦長の干潟を作っている。
「ようし、このまま海を突っ切る。みな続け!!」
 ウォルトが音頭をとると、二千人ほどの小勢が敵の真正面を堂々と進んでいく。もはや邪魔するものは誰もいない。海が割れるというでたらめな威力を目の当たりにした兵隊たちは戦意喪失していた。
 丙武だけがいまだ戦意を失わず、督戦して回る。難民たちは割れた海の底を歩くことを恐れない。丙武軍団は追って海に入ることを尻ごみした。
 脅していうことを聞かせた千人程度の集団とともに、丙武は追って海に入る。
 すると壁面のように切り立っていた海水が崩れ落ちてきた。千人を飲み込んで、何事もなかったかのように元の海面に戻る。
 聖剣の力なのか難民たちの周りだけ海底があらわとなり歩くことができた。追っ手を完全に振り切った難民たちは、海中にいることも一時忘れてはしゃいでいる。
「ああ腹減った。生きてるってことだな俺たち」
「もう死ぬもんだと思ってたよ。また好きなもん食えるんだな」
 腹を空かせた難民たちにボタンが差し入れを持ってきた。餞別として受け取ったブドウの入ったタライを開ける。中のブドウは傷んでダメになっていた。
「せっかく持ってきてくれたんだから、つぶしてワインにしたらどうだ。俺たちにふさわしい勝利の美酒、なんてな」
「フローリアでワインの作り方も教えてもらってて良かった」
 ボタンは笑顔に戻って、さっそくワイン作りに取りかかった。まず海水で足を清める。タライを酒舟の代わりにして、おずおずとブドウを踏み始めた。
 アンネリエが草笛を吹いて、アルフヘイムの古い民謡を奏でる。ボタンは笛に合わせて、舞うように足踏みした。
 聞き入っていたケーゴはおもむろに立ち上がると、うなだれているジテンの隣に座る。ケーゴは何も言わず背中をぶっ叩いた。元気は出たが、ちと手荒い。
 ジテンは笛に合わして、手のひらを叩いて拍子をとる。ケーゴもみんなもジテンにならって手を打ち鳴らした。
 お調子者のベルウッドが前に出てきて何かしようとしている。ベルウッドはアンネリエの代わりにアルフヘイム民謡を歌い始めた。
  
  黒い月は荒地を拓こう
  赤い月は麦が芽を吹く
  青い月は伸びた芽を踏もう
  水色の月は雑草の草むしり
  銀の月は待ちに待った収穫
  藍色の月は石臼で粉を挽こう
  紫の月は石釜でパンを焼こう
  朱色の月はまた麦の種を蒔こう

 およそ二千人の難民たちは途中、撃沈されたツァルブリの積荷の食料を拾い飢えをしのいだ。そして海底を歩いて渡りきり、ミシュガルド大陸へとたどり着いている。難民たちが海を割ったのを見た目撃者は多かったが、誰も信じなかった。百年もすれば当事者たちは誰一人いない。海割りはただの伝承となるだろう。
 かくして我々難民は永久に追われる事はない。大きな目的を果たして、みな散り散りにそれぞれの目的のため別れていった。
 三隻の蒸気船に乗ることができた難民たちは、そのほとんどがSHWへと移住している。ミシュガルド大陸にたどり着いた難民もそのまま大交易所へ移住が完了、これからも町の発展に寄与することだろう。

 難民たちをずっと励まし続けたウォルトは、今は気ままに冒険者になっていると聞いた。

 脱出の立役者のレビは、一人でも聖剣を抜けるようになろうと修行修行の日々である。

 フォーゲンは何も言わずに消えてしまった。大交易所の酒場であの風来坊を見かけた人もいるらしい。
 
 ショーコは傭兵をしたり冒険者をしたりしているが、仕事も金も少なくヒマを持て余している。

 メン・ボウは盗みから足を洗ったらしい。ショーコとよくツるんでいるが、飯をたかる相手を間違えている。

 ケーゴは遺物の鑑定士を目指していた。とはいえミシュガルドの遺跡を探検してばかりで、冒険者と変わらない。

 アンネリエは魔術師を目指している。相変わらず声はでない。それでもあきらめずに解決方法を探している。

 ベルウッドは靴磨きとして働きながら、玉の輿を狙っている。曰く経済力は靴に出るから観察してるそうな。

 傭兵王ゲオルクは戦乱の少なくなった時代も乗り切ることができた。恩義を感じた難民とその子孫たちが六百十五年間律儀に借金を返済し続けたからである。

 テイジーはSHWのヤー大社長に第八秘書としてスカウトされた。だが残業が多くなりそうだからと断っている。

 ヴェルトロは一度は甲皇国に戻ったが、戦闘機乗りはすっぱり辞めた。今では航空機のスピードレースの花形レーサーになっている。

 マルクスは市民の自主自立の精神を輸出すると息巻いて、甲皇国へと旅立って行った。

 イワニカはカカシさんを改良して、失った以上の数を増産している。新大陸に渡り、カカシさんを使った新しい農業を普及させた。

 ボタンはミシュガルドでいち早く水はけの良い地を見つけて、ブドウを育てている。ミシュガルド産のワインができる日も遠くはない。

 ダークは一時歩けなくなるほどの大怪我をした。一年後そこには、驚異的な回復力で走り回るダークの姿が。

 アンネはダークの足代わりとなるつもりでいたが、ぴんぴんしているダークを見て嬉しいやら、残念やら。二人が添い遂げる日はまだ遠そうだ。

 ジテンはというと、ヒャッカとネクロがミシュガルドへ渡ったという情報を突き止めた。ジテンの道はミシュガルドへと続いている。

(第一幕完)
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