五話 失ッタモノ
母が使うテントは、確かに燃えやすい素材にすり替えられていた。
それに気付いた母は、頑丈な素材に変えるよう指摘し、燃える事のないテントの下で仮眠を取った。
しかし、出火元は既にテントの中にあった。母の使っていた布団の布地の裏側に、発火の魔法陣が施されていたのだ。それが仮眠時に発動され、母の身体は炎に包まれた。
だがそれだけなら、母は重傷を負えども助かる見込みがあった。声を上げて護衛を呼ぶなり、テントから脱すれば救命を受けられた筈だったのだが、それすら不可能な状態だった。
父が手渡した、防御壁の護符である。念には念をと、母がテントの内側に貼った為に、母はテントから出る事も、救援を入れる事も、出来なかったのだそうだ。
そうして母は為す術も無く、焦げ跡一つ残さなかったテントの中で、一人黒炭となっていたのだと言う。
父は図らずしも、母の暗殺の片棒を担ぐような形になってしまったのだった。
更に驚く事に、母の暗殺を執行したのは、皇位継承権序列第1位の皇子ではないらしい。
この国で魔術を巧みに使い、食料や毛布などの、武器を除いた軍事品を支給していた為にこのような事が容易に行えた、父の家の者達だったと言うのだ。
争いを良しとしない、この国のハト派の筆頭とも言えた家の者達である為、到底信じられない話だったが、その者達がこの戦争の件で何度か母と言い争っていた事を思い返すと、虚言とも思えなかった。
事の発端は、あの男が父の家の者の一人に、母の暗殺計画を話してしまった事にあった。
その者は本当に心優しく、彼もその読心術で信出来ると判断したらしい。その者は母を助ける事に協力的だったらしいが、その後で今回の暗殺の計略者に口添えをした為に、序列第1位の皇子に罪をなすりつける形で、母の暗殺に乗りかかったのだと言う。
心優しい者としか話をしていない彼は、いくら心は読めども、未来を読む事までは出来ず、昨日その計略者と会った事で初めてその事を知り、慌てて此処へ駆けつけてきたものの、時既に遅く、彼が此処へ着いたその時に、戦場から母の訃報が届いたのだと言う。
父の人格が今にも喪いかけている状態にも関わらず、その事を全て話してくれたのは、彼を含む他の者に、先に嘘八百を吹き込まれない為であったようだ。
その判断力は喪われないまま、何とか保ってくれていたようだった。
全てを話した後、父は彼を再び部屋に入れる為に、自室に戻るよう言ったが、父の具合が気になって、戻るフリをして部屋を覗き込まざるを得なかった。
「僕の責任です。フォルカー様には、償いきれない事をしでかしてしまった。本当に……申し訳ありません」
招かれた彼は奥歯を噛みしめながら、深々と頭を下げた。
しかし父は、そのまま動かない彼の肩に手を置いて、彼を責め立てるような言葉は一切吐かなかった。
「トクサ卿、貴方の責ではない。貴方は唯、妻を救う為に奔走して下さっただけの事。貴方の罪では……ありません」
「ならば、フォルカー様の罪でもございません。その理屈が通るのならば、何故貴方はご自分を責めておいでなのです……!」
父の顔が強張った。彼はまた、読心術を使ったのだ。
肩に置かれた父の手を掴み、頭を上げた彼の顔は、涙で濡れていた。
「貴方も僕と同じ筈だ。唯守りたいものがあった……そうでございましょう? なのに何故僕に罪が無いと言いながら、ご自分の罪を認めるような事をなさるのですか?」
父は動揺していたが、自分自身、彼の言葉には些か同意だった。
彼が父の家の者に、その事を話したりしなければ、こうはならなかったのだから。
彼の言葉の所為で、父が母を殺めるような事になってしまったのだから。
しかしそれでも父が彼を責められずにいるのは、この男が、それをしてしまった事を落涙する程に後悔しているからなのだろう。
「お願いでございますフォルカー様。ご自分を責めるのならば、どうかその叱責を僕にも向けて下さい。僕も、貴方も、同じ業を背負った罪人なのだから……!」
父は瞠目し、何も言わずに彼を抱き締めると、そのまままた泣き崩れた。
彼も父を抱き返し、父と共に後悔を噛みしめながら、涙を流していた。
これ以上は覗き見ても仕方がない、そう思ってその部屋を離れようとしたその刹那、ピタリと彼と目が合った。
そして次の瞬間、その悲しみの顔が嘘のように消え、悪魔の如く下卑た笑みを、こちらに向けたのだった。
思わず扉から身体を離し、暫くの混乱に頭の整理がつかなかったが、やがて全てを理解して、部屋を離れた。
覚という存在は、他者の心を読む事が出来る為、その相手にとって響く言葉、所謂言霊をも使う事が出来るものらしい。
言霊を使う事で、相手の心を意の儘に操り、それを支配する極めて危険な存在なのだと、調べていた文献には記されていた。
守りたいものがあった? 同じ業? 母を救う為? 罪は無い?
違う、違う、違う、違う! 全部出鱈目だ! 父の心を支配する為に、奴が打った芝居だ!
あの男は、最初から全て分かっていたのだ。分かっていて、父に母の事を伝え、そして今父の心を壊し、我が物にしたのだ。でなければ、あのような顔をこちらに向けるものか!
やはりあの男も、"彼等"と同じなのだ。他者の不幸を笑い、そして見下す――
――ふと、ある事に気付いて足を止めた。
そう言えば、この屋敷は、ここまで静かな場所だったろうか?
辺りを見回す。誰も居ない。近くの壺を覗き込んだり、壁にかけられた絵画を叩いてみる。何も起こらない。
居なくなったのだ。"彼等"が。一体いつからなのだろうか。今朝目が覚めた時からだろうか。母の死を聞いてからだろうか。あの男に……憤りを感じてしまってからだろうか。
「坊ちゃん?」
突然そう呼びかけられ、思わず振り返った。
呼んだのは獏ではなくメイドだった。訃報を聞き、こちらを心配して探してくれていたようだった。
どうやらこれは、悪夢ではないらしい。そう悟った途端、口元が勝手に緩んでしまった。
一先ず自分は問題無いから、彼が落ち着いたら丁重に帰してやるよう命じて、また自室へと向かった。
ベッドに潜り込み、涙が出ない事を気にも留めず、記憶の彼方へと追いやっていたあの言葉を、頭の中で何度も繰り返していた。
『静寂を望むなら静寂たれ、喧騒を望むなら喧騒たれ。但し、どちらも全てにおいて』
静寂に包まれながら、かつての喧騒を思い返していた。