第三話『神童VS神童:序盤』
榊原信行は考える。
どんな天才にもミスはある、と。
史上最年少で棋聖のタイトルを獲得した藤井聡太とて例外ではないだろう。それが彼の得意とする将棋以外のゲームとなればなおさらだ。
この場合の『将棋以外のゲーム』とは藤井がこれから挑戦しようとしているボクシングのこと――ではない。
処世術という名の盤外戦略のことだ。
たしかに、発言に卒がないという点で藤井は高校生離れをしている。
同業のプロ棋士から畏敬の念を抱かれるほどの実力を持ちながら、メディアのインタビューでは常に謙虚な姿勢を崩さない。消耗激しいプロの世界で藤井聡太という『個』を支えるのは、人間離れした『揺れない心』であるのは間違いないだろう。
とはいえ、人生経験という点ではやはり彼も十代の少年だ。いや、これまでの人生の半分以上を浮世離れしたプロ将棋の世界で生きてきたからこそ、格闘技という門外漢の世界の『しきたり』について疎いのも無理はなかった。
格闘技界とは――特に昭和プロレスを源流とする日本格闘技においては――『喧嘩』と『ビジネス』の入れ子構造の世界である。
『喧嘩』の部分でどれだけ激しく選手同士ぶつかり合ったとしても、それはあくまで『ビジネス』というリングの囲いにパッケージングされたイベントなのだ。
ゆえに『ビジネス』の部分で話がこじれ、信頼関係が崩れるという事態は、この業界では試合の勝ち負け以上の致命的な損失になりえる。
「いえ、僕としては、そこまでしていただく必要はないかなと」
電話越しに藤井の言葉を聞いたのは、新棋聖誕生の夜だった。
当初、藤井参戦の発表は8月に行われる『RIZIN22』『RIZIN23』の二日連続大会の直後、というのが榊原の計画だった。現役最年少棋士、それもタイトル獲得の最年少記録を更新したばかりの国民的スターの格闘技挑戦となれば、関係各所への根回しにそれなりの時間は必要になる。
だが、そこに待ったをかけた――否、急戦の居玉棒銀を仕掛けたのは藤井本人だった。
「すぐに、ですか?」
「はい、そうです。できれば今週中には僕の参戦を発表していただけると助かるのですが」
スケジュール上では不可能な話ではない。ちょうど夏の二大会の対戦カードと、ライバル団体『K‐1』から違約金を払う形で移籍するキックボクサー皇治の電撃参戦を発表する予定のYouTube会見が控えていた。それに加えて、最年少タイトル獲得の熱が冷めやらぬ今のタイミングで藤井聡太の参戦を発表すれば、世間へのインパクトはとてつもない大きさになるだろう。
だが、榊原にはそれが最善手であるとは到底思えなかった。
「藤井さん、そうはいっても、色々と調整もありますので――」
説得を試みるが、藤井は頑として意見を変えようとはしなかった。電話越しのその声にかすかな焦りがあるのを榊原は感じ取る。
(この態度―—考えられる線は日本将棋連盟内部からの反対か)
藤井からのファーストコンタクトは連盟を経由していたが、年内に複数タイトル獲得が可能かという大事な時期に別分野にかまける、という選択を業界全体があっさり受け入れるはずがない。かといって、一定の賛同者がいなければ自分と連絡を取ることすら難しかったはずだ。水面下ではもめにもめているといった状況だろう。勝負の世界はどこも同じで、その背景には組織内外の政治力の闘争がある。
藤井としては、さっさと参戦を発表し既成事実を作りたい、というのは榊原にも察しがついた。
妙だったのは藤井が己の参戦を会見当日まで極秘にすることに拘った点だ。
「では、せめて天心と朝倉兄弟には説明をさせてください、メイウェザー戦は本来ならば彼らのうち誰かが出るべき試合だ」
その発言を受けての藤井の返答が、冒頭の台詞だった。最後には藤井の頑固さに折れる形で条件を飲んだが、榊原も天心・朝倉兄弟が共にその対戦カードに異を唱えることは分かり切っていた。短時間で説得をする自信はないし、揉めている内に将棋サイドの問題でこちらの持ち時間が切れるのが最悪のパターン。選手の気持ちを裏切ることにはなるが、出たとこ勝負で後から説得するしかない。
しかし数日後、榊原は己の判断を後悔する。
『藤井聡太さん、メイウェザーとやる前にぜひうちのジムに遊びに来てください。お待ちしていますよ』
藤井の電撃参戦発表の二日後、那須川天心のYouTubeチャンネルに投稿された一本の動画。
それは天心サイドからの藤井との公開スパーリングの提案だった。
それが友好的なものでないことは、いつもの動画とは明らかに違う天心のとげとげしい口調と表情から明らかだった。急上昇ランキングトップに躍り出た動画の再生回数は投稿24時間で300万回超え。
やられた、と榊原は思った。
天心は自分を差し置いて素人の藤井がメイウェザーと戦うことに怒っている――が、その上でこちらがもっとも嫌がる攻撃を冷静に選択した。
つまり、メイウェザーに敗北した天心が衆目の前で藤井を叩きのめせば、『藤井聡太VSメイウェザー』の対戦カードはとうてい勝ち目のない、客寄せのための茶番という扱いになってしまう。そうなればクラウドファンディングでファイトマネーを集めるということは不可能になり、試合の実現すら危うくなるだろう。
的確に相手の嫌がる攻撃を選択する、というのはファイターとしての那須川天心の強さを支える能力の一つだ。
決してセンスや運動能力だけに頼った選手ではない、学校の勉強とは違う、どうやれば勝てるかという戦闘思考において彼は高い能力を持っている。今回はリング外のパワーゲームにおいてその能力が発揮された形だった。
『選手は試合に勝つだけではなく格闘技界を盛り上げるのも仕事のうちだ』
インタビューなどで、天心は常々そういった趣旨の発言をしている。
高校生でキックボクサーとしてプロデビュー、翌年には『RISE』バンタム級王者を獲得し、その後も合計4つの世界タイトルを獲得した若きチャンピオンゆえの自覚。
プロ格闘家とは、戦士であると同時にエンターテイナーであるべきなのだ。
だからこそ、メイウェザー挑戦を横取りされたことは今まで業界のため努力してきた自分に対する侮辱と映ったのだろう。
結果、『RIZIN』はプロ40戦全勝の怪童を敵に回した。
対局相手に大駒をただで取られたも同じ。電撃参戦の強行発表は焦ったあげくの悪手だったということだ。
格闘技ファンとは期待感に金を払う生き物だ。
もしこの申し出を無視すれば、ファンの心は離れ、やはりクラウドファンディングによるファイトマネー調達は不可能になるだろう。いや、申し出を受け入れた上で、ファンが納得するような結果を見せねばならない。それが『真剣勝負で金を取る』ということ。
問題はその相手が、あの那須川天心だということだ。
件の動画を視聴しながら頭を抱える榊原の元に、タイミングよく電話を入れたのはやはり藤井だった。
「スパーリングの日程の件でお電話させていただいたのですが」
いつもの口調、いつもの落ち着き。強者の心に揺れはない。
榊原はその態度に何度目かの戦慄を覚え、同時に覚悟を決める。那須川天心という『大駒』が敵に回った今、こちらにできることは長考か、ミスに沈まず次の一手を即座に返すか。
若き棋聖は後者を選んだ。
どのみち迷うだけ時間の無駄なのだ。
今や日本一有名となったこの初心者ボクサーは、わずか半年足らずの準備期間で。神童を倒した『史上最高の男』に挑まねばならぬのだから。
数日後、公開スパーリング当日。
前日の7月25日、都内のコロナ陽性者数は295人に達し、21日のから5日連続で新規感染者が200人を越える事態が続いていた。数だけを見れば緊急事態宣言中の水準を遥かに越えており、女帝・小池百合子による不要・不急の外出自粛の要請は、もはや都民にとって日常の一部。
そんな中、ここ、キックボクシングジム『TARGET』には100人を越える報道関係者が集まっていた。
ビルのワンフロア分のジム内にその人数が押しかけるのは、明らかなキャパシティ・オーバー。ひとりでもCOVID-19の保菌者が混じっていればクラスター必至の重度の三密状態だ。たとえ感染者が出なかったとしても、今のご時世、俗にいう『コロナ警察』――独りよがりな正義感からネットリンチや飲食店への嫌がらせに加担する有志の一般市民たち――の恰好の標的になりかねない。
などという心配は、今回に限っては杞憂もいいとこだと言わざるを得ないだろう。
海外では森林や油田などで発生した大規模火災に際して、しばしダイナマイトの爆風によって燃焼に必要な酸素を吹き飛ばし、炎を窒息させるという消火方法が用いられる。
藤井聡太VS那須川天心。
このビッグ・カードの前では、ネット上の一般人が画策する炎上などTNT火薬の前の蝋燭の灯にすぎないのだ。
マスク・フェイスシールド・消毒液をフル装備し、万全の感染対策を施した報道陣は異様な雰囲気を纏う。彼らの目は語っていた。
不要・不急の外出自粛だと――馬鹿を言うな。
これが緊急事態だろうが。
嵐の前の静けさに包まれたジム内では、ウォーミングアップを始めた藤井・天心両名がサンドバッグを叩く音だけがやけに大きく響いた。そんな中、報道陣よりも一歩近い距離で両者の動きを見比べる男がひとり。
那須川幸弘。
天心の父親であり、同時にトレーナーを務める彼が今回の対決のレフェリーを買って出たのは、息子に人殺しをさせぬためだった。
『殺す気でやれ』
プロの公式戦に挑む覚悟を、弘幸はそんな言葉で息子に説いたことがある。もちろん比喩ではあったし、その発言自体に後悔はない。
だが、今回の『これ』は危険すぎる。
格闘技経験のない素人が息子の怒りに火をつけた。その素人は誰もが名前を知っている国民的スター。
若くして成功したことから、那須川天心が外野からの誹謗中傷を受けることは多かった。メイウェザーに負けた際も、ボクシングとキックボクシングの違いもまともに分からないような『にわか』から散々な罵詈雑言を受けた。それを気にする那須川親子ではなかったが、今回はまた話が別だった。
もし、今をときめく天才少年棋士に天心が怪我をさせ、それが原因で対局に悪影響が及んだら?
直近では8月頭に最年少二冠達成がかかった王位戦第3局を控えている。第1局、2局で木村一基現王位に連勝している藤井が次の対局を落とせば、『天心とのスパーリングの影響では?』という声は必ず挙がるだろう。
プロがリングに上がったなら、ルールの範囲内の負傷は自己責任。そんな『こちら側』の理屈を世間が理解してくれるはずもない。このスパーリングには天心サイドにも大きなリスクがあった。
それでも弘幸が息子を止めなかったのは、それが那須川家のやり方だからだ。
やられっぱなしでは終わらない。メイウェザー戦も、今回も。
だが、藤井がウォーミングアップを始めたとき、弘幸の不安はより大きくなった。
藤井の打撃が案外様になっていたのだ。
脇が締まったコンパクトな打撃、スムーズなフットワーク、体軸のブレもない。見る者が見れば、ボクサーとしての確かな素質をその動作に見出すだろう。
完全な素人と聞いていたが、まさか。
とはいえ、天心と勝負になるかというとそれは別次元の話だ。
藤井の動きはあくまで『初心者にしてはできすぎ』というレベルに過ぎなかった。将棋のルールや戦術を覚えることと、実際の対局に勝てるかどうかは別問題だ。ましてや相手がプロ棋士となればなおさらだ。『初心者がボクシングで那須川天心と戦う』とはそういうことだった。
弘幸の心配は、半端に戦える相手だからこそ息子が本気になってしまわないか、という点だ。
両者ウォーミングアップを終え、ジムの中央にあるリング上でスパーリングが行われることになった。
無言で周りを囲む報道陣の中には、先ほどの藤井のサンドバッグ打ちをみて『もしかしたら』と短絡的な期待感を抱いているという顔がちらほら(特に将棋サイドの記者が多い傾向だ)。そんな中、藤井のセコンドの位置に着く榊原は近頃の心労のせいもあってか顔色がよろしくない。一瞬目が合った弘幸は、声に出さずに目配せで返事をした。
(――ったく、そんなに心配なら、あんたが止めてくれよ)
互いにそれができない立場であることは分かっていたが、思わず文句が浮かぶ。
戦うかどうかは選手自身が決めるべきことだ。
今や対立関係にあり、地位や経験も違う二人だったが『選手に敬意を払う』という点では一致している。だからこそ、この公開スパーがなるべく上手い具合に着地してくれることを互いに祈るしかない。
リングの中央で、藤井と天心は対峙する。
両者共に練習用の12オンスのグローブとボクシングシューズを着用。頭部にはヘッドギア。
スーツの上着とネクタイをとり、ワイシャツの袖を肘までまくった藤井の視線はやや下に向く。相手と目を合わせようとしないが、その表情に恐れは感じられない。前方斜め下に向けられたそれは『いつもならそこにあるべき将棋盤』を見つめる勝負師の眼差しだった。
一方の天心はいつものトランクス姿だ。視線はまっすぐ藤井を睨みつけ、完全に試合用の『スイッチが入っている』状態だった。
正に一触即発。
「ルールはボクシング、3分3ラウンド――危ないと思ったら、すぐ止めるぞ」
弘幸の言葉に両者の返事はない。無理やり手を引かれる形で互いのグローブを合わせ、両者ニュートラルコーナーへ。弘幸の右手が上がり、ジム内はしばし静寂に包まれた。固唾を飲む観客たち。
「ファイッ!!」
ゴングのない試合開始。
合図と共に、距離を一気に詰めたのは天心だった。神童の本質はこの場においても如何なく発揮される。
すなわち『的確に相手の嫌がる攻撃を選択する』。
サウスポーの天心はオーソドックスに構える藤井の左サイド――相手の身体の外側に大きく踏み込む。
と、同時に。
初手、左オーバーハンドブロー。
大振りな一撃。
直後、史上最年少タイトル保持者の身体は大きくのけぞり、リングロープに跳ね返る。観客たちが本日初めての声を上げたのは、その身体がマット上に投げ出された後だった。
いつでもどこでもキミを導く優しい本格派、棋士・藤井聡太、生涯初めてのダウン。
同時に、天心の左腕が力強く天にむかって突き立てられていた。
ファンの間では定番となっているそのポーズは、敵をダウンさせた際の勝ち名乗りだ。その視線はマット上に倒れた藤井を睨み続けている。
ただし、レフェリーはカウントを取っていなかった。
「フラッシュダウンだ!」
ざわつく観客のひとりが叫んだ。渾身の一撃はグローブでガードされていたのだ。バランスを崩しただけでダメージはなく、ルール上もダウンとは扱われない。
だが、意味はある。
那須川らしくない、力まかせな打撃の意図を理解したのは、弘幸、藤井サイドのセコンドにいる榊原、数名の目の肥えた格闘サイドの記者たちだ。
格闘技において、素人と玄人の決定的な差は『殴られる恐怖』に順応しているか否かである。
天心はボクサーとしての藤井を一切過小評価していなかった。
直前のサンドバッグ打ちで見せた動きのキレに加え、頭脳の戦場で生きる天才が何らかの秘策を用意している可能性は十分にある。
ゆえに神童はあえて相手に見える『こけおどし』のパンチを打ち、『緊張と萎縮により作戦遂行能力そのものを下げる』という合理的な戦略をとった。棋士は命をかけて将棋を打つかもしれないが、対局には肉体的な苦痛や現実的な生命の危機は存在しない。
リングは格闘家の領域だ。
天心の勝ち名乗りには、己の土俵に土足で上がりこんだ部外者への無言の拒絶が込められていた。
「やれるか?」
座り込んだ藤井の顔を覗き込んだ弘幸が声をかける。
ほとんどダメージはない。が、引くなら今だ。そんな期待も空しく、藤井はすっと立ち上がりファイティングポーズを取った。その『負けず嫌い』に半ば呆れ、半ば感心すると同時に、弘幸は息子の攻撃が着実な効果を上げていることを確認する。
今の一撃、天心は『試合の威力』で打ち込んだ。
ヘッドギア越しとは言え、もし同じパンチが顔面に当たればどうなるか――喰らえば誰もが想像する。ゆえに藤井のガードは試合開始直後に比べ位置が高くなる。
顔を殴られぬように、しっかりと。
その緊張は動きに硬さを生み、天心の次なる攻撃、ジャブから繋ぐボディ狙いの左フックに対する反応は確実に遅れるだろう。
それで全てが終わりだ。メディア各局には悪いが、世間が注目する天才少年の『勝負メシ』はしばらく流動食オンリーになる。
また、打撃の恐怖を植え付けられた素人が、半年でその恐怖症を克服するのも難しいだろう。大晦日の試合、メイウェザーに背中を見せて逃げ回ることしかできない初心者ボクサー、しかし狭いリングを史上最強のボクサーから逃れられるはずもなく、牙を失った晩年の“ザ・ビースト”ボブ・サップのようにひたすらガードを固め無抵抗にフルボッコ。国民的スターへの残酷ショーで『RIZIN』は各方面から非難殺到、ファン離れが進み日本格闘技界は終焉を迎える――そんな想像が頭をよぎり、弘幸は苦虫を歯で潰したような表情を浮かべた。
(恨むなよ、榊原さん。先に引き金を引いたのはそっちだ)
弘幸はセコンドに目をやるが、よりいっそう色を失った榊原には、もはや藤井以外の姿は見えていないようだった。
数秒のインターバルの後、試合は再開。
今度は悠然と歩を進める天心。
対する藤井は後ずさって距離を取る展開だった。
高くガードを固めた藤井に対し、天心の腕の高さは一定ではない。ステップのリズムに合わせガードが上下するのは、攻撃の動きを悟らせぬための工夫。常に動き続け、その所作一つ一つの隙間に打撃モーションを紛れ込ませる。萎縮した素人相手に一切手加減をするそぶりはない。
獅子は兎を狩るときすら全力を尽くすのだ。
鋭いジャブが藤井を叩く。
またもガード上。だが、この二撃目には『こけおどし』以上の実用的な意味があった。藤井のサークリングを阻んだのだ。
サークリングとは相手を中心に円を描くように距離を取るフットワークのことだ。藤井は相手を中心に時計回りで動くことで、サウスポーの最も強力な武器、必殺の左が届きにくいポジションをキープしようとした。リカバリー直後の初戦ボクサーにしては落ち着いた判断だった。
だが、プロ40戦を経験した天心にとって、その程度は最序盤・初歩のセオリー、将棋なら7六歩(あるいは3四歩)で角道を開ける程度のことに過ぎない。
ジャブを当てた瞬間、天心は相手の左側にステップイン。
同時にフェイントとして、コンビネーションの予備動作を入れる。
実際の連打を打つ必要はなかった。強打を警戒した藤井は咄嗟にバックステップで退避したが、全ては天心の狙い通り。
この場面、藤井の左サイドを阻む天心に対し、反対の右はレフェリー幸弘が障害物となる。必然、藤井の行く先はリングの角、逃げ場のない袋小路しか残されていない。つまり、サークリングで間合いを取るためのスペースは完全に潰されている。
追い詰められた藤井は、再び真正面から天心と対峙した。
その間合いは、『ライトニング・レフト』と呼ばれる神童の殺人左ストレートの有効射程。
(――まずいぞ)
そう思ったのは、悠長な将棋サイドの報道陣だ。格闘サイドの記者たちには、すでに藤井玉の『詰み』は見えている。要した手数は、オーバーハンドとジャブのたった二手。神童とこの初心者ボクサーには、それほどの実力差があった。
ここから先は試合ではない。
天才格闘家と、人間の形をしたサンドバッグによるデモンストレーション。観戦者の誰もがそれを予感する。
セコンドの榊原がタオルを手に取ったのはそのときだった。
(もう、限界だ!)
タオル投入はTKO(テクニカルノックアウト=本人の意思にかかわらず、レフェリーやセコンドの判断で試合続行不可能とみなされ敗北すること)の意思表示だ。
藤井の敗北だけではない、このギブアップは『藤井聡太VSメイウェザー』の対戦カードの不成立、コロナ禍による巨額の赤字という現実に日本格闘界が敗北することを意味する。だが背に腹は代えられない。天才棋士・藤井聡太がダメージを負い、最年少タイトル保持者という棋士として一番大事な時期を棒に振る事態だけは、何としても避けねばならなかった。
榊原は自問する。『RIZIN』とは、日本格闘技とは何のために存在するのか。
日本の皆を元気付け、明るい未来を作るためだ。
そして未来とは若者のためにある。
だから『RIZIN』が守るべきは『選手の未来』だけではない、『全ての若者の未来』であるべきなのだ。
(藤井君、ありがとう――短い間だが、君のおかげでいい夢が見れた)
最後の瞬間、榊原は思わず眼を閉じていた。
様々な感情、無念、後悔、自責、そしてファンの皆さまへの感謝が止めどない涙となって目頭から溢れだす。
――刹那、榊原の脳内を駆け巡る電気信号のスパークは時空間のひずみを発生させ、その精神を20年前のある地点へとタイムリープさせている。
2000年5月1日東京ドーム、『PRIDE GRANDPRIX 2000』。
地を揺るがすような歓声、歓声、大歓声。
客席を38000人のファンが埋めつくすその中心、リング上で戦う二人の男。
一方は、第一回『UFC』トーナメントを優勝し『グレイシー』伝説の第一歩を歴史に刻んだレジェンド、巨星ホイス・グレイシー。
そして、もう一方。
プロレス神話が打ち砕かれた『PRIDE』の黄金期、圧倒的な時代の逆風に抗うひとりの日本人レスラーが存在した。
名は桜庭和志。
高田延彦の弟子であり、その創意に溢れるグラップリング・テクニックの数々でグレイシーからの刺客を次々と撃破した通称『グレイシー・ハンター』。
伝説を打ち立てた者と、それをを終わらせる者の対決。
その第1ラウンド、得意な寝技に持ち込もうとするホイスの執拗なプレッシャーで桜庭はリングの角へと押し込まれる。同時に組み付きの瞬間のわずかな隙を狙って、桜庭もホイスの腕を取り返していた。
極めようとする桜庭と、それを防ぐホイスの膠着状態。
一瞬でも気を抜けば、どちらかがやられる。試合開始から2分あまり、すでに状況は灼熱の無間地獄の様相を呈していた。
そんな中、ロープから半分身体をはみ出させ、パウンド・パンチを喰らいながらも相手の腕を掴み続ける桜庭の顔をリングカメラがアップで捉える。
(ああそうだ、あのとき桜庭は――)
今より20年若い、しかし20年後の意識を持ったタイムトラベラー榊原が、咄嗟にリングからドーム内に設置された大型モニターへと視線を移す。
当時、榊原はリングに近い主催者席で試合を観戦していたが、その位置からは二人の背中しか見えなかった。決定的瞬間を観たのは、後の録画映像でのことだ。
だが今、時空を超越した熱き魂の因果律がその歴史を改編する。
カメラに気づいた桜庭が顔を上げ、モニター越しに目と目が合うその瞬間、榊原の脳を強烈な電撃が駆け巡った。
桜庭和志が笑っていた。
負けられぬ戦い、過去最強の敵、一瞬の油断が命取りとなる極限の状況下で、モニター一面にに映し出された巨大な桜庭の顔が笑っていた。
20年という年月を超越し、その不敵な笑みはの榊原にがこう語りかける。
『榊原さん、まだ終わってませんよ』
『藤井君は、『RIZIN』は、日本格闘技は――この国は、まだ終わっちゃいませんよ』
『タオルを投げるのはこっちじゃない。諦めるのはむこうだ』
『ここからなんだ。勝負は、たった今始まったばかりなんだ』
MMA史に刻まれた伝説の一夜。
90分に及ぶ死闘の末、ホイス側のタオル投入で桜庭は勝利を納めている。
そして時代は巡り、2020年。
現代に帰還した榊原の魂、再び開かれるその両目。
そこに映ったのは、天心に組み付く藤井の姿だった。
驚愕と同時に榊原の脳裏には、次の台詞が思い浮かぶ。
(――ボクシングには組技がない。そんなふうに考えていた時期が俺にもありました――)
クリンチ・ワーク。
一見すると積極性に欠けるその体勢は、密着した相手に体重をかけることでこちらの体力を温存、相手のリズムを崩すという歴としたディフェンス・テクニックの一つである。
奇しくもリング際の膠着状態。藤井は打撃を避けることに成功したが、広いスペースに出ようとするのをコーナーポストに押し付けられている。戦況は悪い。ただし、天心と抱き合うような形になったことで、その表情はリングサイドの榊原から見えるようになっていた。
涙で滲む視界でもはっきりと分かった。
藤井聡太が笑っていた。
同じだ。
あのときの桜庭と。
日本人で唯一『グレイシー』を破った格闘界の救世主と。
この少年はやるつもりだ。
棋士として――そして天才フロイド・メイウェザー・ジュニアに挑むひとりのボクサーとして、日本中を熱狂させるつもりだ。
だが、できるのか。
敵は50戦無敗『ザ・ベスト・エバー(史上最高)』の異名を持つ怪物だ。いや、それよりも前に40戦無敗の神童に追い詰められたこの状況、どうやって切り抜ける。
やれんのか。
やれんのか、藤井聡太。
その問いかけを言葉以上に雄弁な行動で突きつけたのはやはりこの男、那須川天心。
本業キックボクサーの彼にとって、組みの状態はむしろ得意分野。キックルールではクリンチ(キックでは首相撲と呼ばれる)中の攻撃が許されており、必然的に密着状態でのボディ・コントロールはボクサー以上に慣れている。
コーナーから脱出しようとする藤井。
そのタイミングに合わせ、瞬間的に脱力すると同時に相手の力を受け流す。
このような組み状態でのコントロールはボクシングであれば反則だが、それは故意と見なされた場合の話だ。天心ならば自然な攻防の流れの中で、なおかつレフェリーに止められないほどのスピードで実行することは可能。世界レベルのプロボクサーの試合においてこのような『レフェリーが追いつけない反則』は日常茶飯事。加えて、クリンチ際のコントロールは他でもないフロイド・メイウェザーの得意技だった
リングの袋小路から開放される藤井。
しかし、力を流されたせいで勢いが余り、わずかにバランスを崩している。
(――終わったな)
コンマ数秒遅れで息子の技量を確かめた弘幸が内心で呟く。喜びも、落胆もない。ただ、起きるべきことが起きたというだけのこと。
離れ際、コンパクトな右フック。
その一撃は的確なタイミングと角度で相手の顎を捉えている。
はずだった。
標的を掠め、空を切るグローブ。
藤井は天心の一撃を回避している。
上体を後ろに反らしてパンチを避けるスウェーバックと呼ばれる動きだった。瞬間、弘幸の動体視力が藤井の動きを捉え、かすかな違和感を発見する。
天心の必殺ストレート『ライトニング・レフト』が火を吹いたのは、そのコンマ数秒後。
神童の攻撃は隙を生じぬ二段構え。同時に違和感は確信へと変化した。
放たれた、必殺のコンビネーションブロー。
藤井はその拳の下をくぐり抜けていた。ダッキング。その回避テクニックはスウェーの逆、身体を前に屈めることでパンチを避ける。
異様なのはその低さだ。
相手に背中が見えるほど低く、低く屈めた身体。
その身体の陰を死角として放たれた拳は、あたかも点のごとく天心の顔面に迫った。
地の底から天を穿つような、超高低差のアッパーカット。
神童の反射神経はその一撃をスウェーバックで辛うじて回避。即座にバックステップで距離を取る。
だが、那須川親子の脳裏には、同じ台詞が浮かんでいた。
(―—馬鹿な)
初心者の藤井が、プロの中でもトップレベルのスピードと反射神経を持つ天心と互角に渡り合っている。だが、より問題は藤井の動きから連想したあるボクサーの名前だった。
リングの中央、二人の神童が再び対峙する。息を飲む観客たち。ジム内は再び異様な静寂に包まれ、声を上げる者はいなかった。
天心のガードが先ほどよりも高い。
ガードの高さとは相手の打撃への警戒度のバロメーターとなる。序盤、天心は二手で藤井をリングの隅へ追い詰めたかに見えた。
だが、この初心者ボクサーは、たったの一手でそれが覆したのだ。
藤井の動きからは完全に緊張が消えていた。その構えは完全なるノーガード。相手を挑発するように、あるいは翻弄するかのように、上体が規則的な横揺れを繰り返している。
先ほどまでとは、まるで別人。
いや、実際に別人なのだ。別人を『完璧に』コピーしている。
棋士としての藤井聡太は、AI分析が一般化した現代将棋にもっとも適応した指し手であると言われている。テクノロジーにより発見される新たな戦略は、旧来の将棋の定石を嘲笑うかのような奇手であることも珍しくはない。
一方、かつてのボクシング界にもそれまでの定石を嘲笑うかのような奇抜なスタイルで戦うひとりの天才がいた。
彼の名はナジーム・ハメド。
ノーガード・スタイルと多彩なフェイントで相手を翻弄、飛び込みざまのテレフォン・パンチ(予備動作の大きいパンチ)をいとも簡単にヒットさせ、通常なら体重を乗せることのできない体勢からの一撃で相手をノックアウトする。(参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=eXXhfYlbogA)
歴代最強として語られることは少ないが、その唯一無二のテクニックはボクシング界に多大なインパクトを残した。競技のアスリート化が進み、リング外の挑発で試合を盛り上げようとしがちな昨今、きっちり試合の内容で観客を満足させる稀有なボクサー。将棋で言えば、駒を飛び越すという変則的な動きが可能な唯一の駒、桂馬(けいま)のようなボクサーと言える。
その場に集まった格闘技畑の記者たちは次々と目をこすり、己の視力の正常を確かめる。彼らの目には藤井聡太の傍らに佇む、あまりにもリアルなナジーム・ハメドのイメージが見えていたのだ。
だが、その場にいる将棋畑の記者たちの見解は違う。
藤井が繰り返す、不規則な謎の横揺れ運動には見覚えがあった。否、将棋ファンなら見間違えるはずがない。
2012年4月22日、第62回NHK杯将棋トーナメント本線1回戦第3局。
事件が起きたのは、その対局前インタビューでのことだった。
『豊島? 強いよね。序盤・中盤・終盤隙がないと思うよ――だけど俺は負けないよ』
『駒たっ、駒たちが躍動する俺の将棋を皆さんに見せたいね』
謎の横揺れ――否、ボクシングにおいて相手に的を絞らせぬよう上体を小刻みに動かすテクニック、ウィービングを繰り返しながら、棋士らしからぬバンドマンのような出で立ちの男はそう答えた(参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=biiWWslkTRs)。
彼の名は佐藤紳哉(当時六段)。
礼節を重んじる将棋の世界において、公のインタビューで対戦相手を呼び捨てにするという暴挙。加えて、挑発的、自信過剰ともとれるプロレスじみた受け答えは前代未聞だ。
だが、それら全ては計算しつくされたパフォーマンスだった。
当時は藤井聡太のプロデビュー4年前。
2月には羽生善治九段が自身の公式タイトル獲得記録を更新し、それまでの大山康晴十五世名人に並ぶという歴史的快挙があったものの、すでにベテランとして定着していた羽生に関するニュースへの世間の反応にはかつてほどの熱はなかった。戦術の複雑化から将棋は高齢者を中心とする限られたファン層のものとなり、競技人口も年々減少の一途を辿りつつある状況。
このままでは、将棋は若い人たちに興味を持ってもらえず、忘れ去られてしまうのではないか。
業界に漂うそう言った危機感に対し、率先して行動を起こした若手棋士のひとりが佐藤紳哉だった。
『プロ棋士は本当は強いんです(キャラが)』
佐藤がそう言ったかは定かではないが、彼の身体を張ったネタ提供は将棋そのものではなくそれを指す棋士たちの(愉快な)人間性にスポットを当てることとなった。
もちろんその迷言以前にも、解説や交流イベントなどで棋士たちが対局時とは違った人間臭い一面をファンに見せる(バレる)機会は多かったが、それらはあくまで既存のファンに向けたものだ。若者のテレビ離れが本格化した2010年代初頭、将棋界の外にまで波及する一大ネットミームを生み出した功績は計り知れないだろう。
『対局は難しくてよく分からないけど、棋士って面白い人多いよね』
『ルールは知らないけど、豊島が強いのは知ってる』
『それよりこの人がヅラなのが衝撃だった』
相方である橋本崇載と共にネタ的な意味で日本将棋を牽引した『最強のエンターティナー棋士』佐藤紳哉。
彼の存在がなければ、以後のニコニコ動画やAbemaTVを主戦場とした平成後期の将棋界の盛り上がりはなかったかもしれない。そこで醸成された棋士たちのお茶目さを容認する空気感と、繰り出される数々の内輪ネタに対応する高度に教育された若年ファン層の確立は、後の『藤井フィーバー』を一過性のブームで終わらせないための十分な下地になった。
記録や将棋の強さそのものではなく、棋士としての人間力で新規ファン開拓という難局に最善手を返した佐藤紳哉もまた、駒を飛び越すという変則的な動きが可能な唯一の駒、桂馬――いや、桂(かつら)に例えるのが相応しい。
競技のルールや戦術がよく分からない人が見ても十分楽しめる。
そんなボクシング、そんな将棋を提供したという点で、ナジーム・ハメドと佐藤紳哉はそれぞれの競技にレガシーを残した真のエンターティナーと呼べるだろう。
そして2020年、灼熱の夏。
『RIZIN』の敵に回った最強の大駒を前にして、藤井聡太はその偉大なる二枚の桂馬の動きを完璧に再現する。
強烈なプレッシャーの中、対峙する天心は確かに見た。
ナジーム・ハメド、佐藤紳哉、そして彼らのイメージを背負う藤井聡太が、残像のようなウィービングのシンクロを織りなすのを。
まさに三位一体。まさにジャンルを超越した夢のコラボレーション。
さしずめ、最強エンターティナ―たちによる神速のチューチュートレインである。
将棋には『桂馬の高飛び歩の餌食』という格言がある。
特異な動きを可能とする反面、後退不可能な桂馬は、局面を誤れば簡単に歩の餌食になるピーキーな駒だ。直接攻めに使うよりは、間合いの長さを活かして相手の駒の前進を抑えるという使い方をするのが基本。
だが、藤井は過去の対局においてしばしその『じゃじゃ馬』を攻めの主軸に据えている。少しでも踏み込みを誤れば、結果は死――しかし、だからこそ他者が真似することは難しく、それゆえ強い。
そして生涯初めてのボクシングに挑む今日この日、彼は己にしか指しこなすことのできない異端の定石に沿うことを選んだ。
強者の心に揺れはない。
(――これが天才・藤井聡太)
もはや、その場にいる誰もが確信していた。
この少年は、神童・那須川天心に勝つつもりでここに来たのだ。
勝って、己こそがメイウェザーの挑戦者に相応しいと証明するためここに来たのだ。
三位一体のウィービングを続けながら、相手との間合いを詰める藤井。いつもは将棋盤に向けるその鋭い眼光には、熱い闘志が秘められている。
矢内理絵子女流五段。
2009年から2015年までNHK杯将棋トーナメントの司会を務めた彼女は、件の『豊島? 強いよね以下略』発言の初出である第62回NHK杯将棋トーナメント1回戦、それをオマージュ(パクる)形でネット人気を爆発させた同トーナメント2回戦での橋本崇載八段による『羽生さん?以下略』のインタビュー、さらに解説者側ではあるが、まさかの豊島将之七段(当時)本人の口からそのフレーズが飛び出した翌年の同63回大会の準決勝、いずれもその場に居合わせ、将棋界の歴史に残る偉大な一ページの目撃者となった。
言うまでもないが、今回の公開スパーリングは名目上は非公式戦であり、対戦前のインタビューなどあるはずがない。
だが、もし矢内女流に「那須川選手への印象はいかがですか?」と質問されていれば、藤井聡太は間違いなくこう答えたはずだ。
天心? 強いよね。序盤、中盤、終盤、隙がないと思うよ。
――だけど、僕は負けないよ。