七話 目を背けたもの
母の葬儀が終わってからは、なるべく素行を悪く振る舞うようにした。
とは言え、無断で勉強の時間に部屋に居ないようにしていたくらいだが、メイド達に何も言わずに家を飛び出したりしていた。
父からの言及は無かった。葬儀で誓った言葉の意味を分かってくれていたのか、そもそも部屋から出る事が無い為に、その事実を知らないのかは定かではない。
奴が家に来て、父の部屋に入った頃を見計らって、いつも外へ出るのだった。皇孫失格と思わせる為もあったが、これ以上奴の言葉に縋る父は見たくなかった。
まずはミゲルに会いに行くつもりだったが、普段は馬車での移動だったし、街の風景を見る事もそう無かったので、探索がてらあの子の居る屋敷へ向かう事にした。
そこである工場に行き着くと、丁度昼飯時らしく、整備士が食べようとしていた切れ目の入ったパンの背に腸詰を挟んだものが目に入った。
見たことの無い料理だった為、その味が気になってつい声をかけると、奥から料理番らしき女性が具の多いスープを分けてくれた。
名前も知らない粗暴な話し方の大人達だったが、氷の仮面を被った親族達の畏まった素振りを思い返すと、そこは中々に居心地が良かった。
一頻り場の空気を堪能した後で、改めてミゲルの居る屋敷へと向かった。
あまり遅くなると父に心配をかけてしまうし、日が傾けば本当に追い剥ぎに襲われる危険性を考慮して、今度は寄り道せずに真っ直ぐ向かった。
見張りの目を盗み、外柵を潜り抜けて庭へ入ると、二階の窓にタンバリンを叩いているミゲルの姿が見えた。
皇位継承権序列第3位の皇子にあるまじき行動に思えたが、一先ずは登れそうな場所を探し、近くの蔦に手をかけた。
警備に見つからないか不安だったものの、見つかれば見つかったで素行の悪さが露呈される為、その方が好都合と思う事にすると、存外すぐに二階へ登る事が出来た。
ベランダに降り立ち、窓ガラスを叩こうとしたその時、何やら気配を感じて振り返ると、黒い服装の大人がいつの間にかすぐ隣に立っていたので、声は我慢したものの思わず腰を抜かしてしまった。
その音に漸くミゲルはこちらに気付き、嬉しそうな表情で近付いて窓を開けた。
「カール従兄様、遊びに来てくれたの?」
来るという連絡も寄越さず、突然二階の窓から忍び込もうとした人間に対して、ミゲルはそんな事を言うのだった。
つくづく今まで暗殺されなかった理由が分かり兼ねる程、この子は純真で不注意だった。
とにかく騒がれると見張りに気付かれてしまうので、しぃと口の前で人差し指を立てると、ミゲルは葬儀の時と同じように慌てて口を塞いだ。
そして易々と部屋へ招き入れた後で、メイドを呼んで茶の準備をさせると言い出したので、それを断った。
ここへ来たのは、かつての自分と同様に"彼等"が見えるミゲルに、確認したい事があっただけに過ぎなかった。
「トクサ卿が人間じゃない事は知っているよね?」
その問いに、ミゲルは顔を強張らせた。
そして、部屋の外に誰も居ない事をその聴力で確認すると、少ししょぼくれたような顔で頷いた。
「葬儀の時にうっかりそれを言いそうになって、他の人が聞いてたら不都合だからって注意されちゃった……」
ミゲルの回答は大凡予想通りだった。心が読める奴にとって、こちらに奴の正体を話す事自体はさして問題無いだろうが、そこは葬儀場で、人も多く集まっていた。その為に奴はあの時割り込んで来たのだろう。
本当なら、それ以上に奴の情報が欲しいのだが、それを子供のミゲルが得られる程不用心な奴ではないと思われるので、他の"彼等"に纏わる事を訊く事にした。
「彼の他にも、人間に成りすましている者は居るのかな?」
「……誰にも言わない?」
流石のミゲルも警戒したらしく、突然口籠るようになったので、仕方無く見えなくなった経緯は伏せて、かつては自分も"彼等"が見えていた事を話した。
それを聞くと、ミゲルはまた嬉しそうな顔をして、人間に化けている"彼等"の仲間の事を話し始めた。
特段、奴に対する復讐の為に相手を知ろうという思いはなく、単なる興味だった。
見えなくなった"彼等"は今何をしているのか、どんな悪戯をするのか。それを訊ける相手が今のところ奴かミゲルの二人しか居ないので、消去法でこの子に訊いたのだった。
そして父の実家に居たあのメイドも、先程突如現れたあの黒い影も、"彼等"の仲間である事を知った。
獏はひょっとすれば、こちらに対して出鱈目など一度も吐いていなかったのかも知れない。そう思うと、少しばつが悪くなった。
思い出した途端、急に獏の事も確かめたくなり、悪夢を見た後で変わった訛り口調の者に会わないか訊いてみたが、その問いにだけはミゲルは眉を潜めて首を傾げるだけだった。
見える者でもそうそう会わない、と言っていたのも嘘ではなかったらしい。思わず視線が床へ落ちた。
それにしても、何故この人間では無い者達が、この国の人間に紛れて国政に携わろうとするのか。
答えが返ってくるか分からない問いをミゲルに投げかけると、意外にもすんなりとこの戦争を終わらせる為と聞いたと返って来た。
合点がいった。恐らく母が殺されたのは、軍人である事も理由の一つに入っていたのだろう。父の家の者達と、戦争に参加するしないで言い争っていた事を思い出す。
多くの犠牲を出さない為にも、少数の犠牲を惜しまなかった。そしてそれに、あろう事か敵国の亜人達が加担しているのだ。
ただ、これをミゲルが知っているという事は、外に漏らされても問題無い、或いはいくらでも誤魔化しが利く情報だからなのだろう。
事実向こうが尻尾を出さない限りは、それを根拠付ける物的な証拠など、何一つとして無い。
奴を破滅させるには足りない。そんな考えがふと頭を過ったが、慌ててそれを葬儀での父の言葉で掻き消した。
「トクサ卿がね、僕が見えるのは選ばれた者だからって言うんだ」
ふと、ミゲルがそんな事を言い出した。確かに自分も、同じような事をあのメイドに言われた。
その時はあまり深く考えてはいなかったが、皇位を継ぐ気の無いミゲルにとっては、荷が重い言葉だろう。承知の上で言っているのだとしたら、やはり奴はタチが悪い。
「ミゲルはどうして、皇帝になりたくないの?」
「僕は戦争なんか出来ないよ。誰も傷付けたくない。でも、国民さん達は今でも戦うのが当たり前だと思っているでしょう? 皆が皆じゃないのだろうけれど」
「……戦争が無ければ、皇位を継ごうと思えた?」
ミゲルは口をキュッと結んだ。この子には少し酷な質問だったようだ。
気持ちは分からなくもない。自分にその気が無いのに、周囲から期待と希望を押し付けられれば、いつか来るであろう失敗を恐れてしまうのは、至極当然の事だ。
謝罪をして頭を撫でてやると、ミゲルは少し安心したような笑みを見せた。
「近い内、また急に此処へ来ると思うけど、私がお前と会っている事は、皆には内緒にしておいて欲しい。トクサ卿には無理だろうけれど」
そろそろ日も沈むので、帰る前にミゲルに一つ言い付けをした。
無垢なミゲルはただ目を丸くして、首を傾げる。信頼の置ける者達にも口外してはならないのかと言いたげだった。
この子を皇帝とする為に、父の家の者達は母の暗殺を執行した。その息子がミゲルと仲睦まじくしていると思われたら、痛くない腹を探られて面倒事になるのは目に見えている。
父の心情を考えればそれだけは避けたかったが、それをこの子に言う気にはどうしてもなれなかった。
「二人だけの秘密だ。いいな、ミゲル?」
そう言い直すと、ミゲルは何やらわくわくしたように青い目を輝かせて、大きく頷いた。
別れを告げた後で、ベランダから降りて物陰に隠れると、またその先で黒い服装の大人が居た。
ミゲルの話によれば、それはロウと言う名の影法師と呼ばれるものらしい。
何かの影から現れては消え、時には分身が出来たりもするらしく、あの子自身気付いていないようだったが、恐らくこの影法師がミゲルの護衛を務めているのだと分かった。
先程驚かせた詫びとでも言うのか、影法師は何も言わずに一輪の花を差し出した。
紫色の、見た事の無い形の花だった。毒がある訳では無さそうなので、そのまま受け取ると、影法師は溶けるように影の中へと消えていった。
帰ってから調べてみると、どうやらそれはバロンブルーメと呼ばれる花らしかった。
この地方では自生しておらず、花屋でもあまり置かれていないものらしい。見た事が無かったのはそのためだったようだ。
バロンブルーメには『気品』と言う花言葉があるらしい。皇孫失格を謳えど皇族としての誇りは失くすな、と言う事なのかと考えてみたが、とてもそんな事を言うような者とは思えなかった。
しかし、覆面をしていた為口元が見えず、表情はよく分からない。不本意ながら、奴の読心術の能力を羨ましく思えてしまった。
星の形のようなこの花弁を見ていると、何故か静かな家の中でも緊張の糸が解れるような感覚に陥った。とても心が落ち着くのだ。
"彼等"ならではの魔術なのか、この花そのものにそんな効力があるのか、ともかく影法師がくれたこのバロンブルーメには、癒しの効果があるようだった。
それならば、持っているべきは自分ではない。父が眠った頃を見計らってこっそりと部屋へ入り、父を起こさないように、そっとベッドの脇に花瓶を置いたのだった。