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第3章 蛇の池

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「そのころ私は暴力のサーカス団にいた」とショーコは言った。
「暴力のサーカス団?」
 ショーコは「ああ。フラーに連れて来られたのは闘技場だったんだ」と言ってエーコの喫茶店で話した続きをしゃべり始めた。



 暴力のサーカス団の団長はスカロプス。燕尾服を着た海賊と言われたその人である。
 この暴力のサーカス団というのはサーカス団とは名ばかりの、剣闘士同士を戦わせる闘技場であり違法な賭場でもあった。食いつめの傭兵や甲皇国の未帰還兵を監禁し、剣闘士として働かせている。住む場所と食事は提供されるが、その食べ物はミズイロメガネウラの佃煮とハチミツだった。
 さて、私とウォルトは同じ牢内で質素な食事を済ませていた。
「くそ、あのフラーとか言うやつに一杯食わされた。何が小遣い稼ぎだ」
「こんな飯、甲皇国配給の鈍器みたいなパンと草のほうがマシだ」
 そういやあれからフラーの姿が見えない。てっきりこの闘技場で働いてるのかと思ったが違うのか? それとも再びアリューザまで行き、自分で呼び込みでもしているのか。まだまだ犠牲者は増えそうだ。
 確かに私は甘言を信じ、この仕事を受けた。
 しかし、なんでフラーのヤツはこんな待遇の仕事を教えたのか。
 それなら、傭兵を続けていれば。
 悔やむ私たちの前にでっぷりと肥えた紳士風の男が大勢の護衛を連れだってやって来た。
「よぉーーこそ我がサーカスへ! ぜひ楽しんでくれたまえ。団長のスカロプスだ。今から闘技場に出てもらう。武器を取りなさい」
「われわれの仲間になるのです。私はカプリコ・カプリコーン。斧も剣も槍もナイフもあるよ。どの武器を使う?」
 護衛には見えないバレリーナのチュチュをまとった無表情な少女が、くるりと回って自己紹介、踊りながら聞いて来る。闘技場に出る直前に武器庫から出された武器を持たせてくれた。私は得意のナイフを選ぶ。ウォルトのヤツは斧を選んだ。武器の中に甲皇国の正規兵が得意とする小銃はない。一番農具に近い斧を選ぶあたり、ウォルトは平民の出なのだろう。二人分の武器、ナイフと斧が牢の中に投げ込まれる。
 私は、第二回戦。ウォルトは第一回戦に出るとスカロプスが言う。トーナメント戦だから初戦に勝てばウォルトと当たることだろう。ウォルトも勝てばの話だが。トーナメントに優勝すれば商品も出るとカプリコが教えてくれた。
「スカロプス団長が優勝者に伝説の聖剣を引き抜く権利をお授けになります」
 少しやる気が出てきた私はナイフを手にし、カプリコに控室まで連れられてきた。
「優勝者には商品がもらえるなら、敗者にもペナルティがあるんじゃないの?」
 私の問いにカプリコは隠しもせず平然と答えた。
「敗者は地獄の業火に焼き尽くされます」
 さて、第一試合を見るために私は控室から出て円形闘技場の脇に行く。槍を持った赤毛のおさげの男とウォルトが闘技場中央に出てきた。
 しかし、すぐに試合のゴングはならない。代わりに客席より一段高い観覧席からスカロプスが身を乗り出し煽り立てた。
「槍を持つのはアルフヘイム人、戦争中甲皇国兵に恋人を殺された恨みを晴らすため人間をやめた男、復讐鬼レビだーーーーー!!! そして斧を持つのはその甲皇国兵、憎き仇ウォルトだーーーーーーーーー!!!」
 スカロプスのオペラ歌手のような通る声が観客を大いに興奮させた。
「こんなところで出会えるとはな。仇討ちさせてもらう!」
 ウォルトが慌てて弁解している。私だってあのウォルトがそんなことするはずないと分かっているが、初対面のレビとやらでは分からないだろう。ウォルトも誤解を解くのをあきらめて、斧を両手で握って構えた。
「ああ。元甲皇国兵だが、恋人の仇ではないということになるのか」
 ところが、レビは驚くべき素直さで承知した。
 こうして、過剰な演出は失敗したので試合はいたって普通に始まる。スカロプスは不機嫌そうに席に戻り、勝負を見物した。
 また、観客が興奮している。仇ではないと知ってもレビの闘志は一切揺るがない。
「とは言え、勝つのは俺だ! 伝説の剣は俺のものだーーー」
 レビは槍の長さを活かして遠い間合いから一方的に突いてきた。すべてを斧でさばけず、ウォルトの左わき腹を穂先がかする。にじんだ血で軍服が赤い。それを見て観客が喜ぶ。
 さて、ウォルトは槍の長さをどうにかしなければ反撃することもままならない。思案しているところに再び槍を突き出してレビが突っ込んでいく。
 そして、目の前に穂先が迫った。ウォルトは後ろに下がるが間に合わずかすめていく。鼻先にピリッと痛みを覚えた。
 すると、試みに槍の穂先だけを切り落とす。これで勝負がついてくれればと思い、ウォルトは言った。
「あんたの負けだ。降参してくれ」
 レビは答えて言った。
「やだね。絶対に伝説の聖剣がいるんだ。俺の口から降参なんて言葉は出ないぜ」
 すると、闘技場の頂、聖剣が突き刺さっている台座を指さし、レビは言葉を続けた。
「俺はアルフヘイム人だが人間だ。エルフの魔力もなければ亜人の腕力もない。仇を討つためには聖剣の力が必要なんだ」
 レビの闘志はいささかも衰えず、木の棒になった槍を構え直す。残ったのは槍の柄だけだが、斜に斬ってしまったのがまずかった。レビはとんがった棒の先を向け、ウォルトに飛びかかってくる。斜に斬らないように垂直に斧を振り下ろすと、木の棒はさらに短くなり鋭さを失った。レビはおもちゃのような木の棒を突き立てるが、もう刺さらない。
 ウォルトは言った。
「殺傷能力のない木の棒でいくら試したって無駄なことだ。降参してくれ」
 今度こそ悪魔のような演出をしてやろうと、高い観覧席からふたりを見下ろしながらスカロプスは観客を煽った。
「降参なんて許せんよなあ。負けた者の末路は死と決まっている。観客ども、このふたり、どうする?」
 血に飢えた観客たちは口々に叫んだ。
「殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!!! こ・ろ・せ・こ・ろ・せ・こ・こ・ろ・せ・こ・ろ・せ・こ・ろ・せ……」
 するとスカロプスのしもべたちはウォルトとレビを連れていき、つかんで、観覧席の真下にある蛇の池に投げ入れた。
 ウォルトが捕まったと聞いて私はすぐにでも助けに行きたかったが、第二試合から身を退くことはできない。
 そして第二試合が始まった。相手は身の丈ほどの刀を持つ剣士である。
 長い黒髪なびかせて、赤いコートはためかせて、剣士は笑う。
「フッ……未だ戦う刻ではない……」
 この時私は死闘を覚悟した。私では力不足ということか。強敵の予感がする。
「何を聞いていたんだ? 棄権すると言っている」
 私が間違ってた。ぜんぜん強敵とかじゃない。棄権するなら何のために闘技場来たのバカなの? この長髪の剣士はみかけ倒しで、本当に棄権したのである。
「第二試合、ショーコ対フォーゲンはフォーゲン棄権によりショーコの勝利とします。者ども、あの役立たずをひっ捕らえろ。あいつも蛇の池に落としてしまえ」
 しもべたちはスカロプスの命により網で捕らえると、フォーゲンもおとなしく従った。
 そこからなおもしもべについて行き、フォーゲンは蛇の池に投げ込まれる。私は蛇の池をのぞき込み、ウォルトを呼んだ。
 ウォルトたちは八匹の赤い大蛇を相手に闘っていて、フォーゲンもそれに従った。
 ウォルトが目も口もない大蛇の首を叩き斬ると、首は再生されたちまち治ってしまった。
 レビは木の棒を振り回し逃げ回っている。池と呼ばれているが水はなく、大地が大きくえぐれ、カルデラ状になっていた。辺りは黒い玄武岩ばかり。穴は深く、岩を登って穴から出られそうにない。それでも大蛇は尻尾が岩に埋まっていて動ける範囲が限られているので、なんとか逃げ回ることはできていた。しかしこの地獄から逃れるすべはない。穴からは出られず、首を切り落としてもすぐに治ってしまう。
 フォーゲンは刀も抜かず、ただ従っている。
 こうしてウォルトとレビは絶望的な闘いを続けるしかなかった。棄権したのもあえて抵抗せず蛇の穴に落ちたのも、私はてっきりふたりを助けるためかと思ったがぜんぜん違う。フォーゲンのヤツは特に活躍もせず従っているだけ。
 これを見て群衆はフォーゲン死ね死ねコールを送ってきた。
 そこでようやくフォーゲンは口を開き群衆に教えてやった。
「心の貧しい奴らめ……未だ戦う刻ではない……」
「今がその時だろ!」
「今戦わずいつ戦うつもりだ!!」
 人のいいウォルトも素直なレビもフォーゲンの考えに驚き、さすがにツッコんだ。
 というのはフォーゲンは口だけで刀を一度も抜かなかったからである。
 フォーゲンがあいかわらずで観衆が退屈してくると、スカロプスはその不満をいち早くくみ取った。
 すると、指示を受けたひとりのしもべが来て、蛇の池に蜘蛛の糸のようにロープを垂らして言った。
「お前ら。ひとりだけ助けてやるよ。早い者勝ちだ」
 フォーゲンは手を伸ばして、一瞬でロープに触り、「縮地と言ってな、我が剣術の奥義だ」と言った。すると、すぐにしもべたちによってフォーゲンは引き揚げられた。
 私だけでなく観衆も心がひとつになり言った。「あいつ何しに来たんだ」と。
 フォーゲンが蛇の池から上がると、しもべのひとりが蛇の池の中にロープを投げ捨て憐れんだ。
「お前らもっと争うのかと思えば。アイツひどいよなー。苦しいよなー」
 私は誰に言うともなくひとり嘆いた。
「あのヤローの評価を考え直そう」
 しかし、フォーゲンは蛇の池に残ったふたりに答えを示した。
「落ちているロープの端を上に投げろ。拙者が引き揚げてやる」
 私はまた考え直さねばならなかった。
 ウォルトはこれを聞いて驚き、レビは言われた通りロープの末端を投げ上げたが、うまくいかず歯ぎしりする。
「だめだ。届かねえ」
 それから、何度も試したがいずれも失敗した。長さは足りているはずだが、軽すぎて投げにくいのだろう。
「お前の槍の柄だ。柄に結んで投げろ!」
 ちょうどその時、赤い大蛇の斧で受けた傷が完全に回復した。
 八匹の大蛇の尻尾の先、隠していた岩を溶かし、醜悪なタコの頭が顔を出した。八匹の蛇は八本のタコの足だったのだ。
 体の周りに陽炎が見えるほどの熱量、口からもうもうと黒煙が漏れ出ている。
 思い出した。大きすぎてわからなかったが、こいつはヒダコという魔物だ。本来は人間の子供程度の大きさで、熟練の狩人ならばしとめることも可能だ。だがこんな馬車ほどの大きさの化け物は初めて見るし、足が再生するなんて聞いたこともない。本当にヒダコなのか。ヒダコなら口から輪っか状の炎を吐き出すはずだが。
 巨大ヒダコがウォルトに口を向け気温が上昇していく。私は叫んだ。
「よけろウォルト。そいつの炎の輪をくぐり抜けろ」
 さて、群衆はウォルトが曲芸のように炎の輪をくぐり抜けるのを見て拍手喝采した。
 そこに、ひとりカプリコが躍り出てこう言った。
「まるで火の輪くぐりだね。サーカスみたい」
 すると、ウォルトがレビを急かした。
「もうもたねえって。早くしてくれ」
 また別のひとり、フォーゲンがレビの投げた木の棒をキャッチして、綱引きのアンカーのように体にロープを巻きつけて言った。
「ふたりともロープにつかまれ! いっけーーー!!」
 ところが、巨大ヒダコは炎の輪をやめ溶岩を吐き始めた。
「敗者は地獄の業火で焼き尽くされるんだよ。溶岩の池で死んじゃえ」
 溶岩の水位が上がっていきロープを飲み込んでいく。ロープが下から燃えていき、このままでは追いつかれてしまうだろう。
 すると、その時風が吹いた。ふたりの背中を押すように。ウォルトは岩肌にハーケンの要領で斧を打ち込み、上体を起こして60°も傾いたロープの上を疾走する。
 ウォルトはロープを登り切って倒れ、助け起こされて言った。
「フォーゲン。助かったよ。溶岩で溺れるとこだった」
「運が良かったのさ。天祐だったな」
 それから、綱渡りを終えてレビが後を振りえると溶岩の池ができあがっていた。
 私は驚いてフォーゲンの話に割って入る。
「天祐なものか。お前が風の魔法を使い、熱波からふたりをかばいつつ追い風を吹かせた。いったいお前はどういうヤツなんだ?」
 こいつはバカではない。ロープを上に投げる際も、冷静に的確な指示を出していた。私が手伝いに入るまで間、ひとりでロープをつかむふたりを楽々と引っ張り上げていた。そんな力を持ちながら徹底的に争いごとを避ける。何者なんだ?
「フッ……未だ話す刻ではない……」
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